無個性信仰   作:ケーケーケー

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第五話 ゼロの点数

 

巨大な門が開いた瞬間、受験生たちは一斉に走り出した。

 

足を獣のように変形させる者。

 

噴射の勢いで加速する者。

 

地面を滑るように進む者。

 

数秒も経たないうちに、出久は集団の後方へ取り残された。

 

「やっぱり速い……!」

 

驚いている場合ではない。

 

出久も鍛え上げた脚で地面を蹴った。

 

かつての彼なら、他の受験生との身体能力の差を見ただけで気後れしていたかもしれない。

 

だが、今は違う。

 

勝てない相手と比べて立ち止まるな。

 

昨日の自分より前へ進め。

 

十か月間、何度も聞かされた言葉を胸に、模擬市街地へ踏み込んだ。

 

大通りに入ると、既に戦闘が始まっていた。

 

一ポイントの仮想敵が建物の陰から現れ、その正面にいた受験生が腕を硬化させる。

 

振り抜かれた拳が、金属製の頭部を叩き潰した。

 

別の場所では、巨大な岩を操る受験生が二ポイントの仮想敵を押し倒している。

 

爆発音。

 

電撃。

 

炎。

 

雄英を受験する者たちは、それぞれが磨いてきた個性を惜しみなく使っていた。

 

出久は走りながら、周囲を観察する。

 

仮想敵の装甲は想像していたよりも厚い。

 

自分の拳や蹴りでは壊せない。

 

事前に公開された映像を何度も分析したが、実物は画面で見るより遥かに大きかった。

 

「いたぞ! 原典者だ!」

 

誰かが叫んだ。

 

出久の存在に気づき、近くにいた受験生たちの動きが止まる。

 

一人が仮想敵への攻撃を中断し、別の一人は出久とロボットの間へ身体を入れた。

 

「危ない! 下がってください!」

 

「僕も受験生です!」

 

出久は立ち止まらずに答えた。

 

「でも、怪我をしたら――」

 

「試験に集中してください!」

 

その瞬間、一ポイントの仮想敵が腕を振り上げた。

 

出久を庇おうとした受験生は、攻撃を中断したことで反応が遅れている。

 

「右へ!」

 

出久の声に、受験生が反射的に飛び退く。

 

巨大な腕が路面を叩き、アスファルトの破片が飛び散った。

 

出久は両腕で顔を守りながら、仮想敵の動きを見る。

 

右腕を振り下ろした後、上体が僅かに傾く。

 

脚部の車輪が重量を支えきれず、左側へ重心が寄っていた。

 

あの形の一ポイント仮想敵は、頭部を旋回させる際に左後輪が一瞬だけ停止する。

 

事前映像で見つけた癖と同じだ。

 

「もう一度、右から攻撃させてください!」

 

「何を――」

 

「早く!」

 

出久は地面に落ちていたコンクリート片を拾い、仮想敵の右側面へ投げた。

 

硬い音が響く。

 

敵の索敵装置が反応し、上半身を右へ向けた。

 

腕が持ち上がる。

 

出久は攻撃範囲に入る寸前まで近づき、すぐに後退した。

 

振り下ろされた腕が路面へ激突する。

 

予想どおり、機体の重心が左へ寄る。

 

「今です!」

 

先ほどの受験生が意図を理解した。

 

硬化させた肩から仮想敵の左側面へ体当たりする。

 

停止していた左後輪が衝撃に耐えられず、機体が横転した。

 

そのまま頭部を地面へ打ちつけ、駆動音が止まる。

 

『一ポイント仮想敵、機能停止』

 

機械音声が流れた。

 

「やった……!」

 

硬化の受験生が顔を明るくする。

 

得点は、最後に有効打を与えた彼へ入るだろう。

 

出久には一ポイントも加算されない。

 

それでも、倒し方は分かった。

 

「教えてくれて、ありがとうございました!」

 

出久はそう言って走り出した。

 

「えっ、待って!」

 

受験生が慌てて呼び止める。

 

「今の、君の作戦だろ! ポイントは――」

 

「次を探します!」

 

戦闘に時間を使いすぎることはできない。

 

残り時間は限られている。

 

出久は角を曲がり、次の通りへ入った。

 

その後ろ姿を見送り、硬化の受験生は戸惑った。

 

原典者は祀られ、何もしなくても他人から与えられる存在。

 

彼も世間の報道を通して、そんな印象を持っていた。

 

だが、今の少年は自分の得点を求めなかった。

 

それどころか、自分の助言で他人が点を得たことを心から喜んでいた。

 

「……変な奴」

 

呟いた後、彼も次の仮想敵へ向かって走り出した。

 

 

監視室では、教師や試験官たちが各会場の映像を確認していた。

 

大画面の一つに、走り続ける出久の姿が映っている。

 

「戦闘得点、未だゼロ」

 

エクトプラズムが報告した。

 

試験開始から三分。

 

出久は二体の仮想敵の撃破を補助したが、どちらにも有効な攻撃を加えていない。

 

「予想どおりだな」

 

相澤は腕を組んだまま画面を見つめていた。

 

「素手で装甲を突破するのは不可能だ」

 

「入試用装備を許可すべきでした」

 

原典者保護委員会から派遣された監督官が言う。

 

「装備がなければ、緑谷氏は何もできません」

 

「持ち込みを禁止したのは委員会でしょう」

 

根津が指摘する。

 

「原典者専用の装備を認めれば、特別扱いに当たると主張されたのはあなた方です」

 

「そうですが、安全のために最低限の防護装備だけでも――」

 

「彼は、他の受験生と同じ条件を望んだ」

 

相澤が言葉を挟む。

 

「なら、今は見ていろ」

 

画面の中で、出久が三ポイントの仮想敵から逃げていた。

 

速度では敵の方が速い。

 

道の先は瓦礫によって狭くなっている。

 

このまま直進すれば追いつかれる。

 

「回避が遅い!」

 

オールマイトが思わず身を乗り出した。

 

直接声を届けることはできない。

 

拳を握り、ただ見守る。

 

出久も背後を確認していた。

 

三ポイントの仮想敵は、車輪ではなく四本の脚を持っている。

 

狭い道でも速度を落とさない。

 

正面から戦って勝てる相手ではない。

 

道路脇には、別の仮想敵が破壊した街灯が倒れていた。

 

金属製の支柱。

 

長さは三メートルほど。

 

持ち上げて武器にするには重すぎる。

 

だが、完全に持ち上げる必要はない。

 

出久は街灯の根元へ滑り込み、折れた支柱を両手で掴んだ。

 

「うおおおっ!」

 

全身の力で引く。

 

街灯の先端が、ゆっくりと道路へ移動する。

 

三ポイントの仮想敵が迫る。

 

五メートル。

 

三メートル。

 

出久は限界まで引いたところで、支柱から手を離した。

 

長い街灯が道を斜めに塞ぐ。

 

仮想敵の前脚が支柱へ引っかかった。

 

巨体が前方へ傾き、勢いのまま建物の壁へ激突する。

 

壁そのものは試験用の頑丈な構造物だった。

 

衝突の反動で仮想敵の頭部が歪み、動きが止まる。

 

『三ポイント仮想敵、機能停止』

 

出久は膝に手をつき、荒い息を吐いた。

 

倒した。

 

自分一人で。

 

「三点!」

 

監視室でプレゼント・マイクが声を上げる。

 

「緑谷少年、初得点!」

 

オールマイトが拳を握った。

 

「よし!」

 

「喜ぶにはまだ早い」

 

相澤は冷静だった。

 

「あの方法は一度しか使えない。それに、時間がかかりすぎる」

 

そのとおりだった。

 

出久が仮想敵一体を倒すまでに、他の受験生なら何体も撃破している。

 

だが相澤は、僅かに目を細めた。

 

教えたことは守っている。

 

正面から無謀に挑まず、周囲を利用した。

 

攻撃を受けないことを最優先にし、その上で勝てる方法を探した。

 

泥のヴィランへ飛び込んだ頃の少年とは、明らかに違っていた。

 

「少しは考えて動けるようになったな」

 

誰にも聞こえない声で呟いた。

 

 

出久の戦闘得点は、その後も少しずつ増えていった。

 

道路に散らばっていた鉄筋を、一ポイント仮想敵の車輪へ差し込む。

 

二ポイント仮想敵の攻撃を誘導し、別の仮想敵へ衝突させる。

 

破損した機体から非常停止用の配線を見つけ、装甲の隙間から引き抜く。

 

どれも簡単ではない。

 

仮想敵へ近づくたび、攻撃を受ける危険がある。

 

一度は回避が間に合わず、腕へ機械の指が掠った。

 

防具の上から鋭い痛みが走る。

 

出久はすぐに距離を取り、腕が動くことを確認した。

 

骨折はない。

 

出血もない。

 

続行可能。

 

以前なら、痛みを隠して無理をしていたかもしれない。

 

だが今は、自分の状態を冷静に確認する。

 

助けて、生きて帰る。

 

そのための訓練を受けてきた。

 

『残り時間、六分!』

 

プレゼント・マイクの声が試験場へ響いた。

 

出久は一度立ち止まり、息を整えた。

 

ここまでに倒した仮想敵は、一ポイントが四体、二ポイントが二体、三ポイントが一体。

 

合計十一点。

 

合格圏には到底届かない。

 

他の受験生の正確な得点は分からないが、上位は既に四十点や五十点を超えているはずだ。

 

「このままじゃ……」

 

焦りが込み上げる。

 

もっと危険な方法を使えば、得点を増やせるかもしれない。

 

仮想敵の懐へ入り、非常停止装置を直接狙う。

 

成功すれば早い。

 

失敗すれば、大怪我では済まない。

 

出久の脳裏に、母の顔が浮かんだ。

 

――帰ってこられるくらい、強くなって。

 

次いで、オールマイトの言葉を思い出す。

 

――休むことは敗北ではない。

 

焦るな。

 

点数のために、訓練で学んだことを捨ててはいけない。

 

出久は深呼吸し、周囲を見た。

 

無理に仮想敵だけを探すのではなく、会場全体を見る。

 

すると、倒壊した壁の近くで、一人の受験生が脚を押さえていることに気づいた。

 

「大丈夫ですか!」

 

出久はすぐに駆け寄った。

 

「足を捻っただけだ! 試験を続けろ!」

 

少年は強がっているが、立ち上がることができていない。

 

その背後から、一ポイントの仮想敵が近づいていた。

 

出久は少年の腕を肩へ回し、立ち上がらせる。

 

「ちょっと、何を――」

 

「安全な場所まで運びます!」

 

「でも、ポイントが!」

 

「いいから掴まってください!」

 

出久は少年を支えながら歩き出した。

 

仮想敵が迫る。

 

片手で人を支えたまま戦うことはできない。

 

逃げ切れる速度でもない。

 

「僕を置いていけ!」

 

「できません!」

 

出久は周囲へ目を走らせた。

 

前方に、背の高い受験生がいる。

 

眼鏡。

 

ふくらはぎにあるエンジン。

 

講堂で、出久が少女へ話しかけようとした際、私語だと注意した少年だった。

 

「すみません!」

 

出久が叫ぶ。

 

飯田天哉は声に気づき、振り返った。

 

状況を一目で把握する。

 

「掴まっていたまえ!」

 

飯田が駆け寄り、負傷した少年を反対側から支える。

 

二人で少年を運び、仮想敵との距離を取る。

 

「君は原典者だろう! なぜ危険な場所へ戻った!」

 

飯田が走りながら問いかける。

 

「怪我をした人がいたからです!」

 

「そのようなことを聞いているのでは――」

 

一ポイントの仮想敵が追いついてくる。

 

「右へ曲がってください!」

 

出久の指示に従い、三人は交差点へ入った。

 

飯田は負傷者を出久へ任せると、方向転換する。

 

「レシプロ――バースト!」

 

ふくらはぎのエンジンが唸り、飯田の身体が猛烈な勢いで加速した。

 

蹴りが仮想敵の頭部へ直撃する。

 

一撃で装甲が砕け、機体が倒れた。

 

飯田はすぐに戻り、再び負傷者へ肩を貸す。

 

「安全区域は、あちらだ!」

 

三人で進む。

 

やがて救護用の区画が見え、負傷した少年は試験官へ引き渡された。

 

「ありがとうございます」

 

少年が悔しそうに、それでも真っ直ぐ二人へ頭を下げる。

 

出久は笑った。

 

「怪我が治るといいですね」

 

『残り時間、四分!』

 

時間はさらに減った。

 

それでも出久は、助けたことを後悔しなかった。

 

飯田はそんな彼を見ていた。

 

講堂で見た時は、試験中に他者へ迷惑をかける軽薄な受験生だと思っていた。

 

だが、違った。

 

この少年は、得点を捨てて人を助けた。

 

誰かに評価されていると知っていたわけでもない。

 

原典者として崇められたがっているようにも見えない。

 

「緑谷君」

 

飯田が呼びかける。

 

出久は名前を呼ばれ、驚いた。

 

「受験票に書かれた名前を、先ほど見た」

 

飯田は姿勢を正した。

 

「講堂では、君を妨害行為をする受験生だと誤解していた。謝罪する」

 

「えっ? いや、僕も喋ろうとしていたので――」

 

「だが君は、試験の本質を既に理解していたのだな」

 

飯田は深く頭を下げた。

 

「君の方が、私より一枚も二枚も上手だった。敬服する」

 

「そ、そんなことないです!」

 

出久が慌てる。

 

頭を下げられることには慣れている。

 

けれど、今の礼は原典者へ向けられたものではない。

 

一人の受験生の行動を認めて向けられたものだ。

 

だからこそ、どう反応すればよいのか分からなかった。

 

「あの、頭を上げてください。残り時間も少ないですし!」

 

「む、確かに!」

 

飯田が顔を上げる。

 

「互いに最後まで全力を尽くそう!」

 

「はい!」

 

二人は別々の方向へ走り出した。

 

それから出久は、仮想敵を倒すよりも負傷者を探すようになった。

 

転倒した受験生へ手を貸す。

 

瓦礫の陰に隠れていた者へ、安全な経路を教える。

 

制御を失った個性によって炎上した場所から、消火器を使って受験生を救い出す。

 

戦闘得点は増えない。

 

それでも、困っている人を見つけるたびに身体が動いた。

 

監視室では、画面の隅に別の数字が加算され続けていた。

 

『状況把握 二点』

 

『救護補助 三点』

 

『危険告知 一点』

 

『負傷者搬送 四点』

 

公表されていない救助点。

 

出久本人の知らない点数が、少しずつ積み上がっていく。

 

「現在、救助点三十一」

 

エクトプラズムが告げる。

 

「戦闘十一、救助三十一。合計四十二」

 

「合格圏には届くか?」

 

オールマイトが尋ねる。

 

「このままなら、境界線上だ」

 

相澤が答えた。

 

「だが残り時間は、二分もない」

 

その時。

 

監視室の警報が鳴った。

 

巨大な影が立ち上がり、模擬市街地全体へ地響きが広がった。

 

仮想敵。

 

ゼロポイント。

 

あまりに巨大で、倒すことそのものが想定されていない機体。

 

受験生たちの判断力を見るための障害。

 

「来たか」

 

相澤が画面を見る。

 

ゼロポイントの足音に気づき、受験生たちが一斉に逃げ始める。

 

戦う価値はない。

 

得点にならない以上、逃げるのが正しい。

 

出久も巨大な機体を見上げ、すぐに背を向けた。

 

勝てない。

 

今の自分にできることはない。

 

戦えば無謀だ。

 

だから逃げる。

 

十か月間で身につけた判断だった。

 

轟音を背に、出口へ向かって走る。

 

その途中。

 

小さな呻き声が聞こえた。

 

出久の足が止まる。

 

振り返る。

 

倒壊した瓦礫の近くに、一人の少女がいた。

 

校門で出久の転倒を防いでくれた、茶色い髪の少女。

 

片脚が大きなコンクリート片の下敷きになっている。

 

「逃げて……!」

 

少女が出久へ叫んだ。

 

「うちはいいから!」

 

ゼロポイントが迫る。

 

足を一歩動かすたび、周囲の建物が揺れた。

 

このままでは少女が踏み潰される。

 

出久は走り出した。

 

出口ではない。

 

少女のいる方向へ。

 

「出久少年!」

 

監視室でオールマイトが叫ぶ。

 

相澤の目が鋭くなる。

 

「止めるぞ」

 

保護委員会の監督官が立ち上がった。

 

「試験を中断してください! これ以上は危険です!」

 

「まだだ」

 

根津が制した。

 

「何を言っている! ゼロポイントが接近しているんですよ!」

 

「緊急停止の準備はできています。それに、教員も待機している」

 

「原典者が潰されてからでは遅い!」

 

「彼は今、一人の受験生です」

 

根津は画面を見つめていた。

 

「彼の判断を、最後まで見届けましょう」

 

 

出久は少女のもとへ辿り着くと、瓦礫へ両手を掛けた。

 

「今、助けます!」

 

「無理だよ! 重すぎる!」

 

「やってみないと分かりません!」

 

腰を落とす。

 

背中を丸めない。

 

脚の力を使う。

 

十か月間、何百回も繰り返した動作。

 

「うああああっ!」

 

瓦礫が僅かに浮いた。

 

だが、持ち上がりきらない。

 

重い。

 

海岸で運んだどのごみよりも重い。

 

腕が震える。

 

腰が悲鳴を上げる。

 

ゼロポイントの足音が近づいてくる。

 

少女は両手を瓦礫へ触れさせた。

 

「解除したら、すぐ逃げて!」

 

「何を――」

 

彼女が両手の指先を合わせる。

 

「解除!」

 

瓦礫にかかっていた重力が消えた。

 

出久の腕が勢いよく持ち上がる。

 

巨大なコンクリート片が、発泡スチロールのように浮いた。

 

「今です!」

 

少女が脚を引き抜く。

 

しかし、立ち上がろうとして倒れた。

 

足首を痛めている。

 

出久は少女へ背を向け、腰を落とした。

 

「掴まってください!」

 

「でも、君まで――」

 

「早く!」

 

少女が出久の背へ腕を回す。

 

出久はその身体を背負い、立ち上がった。

 

一人分の重さが加わる。

 

決して軽くはない。

 

しかし、運べる。

 

十か月間は、この時のためにあった。

 

出久は走った。

 

少女を背負い、ゼロポイントから離れる。

 

巨大な脚が持ち上がる。

 

二人の頭上に、影が落ちた。

 

間に合わない。

 

出久は周囲を見る。

 

正面には、先ほど少女が無重力にした瓦礫が浮いている。

 

「浮かせられるのは、あの瓦礫だけですか!?」

 

「触れば、他の物もできる! でも今は――」

 

「僕を浮かせてください!」

 

「えっ!?」

 

「早く!」

 

少女が出久の肩へ指先を当てる。

 

出久の身体から重さが消えた。

 

地面を蹴る。

 

重力を失った身体は、二人分とは思えないほど高く跳び上がった。

 

ゼロポイントの足が、その下を通過する。

 

だが、浮いた身体は自分では止まれない。

 

二人は空中へ投げ出されたまま、建物の壁へ近づいていく。

 

「解除します!」

 

少女が指先を合わせようとする。

 

「まだです!」

 

出久は空中で身体を捻り、壁に突き出ていた配管へ片手を伸ばした。

 

指がかかる。

 

肩へ激痛が走った。

 

それでも離さない。

 

二人の身体が配管を中心に振り子のように動き、建物の非常階段へ向かう。

 

「今!」

 

「解除!」

 

重さが戻る。

 

出久は少女を抱え込むようにして、非常階段へ落下した。

 

背中から金属の床へ叩きつけられる。

 

肺から空気が抜けた。

 

「ぐっ……!」

 

痛い。

 

しかし、意識はある。

 

手足も動く。

 

少女も無事だった。

 

ゼロポイントの脚は、二人がいた場所を踏みつけている。

 

助かった。

 

「大丈夫ですか?」

 

出久は自分より先に少女の状態を確かめた。

 

「う、うちは大丈夫。でも君が……」

 

「僕も、大丈夫です」

 

立ち上がろうとしたが、背中の痛みで身体が動かない。

 

少女が泣きそうな顔をする。

 

その時、試験終了の音が会場中へ響いた。

 

『終了! 終了だ、受験生!』

 

ゼロポイントが停止する。

 

同時に待機していた教師たちが動き、負傷した受験生の救助を始めた。

 

小柄な老女――リカバリーガールが、非常階段まで運ばれてくる。

 

「まったく、無茶をする子だね」

 

出久の背中へ手を当て、状態を確認する。

 

「骨折はない。筋肉を痛めた程度だよ」

 

「女の子は?」

 

「そっちも捻挫だけさ。まずは自分の心配をおし」

 

「よかった……」

 

安堵した瞬間、全身から力が抜けた。

 

少女は出久の隣に座り込んだ。

 

「ありがとう」

 

「僕も助けてもらいました」

 

「でも、うちを置いていけば逃げられたのに」

 

「置いていけません」

 

出久は迷わず答えた。

 

その言葉を聞き、少女は少しだけ笑った。

 

「君、名前は?」

 

「緑谷出久です」

 

「知ってる。原典者の緑谷君でしょ?」

 

出久の表情が僅かに曇る。

 

少女はそれに気づいた。

 

「じゃなくて、ちゃんと本人から聞きたかったの」

 

「え?」

 

「うちは麗日お茶子。今日は二回も助けてもらっちゃったね」

 

「最初に助けてくれたのは麗日さんです」

 

「なら、おあいこかな」

 

麗日は笑い、出久へ手を差し出した。

 

握手。

 

それだけの行為だった。

 

祈りでも、崇拝でもない。

 

出久は少し迷ってから、その手を握った。

 

「はい。おあいこです」

 

 

試験終了後。

 

監視室では、出久の最終得点が表示されていた。

 

戦闘得点、十一。

 

救助点、六十七。

 

合計、七十八点。

 

受験者全体でも上位に入る得点だった。

 

「最後の救助に対する評価が大きいな」

 

相澤が画面を確認する。

 

「少女の発見、救出、退避。それに、自分と相手の個性を組み合わせた危機回避」

 

「彼は無個性です」

 

保護委員会の監督官が言った。

 

「自分の個性ではありません」

 

「だからこそだ」

 

相澤が返す。

 

「自分にない力を、他人との連携で補った。実戦では重要な能力だ」

 

監督官は何も言えなかった。

 

オールマイトは、出久が麗日と握手をする映像を見つめていた。

 

「君は自分の力だけで、ここまで来た」

 

鍛えた身体。

 

積み重ねた知識。

 

人を観察する力。

 

そして、誰かを助けようとする心。

 

個性はない。

 

ワン・フォー・オールも与えていない。

 

それでも出久は、雄英が求める資質を示した。

 

根津が合格者名簿へ印をつける。

 

緑谷出久。

 

その名前の横に記されたのは、特別推薦でも、原典者保護枠でもない。

 

ヒーロー科一般入試、合格。

 

「これで、彼は雄英の生徒ですね」

 

根津の言葉に、オールマイトは頷いた。

 

「ああ」

 

しかし、監督官の表情は険しいままだった。

 

「委員会が、この結果をそのまま認めるとは限りません」

 

空気が変わる。

 

「どういう意味です?」

 

「緑谷氏は合格基準を満たしました。ですが、入学許可は別の問題です」

 

監督官は机の上へ一枚の書類を置いた。

 

そこには、原典者保護委員会の臨時会議招集通知が記されている。

 

「本日の試験で、彼は再び重大な危険へ自ら飛び込みました。委員会はこれを、ヒーローとしての適性ではなく、自己保存能力の欠如と判断する可能性があります」

 

オールマイトの拳が強く握られる。

 

「約束が違う」

 

「委員会は受験を認めただけです。合格した場合に、必ず入学を許可するとは明言していません」

 

相澤の目つきが鋭くなる。

 

「最初から、合格させる気がなかったのか」

 

「私は命令を伝えているだけです」

 

監督官は視線を伏せた。

 

「緑谷出久氏をヒーロー科へ入学させるか。それとも、原典者として永久保護対象に指定するか。最終判断は一週間後に下されます」

 

同じ頃。

 

何も知らない出久は、治療を終えて雄英高校の門を出ようとしていた。

 

戦闘得点は、僅か十一点。

 

救助点の存在を知らない彼は、自分が不合格だと思っていた。

 

十か月努力した。

 

できることは全てやった。

 

それでも、個性を持つ者たちには届かなかった。

 

俯きながら歩く出久の前に、爆豪が立っていた。

 

「かっちゃん……」

 

「何点だ」

 

「多分、十一点」

 

爆豪の眉間に皺が寄る。

 

「十一?」

 

「うん。かっちゃんは?」

 

「七十七」

 

あまりにも大きな差だった。

 

出久は笑おうとした。

 

「すごいね。やっぱり、かっちゃんは――」

 

「何ヘラヘラしてやがる」

 

「え?」

 

爆豪が出久の胸倉を掴んだ。

 

周囲の保護官が動こうとする。

 

出久は手を上げ、止めた。

 

「てめぇ、また他人助けて点捨てやがったな」

 

「見てたの?」

 

「クソデカい奴が出た時、見えたんだよ。あの女背負って逃げてただろうが」

 

「でも、あれは……」

 

「あれは、じゃねえ」

 

爆豪は苛立った顔で出久を睨む。

 

「勝手に不合格みてえな顔してんじゃねえ」

 

「だって、十一点じゃ――」

 

「雄英が、敵をぶっ壊すだけの奴をヒーローにすると思ってんのか?」

 

出久が目を見開く。

 

爆豪は舌打ちし、手を離した。

 

「俺より先に諦めたら、殺すぞ」

 

「それ、激励になってないよ」

 

「うるせえ!」

 

爆豪は背を向けた。

 

数歩進んだところで止まり、振り返らないまま言った。

 

「入ってこい、デク」

 

その声は小さかった。

 

「俺が一番になるところを、一番近くで見せてやる」

 

爆豪はそのまま歩き去った。

 

出久は胸元を押さえ、呆然と幼馴染の背中を見送った。

 

不合格かもしれない。

 

それでも、少しだけ希望を持ってもよいのだろうか。

 

そんな出久のもとへ合格通知が届くまで、あと一週間。

 

そして、その一週間の間に。

 

緑谷出久を学校へ通わせるべきか否かを巡り、彼の知らない場所で、この国を二分する争いが始まろうとしていた。

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