そろそろ、お昼を迎える頃。
「終わった……!」
私の疲れ切った声が、部屋に響いた。
机の上に広げられた、契約内容変更の書類。
その全てに目を通し、署名やらハンコを押したりやらを終えた私は、そこそこの疲労を感じていた。
ただ書類に目を通しただけでなく、口頭による説明もあり。
頭に入れるのが面倒だった私でも、どうにか内容についてある程度理解することができた。
……今回の手続きによって変更されるのは、配信を行うことによって得られる利益について。
これまでは、得られた収益を一度全て組織に渡す代わりに、十分に生活できる程度の金額を、固定額の報酬として受け取ることができるという内容だった。
これは元々、配信等の活動を始めたばかりであまり収益に繋がりにくい時期に確実に魔法少女が利益を得られるようにするための制度らしく、収益が報酬額を上回るようになった時点で、こうやって契約の内容を変更するのが本来の想定なんだとか。
「これで、奏蕾さんの学費について補助を受ける必要がない程度の収益を得られる見込みが立ちました。やってみれば、それほど手間でもなかったでしょう?」
「……そんなことない。もう面倒なのは嫌。私は帰る」
手間が多かったとか少なかったとか、そういうのが問題なのではない。
これまでのものから何かを変えるというのは、それだけでカロリーを消費する。
……ただでさえ、これから奏蕾と共同生活をするという決定をしたばかりなのに、どうしてわざわざこんなことを。
「──だからこそ、という側面もあります。生活様式が変わるタイミングで、諸々一気に変えてしまえば楽でしょう」
「……もしかして、口に出てた?」
「はい。小声でしたが」
「……」
面倒なことを済ませたこともあって、どうやら少し気が抜けていたらしい。
別に聞かれて困るようなことでもないけれど、今みたいに小言を聞かされるのは面倒だ。
大きく伸びをして、それから、座りっぱなしで凝り固まった身体をほぐす。
「お疲れさま! なんかよくわからないけど、頑張ったね!」
「……うん。ありがとう」
口を開けば小言か面倒ごとのミラージュシャインと比べたら、素直に労わってくれる奏蕾の温かさが沁みるようだ。
「……そもそも後回しにしてたのが悪いッチ。年単位で同じ書類を通算何十枚とゴミ箱に放り込んでたんだッチよ?」
……優しく素直な奏蕾とは対照的に、はねたぬきはあっち側に立つらしい。
裏切られた気分だけど、そういえば精霊は組織側に所属する存在だ。考えてみれば当然か。
「……もう済んだこと。私は、過去を振り返らない」
てきとうにそれっぽく言ってみると、はねたぬきにじっとりとした呆れを感じる目を向けられた。
隣で目を輝かせている奏蕾を、少しでも見習ってみたらいいのに。
「──さて、これで必要な手続きは終わりました」
……私は、聞き逃さない。
今彼女は、手続きは、と言った。
こういう言い方をするということは、手続き以外でまだ何か面倒が残っているということを意味するのではないだろうか。
「そういえば、手続きや確認作業を開始する前、奏蕾さんは私に対して強いのかと尋ねましたね?」
「……? うん、聞いたよ」
……正確には、奏蕾は私に聞いてきたのだけど。
ミラージュシャインは、そこに口を挟んできただけだった。
彼女は、何か都合のいいように捻じ曲げようとしているのではないかと身構える私には目も向けず、そのまま言葉を続けるために、口を開く。
「その問いについて、今度はこちらからあなたに尋ねる必要があります。そちらのディープマリンは、生活の中で、魔法少女として怪異もどきとの戦闘を行うことがあるでしょう。……その際、奏蕾さんをどうするのか。それを明確にすることは、必要な確認事項です」
言いながら、途中でチラリとこちらを見てきた。
……まあ、たしかに。言い分に筋が通っているようには聞こえる。
私は首を縦に振り、頷いた。
「わたしは、かなり強いと思うよ! だってドラゴンだし。……昨日は、卵から出てきた直後で、目も開いてないうちに襲われたんだもん」
……実際、奏蕾が戦える存在なのか、守るべき存在なのか。それを知っておく必要は、私にもよく理解できる。
自信満々に答えて、それから言い訳じみた言葉を並べる奏蕾だけど、そこに今ひとつ信憑性が感じられないのが、残念ながら今の現状というものである。
「──なるほど。そのように答えるのであれば、その真偽について、確かめる必要が生じますね」
その言葉に、奏蕾は少しだけムッとしたような表情を浮かべて、それから、こっちに視線を向けてきた。
「……私も、それは必要だと思う」
追い打ちをかけるように私が同調すると、奏蕾は、まるでとてつもないショックを受けたかのような表情をした。
「あくまで、確認をしておく必要があるっていうだけ。奏蕾の言葉を信じてないっていうわけじゃ、ない」
奏蕾を納得させるためにそう言うと、奏蕾の表情がパッと明るくなり、わかってくれたのか、うんうんと頷き始めた。
……しかし、今更だけど、この流れはおそらく奏蕾に模擬戦でもさせるということになるのだろうか。
もし相手役を私が務めるとしたら……。
そもそも私は、模擬戦みたいな、ある程度加減をする必要のある戦いは考えることが多くて面倒な分あまり得意じゃない。
けど、まあ必要性は理解できるし、どうにかうまくやらないと、か。
……やっぱり、奏蕾の言葉をそのまま信じることにしてもいいのでは?
だって、戦える力がないなら、私が守ればいい。
よっぽどのことでもない限り、普通の怪異もどきを相手なら、人一人守りきれないなんてことは、そうそうないし。
「よし、わかった! わたしのカッコよくて頼れるところ、見せちゃうよー! ……で、わたしは何をすればいいの?」
──もし私と戦わせようとしたら、めちゃくちゃ手を抜いてさっさと終わらせよう。
そんなことを考えていたら、一瞬、ミラージュシャインがこちらを見た。
……そして。
「単純なことです。私と、戦っていただきます。……そして、その様子を見て、ディープマリンに判定を下していただきます」
「なるほど! うん、わかった!」
「……おお」
今度は、しっかりと黙っていた。
もしかして、考えが顔に出ていたとでもいうのだろうか。
彼女は私ではなく、自分自身を奏蕾の相手役として指名した。
……そして。
彼女は、その場で魔法少女としての姿に変身すると、すっと、椅子から立ち上がった。
「さて。それでは、早速始めましょうか」
彼女の言葉に私も頷いて立ち上がる。
魔法少女同士では、ちょっとした手合わせなんて、軽いコミュニケーションみたいなもの。こうやって、いきなり始めるのだって、割とよくあることだったりする。
「えっ!? もしかして、今ここで?」
しかし、奏蕾は、どうにも流れについて行けていない様子だった。
「……魔法少女は、見た目よりもかなり頑丈。少しくらい強めに攻撃しても、全然問題無かったりする」
考えてみると、そういえばそもそも、奏蕾は魔法少女の模擬戦という文化について知らないだろう。もしかしたら、いきなり人を攻撃するように言われても、不安や抵抗感が勝るかも知れない。
「えぇ……まあ、うん。わ、わかった。──じゃなくて……あれ? もうこれってそういう流れなの?」
前置きがない方が、さっさとやってさっさと終われるから楽だと思うのだけれど、何か他に気になることでもあるのだろうか。
「えーっと、ほら、ここで戦うのって、危なくない?」
奏蕾のその言葉に、ようやく、何を気にしていたのか理解できた。
確かに、この部屋は狭い。
戦闘どころか、運動できるスペースすらない場所だ。
……しかし。
「なるほど。……では、わかりやすく先にお見せしましょう」
ミラージュシャインがそう言うと、窓から、眩しい夕陽が差し込んできた。
夕焼けの日差しによって、部屋が橙色に染まっていく。
それは、それだけなら、なんでもない普通の光景。
……けれど、つい先ほどまで空には昼前の太陽が昇っていたことから考えると、それが異様な光景であるということがわかる。
「あれ? 空が……?」
奏蕾も、異変に気付いた様子で、窓を見た。
……ひとまず、ちゃんと異変に気が付いたのは、プラスポイントとして数えてもいいだろうか。
そして、それから。
差し込む光はさらに強まっていき……やがて、視界が光で覆われる。
その後、光は徐々に弱まっていき。
視界が戻った時には、私たちはたくさんのビルが立ち並ぶ、夕焼けの都会の街中に立っていた。
魔法少女の、フィールド魔法。
これを使えば、こうして、スペースのない場所でも十分な空間を作り出すことができる。
……しかし。
このフィールド、見たところ強度があまり高くない。
これは、魔法として劣っているという話ではない。
フィールド魔法は、強度を高めるか効果を付け加えるか、ある程度自由にカスタムすることができる。
このフィールドには、間違いなく何か仕掛けがあると見ていいだろう。
「あれ!? いきなり外になった?」
困惑している様子で辺りを見渡す奏蕾に、目の前に立つミラージュシャインが口を開く。
「これは、私の魔法によって作り出された空間です。怪異もどきとの戦闘は基本的に異界……つまり、これの怪異もどきバージョンと言っていい空間の中で行われます。ですから、ここであなたの実力を見るのがちょうどいいでしょう」
ちなみに、魔法少女同士で模擬戦などをする時は、実際にぶつかり合うまでフィールド魔法は見せないのが基本となる。
理由は、さっきの私みたいに、色々と考察する余地ができてしまうから。
フィールド魔法は、魔法少女の魔法の中でも奥義と言っても過言ではない。
普通に魔法少女としての能力を明かすのとは全然違う。
……しかし、これがこうして情報アドバンテージとなり得るのは、あくまで私みたいに魔法少女の魔法に対して知識がある場合の話であって。
奏蕾にとっては、急に全くの未知をぶつけられたようなものだろう。
「よし、わかったよ! じゃあ、頑張るから見ててね、卯実!」
そんな状況に、突然放り込まれたにもかかわらず、気合を入れて宣言をする奏蕾に、私は、無言で小さく頷いた。