はい、本当にお待たせしました。
楽しみにして下さっていた方々に深い謝罪の意を…
では、どうぞ
一体、どれくらいの時間が流れていったのだろう。
一ヶ月経ったのかもしれないし、まだ一日しか経っていないのかもしれない。
もう一年経ったのかもしれないし、実は一時間も経っていないのかもしれない。
憔悴し切った私は、既に時間感覚を失っている。
確かめる事も誰かに教えてもらう事も出来ず、私はぼんやりと考えていた。
本来であれば時刻を伝える為の道具である時計も、この空間では本来通りの使命を全う出来ない。
チクタクと忙しく忙しなく一分間に一周する細い針も。
カチカチと穏やかに緩やかに一時間に一周する長い針も。
コツコツとゆっくりゆったりと半日で一周する短い針も。
そして、その原因は私。
私が発動した能力により、私以外の世界の全てがまるで時間を忘れたかの様に。
文字通り、時が止まってしまったかの様に動けないでいた。
左手に握られた懐中時計も当然ながら凍り付いた様に動かない。
何時もだったら所有者である私に絶対の自信と勇気を与えてくれるこの懐中時計が、こんなにも小さく頼りなく見えたのは初めてだった。
寧ろこんなモノなんて無ければ…
いえ、無かったとしたら私はとうの昔に彼に…
何でこんな事になってしまったのかしら。
ふと思い返し、思い直す。
原因は分かっている。
解り切っている。
そのくらいの事を考える時間は、皮肉にも幾らでもあったのだから。
ただ、私が理解したく無いだけだ。
床へ下ろしていた視線を水平に戻し、視線だけを回す。
視界に入るのはいつも通りの私の部屋。
真っ赤な壁、白いベッドと布団。
替えのメイド服が数着と僅かな私服が詰められたクローゼット、メイドの、いや、女性としての必需品である姿見。
生活感が無さ過ぎると以前誰かに指摘された為に生けられた彼岸花、彼と二人で撮った写真。
そして…
視界が潤み、歪む。
同時に思考を放棄仕掛けるが、なんとか元に戻す。
もう、元には戻れないのだ。
そして…
部屋から出ようとドアノブに手を掛ける、私の恋人だった人
「何で貴方はそんな事も出来ないの?!」
切った掛けとなったのは、私から彼へ向けたこんな一言だった気がする。
仕事で彼以外にも些細なミスを連発され、丁度気が滅入ってしまっていた時の事だった。
タイミングが悪かった、と言ってしまえばそうなのだけれど。
よくよく落ち着いて考えてみれば、私は少し強く当たりすぎてしまっていた。
彼が此処へ来てくれてから。
彼が私の恋人になってくれてから。
私は少しどころではきかない程に、彼を頼り過ぎてしまっていたのだ。
言い訳をしようと思えば幾らでも出来る。
職場が悪い。
主が悪い。
住人が悪い。
妖精メイドが悪い。
門番が悪い。
優し過ぎた彼が悪い。
私を甘やかした彼が悪い。
私に対して怒った彼が悪い。
考えれば次には言い訳が浮かぶ程に歪んでしまった、私が悪い…
言い訳を考える時間も幾らでもあった。
自己嫌悪に陥る時間も幾らでもあった。
時間だけなら、幾らでも。
メイド長としてこの紅魔館に勤める私は、当然ながらストレスが溜まってしまう。
自身の能力を駆使しなければ絶対に終わらないであろう量の仕事。
可愛…荘厳でシャキッとした、我儘な主人。
仕事をサボる門番。
図書館を爆発させる魔女。
地下室と使用人を爆発させる狂人。
真面に仕事の出来ない妖精メイド達。
碌な職場では無いが、それでもお嬢様には恩があるために辞めるつもりも無かった。
そんな事を考える余裕があの頃の私には無かった、と言っても差し支え無いかもしれないけれど。
しかし、それで楽しいか?大変じゃないのか?と問われれば話は別だ。
大変じゃない筈が無い。
仕事、仕事、仕事。
寝ても覚めても、文字通り時間が足りない程の仕事量。
楽しい筈が無い。
お嬢様に対する忠誠心だけで、仕事を楽しめる筈が無い。
時たま振られるお嬢様の無茶振りが大変だけれど悪くないと感じてしまえる程には、私は疲れていた。
そんな私に転機として訪れたのは、彼がこの紅魔館で執事として勤め始めた事だった。
紅魔館に初の男性住人。
私にとって、これ程大きな転機は今までに無かっただろう。
元々私は男性付き合いが得意では無かった。
よく周りからは瀟洒だの完璧だの言われるが、異性に関してとなるとてんで駄目だった。
生まれてこの方そういった交流など殆どしてこなかったのだから当然と言えるかもしれないけれど。
兎に角慣れない私は慌てふためいてしまわぬ様に、常に冷静でいようと努めた。
どういう風に接していいのか分からなかったのだが、冷静沈着な女性なら嫌われる事はないだろう、と判断したのである。
少なくとも感情的で面倒な女性よりは。
お陰で彼が来てから紅魔館に慣れるまでの2ヶ月は、それまで以上に大変な日々だった気がする。
ストレス源が増えた様なものなのだから。
その後の出来事、私の変化を考えればプラスマイナスは圧倒的にプラスと言えるのだけれど。
私の努力の結果は、まずまず以上の成果だった。
どうやら彼は私に好意を持ってくれた様だったのだ。
常にクールな処に惹かれた、と言っていた。
何をこなしても完璧な処に惹かれた、と言っていた。
時折見せる微笑みに惹かれた、と言っていた。
だが。
しかし。
好意を向けられて悪い気はしないと言うが、しかしそれは本当の自分を見てくれていた場合だ。
偽って飾った性格を。
貼り付けて騙した表情を。
そんなものを褒められたって、嬉しい筈が無い。
二十年弱生きてきた私はその時、産まれて初めてと言える程激昂した。
逆ギレと言われても仕方が無い程感情的になった。
常日頃から溜まっていたストレスや不満を、一気に彼へぶつけてしまった。
覚えていないけれど、恐らく手も出してしまっていたでしょう。
けれど。
もう何を言っているのか分からなかったであろう私の事を、彼は優しく抱き締めてくれた。
そんな私に。
ありがとう、そして済まなかった、と言ってくれた。
疲弊して頭の回らなかった私は、最初は彼が何を言っているのか分からなかった。
いや、彼の言った言葉の意味が分からなかった。
何がありがとうなの?
何が済まなかったなの?
何故私を抱き締めるの?
この辺りが理解できなかったのは完全に私の男性経験の少なさ故だろうが、悔しいので頭が回らなかったからと言う事にしておく。
それだって今思い返せば恥ずかしい事ではあるのだけれど。
一つ一つ彼に問いただし、一つ一つの意味を理解していくうちに、私の視界は潤んでいった。
なら私は、貴方の前で感情的になってもいいのね?
貴方の事を頼ってもいいのね?
貴方の事を…
思えば。
私の人生で最も幸せな日だったかもしれない。
私の人生で最も素直になれた日だったかもしれない。
私の人生で最も自分と向き合えた日だったかもしれない。
私の人生で最も…彼と向き合えた日だったかもしれない…
彼と交際を初めた日から、私の世界は変わった。
起きるのが辛くなくなった。
その代わり眠るのが辛くなった。
仕事が辛くなくなった。
その代わり彼の仕事時間が辛くなった。
暇さえあれば彼を眺め、暇が無くても彼を探し。
朝部屋から出て夜部屋に戻るまで彼を見守り、眠る前にどうすれば更に私の事を意識して貰えるか考え。
出来るだけ彼と一緒に居られる様に仕事を振り分け、それでも離れてしまう時は瞬時に仕事を終え。
彼の仕事を手伝いに行き、空いた時間で彼の事を調べていた。
残念ながら私はまだ男性との距離感を掴めずにいたので彼と直接話したりする事は少なかったけれど、誰よりもずっと彼の事を見ていた筈。
私の能力は、誰かを陰ながら見守り支えるにはうってつけなのだから。
恋人になってから数週間のうちに、私は彼の殆どを調べ尽くしていた。
起きる時間、寝る時間。
好きな食べ物、苦手な食べ物。
よく読む本、よく行く場所。
得意な科目、得意な運動。
寺子屋に通っていた頃の友好関係から初恋の相手。
担任の教師に近所付き合い。
よく会話する相手、会話を避けたがる相手。
生年月日、血液型、星座、身長、体重。
常に彼の事を想い描き、時には一日中彼の側に居た私に、彼に関して知らない事は殆ど無かった。
そして知れば知るほど、彼に私の事を知って貰いたくなった。
恥ずかしながら、目を見て会話なんて恥ずかしくて出来なかったのだけれども。
しかし、彼は何故か仕事が終わると図書館へ行ってしまう。
私に告白し、私の恋人でありながら、私の元ではなく図書館へ向かってしまうのは何故?
浮気じゃないわよね?
まぁ女性しかいない職場だからある程度は大目に見るけれど…
思い返せば、結局バレンタインは渡せず仕舞いだった。
精一杯愛情と想いを込めて作ったチョコレートを食べたのは作った私自身。
さり気無く渡そうとしたものの、どうにも恥ずかしくて勇気が出せず。
正面から渡すなんて事は尚更出来ず。
勇気を振り絞れる事無く、バレンタインデーは呆気なく終わってしまった。
流石に申し訳なくて翌日謝ろうとしたけれど、彼の部屋のゴミ箱にチョコレートの包み紙を幾つか見つけ、そんな気は失せてしまった。
なんだ、やっぱり私からのチョコレートなんて期待していなかったんじゃない、と。
彼にとっての私は、やはりクールでこういった事に興味が無いイメージだったのだろう。
改めて、私は自分自身をしっかりとは見て貰えていない事を自覚し。
改めて、自分自身の事を知って貰おうと思った。
ホワイトデーは、彼にチョコレートを貰った。
バレンタインデーに渡していないのに受け取るのもどうかと思い一旦は断ったけれど、哀しそうな表情の彼を見て私は渋々受け取った。
そう言うの関係無しに、やはり好きな人から貰えるのは嬉しい。
自分も現金だなと苦笑し、丁寧に包まれたラッピングをほどいてゆく。
申し訳無い気持ちになり、やはり私ももう一度作っておくべきだったと後悔した。
不器用ながらも精一杯作った彼のチョコレート。
ラッピングもレシピも、おそらく図書館で調べたのでしょう。
…再び別の女性の顔が脳をよぎり私の表情が曇る。
いや、違う。
ただ彼はレシピを習いに行っただけなのだから、私が何か言えるような事は無かった筈だ。
そんな考えをする自分に嫌気が差し、私はその場から立ち去った。
恐らく醜い表情をしているであろう私を、彼に見られたく無かったから。
そして、多分。
この出来事が、彼にとっては決定打となってしまっていたのでしょう。
「もういいよ!お前なんて!」
彼にそんな言葉を言わせてしまったのは、一体どれくらい前の事だっただろう。
私にとっては悠久の時間の様に感じられるけれど、彼にとってはほんの数分前の出来事だった筈だ。
仕事の些細なミスの事。
バレンタインデーの事。
図書館に通っている事。
私が汚い言葉で愚痴り、責め、罵り。
冷ややかな目で見下し。
それでも最初は申し訳無さそうな、途中からは哀しそうな表情で堪えていた彼だったけれど。
遂には、涙を流し怒りをぶつけてきた。
もうこの時点で、お互いに理性は残っていない。
ただひたすらに普段からの不平不満を投げつけ、お互いにお互いの欠点を責め。
汚い言葉に汚い言葉で応酬し。
涙を流して蔑み合い。
そして…
「もう、別れよう…」
そう彼に、言われてしまった。
彼は、とても哀しそうな表情をしていた。
溢れる涙を堪え、それでも何時もの様に笑おうとしながら。
それでもハッキリと私に、そう告げた。
…私は、何を言っていたの?
「違うの!待って!」
そうじゃない。
そうじゃないの!
私が望んでいたのは、そんな哀しい結末じゃない!
もう少し、私の想いを貴方に知って欲しかっただけ。
ただそれをうまく伝えられなかっただけ。
ほんの少し、疲れていただけ。
だから心にも思っていない様な言葉を口にしてしまっただけ。
違う!違う!違う!!
「お願い、待ってよ!」
私の部屋から立ち去ろうとする彼に、縋る思いで手を伸ばす。
お願い、待って。
話を聞いて。
謝るから。
まだ、やり直せるから!
しかし、
パシンッ、と。
乾いた音と共に。
私の伸ばした手は、彼の手によって弾かれた。
タンタンタン。
大股で扉へ向かう彼の表情は、もう見えない。
どんな気持ちで私に別れを告げ。
どんな思いで手を弾いたのかも。
もう、何もかも分からなかった。
お願い、待って。
まだ…まだ、きっと…
だから、ね?
だから…待って…
「待って、お願い…」
もう、私の言葉は届いていない。
私自身もう何も考えられない。
それでも一つだけ解る。
今ここで、彼と離れたら。
もう一生、彼とは元に戻れ無い、と。
彼がドアノブに手を掛ける。
もう本当に、時間が無い。
彼が手首を捻れば、全てが終わってしまう。
止めなきゃ。
止まってもらわなきゃ。
何とか…
止まって…止まってよ。
止まってってば!
「止まりなさいよ!!」
瞬間。
世界が、止まった。
ふと、自分がうとうとしていた事に気付く。
泣き疲れたからか、喚き疲れたからか。
長い長い時間を、ずっとずっと悩んできたからか。
これが夢ならいいのに。
目が覚めた時、彼とまた笑顔で…
一縷の望みに掛けて扉の方へ視線をやると、やはりそこには彼がいた。
勿論、此方を向いてはいないけれど。
これが現実だと分かっていても。
それでもそんな奇跡に掛けるだなんて、私は弱くなってしまったものね。
でも、受け容れて仕舞えば。
それこそそこで、全てが終わりな気がする。
長い長い永い時間。
私は独りで悩んできた。
それでも当然、解なんて出ない。
分かってはいる。
もう彼とは、やり直せない事くらい。
どう考えても私が悪かった。
それなのに私は、なんて事を…
それでも、やっぱりもう一度彼と…
今はまだこの部屋に居る彼も、私が能力を解除すれば直ぐにでも出て行ってしまうだろう。
だからと言って、無理矢理強引に押し留めるのは違う。
そんな事はしたくないし、したらそれこそ終わってしまう。
そして、そんな分かりきっている結末を迎える覚悟は未だに出来ていない。
自分が悪いと分かっているからこそ、ここで終わりにしたくない。
私の態度を堪えてくれた優しい彼を、失いたくない…
まだまだ何も決められない。
まだまだ覚悟を出来そうには無い。
この彼の居る空間で、私は独りぼっち。
誰の言葉も、何の助けも期待出来ず。
ずっと、独り…
それでも、まだ。
この空間に。
彼の居る空間に別れを告げるのは。
永らく先に、なりそうだった
如何だったでしょうか。
彼女のリクエストの回が殆どパッチェさんメインだったので、もう一度出演して頂きました。
楽しんで頂けたら…
誤字脱字、コメント、アドバイスお待ちしております。
リクエストも承っておりますが、あまりご期待に沿ったシチュにはならなそうです…そ、それでもよければ。
変態やら何やらに手を出してきましたので、そろそろ甘々な話も挑戦したいと思っています。
それでは、次回も是非お付き合い下さい