Chronicle   作:頭の中の世界を書き出したい

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ゲームでは、何度も倒した敵。

けれど。

画面の向こうで戦うことと、
自分の身体で向き合うことはまるで違う。

カイルとレオン。

十歳の二人にとって、
これが初めての「本物の戦い」です。


はじめての魔物

 

 ざっ。

 

 

 草むらが揺れた。

 

 

「…………」

 

 

 カイルは木剣を握りしめる。

 

 

 隣にはレオン。

 

 

 少し前にはフェン。

 

 

 誰も動かない。

 

 

 いや。

 

 

 動けない。

 

 

 ざっ。

 

 

 もう一度。

 

 

 今度は。

 

 

 はっきりと近い。

 

 

「……来る」

 

 

 カイルが呟いた。

 

 

「うん」

 

 

 レオンの声も小さい。

 

 

 さっきまで。

 

 

 木剣で打ち合っていた時とは、

 まるで違う。

 

 

 遊びじゃない。

 

 

 負けても。

 

 

「もう一回」

 

 

 なんて言えない。

 

 

 草むらの向こうにいるものが。

 

 

 もし。

 

 

 本当に魔物なら。

 

 

 負ければ。

 

 

 怪我をする。

 

 

 それだけで済まないかもしれない。

 

 

 ゲームなら。

 

 

 そんなこと。

 

 

 考えたこともなかった。

 

 

 負けたら。

 

 

 やり直す。

 

 

 回復して。

 

 

 装備を整えて。

 

 

 もう一度。

 

 

 それだけだった。

 

 

 でも。

 

 

 今は。

 

 

 違う。

 

 

 カイルの手のひらが。

 

 

 じっとりと汗ばむ。

 

 

 木剣が。

 

 

 さっきより滑る気がした。

 

 

「カイル」

 

 

 レオンが小さく呼ぶ。

 

 

「何?」

 

 

「俺……」

 

 

 レオンが。

 

 

 一度。

 

 

 唾を飲み込んだ。

 

 

「ちょっと怖い」

 

 

「…………」

 

 

 カイルは。

 

 

 ほんの少しだけ。

 

 

 安心した。

 

 

「俺も」

 

 

「カイルも?」

 

 

「当たり前だろ」

 

 

 怖い。

 

 

 それを。

 

 

 口に出したら。

 

 

 少しだけ。

 

 

 身体の力が抜けた。

 

 

 レオンも同じだったらしい。

 

 

「……そっか」

 

 

 小さく笑った。

 

 

「何笑ってんだよ」

 

 

「カイルも怖いんだなって」

 

 

「俺を何だと思ってるんだ」

 

 

「変なやつ」

 

 

「お前な」

 

 

 こんな時なのに。

 

 

 少しだけ。

 

 

 いつもの調子が戻る。

 

 

 その瞬間だった。

 

 

 ガサッ!

 

 

「――っ!」

 

 

 草むらから。

 

 

 何かが飛び出した。

 

 

「うわっ!」

 

 

 カイルとレオンが。

 

 

 同時に一歩下がる。

 

 

 四本の脚。

 

 

 低い身体。

 

 

 灰色がかった毛。

 

 

 長く突き出した鼻。

 

 

 口元から覗く牙。

 

 

 犬。

 

 

 いや。

 

 

 狼に近い。

 

 

 ただし。

 

 

 普通の狼とは違う。

 

 

 額から。

 

 

 短い一本の角が伸びている。

 

 

「…………」

 

 

 カイルは。

 

 

 その姿を知っていた。

 

 

「ホーンウルフ……」

 

 

 声が漏れた。

 

 

「知ってるの?」

 

 

 レオンが聞く。

 

 

「……ああ」

 

 

 カイルは頷く。

 

 

 ホーンウルフ。

 

 

 ゲーム『Chronicle』。

 

 

 はじまりの里周辺に出現する。

 

 

 序盤の魔物。

 

 

 ゲームでは。

 

 

 珍しくもなんともない。

 

 

 最初のレベル上げで。

 

 

 何匹倒したか。

 

 

 覚えてすらいない。

 

 

 弱い。

 

 

 序盤の雑魚。

 

 

 そんな認識だった。

 

 

 でも。

 

 

「グルルルル……」

 

 

「…………」

 

 

 目の前にいる。

 

 

 本物は。

 

 

 でかい。

 

 

 四つ足だから低く見えるだけで。

 

 

 身体そのものは。

 

 

 十歳のカイルが相手をするには、

 十分すぎるほど大きい。

 

 

 牙も。

 

 

 爪も。

 

 

 本物。

 

 

 何より。

 

 

 目。

 

 

 画面の中では分からなかった。

 

 

 魔物が。

 

 

 こちらを。

 

 

 獲物として見ている。

 

 

「全然……」

 

 

 カイルが呟く。

 

 

「何?」

 

 

「いや」

 

 

 カイルは木剣を構え直した。

 

 

 全然。

 

 

 雑魚じゃない。

 

 

 少なくとも。

 

 

 今の自分たちにとっては。

 

 

「グルル……」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 ゆっくりと。

 

 

 こちらへ近づく。

 

 

「カイル」

 

 

「動くな」

 

 

「え?」

 

 

「急に走ったら追ってくるかもしれない」

 

 

「じゃあ、どうする?」

 

 

「…………」

 

 

 どうする。

 

 

 カイルは必死に考える。

 

 

 ゲームの知識。

 

 

 ホーンウルフ。

 

 

 弱点。

 

 

 行動。

 

 

 何か。

 

 

 何かあったはずだ。

 

 

 攻撃は。

 

 

 噛みつき。

 

 

 突進。

 

 

 角を使った――。

 

 

「……突進」

 

 

「え?」

 

 

「こいつ、まっすぐ突っ込んでくる」

 

 

 ゲームでは。

 

 

 ただの攻撃演出だった。

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 一度距離を取って。

 

 

 正面から突っ込んでくる。

 

 

 だったら。

 

 

「レオン」

 

 

「うん」

 

 

「正面に立つな」

 

 

「分かった」

 

 

「横から狙う」

 

 

「横?」

 

 

「突っ込んできたら避ける。

 その後だ」

 

 

「分かった」

 

 

 レオンは。

 

 

 迷わず頷いた。

 

 

「…………」

 

 

 カイルは一瞬。

 

 

 レオンを見る。

 

 

「何?」

 

 

「いや……」

 

 

 普通。

 

 

 もう少し。

 

 

 疑わないか?

 

 

 どうしてそんなこと知ってるんだとか。

 

 

 聞かないのか。

 

 

 でも。

 

 

 今は。

 

 

 ありがたい。

 

 

「来るぞ」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 身体を低くした。

 

 

 前脚が。

 

 

 地面を掻く。

 

 

 カイルの心臓が。

 

 

 跳ねる。

 

 

 知っている。

 

 

 この動き。

 

 

「突進!」

 

 

 ホーンウルフが地面を蹴った。

 

 

「っ!」

 

 

 速い。

 

 

 ゲームで見るより。

 

 

 ずっと。

 

 

 速い。

 

 

「避けろ!」

 

 

 二人が。

 

 

 左右へ飛ぶ。

 

 

 カイルは右。

 

 

 レオンは左。

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 二人の間を駆け抜けた。

 

 

「今!」

 

 

 カイルが叫ぶ。

 

 

「おう!」

 

 

 レオンが。

 

 

 先に動いた。

 

 

 木剣を。

 

 

 両手で握る。

 

 

「やぁぁぁ!」

 

 

 振り下ろす。

 

 

 バシッ!

 

 

 木剣が。

 

 

 ホーンウルフの背中を打った。

 

 

「ギャンッ!」

 

 

「当たった!」

 

 

「レオン、離れろ!」

 

 

「え?」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 身体をひねった。

 

 

「グァッ!」

 

 

「うわっ!」

 

 

 牙。

 

 

 レオンが。

 

 

 慌てて後ろへ倒れる。

 

 

 ガチンッ!

 

 

 目の前で。

 

 

 牙が噛み合った。

 

 

「レオン!」

 

 

 カイルは。

 

 

 考えるより先に。

 

 

 走っていた。

 

 

「こっちだ!」

 

 

 木剣を振る。

 

 

 バシッ!

 

 

 今度は。

 

 

 ホーンウルフの横腹。

 

 

「グルッ!」

 

 

 ホーンウルフの顔が。

 

 

 カイルへ向く。

 

 

「…………あ」

 

 

 目が合った。

 

 

 まずい。

 

 

「カイル!」

 

 

 レオンの声。

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 飛びかかる。

 

 

「っ!」

 

 

 避け――。

 

 

 遅い。

 

 

 そう思った。

 

 

 その時。

 

 

 風が吹いた。

 

 

「――っ!?」

 

 

 ほんの一瞬。

 

 

 カイルの身体が。

 

 

 横へ流れた。

 

 

 自分で動いた。

 

 

 ……はずだった。

 

 

 でも。

 

 

 思っていたより。

 

 

 身体が軽かった。

 

 

 ホーンウルフの爪が。

 

 

 服の端を掠める。

 

 

 びりっ。

 

 

 布が裂けた。

 

 

 カイルは地面へ転がった。

 

 

「いっ……!」

 

 

 痛い。

 

 

 肘を打った。

 

 

 でも。

 

 

 動く。

 

 

「カイル!」

 

 

「大丈夫!」

 

 

 すぐに身体を起こす。

 

 

 そこで。

 

 

 フェンが目に入った。

 

 

 少し離れた場所。

 

 

 フェンは。

 

 

 ただ。

 

 

 こちらを見ている。

 

 

「…………」

 

 

 今の風。

 

 

 フェンが?

 

 

 そう思った。

 

 

 でも。

 

 

 確かめている暇はない。

 

 

「グルルル……」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 再びこちらを向く。

 

 

「くそ……」

 

 

 カイルは木剣を握る。

 

 

 攻撃は当たった。

 

 

 レオンも。

 

 

 自分も。

 

 

 でも。

 

 

 倒れない。

 

 

 当たり前だ。

 

 

 木剣だ。

 

 

 本物の武器じゃない。

 

 

「カイル!」

 

 

 レオンが。

 

 

 こちらへ走ってくる。

 

 

「どうする!?」

 

 

「…………」

 

 

 逃げる。

 

 

 それが一番いい。

 

 

 でも。

 

 

 背中を見せて。

 

 

 逃げ切れるのか。

 

 

 相手は四本脚。

 

 

 たぶん。

 

 

 自分たちより速い。

 

 

 だったら。

 

 

 追ってこられないくらい。

 

 

 怯ませる。

 

 

 その隙に。

 

 

 逃げる。

 

 

「倒そうとするな」

 

 

「え?」

 

 

「逃げるために戦う」

 

 

 カイルが言った。

 

 

「こいつを倒す必要はない」

 

 

「…………」

 

 

 レオンは。

 

 

 一瞬だけ。

 

 

 ホーンウルフを見る。

 

 

 そして。

 

 

「分かった」

 

 

 頷いた。

 

 

「どうする?」

 

 

「さっきと同じ」

 

 

「突進?」

 

 

「ああ」

 

 

 カイルは周りを見る。

 

 

 木。

 

 

 岩。

 

 

 草。

 

 

 何か。

 

 

 使えるもの。

 

 

 そこで。

 

 

 一本の木が目に入った。

 

 

 太い。

 

 

 カイルたち二人では。

 

 

 抱えきれないくらい。

 

 

「レオン」

 

 

 カイルが。

 

 

 木を指さす。

 

 

「俺があそこに立つ」

 

 

「え?」

 

 

「突進させる」

 

 

「危ないだろ!」

 

 

「避ける」

 

 

「避けられなかったら!?」

 

 

「その時は――」

 

 

 言葉が止まる。

 

 

 避けられなかったら。

 

 

 怪我。

 

 

 いや。

 

 

 もっと。

 

 

「…………」

 

 

 怖い。

 

 

 足が。

 

 

 少し震えている。

 

 

 でも。

 

 

 他に。

 

 

 思いつかない。

 

 

「俺がやる」

 

 

 レオンが言った。

 

 

「駄目だ」

 

 

「なんで?」

 

 

「俺が考えたから」

 

 

「それ理由になってないだろ」

 

 

「いいから!」

 

 

 カイルは。

 

 

 木の前へ走った。

 

 

「カイル!」

 

 

「レオンは横!」

 

 

「…………!」

 

 

 レオンが。

 

 

 歯を食いしばる。

 

 

 それでも。

 

 

 言われた通り。

 

 

 横へ動いた。

 

 

 カイルは。

 

 

 木を背にする。

 

 

 目の前。

 

 

 ホーンウルフ。

 

 

「…………来い」

 

 

 木剣を構える。

 

 

「来いよ」

 

 

 声が。

 

 

 震える。

 

 

「グルルル……」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 身体を低くした。

 

 

「…………」

 

 

 来る。

 

 

 前脚。

 

 

 地面。

 

 

 蹴る。

 

 

「――今だ!」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 飛び出した。

 

 

 速い。

 

 

 真正面。

 

 

 カイルへ。

 

 

「っ!」

 

 

 怖い。

 

 

 避けろ。

 

 

 まだ。

 

 

 今じゃない。

 

 

 まだ。

 

 

 まだ。

 

 

「カイル!」

 

 

「――っ!」

 

 

 横へ。

 

 

 全力で。

 

 

 飛ぶ。

 

 

 直後。

 

 

 ドンッ!

 

 

 鈍い音。

 

 

「ギャンッ!」

 

 

 ホーンウルフの角が。

 

 

 木へぶつかった。

 

 

「今!」

 

 

 カイルが叫ぶ。

 

 

「うおおおお!」

 

 

 レオンが。

 

 

 走る。

 

 

 木剣を。

 

 

 大きく振り上げる。

 

 

 そして。

 

 

 ホーンウルフの横腹へ。

 

 

 全力で。

 

 

 叩き込んだ。

 

 

 バシィッ!

 

 

「ギャッ!」

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 地面へ倒れた。

 

 

「レオン、こっち!」

 

 

「うん!」

 

 

 倒した。

 

 

 なんて。

 

 

 思わない。

 

 

 確認もしない。

 

 

 二人は。

 

 

 走った。

 

 

「フェン!」

 

 

 カイルが叫ぶ。

 

 

 フェンは。

 

 

 すでに。

 

 

 二人の横を走っている。

 

 

「いつの間に!?」

 

 

「カイル、前!」

 

 

「分かってる!」

 

 

 走る。

 

 

 走る。

 

 

 とにかく。

 

 

 走る。

 

 

 後ろから。

 

 

「グルルルルッ!」

 

 

 声。

 

 

「起きた!」

 

 

「振り返るな!」

 

 

 二人は。

 

 

 森を駆ける。

 

 

 木。

 

 

 草。

 

 

 岩。

 

 

 来た道。

 

 

 どっちだ。

 

 

「こっち!」

 

 

 レオンが。

 

 

 迷わず曲がる。

 

 

「分かるの!?」

 

 

「なんとなく!」

 

 

「なんとなく多すぎだろ!」

 

 

 でも。

 

 

 ついていく。

 

 

 後ろ。

 

 

 魔物の気配。

 

 

 ある。

 

 

 まだ。

 

 

 追ってきている。

 

 

「まずい!」

 

 

「もっと走れ!」

 

 

「走ってる!」

 

 

 息が。

 

 

 苦しい。

 

 

 脚が。

 

 

 痛い。

 

 

 それでも。

 

 

 止まれない。

 

 

 その時。

 

 

 前方が。

 

 

 明るくなった。

 

 

「出口!」

 

 

 レオンが叫ぶ。

 

 

 森の入口。

 

 

 村へ続く道。

 

 

「行け!」

 

 

 二人が。

 

 

 木々の間から飛び出す。

 

 

「うわっ!」

 

 

「おっと!」

 

 

 誰かに。

 

 

 ぶつかりそうになった。

 

 

 大人。

 

 

 数人。

 

 

 手には。

 

 

 槍。

 

 

 斧。

 

 

 弓。

 

 

「カイル!?」

 

 

 聞き覚えのある声。

 

 

「レオンまで!」

 

 

「おっちゃん!?」

 

 

 朝。

 

 

 二人を追いかけた。

 

 

 あの漁師だった。

 

 

「お前ら、何して――」

 

 

「後ろ!」

 

 

 カイルが叫ぶ。

 

 

 漁師の顔が変わった。

 

 

 次の瞬間。

 

 

 森から。

 

 

 ホーンウルフが飛び出した。

 

 

「下がれ!」

 

 

 大人の一人が叫ぶ。

 

 

 カイルとレオンを。

 

 

 後ろへ押す。

 

 

「グルルルルッ!」

 

 

 ホーンウルフ。

 

 

 対して。

 

 

 大人たちは。

 

 

 迷わなかった。

 

 

「一匹だ!」

 

 

「囲め!」

 

 

「子どもを後ろへ!」

 

 

 動きが。

 

 

 全然違う。

 

 

 カイルは。

 

 

 息を切らしながら。

 

 

 その光景を見る。

 

 

 槍を持った男が。

 

 

 正面。

 

 

 ホーンウルフが飛びかかる。

 

 

 槍が動く。

 

 

 横。

 

 

 別の男。

 

 

 逃げ道を塞ぐ。

 

 

「今だ!」

 

 

 一撃。

 

 

 二撃。

 

 

 ほんの。

 

 

 わずかな時間だった。

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 地面へ倒れた。

 

 

「…………」

 

 

 カイルは。

 

 

 言葉を失った。

 

 

 自分たちが。

 

 

 あれだけ必死に戦って。

 

 

 逃げてきた相手。

 

 

 それを。

 

 

 大人たちは。

 

 

 あっという間に。

 

 

「……強ぇ」

 

 

 レオンが呟いた。

 

 

「……ああ」

 

 

 カイルも答えた。

 

 

 ゲームなら。

 

 

 弱い敵。

 

 

 序盤の雑魚。

 

 

 でも。

 

 

 それは。

 

 

 ゲームの主人公から見た話。

 

 

 今の自分たちは。

 

 

 まだ。

 

 

 その主人公ですらない。

 

 

 十歳。

 

 

 木剣。

 

 

 まともな訓練も。

 

 

 装備もない。

 

 

 弱いのは。

 

 

 魔物じゃない。

 

 

 今の。

 

 

 自分たちだ。

 

 

「お前ら」

 

 

 低い声。

 

 

「…………」

 

 

 カイルとレオンが。

 

 

 同時に。

 

 

 ゆっくり顔を上げる。

 

 

 漁師が。

 

 

 こちらを見ていた。

 

 

 怖い。

 

 

 さっきの魔物とは。

 

 

 別の意味で。

 

 

 怖い。

 

 

「森の奥へ行ったのか?」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 二人は。

 

 

 黙った。

 

 

「カイル」

 

 

 レオンが小声で言う。

 

 

「何?」

 

 

「逃げる?」

 

 

「無理」

 

 

「だよな」

 

 

 漁師が。

 

 

 にっこり笑った。

 

 

「帰るぞ」

 

 

「…………はい」

 

 

 カイルが答える。

 

 

「……はい」

 

 

 レオンも続いた。

 

 

 たぶん。

 

 

 今日は。

 

 

 人生で一番。

 

 

 怒られる。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 予想通りだった。

 

 

「何考えてるの!」

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 カイルは。

 

 

 家の中で。

 

 

 頭を下げていた。

 

 

 隣にはレオン。

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 同じように。

 

 

 頭を下げている。

 

 

 二人の前には。

 

 

 カイルの母。

 

 

 そして。

 

 

 レオンの家族。

 

 

 さらに。

 

 

 なぜか。

 

 

 朝の漁師。

 

 

「森へ入るなとは言ってない!」

 

 

 カイルの母が言う。

 

 

「でも奥へ行くなら、

 大人に言いなさい!」

 

 

「はい!」

 

 

「魔物の足跡を見つけたんでしょう!?」

 

 

「はい!」

 

 

「だったら戻りなさい!」

 

 

「戻ろうとはしました!」

 

 

 カイルが。

 

 

 思わず顔を上げる。

 

 

「フェンがいたから!」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 母が。

 

 

 カイルを見る。

 

 

 カイルは。

 

 

 そっと。

 

 

 視線を逸らした。

 

 

「……でも奥へ行ったのね?」

 

 

「…………はい」

 

 

「カイル」

 

 

「はい」

 

 

「正座」

 

 

「もうしてる!」

 

 

「もっとちゃんと!」

 

 

「はい!」

 

 

 レオンが。

 

 

 横で。

 

 

 笑いを堪えている。

 

 

「レオン」

 

 

「はい!」

 

 

 姿勢が。

 

 

 一瞬で良くなった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 長い。

 

 

 本当に長い。

 

 

 説教が終わった頃。

 

 

 外は。

 

 

 もう夕方だった。

 

 

「疲れた……」

 

 

 カイルは。

 

 

 家の前の段差へ座る。

 

 

 隣に。

 

 

 レオン。

 

 

「魔物より怖かった」

 

 

「それ母さんに言うなよ」

 

 

「言わない」

 

 

 二人で。

 

 

 ため息。

 

 

 フェンは。

 

 

 そんな二人の間に。

 

 

 ちょこんと座っている。

 

 

「お前のせいだからな」

 

 

 カイルが。

 

 

 フェンを見る。

 

 

「フェンを探してたから、

 森に入ったんだぞ」

 

 

 フェンは。

 

 

 カイルを見る。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 そして。

 

 

 あくびをした。

 

 

「こいつ……!」

 

 

 レオンが笑った。

 

 

「はははっ!」

 

 

「笑い事じゃない!」

 

 

「でもフェン無事だったし」

 

 

「まあ……」

 

 

 カイルは。

 

 

 フェンの頭へ手を置く。

 

 

 柔らかい。

 

 

「無事だったからいいけど」

 

 

 フェンは。

 

 

 目を細めた。

 

 

 その時。

 

 

 カイルは。

 

 

 森でのことを思い出す。

 

 

 ホーンウルフが。

 

 

 飛びかかってきた時。

 

 

 あの風。

 

 

「フェン」

 

 

 カイルが呼ぶ。

 

 

 フェンが。

 

 

 片耳を動かす。

 

 

「あの時」

 

 

「カイル?」

 

 

 レオンがこちらを見る。

 

 

「いや……」

 

 

 カイルは。

 

 

 少し考えて。

 

 

 首を横に振った。

 

 

「なんでもない」

 

 

 偶然。

 

 

 だったのかもしれない。

 

 

 森だ。

 

 

 風くらい吹く。

 

 

 でも。

 

 

 なぜか。

 

 

 そんな気がしなかった。

 

 

 フェンは。

 

 

 いつもと変わらず。

 

 

 尻尾を揺らしている。

 

 

「なあ、カイル」

 

 

 今度は。

 

 

 レオンが呼んだ。

 

 

「何?」

 

 

「今日さ」

 

 

「うん」

 

 

「怖かったけど」

 

 

「うん」

 

 

「ちょっとだけ」

 

 

 レオンが。

 

 

 笑った。

 

 

「楽しかった」

 

 

「…………」

 

 

 カイルは。

 

 

 レオンを見る。

 

 

「お前なぁ……」

 

 

「カイルもだろ?」

 

 

「…………」

 

 

 否定しようとした。

 

 

 でも。

 

 

 できなかった。

 

 

 怖かった。

 

 

 本当に。

 

 

 怖かった。

 

 

 でも。

 

 

 自分で考えて。

 

 

 レオンと一緒に動いて。

 

 

 攻撃を避けて。

 

 

 戦って。

 

 

 逃げて。

 

 

 そして。

 

 

 生きて帰ってきた。

 

 

 その全部が。

 

 

 怖かったのに。

 

 

 胸の奥では。

 

 

 何かが。

 

 

 まだ。

 

 

 熱かった。

 

 

「……ちょっとだけな」

 

 

 カイルが答える。

 

 

「やっぱり!」

 

 

「ちょっとだけ!」

 

 

「俺も!」

 

 

「でも次はちゃんと大人に言う」

 

 

「うん」

 

 

「装備もいる」

 

 

「うん」

 

 

「木剣じゃ駄目だ」

 

 

「うん!」

 

 

「あと」

 

 

 カイルは。

 

 

 自分の手を見る。

 

 

 小さい。

 

 

 十歳の手。

 

 

「強くならないとな」

 

 

 レオンも。

 

 

 自分の手を見る。

 

 

 そして。

 

 

 拳を握った。

 

 

「なろう」

 

 

「…………」

 

 

「強くなろうぜ、カイル」

 

 

 カイルは。

 

 

 笑った。

 

 

「ああ」

 

 

 ゲームの物語が始まるまで。

 

 

 あと五年。

 

 

 昨日まで。

 

 

 その五年は。

 

 

 冒険へ出るまでの。

 

 

 長い時間だと思っていた。

 

 

 でも。

 

 

 今日。

 

 

 少しだけ。

 

 

 分かった。

 

 

 五年は。

 

 

 待つためにあるんじゃない。

 

 

 自分たちが。

 

 

 強くなるためにある。

 

 

 剣を覚える。

 

 

 魔法を覚える。

 

 

 戦い方を覚える。

 

 

 そして。

 

 

 いつか。

 

 

 本当に。

 

 

 海の向こうへ行く。

 

 

「明日も剣やる?」

 

 

 レオンが聞く。

 

 

「やる」

 

 

「また俺が勝つけど」

 

 

「…………」

 

 

 カイルは。

 

 

 レオンを見る。

 

 

「五回やる」

 

 

「いいよ」

 

 

「全部勝つ」

 

 

「無理だろ」

 

 

「やってみないと分からない」

 

 

「今日全部負けたじゃん」

 

 

「明日は違う!」

 

 

 レオンが笑う。

 

 

 カイルも。

 

 

 笑った。

 

 

 その間で。

 

 

 フェンが。

 

 

 静かに。

 

 

 空を見上げていた。

 

 

 風が。

 

 

 吹く。

 

 

 柔らかく。

 

 

 二人の少年を。

 

 

 撫でるように。

 

 

 その日。

 

 

 カイルとレオンは。

 

 

 初めて。

 

 

 本物の魔物と出会った。

 

 

 初めて。

 

 

 本気で恐怖を感じた。

 

 

 初めて。

 

 

 自分たちの弱さを知った。

 

 

 そして。

 

 

 初めて。

 

 

 強くなりたいと。

 

 

 ただの憧れではなく。

 

 

 心から。

 

 

 そう思った。

 

 

 まだ。

 

 

 二人は十歳。

 

 

 勇者でも。

 

 

 英雄でも。

 

 

 冒険者ですらない。

 

 

 けれど。

 

 

 小さな一歩は。

 

 

 確かに。

 

 

 ここから。

 

 

 始まっていた。

 

 

 




【旅の手引き 03】

《ホーンウルフ》

森で出会った魔物。

前世では、
何度も倒した序盤の敵だった。


だから。

最初は少しくらいなら、
どうにかなると思っていた。


訂正。


めちゃくちゃ怖い。


牙は本物。

爪も本物。

突進も本物。


そして。

木剣は思っていたより、
全然頼りにならない。


ゲームで「弱い」と。

今の俺たちでも「弱い」は。

同じ意味じゃなかった。


次に森へ行くなら。

ちゃんと準備する。

大人にも言う。


……絶対に。
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