夜の談話室。
柔らかな灯りが、テーブルの上のケーキと二人の影をぼんやりと照らしている。
アイは唇を開きかけた。
ほんの一言だけでいい。
ただ、問いかけるだけでいいはずだった。
――再戦、なんて。
そんなありふれた夢。
でも、喉の奥で言葉は凍りつく。
今ここでその話をしてしまったら、
ララとの関係が、もう戻れないものになる気がした。
勝ち続ける私。
世間はそれを当然のように受け取り、「最強女王」と呼ぶ。
その期待に応え続けることが、私の役目。
負けることは許されない。
でも――。
もしララと走って、
もし私が勝ってしまったら。
自暴自棄だった私を、一人にしなかったララ。
あの日、阪神JFで走る意味をくれたララ。
──ララは私のヒーローだ。
そのララを、自分の手で過去にしてしまう。
勝利が、証明が、破壊になる。
恐怖が全身に張り付く。
負けるよりも怖い。
触れたくない自分の心が、そこにある。
問いかけたい。
でも、知りたくない。
壊れるくらいなら、曖昧なままでいい。
「……ごめん、ララ。やっぱり今のなし」
逃げた。
はっきりと、自覚しながら。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ弛む。
ララはくすっと笑う。
「ふふっ、なんやのアイさん? ひょっとして他の女子力皆無エピソードでもあったん?」
「なっ!」
「おっ、その反応は図星かな?」
「もうっ! ララ!」
軽口。
いつものやり取り。
張り付けたような平穏。
でもアイは知らない。
ララがこの軽さを“選んでいる”ことを。
ララは知っていた。
アイが世間から「最強女王」として見られ、勝ち続けることを求められていることを。そして、悩みか問題か、何かを抱え込んでいることも。
けれど、踏み込まない。
踏み込めば、自分がエリ女後に選んだ道の答えに触れてしまうかもしれない。
もし可能性が見えてしまったら、積み上げたものが「逃げ」だったと証明され、違う選択をしていればと一生後悔するかもしれない。
だから、踏み込まない。
アイのためでも、守るためでもなく、
自分を守るために。
それでも、このやり取りにこそ二人の距離感と信頼が刻まれていることを、ララは感じていた。
「私たちはこれでいい」――そう、心の奥で静かに決めながら、私はアイさんのケーキをひょいと奪った。
「ララ! なんで私のケーキ取ったの!」
「アイさん、ずーっと手つけへんもん。ケーキが冷めてまうで」
「もとから冷たいわよ!
……はぁ、もう。今日は許してあげるから、次は奢りなさい」
「はいはい。ほな、今度は高級スイーツでも行こか」
「そのままショッピングも付き合いなさいよ!」
笑い声が落ちる。
話題は、完全に別の場所へ流れていく。
触れなかった問い、共有されなかった感情。
それでも二人は、同じ時間を過ごす。
踏み込まなかったすれ違いの上に、揺るがぬ信頼を抱えたまま。