デミウルゴスは一晩中考え続け、真っ白に燃え尽きた。
いくら考えても、いや、考えれば考えるほど、セバスの言葉が正しいように思えた。
なぜウルベルト様はご自身で望まない悪として私を創造したのだろうか。
私はナザリックの敵であれとして創造されたのだろうか。
バカな。
そんなバカな。
ではセバスが言う通り「悪」の定義が、「悪」の理解が間違っていたのだろうか。
だとすれば、この、悪魔としての衝動は……?
人間に対する嗜虐心は、いったい、どうすれば……?
「失礼いたします……」
神よ――と、まさに迷える子羊のごとく、デミウルゴスは気づけばモモンガのもとを訪れていた。
だが、そこで目にした光景は……
「これでよいか?」
「はい、そちらで結構です。
アルベド様、手を、こう……」
「こうかしら?」
「はい結構です。
そのまま、こうして……」
「こうして……?」
「はい、慈しむように……ええ、大変結構です。
いかがでしょうか、モモンガ様。
暇をみて、定期的にこのような催しをしていただきますと、アルベド様といたしましてもガス抜きになり、モモンガ様といたしましても『共に並び立つ存在』としてお望みに適う形に近づくのではないかと」
ソファに腰掛けたアルベドに膝枕をさせているモモンガ。
そして、それをまるで調度品の配置でも決めるように指示するセバス。
さす、さす、さす……アルベドの手がモモンガの頭蓋を優しく撫でる。
「ん……な……」
デミウルゴスは、あまりの光景に顎が外れそうになった。
知恵者として創造されたデミウルゴスにあるまじき……茫然自失として立ち尽くした。
「いかが、と言われても、なにやら背徳的なことをしている気分で、どうも居心地が悪いというか……」
「わたくしの膝ではお気に召しませんか?」
「そうではない! そうではないぞ、アルベド。
そうではなくて、なんというか……そうだな、私にはもったいないと感じるのだ」
「まあ、そのような……モモンガ様を差し置いて他にふさわしい者など居りませんわ」
「いや……まあ、それは……うーむ……」
サキュバスの本能を抱えたまま「完璧な淑女として振る舞う」と定義されたアルベド。
しかしそのフレーバーテキストには「暴力性を理性で抑え込んでいる」という内容もあって、ほんのわずかなバランスの狂いで、たびたび暴走する。
とりわけサキュバスの本能は、性欲と食欲が不可分であり、求愛行動がすなわちそのまま捕食行為である。つまり愛ゆえに暴力をという、猛烈な肉食系――襲われる側のモモンガにしてみれば「大変なDV気質」と言ってもよいものを抱えているわけで。
そのような危ういバランスを察したセバスは、主人たるモモンガに捧げる「空間の気品」「時間の創出」として、アルベドを暴走させずにガス抜きする方法を提案するに至った。
「な……何をしているのですか……セバス……?」
ようやく再起動したデミウルゴスが、ずれたメガネもそのままに尋ねると。
セバスは振り向いて、会釈した。
「おはようございます、デミウルゴス様。
わたくしは、もちろん執事として役目を果たしているに過ぎませんが。
……何やらお疲れのご様子ですね。体調管理もシモベとしての責務なれば、そのような事でどうしますか。いつでも万全に御方に尽くせるように備えなくては――」
「誰のせいだと思っているのですか!?」
「……?
デミウルゴス様ご自身の身から出た錆かと」
「その通りだよ、チクショー!
キョトンとしやがって……! 腹が立つー!」
うがー! と頭を抱えるデミウルゴス。悩みすぎて精神的にいっぱいいっぱいだった。
平素は見ないその姿に、モモンガは往年のウルベルトとたっち・みーを思い出し、懐かしいやら楽しいやら。
「ははは……!
……チッ、抑制されたか」
込み上げ、漏れ出た笑い――が、種族特性で強制的に奪われ、そのことに腹を立てる。
セバスがアルベドに視線を送り、察したアルベドが泣く子を落ち着かせるようにモモンガの頭を撫でる。
セバスの助けがなければモモンガに膝枕をするなど不可能だったであろうアルベドの、しかし知恵者の1人と定められたその頭脳は、1度の成功体験から「こうすれば良いのだ」という道筋をしかと見定め理解していた。
「……お見苦しいところを。失礼いたしました」
デミウルゴスが恭しく頭を下げる。
モモンガは体を起こした。
アルベドはせっかくの機会がデミウルゴスに邪魔されたことを不快に思ったが、チラリとセバスのほうを窺うと、その表情や目の色を読んで、モモンガの手にそっと自分の手を重ねた。
ここまでは許されるはず……。
果たしてモモンガは、アルベドの手を気にすることもなく受け入れた。くるりと返した手で、そっとアルベドの手を握ったのである。
むふーっ! 急に鼻息が荒くなったアルベドに、モモンガは握っていた手を半分くらい離した。慌てる乞食は貰いが少ない――残念サキュバスである。
「それで? デミウルゴスは、どうしたのだ?」
「は、はい……実は、昨日セバスと口論になり――」
かくかくしかじか、とデミウルゴスは説明した。
そうして己は間違っているのだろうか、と悩みを打ち明ける。
「……なるほどな。
たしかにウルベルトさんの『悪へのこだわり』は、セバスが言う通りのものだ。
お前たちは、リアルの事をどれだけ知っている?」
「至高の御方々が行き来される、もうひとつの世界であると」
「こちらへお戻りにならないのですから、よほど素晴らしい場所なのでしょう?」
デミウルゴスとアルベドが言う。
モモンガは首だけでセバスを振り向いた。
「お前もそう思うか?」
「わたくしの予想では、非常に危険な場所なのでは……と」
「ほう……?」
先を促すように漏らしたモモンガの声。
意外な答えに驚くデミウルゴスとアルベド。
セバスは察してさらに続ける。
「ナザリックより素晴らしい場所だからお戻りにならない……というのは考えにくいかと。これはわたくしの知識と想像力が及ばぬだけかもしれませんが。
しかし41名の至高の御方々が集まり、その力を結集して作り上げたこのナザリック地下大墳墓。それが他の何かよりも劣るとは考えにくく、またモモンガ様は他の御方々が去ってしまわれたあとも長らくこのナザリックを愛し、維持費を獲得するため孤独な戦いを続けてこられました。
もしもリアルがナザリックより素晴らしい場所であるなら、モモンガ様もただお独りでそこまで躍起になってナザリックを守ろうとはなさらなかったでしょう。
ですが、もしリアルが極めて危険な……我々では全くお役に立てないほど強者がひしめく世界であったなら。かつての1500人の大侵攻が、本格的な戦闘などではなく、ほんの威力偵察に過ぎないものであったなら。お戻りにならない御方々は、我々を……ナザリックを守るために、リアルで厳しい戦いに明け暮れていらっしゃるのでは……と、そのように予想しております」
デミウルゴスとアルベドは、どちらもナザリック随一の知恵者。
ゆえに「不敬な」とは言えなかった。
至高の御方々の実力を低く見るような発言は、確かに不敬かもしれない。だが、セバスの説を咎めることは、同時に「リアルのほうがナザリックより素晴らしい場所だから戻ってこない」という説を支持することに等しい。それは自ら「ナザリックが他より劣る場所」と認めるのと同じ。それはそれで不敬だ。
果たして……?
とモモンガを見れば、鷹揚に頷くではないか。
「素晴らしい。さすがはセバスだ。
完全ではないにせよ、ほぼ正解といえる予想だな」
ガタッ、とデミウルゴスが動いた。
己の不甲斐なさを呪い殺さんばかりの気迫とともに。
「では……! まさか本当に御方々はリアルで厳しい戦いを……ッ?」
「……私たちの力が及ばぬばかりに……」
勝手に去ってモモンガを苦しめた、という予想が間違っていた可能性。
それに思い至って、アルベドは顔を青くした。
彼らはモモンガとナザリックを守るために、自らを犠牲にしたのでは……?
モモンガはそれを見送るしかない立場だった……?
だとすれば「どうして去ってしまったのか」などという恨みつらみは、見当違いも甚だしい。
一番悔しく、一番悲しいのは、捨てられたと勘違いしているシモベたちではなく、身を裂かれる思いで別れるしかなかったモモンガではないか。
単純に恨み、単純に悲しんでいれば良かったシモベたちは、その実、何も知らせぬことで自ら傘になって独りどうしようもない状況に苦しみ続けてきたモモンガに守られていたことになる。
「ここへ座れ、デミウルゴス」
モモンガは、アルベドが居るのと反対側をポンポンと叩いた。
戸惑いつつ、デミウルゴスが座る。
「失礼しま――すッ!?」
「あっ……!」
するり、とモモンガは両手でデミウルゴスとアルベドを抱き寄せた。
そのまま無言のモモンガに、デミウルゴスとアルベドは察して涙を禁じ得なかった。
凄まじい痛みに晒され、それでもなおシモベたちを守ろうと黙して語らぬモモンガの底なしの愛情を理解して。
◇
「先程の話にあった『他のギルメンが戻ってきた場合にどう思われるか』という話だが」
しばらくしてデミウルゴスとアルベドが落ち着くと、モモンガは切り出した。
「はっ。そのことで当初の計画を根本的に見直す必要が生じました」
チャンス、とモモンガは思った。
デミウルゴスの謎の深読みには、いつも無いはずの胃が痛い思いをさせられる。
それを根本的に封じ込める、千載一遇のチャンスだ。
「うむ。変更の前後でどのように変わったか、説明してもらおうか。
すでに状況は動き出している。いつものように順を追って計画を立案・改良していくよりも、我々で集まって作ってしまったほうが早かろう」
話についていけないリスクはあるが、同時にその都度「本当にそれでよいか?」とか適当なことを言って確認することが可能になる。
完全に聞きたいことを聞けるわけではないだろうが、ほとんど何も知らされないまま(というか言われても理解できない内容のまま)で受け取るよりは、遥かにマシなはずだ。
「はい。ではまず変更前の計画ですが――」
かくかくしかじか、とデミウルゴスは語った。
モモンガが何かを疑問に思うと、セバスが察して質問してくれ、モモンガは大いに助かった。
そして計画の暴力的な内容と、ギルメンの反応を思い浮かべ、モモンガは苦笑した。
ゲームであれば効果的な作戦だが、ここは現実だ。
そのまま実行していたら「シモベたちを制御できなくてごめんなさい」では済まない大惨事になっていた。
「そして変更後でございますが――」
だいぶ平穏な計画に変わったその内容を知って、モモンガは安堵した。
これなら誰かが気に入らないと言っても「ごめんなさい」で済む内容だろう。
唯一の懸念点は――
「その内容で概ね良いだろう。
ただ……こちらの責任ではないとはいえ、あまりにも『処分する対象』が多すぎる。
生かしておいて、後で『やっぱり殺そう』となるのは、かつての仲間たちも許容するだろう。
だが殺しておいて『やっぱり蘇生しよう』というのでは、強く反発する仲間が出る可能性が高い。
蘇生の実験は必要だが、すでにシャルティアに捕らえさせた犯罪者たちが居ることだし、実験台としてはあれで十分だろう」
「では殺害ではなく、どこかに隔離を?」
「いや、面倒ではあるが1人ずつ順番に『言い聞かせて』やろうではないか。
つまりは『八本指』とやらがやっている事を、もっと効率的に、そして仲間たちに申し開きできるように、我々なりのやり方で……つまりは自由意志を奪わない方法で、な。
お前ならば殺さなくても従わせる……もとい、奴らを『更生』させることは容易いだろう? 任せたぞ、デミウルゴス」
「はっ! 必ずや……!」
未遂とはいえ大きな過ちを犯して期待に沿えなかった愚かな自分を、許すばかりか再び期待して「任せた」と言ってくれる。
デミウルゴスはその慈悲深さに感動しつつ、そこに甘えてはならぬ、今度こそは、と決意を固めた。
「しかし、あれだな……考えてみると、すでにけっこうな人数を殺してしまったな」
大丈夫だろうか?
たっち・みーあたりに厳しく叱責されないだろうか?
いや、叱責されるだけならまだしも、離反されたらどうしよう?
などと不安になるモモンガ。
その心情を察したセバスは、指折り数えて確認していく。
「まずカルネ村にて騎士を10名ほど。
何もしていない村人を襲った、盗賊同然の騎士たちですから、彼らも任務だったとはいえ、我々の行いは『村を救った』と言って良いでしょう」
すると始まる討論会。
次に口を開いたのはアルベドだった。
「そうね。
生け捕りにする余裕があったはず、とお叱りを受ける可能性はあるけれど、相手がどの程度の強さなのか不明で、こちらの攻撃が通じるのかも分からない中、正体不明の武装集団を相手に、生け捕りに徹して村人を殺されるようでは話にならないわ」
「反発は予想されます。
ですが、ウルベルト様をはじめ、擁護してくださる御方々もいらっしゃるはずかと」
デミウルゴスが賛同する。
「次に陽光聖典の隊長および隊員たちですが。
カルネ村で騎士たちを殺害した後のことですので、強さの確認としてはすでに目処が立っている状態……これは殺してしまったことを咎められる可能性がやや高くなった可能性がございます。
しかし――」
「ガゼフは王国戦士長なのでしょう? 村が襲われていると知って救うために駆けつけ、そう名乗っていたのを見てモモンガ様がお救いになった……国同士の争いに『義を見て』介入したのですから、一概に殺したからといって責められるばかりではないのでは?」
「そうですね。
問題視するべきは、法国の作戦です。人類を守るために腐敗した王国が邪魔だからといって、腐敗していない無辜の民を殺して回るのでは、何の『美学』もありません。ただただ『理不尽』なだけです。ウルベルト様でもお怒りになるでしょう」
一晩じっくり考えたデミウルゴスは、すでにウルベルトの美学を理解していた。
セバスはひとつ頷いて、続ける。
「その次が『死を撒く剣団』……でしたか。例の、シャルティア様が討伐なさった盗賊団ですね」
本当は傭兵団なのだが、仕事がない時期は盗賊団として活動していたので、犯罪者であることに間違いはない。
エ・ランテル近郊の森の奥にある洞窟をアジトにして、街道を通る馬車を襲ったり、人質を取って身代金を取るなどしていた。ブレインが「金払いがいい」と判断するほど意欲的に活動しているらしく、アジトの洞窟内は奪った永続光のランタンで満たされ、性欲処理用の女たちが捕らわれていた。
総員70人弱。構成員で最強のブレイン以外にも、戦場を生き抜いた古強者がいる。武装は主に剣とクロスボウであり、魔法詠唱者はいない。魔法に関する知識はなく、不思議なものは全て「魔法」と判断する連中だった。
「何の問題もないでしょう?」
「現行犯ですからね」
性欲処理用の女たちが捕らわれていた。その現行犯である。
シャルティアはそれを放置して帰ったが、彼女たちはブリタが参加していた偵察隊に発見・救助されたと思われる。
なお救助された女性たちからの証言で「吸血鬼と思われるモンスターが盗賊団を襲って死体を持ち去った」と判明したものの、転移門で立ち去ったため痕跡が途絶えており、どこへ向かったとかの情報は得られなかった。女性たちだけが襲われなかった理由も不明である。なぜだか分からないが男の死体ばかりを欲しがったらしい、と推定されて、しばらく「男のゾンビか何かが出るかもしれない」と警戒されたが、結局そのような事もなく、事件は風化していく事になった。
「最後にクレマンティーヌとカジットですね。こちらは、そもそも殺害していませんが」
「気絶させただけだったわよね。何も問題ないでしょう?」
「きちんと当局に突き出していますしね。
まあ、そのあと攫いましたが、それも当局では逃げられるのが時間の問題でしたし」
牢獄から攫ってきたのを、逃亡幇助と言われればそうかもしれない。
しかしエ・ランテルにあの2人を抑え込めるような牢獄があったかと言われれば、甚だ疑問である。
原作では転移阻害を施した牢獄から死体が消えたことになっていて、誰の仕業なのかは不明。スピンオフで「目覚めたらナザリックにいたクレマンティーヌは脱出できるのか」というゲームが出た。
そこから察するに、生きたまま捕まったのなら、クレマンティーヌやカジットにとって、ナザリックから脱出するよりは遥かに難易度の低い課題だろう。
そして、実際に攫ってきたナザリック勢からすれば、エ・ランテルの牢獄がどの程度なのか論じるまでもない。つまりは逃亡幇助どころか、その逆であると主張できる。逃亡犯の凶悪行為を未然に防いだのだから、悪いこととは言い切れないはずだ、と。
「最後にイグヴァルジなる冒険者でございますが」
「冒険者が仕事中に死ぬのは仕方ないことでは?」
「ですがアルベド様、仕掛けたのはこちらですので……」
「一応忠告はしたのだろう?
それでも無理に突っ込んで死んだのなら、それは彼の自己責任ではないかね?
そもそも計画した君が、今更なにを後悔するというのかね?」
「後悔などは何も。御方々にお叱りを受ける可能性について検討しているだけでございます。物事を検証する場合、己の立場という色眼鏡は捨てて、徹底的にダメ出しをするのが肝要かと存じますが……デミウルゴス様は、別の検証方法をご存知で?」
「くっ……!」
「そのくらいにしておけ、セバス。
デミウルゴスも、あまり気にするな。お前は『作る側』で、セバスは『整える側』だ。役割が違うのだから評価軸が違うのは当然と言える」
「「はっ」」
「で、とにかく、今のところは問題ないはず……という事だな。
お前たちはよくやってくれている。引き続き頼むぞ」
「はっ、もったいないお言葉です」
「お任せください、モモンガ様」
「必ずやご期待に沿える結果をご覧に入れます」
こうしてアニメ第1期に当たる時期が過ぎていった。
世界はまだ、魔王軍とでもいうべき猛威の、その存在も、その変化も、知らずにいる。
誤字報告を頂きました。
tino_ue様
ありがとうございます。