モモンガは暇だった。
アンデッドなので種族特性で睡眠も食事もできない。新陳代謝というものも無い。
従って、朝になったからといって「目覚める」という事もなければ、朝食をとる事もなく、さらには顔を洗う必要すら無い。
「……そろそろ時間か」
読んでいた本を閉じ、ベッドから起き上がる。
執務室へ移動し、すでに待っていたアルベドから昨日の分の報告を受ける。
緊急性を要しない報告は、つまり一言でいえば「異常なし」ということ。これを個別具体的に何がどう異常なしなのか説明してもらうのだが、ユグドラシル時代はシステムが自動的に処理していた部分であり、今はそれをアルベド以下シモベたちが手作業でやっているというだけの話である。
要するにギルドの経営シミュレーションゲームにおけるステータス画面を音読されているような状態である。細かい部分は把握していなくても、長らくたった独りでギルドの維持費を稼ぎ続けてきたモモンガは、総額だけ聞けばだいたい異常なしだなと把握できるので、収入と支出の総額だけ聞いたら、あとは右から左の馬耳東風である。
「うーん……アルベドは今日も美人だなー……」
などと心の声がうっかり漏れるので。
ぎゅるん、と振り向いたアルベドの顔はすでに餌を見つけた猛獣のそれだ。
「モモンガ様、もう我慢しなくて良いですよね? ね?」
はぁはぁと息を荒らげて、ひた……ひた……と迫ってくる様子は、さすが姉妹。
こんな所はニグレドそっくりだなとモモンガは数秒の現実逃避を経て、椅子から立ち上がる。
セバスのおかげでアルベドの膝枕などを体験したモモンガは、暴走しかけたアルベドをなだめる方法にもかなり熟達してきていた。
引くのではなく、いなすように前へ出る。
アルベドの頭をぽんぽんと撫でるように叩いて通り過ぎ、ソファへ腰掛けると――
「座れ」
モモンガは己の隣を示して命じる。
声の調子から叱られるのではないと察したアルベドは、
「はいっ」
るんるんでモモンガの隣に腰掛ける。
「横になれ。
先日は私が膝枕をしてもらったから、今日はお前を膝枕してやろう」
多くのシモベたちは、畏れ多いと遠慮するだろう。
だがアルベドやシャルティアは、そういう遠慮がない。むしろようやく許可を得たと喜ぶだけだ。
「失礼いたします」
心の中で「でへへ」とよだれを垂らしながら、あくまで淑女らしく振る舞い――膝枕される側になるのが淑女らしい振る舞いなのかはさておき――ローブを隔てた大腿骨の上へと頭を乗せる。
「うむ」
アルベドの頭をなでくりなでくり……アルベドは幸福を感じたが、間もなくそれは違和感に変わった。
なぜならモモンガの手つきが、愛しい相手にする撫で方というよりも、可愛いペットにするような撫で方だったからだ。
そうしてモモンガは、拷問の開始を宣言する。
「さて、このまま報告を聞こうか」
「こっ……このまま、でございますか……!?」
つまりアルベドは、自分で暴走を抑えながら仕事に徹しなければならない。
しかもこの言い方は、報告が終わったら膝枕も終わりというニュアンス。
長く楽しむには微に入り細を穿つ報告をしなければならないが、それだけ「おあずけ」を食らう時間も長くなるということ。
「どうした? 報告を聞かせてくれ」
「か、か、かしこりまりました……」
目をぐるぐるさせながら噛み噛みで報告するアルベド。
常に無い様子を楽しみながら聞く報告は、なぜかいつもより頭に入りやすく、モモンガは今後もこうした方法で報告を受けようかと真剣に検討し始めた。
……何はともあれ。
そうして、いつもに倍する時間をかけて報告を聞いたモモンガは、次に裁可を仰ぐ書類に目を通していく。
その直後、ノックが聞こえ――
「入れ」
「失礼いたします。
おはようございます、モモンガ様」
「うむ、おはよう、セバス。
今日も頼むぞ」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
そうして始まる書類の黙読。
原作ならろくに読まずにサインしていたところだが、この世界線ではセバスのサポートがある。
「そちらはリザードマンの集落で得た養殖技術を、海で試すための施策案ですね」
「海上に人工の島を作るとあるが……そこで試そうという話か」
突然「島を作る」なんていう書類が出てきてナンノコッチャなモモンガだったが、セバスのアシストで理解する。
マーレの能力で土地を盛り上げれば島を作ることは可能だろう。転移門を使えば移動に手間もかからない。予定地は遠洋なので、どこかの国が領有権を主張することもないはず。あったとしても言いがかりなので、独立国として遠慮なく叩き潰せば良いだけだ。
「良いのではないか? 我々はどこから来たのか、という事のカバーストーリーにも使えそうだ」
「であれば、その島には第2の偽ナザリックを作らねばなりませんね」
「うむ……とりあえずこれは承認、と。
次は……おお、ちょうどその提案書ではないか。ゲヘナ作戦で得た資金と物資を使おうというわけだな」
「貴族派の貴族とその他の腐敗貴族が抱えていた個人資産の収奪で得たものですね。
それなりの規模になりましたが、変更前の計画に比べると小さいのも事実……八本指からの上納金を維持費にあてつつ、養殖がうまく行けば鮮魚の販売で利益を拡大する、といったところでしょうか」
「うむ。更生させた貴族たちが領地を立て直そうとするに当たって、これまで搾取されてきた民は、ある程度の時期になると資源開発のための労役に人を取られて、再び食糧不足に悩まされるだろう」
「急な需要の増加に伴って価格高騰も起きるかもしれませんね。
おそらく数年後……時期的にもこちらの養殖が軌道に乗る頃……なるほど、そこへ売り込めば、高く売れる上に、恩まで売れると……さすがでございます」
「提案者は……デミウルゴスか。
ならば、ここまでは計画の内だろうな。これがうまく行けば、褒美を取らせることも考えねば」
「ウルベルト様から下賜された悪魔像をゲヘナ作戦に使用しておりますれば、それに代わる物をお与えになると喜ぶかと」
「そうだな。ウルベルトさんから貰った物を見繕っておこう」
そんなこんなで午前中は終了。
勢力圏が小さいこともあって、内政関係の仕事はそれで終わる。
午後からは自由時間だ。
以前はシモベたちの設定を確認することに時間を費やしていたモモンガだが、最近はセバスのアシストを受けてシモベたちと交流を持つことに時間を使うようになっている。
「そうだ、インクリメントよ。助かったぞ」
「はい……? あの、私、何かしましたでしょうか?」
「シャルティアの所で聞いてきたという『放置プレイ』だったか? あれをな……いや、言うと本人の名誉に関わるか……? ある人物への制gy……もとい訓練に使うことを思い立ったのだ。それがなかなかに効果的なようでな」
「お役に立てたのなら、何よりでした」
お役に立てた。にっこり。
インクリメントの自己肯定感が上がった。
「うむ。お前はよくやってくれている」
「はわわわわ……!」
モモンガの攻撃。望外の称賛。
奇襲効果/クリティカル。インクリメントの褒められ耐性を貫通。効果は抜群だ。
インクリメントのSAN値が大きく削られた。
などと当番のメイド相手に雑談しながら。
今日向かった先は、ニグレドの部屋だった。
「私の子、私の子、私の子ぉぉぉ……!」
ドドドドド!
両手で抱えるほどの巨大なハサミを装備して迫りくるニグレド。
「お前の子供はここだ」
「ようこそおいでくださいました、モモンガ様」
スン……。
差し出された人形を受け取り、急に落ち着くニグレド。
まるで編集の暴力で時間を消し飛ばしたかのような変わりようだ。
己の感情が抑制される事の、不便な面だけを押し付けられたような有り様に、モモンガは同情を禁じえない。
「設定された事とはいえ、お前も毎回大変だな」
「なるべくなら驚いて頂けると、やり甲斐があるのですが……」
「初めて見たときは本気でビビ……驚いたな。
思わず攻撃を仕掛けてしまったが……あの時はすまなかった」
「いえいえ、あれほどやり甲斐に満ちた事はございませんでした」
「そこで喜ぶのか……筋金入りだな。
……うん? タブラさん、こういう所にはギャップを作らなかったのか……? あの人ならツンデレとか盛り込みそうなものだが……」
「ホラー担当の私が実は素直、というギャップでございます」
「ああ、なるほど」
「「失礼いたします」」
「お、ペストーニャとユリも来たか」
「お待たせしました、モモンガ様」
「セバス。
よし、これでナザリックの良心は揃ったな。
では第2回『ギルメンが戻ってきた時に怒らないだろうか』会議を開催するとしよう」
「では僭越ながら、第1回と同様にわたくしが進行役を務めさせていただきます。
今回は、リザードマンの集落に関与する部分からでございますね」
「うむ。まずはユリ、どう思う?」
「単に商業的な取引をしただけで、御方々にお叱りを受ける要素はないかと」
「ペストーニャ」
「私もそのように思います。平和的に接触できたかと。……あ、わん」
「ニグレド」
「2歳以下の子供が見当たらなくて残念です」
「…………」
真面目な顔で言い切るニグレド。
残念なものを見るモモンガ。
だが、そういえばこういう設定だったと思い直す。
「セバス」
「養殖場を拡大したため、現場の生態系にいくらか干渉した部分がございます。
もしあの場所にしか生息していない昆虫や植物などの生物が存在したらと仮定すると、今回の開発で絶滅してしまった、あるいは大幅に減少傾向になった場合、ブループラネット様からお叱りを受ける可能性があるやもしれません。
今後は事前の調査をした上で、周辺への影響を考慮しながら開発計画を実施なさるのがよろしいかと」
「なるほど。その可能性はあるな。今後は留意しよう。
では次だ」
「八本指を掌握した件についてですね」
「ユリ」
「全員生け捕りにして死者を出しておりません。味方の損害もなく、驚異的な成果かと」
「六腕とかいう奴らが都合よくソリュシャンの担当拠点に集まっていたのも大きかったな。
ペストーニャ」
「更生させるためとはいえ、黒棺での『洗礼』は、もしかすると、どなたかからお叱りを受けるかも……と思います。……あ、わん」
「なるほど。
ニグレド」
「2歳以下の――」
「セバス」
「結果が正義であっても、方法が正当でなければ正義ではない……というのが、たっち・みー様のお考えかと。
ですので、ペストーニャが申しました通り、たっち・みー様にはお叱りを受けるかもしれません。
とはいえ、方法の正当性にこだわっていたのでは、ツアレは治療が間に合わず死んでいたでしょう。するとニニャ、もといセリーシアも姉との対面は、正反対の様相に……でございますので、ウルベルト様をはじめ、多くの御方々には擁護いただけるのではないかと」
「うむ。では『おそらく問題ない』と判断しておこう。
次だ」
「ゲヘナ作戦について、でございますね」
「ユリ」
「こちらも死者を出さずに終えておりますし、『洗礼』についても実施しなければ犠牲者が増え続けるという点から、同様に評価できるかと」
「ペストーニャ」
「ヤルダバオトの脅威を演出するためとはいえ、負傷者は大勢出してしまいましたし、建物の損壊も多数。
八本指のケースと違って、この場合はナザリックが出した被害ですので、たっち・みー様のみならず、やまいこ様もお顔をしかめるのではないかと……あ、わん」
「ニグレド」
「2歳以下の子供が犠牲にならなくて良かったなと」
にっこり。
徹底的か。
「セバス」
「ペストーニャの意見に賛同いたします。
やはりナザリックが攻撃に動いたという点は、責任が大きいかと。
ですが、結果を見れば多くの王国民が助かっております。貴族の搾取から解放され、国の政治はまとまり、資源豊富な王国は今後大いに発展していくでしょう。
であるならば、問題はアプローチの方法だけということでございます。デミウルゴス様が率いるということで悪魔を使いましたが、天使を使って『腐敗貴族たちは神の怒りに触れた』という寸劇を挟めば、後々『その天使たちを遣わした神』としてモモンガ様にご登場いただくという方法も可能だったかと存じます。
ただ、この場合、王国法に照らして犯罪者扱いされかねませんので、よほどしっかりと根回ししておかなくてはならず……それは貴族派閥や腐敗貴族たちが国王の邪魔をする王国では、実現させるのに時間を要したかと」
法国では天使は神の使いとされるが、王国では単なるモンスターの一種とされている。
天使を使って神の裁きを演出するのは、法国であれば可能だが、王国では難しいということだ。
「準備している間にも犠牲者は増えて……という事だな。
たっちさんなら歯がゆく思いながらも我慢するだろうが、ウルベルトさんは『さっさと動かないほうが愚か』と断じるだろう。
……うむ。これも強い反発は受けないと見込んで良いようだな。きちんと説明する必要はあるが」
「よろしゅうございました」
「では今後の計画についてだが――」
そうしてナザリックの昼間は過ぎていく。
やがて日が暮れて――といっても地下にあるナザリックには、地上の日光など関係ないが。
「アルベド、今、時間はあるか?」
「はい。モモンガ様のお呼びとあらば、何を差し置いても。
この時間にお呼びということは……じゅるり」
「食事にしようではないか。
といっても、私は食べられないから、お前が食べて感想を聞かせてくれ」
「はい……? はい。……はい?」
飲食不要の指輪を装備しているのに、わざわざ食事を?
いや、これはデートということでは……。
自分は食べられないのに?
とアルベドは混乱した。
「少しばかり昔話にも付き合ってくれ。
インクリメント。食事の用意を」
「かしこまりました」
そうして食事に適したテーブルを運び込むところから始まり、テーブルクロスや椅子が用意され、給仕が始まった。
「……ふむ。これは、このような香りがするのだな。
一般メイドたちは食堂で食事をとるのだろう? 私は行くことがないから分からないが、様々な料理の匂いで満ちているのだろうな」
「モモンガ様……?」
「舌というものは、甘味・辛味・塩味・酸味・苦味・旨味の6種類、あるいは辛味の正体は痛みであるから5種類という説もあるのだったか……とにかく、その程度の数しか感知できず、たとえばイチゴ味とリンゴ味では単に『甘味の強弱』しか感じていない。
ではイチゴ味とリンゴ味を区別できるのはなぜかというと、口腔から鼻腔へ抜けた匂い粒子を感知した結果だそうだ。嗅覚は数千種類の香りを嗅ぎ分ける。従って、砂糖水にイチゴの匂いをつければイチゴ味になり、リンゴの匂いをつければリンゴ味になる。
……と、昨夜ちょうど、そのような本を読んでな。私に舌はないが、匂いは分かるのだから、これは実質『食事を楽しめる』という事ではないのか? と思ったわけだ。
ただ、せっかく作らせても食べられないのでは、冷めてしまってもったいない。なので、代わりに食べてくれる人物が必要になった、というわけだ」
「なるほど……モモンガ様は、食事にご興味が……?」
「リアルの話はしたな?
そこでは私も飲食可能なのだ。といっても、リアルの食事といったら名状しがたきドロドロで素材の味も何も分からない、ひどい代物だったが。
ゆえに、このような『きちんとした料理』というものは食べたことがない。
興味がある、どころではないぞ。憧れていると言っても良い。
さあ、楽しんでくれアルベド。私は食べられないが、食べたお前の反応からも、私なりに『食事を楽しむ』ことは出来るだろう」
任務を理解したアルベドは、全力で食事を楽しむことにした。
そうしてみると、自分が楽しむことでモモンガも楽しめるという奇妙な一体感を味わうに至り、アルベドは新しい扉を開いたのであった。
こうしてアニメ第2期にあたる時期が過ぎていった。
世界はようやく魔王軍の猛威に気づき始めた。
だがその時、すでに魔王軍は邪悪の形をしていなかった。
誤字報告をいただきました。
tino_ue様
ありがとうございます。