終わらない春   作:リンゴ糖

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追いついた、その先で

1. 春、噛み合わない歯車

 

シニア初年度の春。

ララの成績は、どこか歯切れが悪かった。

 

復帰初戦の中山記念。

まずまず――そう言われれば、そうだ。

走りそのものに問題はない。

だが、勝負どころで一歩足りない。

 

阪神牝馬ステークスでは、中盤で不利を受けた。

位置を下げざるを得ず、気づけば後方。

直線ではさらに進路を塞がれた。

 

それでも、脚は止まらなかった。

前との差は、確実に詰めている。

 

順位は振るわない。

だが、内容は――悪くない。

 

ヴィクトリアマイル。

今度は前につけた。

好位から抜け出し、押し切る形。

 

「これで――」

 

そう思った、最後の最後でかわされた。

4着。

 

「……噛み合わんなぁ」

 

ララは、春をそう総括した。

 

一方で、アイは――。

 

安田記念。

スタート直後、外からの斜行被害。

位置を崩し、リズムを乱された。

 

それでも3着。

 

敗れはしたが、原因ははっきりしていた。

評価が下がることはない。

 

「不利がなければ勝っていた」

そんな声が、自然に上がる。

 

同じ春でも、

二人の立ち位置は、確実に違っていた。

 

 

───

 

2. 秋、ズレの正体

 

夏を越え、秋。

 

府中牝馬ステークス。

ララは、春の反省を踏まえて走った。

 

前につける。

無理はしない。

直線で押し切る。

 

判断は冷静だった。

位置取りも悪くない。

ペースも読み切っていた。

 

それでも――3着。

 

「……あかんな」

 

悔しさよりも、先に浮かんだのは疑問だった。

 

ミスはない。

致命的なロスもない。

それなのに、最後で届かない。

 

春の阪神牝馬ステークスが、脳裏をよぎる。

 

あの時は、中盤で不利を受けた。

進路も塞がれ、位置は後方。

 

それでも――

直線で伸びた脚は、確かだった。

 

(あの時、中団やったら……)

 

思考が、静かに繋がっていく。

 

自分は、変わった。

 

クラシックの頃より、

身長も、筋肉も、体重も増えている。

 

成長した身体は、

以前と同じ走り方を、必ずしも最適解にしない。

 

先行して、押し切る。

それが一番やと思ってきた。

 

けれど今の自分は、

パワーを得て、加速の質そのものが変わっている。

 

後方からでも、脚は使えた。

パワーに裏打ちされた加速は、

むしろキレを増している感覚すらあった。

 

「……仮説、やけどな」

 

ララは、ひとつ目の可能性を言葉にする。

 

――身体の成長に伴って、

――レーススタイルそのものが変わってきている。

 

先行押し切りだけが正解やない。

好位、あるいは中団から差し切る形。

そっちの方が、今の自分には合うのかもしれない。

 

そして――。

 

ララは、もう一つの違和感に、思考を向ける。

 

「もう一つの方は……」

 

まだ、答えは出ない。

だが確かに、無視できない何かがある。

 

その正体を確かめるために、

ララは次のレースへと向かっていった。

 

 

───

 

3. 生まれ変わり

 

京都レース場。

晩秋の空気は澄み、冷たい。

 

ララはパドックを歩きながら、これまでのレースを思い返していた。

 

春の敗戦。

秋の3着。

積み重ねてきた努力は、間違っていない。

 

それでも勝ち切れなかった理由。

 

(仮説は、二つ)

 

ひとつは、身体の成長に伴うレーススタイルの変化。

そして――もうひとつ。

 

ララは、スタート前に深く息を吸った。

 

「……やってみよ」

 

位置は、中団。

前に行きすぎない。

かといって、下げすぎもしない。

 

これまでなら、

「前につけな勝てへん」と思っていた場所。

 

だが今は違う。

 

パワーを得た脚。

溜めて、溜めて、

“ここ”という一点に力を集中させる。

 

レースは流れる。

 

前は速すぎず、遅すぎず。

仕掛けたい衝動を、ぐっと堪える。

 

――まだや。

――ここちゃう。

 

最終コーナー。

内も外も、動き始める。

 

それでも、ララは我慢した。

 

ゴール前。

視界が、一気に開ける。

 

踏み込んだ瞬間、

脚が爆発した。

 

パワーに裏打ちされた加速。

一歩ごとに、前との差が詰まっていく。

 

――届く。

 

最後の一線。

ララは、前を行く背中を捉え、そのまま差し切った。

 

 

歓声が、遅れて押し寄せる。

 

『――ジュニア女王が、蘇る!!』

 

実況の声が、スタンドに響いた。

 

ララは、息を整えながら、わずかに笑う。

 

「……蘇る、ちゃうわ」

 

小さく、しかしはっきりと。

 

「こんなん、生まれ変わりやん」

 

理解してしまった。

 

今の自分は、

ジュニア期の自分とは、まったく別物。

 

成長した身体。

変化した脚質。

選ぶべき戦場。

 

――仮説のひとつ目。

レーススタイルの変化。

 

これは、間違いなく正解や。

 

そして――。

 

ララは、静かに視線を落とす。

 

「もう一つの方も……たぶん、当たってる」

 

今の自分のパワーを活かした加速。

それは、阪神や中山のようなコースでこそ真価を発揮する。

 

一方で。

 

東京。

長い直線。

速度を“持続”させる末脚。

 

――アイさんの走りが、一番映える場所。

 

「……そっかぁ」

 

ひとつの言葉が、胸に落ちる。

 

追いつこうとしていた。

同じ場所に立とうとしていた。

 

でも、辿り着いた先は、

同じ頂ではなかった。

 

「もう、走れんなぁ……」

 

それは諦めではなく、

理解だった。

 

アイほどの存在なら、

勝てる舞台を選ぶ。

 

陣営も、本人も、

“最強”であり続けるために、最善を尽くす。

 

そして自分は、

自分の適性に辿り着いた。

 

追いついた、その先で。

ララは、自分が立つべき場所を知ってしまった。

 

「……そっかぁ」

 

その言葉だけが、

秋の空に、静かに溶けていった。

 

 

───

 

4. 最強は遠く、私はここ

 

 

年の瀬の中山レース場。

冷たい風が吹き抜け、スタンドは人で埋め尽くされていた。

 

「最強女王、年内無敗で締めだな」

「東京じゃなくても関係ないだろ」

「負ける要素、ある?」

 

誰もが、そう信じて疑わなかった。

 

ティアラ三冠。

ジャパンカップの世界レコード。

 

その名前は、もはや一人のウマ娘を指すものではない。

――“勝つ存在”。

それ自体が、結果として消費される象徴だった。

 

本来予定されていたのは、香港遠征。

だが出国直前、アイは熱を出した。

 

幸い、すぐに下がった。

それでも、慣れない環境での再発を警戒し、遠征は中止。

代替として選ばれたのが、有馬記念だった。

 

初めての中山。

初めての急坂。

そして、初めて背負わされる、過剰な期待。

 

それでも――

一番人気は揺るがなかった。

 

レースが始まる。

 

アエロリットが前に出る。

思い切った逃げ。

 

だが誰も、それを本気では恐れていない。

「最後は止まる」

「マイルのウマ娘だ」

 

アイは中団。

無理に追わず、流れを読む。

 

最終コーナー。

集団が一気に縮まる。

 

その出口で、アイは前に出た。

――いつも通りなら、ここから。

 

だが。

 

伸びない。

 

脚は動いている。

だが、加速が乗らない。

 

外から、一気に影が迫る。

サートゥルナーリア。

そして、リスグラシュー。

 

次元の違う伸び。

 

あっという間に置き去りにされる。

 

ゴール板を駆け抜けたのは、リスグラシュー。

後続を大きく突き放す圧勝。

 

そのはるか後方で、

アイはゴールを通過した。

 

9着。

 

デビュー以来、初めての掲示板外。

 

スタンドが、一瞬だけ静まる。

 

「……あれ?」

「どうしたんだ?」

「体調、万全じゃなかったのか?」

 

ざわめきは、すぐに理由探しへと変わる。

敗北を、物語として処理しようとする声。

 

ララは、スタンドの一角で、その光景を見ていた。

 

――違う。

 

そう、思った。

 

体調だけの問題じゃない。

コース適性。

リズム。

そして、背負わされたもの。

 

(みんな……)

 

ララは、視線を落とす。

 

(みんな、アイさんをなんやと思っとるんや)

 

勝つ存在。

負けない象徴。

夢を投影する器。

 

(レースはバケモンやけど……)

 

胸の奥で、言葉が形になる。

 

(それ以外は、ただの女学生やろ)

 

なんでも背負わせて、

勝って当然で、

負けたら理由を探す。

 

そんなものを、

一人のウマ娘に押しつけること自体が――。

 

一瞬、

「自分が倒してやりたい」という感情がよぎる。

 

幻想を壊すために。

“最強”を現実に戻すために。

 

だが。

 

エリザベス女王杯で得た理解。

そして、今日のこの結果。

 

ララは、静かに息を吐いた。

 

「……ままならんな」

 

それは諦めであり、

同時に、世界を受け入れた言葉だった。

 

追いついた、その先で。

ララとアイは、

もう同じ場所には立っていない。

 

年の瀬の風は冷たく、熱狂の残滓だけがレース場に漂っていた。

 

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