Chronicle 作:頭の中の世界を書き出したい
カイルとレオンがまだ十歳だった頃。
ゲームの物語が始まるのは、五年後。
それまでの時間を、
カイルはただ待つつもりはありませんでした。
これはまだ、
勇者も英雄もいない頃の――
小さな約束から始まる物語です。
画面の向こうにあった世界
水平線の向こうには、世界がある。
そんな当たり前のことを、
カイルは知っている。
海を越えれば、大陸がある。
どこまでも続く草原がある。
一年中、雪に覆われた土地がある。
見上げるほど大きな街がある。
砂漠を越えて旅する商人たちもいれば、
人とは違う種族が暮らす場所だってある。
そして――。
魔法がある。
冒険者がいる。
魔物がいる。
ダンジョンがある。
まだ見たことのない景色が、
海の向こうにはいくらでも広がっている。
「…………行きてぇ」
気づけば、
そんな言葉が漏れていた。
朝の海は静かだった。
小さな波が砂浜へ寄せては、
白い泡となって消えていく。
潮の匂いを含んだ風が頬を撫で、
遠くから海鳥の鳴き声が聞こえてくる。
カイルは砂浜に座り、
膝を抱えて水平線を眺めていた。
十歳。
この島で生まれてから、
十年になる。
何度、この海を見ただろう。
それでも。
飽きたことは一度もない。
「この向こうに、本当にあるんだよなぁ……」
思わず口元が緩んだ。
カイルは知っている。
海の向こうに、
どんな世界が広がっているのかを。
見たことがあるからだ。
ただし。
この目で見たわけじゃない。
前世で。
画面の向こう側から。
ゲーム『Chronicle(クロニクル)』。
前世の自分が、
夢中になって遊んでいたRPG。
そして今。
カイル自身が生きている世界でもある。
最初にそれに気づいたのが、
何歳の頃だったのかは覚えていない。
生まれた瞬間から、
前世の記憶が何もかも鮮明だったわけではなかった。
少しずつだった。
聞いたことのある言葉。
見覚えのある景色。
知っているはずのないもの。
それらが一つずつ繋がっていって。
ある時。
カイルは気づいた。
――ここ、Chronicleじゃないか。
しかも。
自分が生まれ育ったこの村は、
ゲームの物語が始まる場所だった。
――はじまりの里。
最初は驚いた。
次に混乱した。
夢なんじゃないかとも思った。
そして。
最後には――。
めちゃくちゃ嬉しくなった。
だって。
魔法が、本当にある。
剣を腰に下げた冒険者が、
本当に村へやって来る。
森の奥には、
本物の魔物がいる。
そして。
この海の向こうには。
前世で何度も画面越しに見た、
あの世界が本当に広がっている。
初めて本物の魔法を見た日のことは、
今でもよく覚えている。
何もなかった手のひらの上に、
小さな炎が生まれた。
たったそれだけ。
ゲームなら、
気にも留めなかったような魔法だった。
でも。
本物は違った。
熱かった。
眩しかった。
揺れる炎に合わせて、
周りの空気まで揺れていた。
その日の夜。
カイルは、
なかなか眠れなかった。
――俺も使えるのか?
――いつか、あんなことができるのか?
布団の中で、
そんなことばかり考えていた。
前世の記憶があるのに。
子どもみたいに。
……いや。
実際、今の自分は子どもなのだ。
前世で生きた記憶が、
消えたわけじゃない。
知っていることもある。
考え方だって、
前世の影響を受けている。
それでも。
カイルとして生まれて。
泣いて。
笑って。
転んで。
母親に怒られて。
レオンと喧嘩して。
仲直りして。
十年。
気づけば。
前世の自分と、
今の自分を。
わざわざ分けて考えることも、
少なくなっていた。
前世の記憶がある。
それも自分。
この村で十年育った。
それも自分。
だから。
本物の魔法を見れば、
今だってわくわくする。
剣を持った旅人が村へ来れば、
どこから来たのか聞きたくなる。
海の向こうの話を聞けば、
もっと聞かせてくれと頼んでしまう。
母には。
『また旅人さんを困らせて』
と怒られる。
でも。
仕方ない。
知りたいのだ。
画面の向こうにあった世界を。
今度は。
自分の目で。
「…………行きたいなぁ」
カイルは両手を砂の上についた。
今すぐ海を渡れるとは思っていない。
船を操れない。
魔物とまともに戦えない。
剣だって。
今使っているのは、
練習用の木剣くらいだ。
知識があったって。
十歳の身体が、
急に強くなるわけじゃない。
旅に出るには。
まだ早い。
でも。
いつかなら。
きっと行ける。
それに。
カイルには、
知っていることがあった。
ゲーム『Chronicle』の物語が、
本格的に始まるのは。
今ではない。
ゲームの主人公が。
十五歳になってから。
「あと五年……」
カイルは片手を開いた。
五本の指。
ゲームの物語が始まるまで。
あと五年。
前世まで含めれば。
五年という時間が、
どれくらいのものなのかは知っている。
それでも。
十歳の身体で過ごす五年は、
やっぱり長く感じる。
「五年かぁ……」
カイルはため息をついた。
長い。
早く見たい。
早く行きたい。
前世で画面越しに見た場所へ。
自分の足で。
「…………ん?」
そこで。
カイルは考えた。
待てよ。
五年。
あと五年もある。
「…………」
カイルは、
もう一度自分の手を見る。
剣を覚えられる。
魔法だって覚えられるかもしれない。
身体も大きくなる。
この世界について、
もっと知ることもできる。
ゲームでは知らなかったことを。
五年間。
自分で探せる。
「……五年もある、か」
さっきまで。
長いと思っていた時間が。
急に。
少しだけ違って見えた。
何もしないで待つ必要なんてない。
ゲームが始まるまで。
自分の人生まで、
止まっているわけじゃない。
だったら。
「よし」
カイルは立ち上がった。
水平線へ向かって、
びしっと指を突き出す。
「待ってろ、世界!」
海鳥が一羽。
カイルの頭上を通り過ぎていった。
「…………」
返事はない。
当たり前だ。
急に恥ずかしくなった。
「今のなし」
誰も聞いていない。
そう思った。
その時だった。
「カァァァイルッ!」
「うおっ!?」
背後から。
聞き慣れた大声が響いた。
振り返る。
砂浜の向こうから、
一人の少年がものすごい勢いで走ってきていた。
カイルと同じ十歳。
茶色い髪を風になびかせ。
朝っぱらから、
無駄なくらい元気いっぱい。
レオン。
カイルの幼なじみだ。
「見つけた!」
レオンが満面の笑みを浮かべる。
「レオン?」
カイルは目を細めた。
嫌な予感がした。
なぜなら。
レオンが。
まったく速度を落とさない。
「おい」
「カイルぅぅぅ!」
「待て」
来る。
「止まれ!」
「捕まえたぁぁぁ!」
「だから止まれって!」
ドンッ!
「ぐえっ!」
真正面からぶつかった。
二人揃って。
砂浜をごろごろと転がる。
「痛ってぇ……!」
カイルは身体を起こした。
口に入った砂を吐き出す。
「何すんだよ、レオン!」
「やっと見つけた!」
レオンは嬉しそうだった。
「見つけたじゃない!
普通に呼べばいいだろ!」
「呼んだぞ?」
「突っ込んできながらだろ!」
「でも聞こえた」
「そういう問題じゃない!」
カイルが睨む。
レオンは笑っている。
昔からこうだ。
考えるより先に身体が動く。
気になるものがあれば走る。
誰かを見つければ走る。
遊びに誘う時も走る。
そして。
本人に悪気がないから、
余計に困る。
「それよりカイル」
「なんだよ」
「おばさんが探してたぞ」
「母さんが?」
「うん」
レオンは大きく頷いた。
「『カイルを見つけたら、
すぐ連れてきて』って」
「…………」
嫌な予感。
さっきとは比べものにならないほど。
嫌な予感。
「ちなみに……なんで?」
カイルが恐る恐る尋ねる。
「朝の手伝いじゃないか?」
「あ」
思い出した。
今日は朝から。
家の手伝いをする約束だった。
完全に忘れていた。
「…………レオン」
「何?」
「俺、旅に出る」
「え?」
カイルは立ち上がった。
海へ向かう。
「今までありがとう」
「どこ行くんだよ」
「海の向こう」
「どうやって?」
「…………泳ぐ」
「無理だろ」
「じゃあ船を探す」
「一人で乗れるの?」
「…………」
乗れない。
「カイル」
レオンが腕を掴んだ。
そして。
にっこり笑った。
「帰ろう」
「嫌だ!」
「おばさん待ってるぞ」
「離せ、レオン!
親友だろ!」
「だから迎えに来たんだよ!」
「親友なら見逃せ!」
「嫌だよ!
おばさん怖いもん!」
「裏切り者!」
二人の声が、
朝の砂浜に響いた。
近くにいた海鳥が、
驚いて一斉に飛び立っていく。
結局。
カイルはレオンに腕を引っ張られながら、
村へ戻ることになった。
◇ ◇ ◇
はじまりの里。
大陸から離れた、
小さな島にある村だ。
石と木で造られた家々が並び、
その間を細い道が走っている。
港には漁から戻った船。
魚を運ぶ大人たち。
朝からあちこちで、
元気な声が飛び交っている。
「カイル!」
港の近くを通ると、
大柄な漁師が声をかけてきた。
「また海見てたのか!」
「おはよう、おっちゃん!」
「おう!
暇ならこっち手伝え!」
「今から母さんの手伝い!」
「じゃあ終わったら来い!」
「なんで!?」
漁師が豪快に笑う。
その横。
野菜を並べていた女性が、
二人を見る。
「あら、レオン。
カイル捕まえたの?」
「捕まえた!」
レオンが元気よく答えた。
カイルが振り返る。
「俺、魔物か何かなの?」
女性が笑った。
「似たようなもんでしょ」
「ひどくない!?」
周りからも笑い声が上がった。
いつもの朝。
いつもの村。
カイルは。
この時間が好きだった。
ゲームでは。
こんな場所じゃなかった。
いや。
正確には。
こんなふうには見えなかった。
ゲームの『はじまりの里』は、
小さなマップだった。
家が数軒。
店。
広場。
海。
そこにいる人へ話しかければ、
決められた台詞が返ってくる。
それだけ。
でも。
本当は違う。
朝になれば、
焼きたてのパンの匂いがする。
港では漁師たちが、
今日の漁について言い合っている。
子どもたちは道を走り回り。
大人に怒られる。
洗濯物を干しながら、
昨日の夕飯について話している人もいる。
道の真ん中では。
一匹の犬が、
気持ちよさそうに寝ていた。
レオンが足を止める。
「どいてくれないかな」
犬は動かない。
「レオン」
「何?」
「負けてるぞ」
「何に?」
「道の取り合い」
「勝負してないだろ!」
結局。
二人で犬を避けて歩いた。
こんなことも。
ゲームにはなかった。
カイルは。
少しだけ足を止めた。
「…………」
ゲームでは。
名前すらなかった人たち。
画面に映ってすらいなかった人たち。
でも。
ここでは。
みんな生きている。
朝起きて。
仕事をして。
誰かと話して。
笑って。
怒って。
今日を生きている。
前世で知っていた世界と。
同じなのに。
全然違う。
「カイル?」
隣からレオンの声。
「どうした?」
「いや」
カイルは首を横に振った。
「なんでもない」
「変なやつ」
「お前にだけは言われたくない」
「俺のどこが変なんだよ」
「人を見つけたら突進してくるところ」
「あれは捕まえただけ」
「普通は走って捕まえないんだよ」
「でも捕まっただろ?」
「…………」
言い返せないのが悔しい。
前世の記憶があるんだから。
もう少し大人らしく。
そう思うこともある。
でも。
レオンと一緒にいると。
そんなことは。
大抵すぐに忘れる。
カイルは。
隣を歩くレオンを見た。
レオン。
幼なじみ。
物心がついた頃から、
ほとんど一緒にいる。
遊んだ。
喧嘩した。
一緒に怒られた。
森へ入って。
二人揃って迷子になったこともある。
カイルにとって。
一番の親友。
そして。
ゲーム『Chronicle』の――主人公。
五年後。
十五歳になったレオンは。
この島を出る。
海を渡る。
仲間と出会う。
戦う。
そして。
やがて。
勇者と呼ばれるようになる。
カイルは。
その物語を知っている。
でも。
今。
隣にいるレオンは。
「カイル!」
「うわっ!」
「またぼーっとしてる」
「急に顔近づけるな!」
「何考えてたんだ?」
「別に」
「絶対なんか考えてた」
「今日の晩飯」
「何かな?」
「知らない」
「魚かな」
「昨日も魚だったぞ」
「じゃあ今日も魚だ」
「なんでだよ」
カイルは笑った。
そう。
今は。
勇者じゃない。
ゲームの主人公でもない。
十歳のレオン。
カイルの親友。
それでいい。
その時。
ふわり。
風が吹いた。
「ん?」
潮風とは少し違う。
柔らかく。
どこか心地いい風。
カイルが顔を上げる。
家の屋根。
そこに。
小さな影が座っていた。
狐のような耳。
柔らかそうな毛。
身体より長い尻尾が、
風に揺れている。
「あ、フェン!」
レオンが名前を呼んだ。
風狐(ふうこ)のフェン。
フェンは耳をぴくりと動かした。
そして。
ぽんっ。
屋根から飛び降りた。
「お、おい!」
カイルが声を上げる。
落ちる。
そう思った瞬間。
ふわっ。
風が。
フェンの身体を包んだ。
小さな身体が、
羽でも生えたように浮かぶ。
ゆっくり。
降りてきて。
「なんで俺!?」
ぽふっ。
カイルの頭へ着地した。
「…………」
「…………」
レオンが吹き出した。
「似合ってるぞ」
「何が!?」
フェンの長い尻尾が、
カイルの額へ垂れてくる。
ふわふわ。
ふわふわ。
「邪魔!」
カイルが手を伸ばす。
フェンはするりと避ける。
「降りろって!」
フェンは。
カイルの頭の上で丸くなった。
「寝るな!」
「ははははっ!」
レオンが腹を抱えて笑い始める。
「笑ってないで取れ!」
「嫌だよ」
「なんで!?」
「俺の頭に来たら重いから」
「俺はいいのかよ!」
また。
周りから笑い声が上がった。
何でもない朝だった。
いつもの村。
いつもの人たち。
いつものレオン。
いつものフェン。
そして。
いつものカイル。
前世の記憶を持っていても。
この場所で過ごしてきた十年は。
偽物なんかじゃない。
ここは。
ゲームのスタート地点である前に。
カイルの故郷だった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
カイルとレオンは、
村外れの丘にいた。
朝の手伝いを忘れていたカイルは。
当然。
母親に怒られた。
そして。
迎えに行っただけのレオンは、
なぜかその場で笑った。
だから。
カイルは言った。
『レオンも暇だよ』
結果。
二人揃って、
夕方まで手伝わされた。
「カイルのせいだからな」
レオンが草の上へ寝転がる。
「親友だろ」
「またそれ言ってる」
「助け合いは大事だぞ」
「俺、何を助けたんだ?」
「俺の心」
「知らないよ」
カイルも。
隣へ寝転がった。
二人で空を見る。
夕焼け。
赤く染まった雲が、
ゆっくり流れている。
少し離れた岩の上では。
フェンが丸くなっていた。
風が吹く。
草が揺れる。
遠くから。
波の音が聞こえる。
しばらく。
二人とも何も話さなかった。
やがて。
「なあ、カイル」
レオンが口を開いた。
「ん?」
「海の向こうって、
どんなところなんだろうな」
カイルは目を開いた。
横を見る。
レオンは。
空を見たままだった。
「急にどうした?」
「今日さ」
「うん」
「カイル、また海見てただろ?」
「見てた」
「そんなに何があるのかなって」
「…………」
レオンは。
身体を起こした。
海を見る。
「俺も行ってみたい」
その言葉に。
カイルの胸が。
小さく高鳴った。
「海の向こう?」
「うん」
レオンが頷く。
「村に来る旅人って、
いろんな話するだろ?」
「するな」
「雪がいっぱい降るところとか」
「うん」
「村より何倍も大きい街とか」
「うん」
「魔物と戦う冒険者とか」
「うん」
「見てみたい」
レオンが笑った。
「全部」
「…………」
知っている。
レオンは。
本当に行く。
五年後。
この島を出る。
世界を巡る。
でも。
今のレオンは。
未来なんて知らない。
ただ。
十歳の少年として。
海の向こうに憧れている。
「カイルは?」
レオンがこちらを見る。
「行きたくないの?」
カイルは。
一瞬。
ぽかんとした。
それから。
笑った。
「行きたい」
身体を起こす。
「めちゃくちゃ行きたい!」
「そんなに?」
「そんなに!」
カイルは海を指さした。
「でっかい街に行きたい!」
「うん!」
「雪も見たい!」
「俺も!」
「砂漠も!」
「暑そう」
「でも見たい!」
「分かる!」
「冒険者にもなりたい!」
「俺もなれるかな?」
「なろう!」
「ダンジョンにも行ってみたい!」
「行く!」
「宝箱見つけたい!」
「それ絶対俺が先に開ける!」
「なんでだよ!
見つけた方だろ!」
「じゃあ競争な!」
「いいぞ!」
いつの間にか。
二人とも立ち上がっていた。
前世の記憶があるとか。
この世界がゲームと同じだとか。
そんなことは。
この瞬間だけは。
どうでもよかった。
カイルは楽しかった。
ただ。
親友と。
いつか行く冒険の話をすることが。
どうしようもなく。
楽しかった。
「魔法も覚えたい!」
カイルが言う。
「剣も!」
レオンが続ける。
「強くなって!」
「冒険して!」
「知らない場所へ行って!」
「知らない人と会って!」
二人で。
海を見る。
夕陽が。
水平線を赤く染めている。
海の向こう。
まだ見たことのない世界。
「じゃあさ」
レオンが言った。
「何?」
「約束しようぜ」
「約束?」
「うん」
レオンが。
カイルへ小指を差し出した。
「大きくなったら」
少しだけ。
照れくさそうに。
それでも。
いつもの笑顔で。
「一緒に海の向こうへ行こう」
「…………」
カイルは。
差し出された小指を見る。
思わず笑った。
「指切り?」
「嫌なのか?」
「いや」
カイルも。
小指を差し出した。
「こういうのも悪くない」
二人の指が。
絡む。
「約束な」
レオンが言う。
「ああ」
カイルは答えた。
「約束だ」
五年後。
レオンは。
ゲームの物語通りなら。
この島を出る。
その時。
カイルがどうなっているのか。
まだ分からない。
ゲームには。
カイルなんて存在しなかった。
レオンの隣に。
自分はいなかった。
でも。
今。
レオンは言った。
一緒に行こう。
だったら。
「レオン」
「何?」
「五年後」
「五年後?」
「俺たち、十五歳だろ」
「うん」
「その時までに、
めちゃくちゃ強くなろうぜ」
レオンの目が輝いた。
「いいな、それ!」
「剣も」
「うん!」
「魔法も」
「うん!」
「冒険者になれるくらい」
「なろう!」
「それで」
カイルは。
もう一度。
海を見る。
「本当に行こう」
レオンも。
同じ方向を見る。
「おう!」
一陣の風が。
二人の間を吹き抜けた。
岩の上にいたフェンが。
ゆっくりと顔を上げる。
その瞳が。
海の向こうへ向けられた。
カイルは知っている。
あの向こうには。
まだ見たことのない街がある。
まだ会ったことのない人たちがいる。
冒険がある。
そして。
前世で知っていた。
ゲーム『Chronicle』の物語がある。
五年後。
ゲームの物語は始まる。
でも。
カイルの人生は。
もう始まっている。
ゲームが始まるまでの五年間も。
誰かに飛ばされる時間じゃない。
カイル自身が生きる。
五年だ。
だから。
ただ待つつもりはない。
剣を覚える。
魔法を覚える。
世界を知る。
レオンと遊ぶ。
フェンと過ごす。
失敗して。
怒られて。
それでも。
少しずつ強くなる。
そうやって。
五年後。
約束した海の向こうへ。
自分も行く。
ゲームの知識だってある。
何が起こるのかも。
ある程度は知っている。
だから。
きっと。
大丈夫。
――そのつもりだった。
まだ。
カイルは知らない。
ゲームが教えてくれたのは。
この世界の。
ほんの一部だけだったことを。
画面の中では。
数行で終わった出来事にも。
そこに生きる人たちの。
時間がある。
笑った日がある。
泣いた日がある。
誰かと出会った日がある。
そして。
何より。
ゲームには存在しなかった。
カイルという少年が。
今。
ここにいる。
前世の記憶を持ちながら。
カイルとして。
十年を生きてきた。
レオンと出会った。
フェンと出会った。
村の人たちと笑った。
その時点で。
画面の向こうで見た物語と。
全く同じになる保証なんて。
どこにもなかった。
でも。
今はまだ。
そんなことを考える必要はない。
二人にあるのは。
世界を救う使命でも。
未来を変える覚悟でもない。
もっと単純な。
少年たちの夢。
いつか。
海の向こうへ行く。
二人で。
自分たちの足で。
世界を見に行く。
それだけ。
夕陽が。
ゆっくりと海へ沈んでいく。
少年二人と一匹の影が。
丘の上に。
長く伸びていた。
ゲームの始まりまで。
あと五年。
けれど。
カイルの物語は。
もう。
始まっていた。
【旅の手引き 01】
《はじまりの里》
大陸から離れた、
小さな島にある里。
海がきれい。
魚もうまい。
俺とレオンが生まれて、
ずっと一緒に育ってきた場所。
前世では、
ゲームの最初の村だった。
でも。
今の俺にとっては、
それだけじゃない。
ここは俺の故郷だ。
海の向こうには、
まだ知らない世界がある。
いつか行く。
レオンと一緒に。
約束したから。
――ゲームの始まりまで、あと五年。