何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。


第十二話☆公女の誘拐事件

 外出の日、持たせていただいた袋は軽かった。

 

 布と、水と、小さなパン。

 帳面は先生が持つ。買ったものは荷車へ載せる。俺が運ぶ予定の荷物は、一つもなかった。

 

「途中で増やして帰ってこないでね」

 

 玄関で、お嬢様が袋を見ながらおっしゃった。

 

「お土産でしたら、少しだけ」

 

「お仕事のことよ」

 

 そちらだった。

 昨日も、戻ってから手伝えることはないかと尋ね、午後は休むように言われたばかりだ。

 

「先生のお話をよく聞いて、帰ってまいります」

 

「ええ。いってらっしゃい」

 

 いつものお見送りだった。

 そう思いながら、俺は門の外へ出た。

 

     ☆

 

 教会で先生と合流し、年長の見習い二人と南へ向かった。

 

 一人が荷車を押し、もう一人が店の名を読み上げる。

 まず布。その次に薬草。最後に、頼んであった空の壺を受け取る。

 俺は先生の隣を歩き、曲がる道を確かめていた。

 

 王都の南側は、朝からにぎやかだった。

 店先でカゴを洗う女。木材を運ぶ男。焼きたてのパンを積んだ台。

 前を横切る荷車の列が通り過ぎるのを待つだけでも、屋敷の庭を一周するより時間がかかる。

 

「疲れたら、言いなさい」

 

「まだ大丈夫です」

 

 先生は俺の歩幅に合わせてくださっていた。

 それでも大通りへ出たときには、少し背中が汗ばんだ。

 

 通りの向こうに、細い路地がある。

 フィオナが母親と暮らしていた家は、あの先だったはずだ。

 

 俺は足を止めず、入口だけを見た。

 洗濯物が上がっている。階段の横には水桶。角にあった修理屋の看板は、今は別の形をしていた。

 記憶の中の街と、同じではない。

 

「こちらですよ」

 

「はい」

 

 先生の声に、顔を戻した。

 今は所在を確かめるだけだ。

 勝手に離れない。そう約束した。

 

 七歳の今なら、歩いて確かめられる範囲は広がった。

 それでも、一人で出歩く許しはない。

 教会の用事に同行できるまでに、ここまでかかった。

 

 以前の周なら、店へ届け物を頼まれた帰りに、少し遠回りをした。

 もう少し背が伸びてからだ。

 同じ道へ出るのでも、通る時期が変われば、会う人も変わる。

 

 路地の入口で、桃色の布が揺れた。

 つい、目で追った。

 洗濯物だった。

 

「何か、気になりますか」

 

「通りが多いので、覚えておこうと思いまして」

 

「一度に全部覚えなくても結構ですよ。迷ったら、店の人に教会への道を尋ねなさい」

 

 先生は角のパン屋を指した。

 店主がこちらに気づき、粉のついた手を上げる。

 

「あの方も診療室へ来ます。店を覚えておくと、困ったときに頼れますから」

 

 俺は頭を下げた。

 道を確かめるとき、抜けられる路地と、見つからずに動ける場所ばかり見ていた。

 声をかけてよい相手がいることも、覚えておくべきなのだろう。

 

 布の店では、見習いの一人が注文を書いた紙をなくしかけた。

 袖にも袋にもなく、結局、自分の持っていた帳面に挟まっていた。

 

「ここへ入れたら、なくさないと思ったのに」

 

「入れたことを忘れては、同じですね」

 

 先生が言うと、もう一人が笑った。

 俺も、少し笑った。

 

 受け取った布は、思っていたより重かった。

 抱えてみたいと申し出る前に、見習いが荷車へ載せてしまう。

 代わりに端を押さえ、覆いの布をかけるのを手伝った。

 

 薬草の店へ着いた頃には、鐘が一度鳴った。

 

     ☆

 

 店先には、乾かした葉が束ねてつるしてあった。

 戸を開けると、土と草の匂いがした。

 

 先生が店主と話す間、俺は見習いと一緒に包みの数を確かめた。

 同じ薬草でも、葉だけを分けたものと、茎の混じったものでは値段が違う。

 帳面の短い品名からは、分からなかったことだ。

 

「こちらは間違えて煮出すと渋くてね」

 

 店主が別の籠を示した。

 

「治療ではなく、染め物に使うんだ。隣に置くなといつも言っているんだが」

 

 奥へ声をかけると、返事があった。

 先生が注文の品を確かめに奥へ進む。

 俺は出入口の脇で、包みを渡す役になった。

 荷車は、すぐ外に止めてある。

 

 三つ目を手渡したとき、通りを馬車が横切った。

 黒い車体。窓の板戸は、わずかな隙間を残して閉じられていた。

 人混みに阻まれ、人の歩くほどの速さで進んでいる。

 後ろを歩いていた男が、何度も肩越しに道を見ている。

 

 胸の奥が、ざわついた。

 お嬢様に危険が迫っていたときにも、こんな感覚があった。

 あの男から目を離すなと、直感が告げていた。

 

 俺は包みから手を離した。

 

 男の腰には剣がなかった。

 だが、右手を上着の内側に差し入れたまま、抜こうとしない。

 馬車が角の荷車につかえたときも、苛立つより先に、周りの人間を見た。

 

 護衛か。

 そうなら、別におかしくはない。

 

 窓の隙間で、何かが動いた。

 水色の細いものが、黒い窓枠にかかった。

 髪だった。

 

 小さな顔が、ほんの一瞬だけこちらを向く。

 口を押さえる手が見えた。

 

「先生」

 

 声を出した。

 窓が閉まった。

 

「あの馬車です。中の子が、口を押さえられています」

 

 先生は俺の指す先を見た。

 荷車を押していた見習いが、道の真ん中へ一歩出る。

 後ろの男が、それを見た。

 

 目が合った。

 男は御者へ短く何か言った。

 

「衛兵を呼びなさい」

 

 先生の声が変わった。

 見習いの一人が走り出す。

 

「その馬車、止まりなさい」

 

 通りに声が響いた。

 御者は答えず、手綱を引いた。

 だが前には、壺を積んだ荷車がいる。

 細い道を、すぐに抜けられるはずがなかった。

 

 扉が開いた。

 水色の髪の子が、引きずり出された。

 男は片手でその腕をつかみ、もう片方の手で口を塞いでいた。

 声を上げようとしているのに、くぐもった声しか漏れない。

 

 その顔に、見覚えがあった。

 幼い頃の姿は、ほとんど見たことがない。

 それでも、水色の髪と涼しげな目元に、学園で見慣れた面影があった。

 

 クラウディア。

 お嬢様と、いつも冷たい挨拶を交わしていた公女だった。

 

 なぜ、ここにいる。

 

 浮かんだ疑問は、すぐに追いやった。

 この方がこの年頃に、どんな暮らしをしていたかは知らない。

 学園でお会いする前に、どこへ出かけ、誰と過ごしていたかなど、調べたこともなかった。

 

 学園では、男性が近づくと顔をこわばらせ、一歩離れる方だった。

 男性がお嫌いなのだと、それだけで片づけていた。

 お嬢様との不仲ばかり気にして、その理由を考えたこともなかった。

 

 少女の靴が、馬車の踏み板に引っかかった。

 男が苛立ち、さらに強く引く。

 

 嫌っていたのではなく、怖がっていたのだろうか。

 このまま連れ去られたら、何をされるか分からない。

 

 そんなふうに連れていかれてよい方ではない。

 お嬢様と仲が悪かったことなど、今は関係がなかった。

 

     ☆

 

 思い出したのは、学園の廊下だった。

 

 水色の長い髪。

 声を荒らげず、相手の言葉の穴を正確に突く少女。

 お嬢様が笑うと、あちらも笑った。その場の空気だけが、少し冷えた。

 

 目の前の子は、笑っていなかった。

 口を塞ぐ手から逃れようと、必死に顔を背けていた。

 

 男に腕を引かれ、靴の片方を路面にこすっていた。

 もう一人が、薬草店の隣の戸を開ける。

 使われていない店らしく、看板は外されていた。

 奥へ通り抜けられるのだろう。

 

「先生、あの子が隣の店へ連れていかれます。参りましょう」

 

 俺は戸口から一歩踏み出した。

 

「ここにいなさい」

 

 先生が前へ出た。

 男の一人が、上着の中から刃物を抜いた。

 店先で悲鳴が上がる。

 

 先生は手を広げた。

 薄い光が、通りの人々と男の間を隔てる。

 刃がぶつかり、乾いた音がした。

 

「下がって。店の中へ」

 

 残った見習いが客を誘導した。

 俺も、一度は戸口の内側へ戻った。

 

 そのすぐ横を、少女が通った。

 

 男の手に、小さな腕がつかまれている。

 自由なほうの手を振り上げると、指先に青白い光が集まった。

 魔法を使おうとしている。

 

 だが、男が強く腕を引いた。

 彼女の放った光が壁を打ち、石の表面を削った。

 少女の身体が傾く。

 

 男は構わず、開いた戸の奥へ引き込もうとした。

 

 今なら、届く。

 

 追いかける必要はない。

 隣の入口へ向かう少女は、すぐ目の前を通っていた。

 

「先生、あの子を離させます」

 

 返事を待つ前に、俺は手を伸ばした。

 男を倒すほどの威力では、すぐそばの少女まで巻き込んでしまう。

 今は、手を離させるだけでいい。

 

 神術の〈衝撃〉。

 力を小さく絞り、少女を引く男の腕へ放った。

 

 腕をつかむ手が緩み、口を塞いでいた手も外れた。

 少女が、俺のほうへ倒れ込む。

 店先へ踏み出し、腕を伸ばした。

 

 受け止めようとした。

 重かった。

 

 大人の身体なら、そのまま抱えて退けた。

 今の俺にはできない。

 足を踏ん張る間もなく押され、肩が隣の店の戸口に当たった。

 少女を落とすまいと踏み直した足が敷居を越え、二人とも店の中へよろけた。

 

 抱き上げて走るつもりだった。

 考えたというより、身体がそう動こうとした。

 朝の鍛錬で何度も直されたはずの歩幅を、ここでも使ってしまった。

 

 俺は倒れかけた身体を、戸の縁で支えた。

 少女だけは床へ落とさずに済んだ。

 その一瞬で、外へ戻る場所を塞がれた。

 

 男が振り返った。

 

 俺は少女を背にかばい、手のひらを上げた。

 薄い結界が、刃を受ける。

 強く押され、靴が床を滑った。

 

 短い腕だった。

 昔なら届いた位置に、相手の手首がない。

 

 倒そうとするな。

 今は、少女を外へ逃がせばいい。

 

 俺は少女へ顔を向けずに言った。

 

「立てますか」

 

「……立てる」

 

「外に、神官がいます。そちらへ」

 

 背後で、別の足音がした。

 

 先ほど隣の戸を開けた男が、店の奥から近づいてきた。

 少女を裏口から連れ出すため、先回りしていたのか。

 

 少女が息をのんだ。

 俺は半歩、後ろへ下がった。

 

 まずい。

 この広さでは、二人を同時に遠ざけられない。

 

     ☆

 

 窓には板が打ちつけられていた。

 店の中には空の棚と、古い台がある。

 光は、開いた入口から入るだけだった。

 

 入口の向こうでは、先生が刃物を持った男と向き合っていた。

 男が通りの人へ近づくたび、光の壁で押し戻している。

 あの男を放って、こちらへ来るわけにはいかないのだろう。

 

 見習いの一人は衛兵を呼びに走り、もう一人は薬草店の客を奥へ避難させている。

 二人とも俺より年上だが、学んでいるのは治癒や祈り、教会の仕事だ。刃物を持った相手との戦いには慣れていない。

 加勢を頼めば、危険に巻き込むだけだ。

 

 今の俺は、まだ弱い。

 仮に剣があっても、この身体では、少女を守りながら二人を相手にするのは難しい。

 一人を倒そうと踏み込めば、もう一人に少女へ近づく隙を与えてしまう。

 無理に攻めるより、結界で近づけさせず、助けを待つほうがいい。

 

 先生が来るまで、この子を守る。

 今は、それだけを考えろ。

 

「こちらへ」

 

 俺は少女を台の陰へ寄せた。

 外の先生から見える場所だ。

 奥まで連れ込まれれば、助けに来る人にも居場所が分からなくなる。

 

 少女は俺の袖を握った。

 力が強かった。

 

「手は、動きますか」

 

 小さくうなずく。

 

「では、頭を守っていてください」

 

 男が近づいた。

 俺は床へ手を当て、光の壁を広げた。

 台と壁の間を塞ぐ。

 

 通りへ向かう道を開けたまま、奥から来る男を止める。

 術の扱いは分かっている。

 だが、結界を支え続ける負荷に、幼い身体がついてこない。息が浅くなり、腕が震えた。

 

「ノエル!」

 

 外から先生の声がした。

 

「二人です。子供は、ここにいます」

 

 答えた瞬間、入口側の男が動いた。

 振り向く。

 結界を重ねるより早く、刃が腕に触れた。

 

 熱い。

 

 袖が裂けた。

 それでも手を下げず、男を押し返した。

 先生の光が、その背後から伸びる。

 

「離れなさい」

 

 男が戸の外へ引き戻された。

 誰かが叫び、店先の籠が倒れた。

 

 俺は膝をついた。

 結界は残っている。

 奥にいる男は、それを確かめるように足を止めた。

 

 血が手首へ伝った。

 少女の目が、そこに止まる。

 

「あなた、腕が」

 

「見なくて、構いません」

 

 言い方を間違えた。

 見なければ傷が消えるわけではない。

 

「治せます。少し、待ってください」

 

 今、治癒へ意識を移せば、奥の結界が薄くなる。

 男はまだ動かない。

 逃げるか、こちらを押し切るか、迷っている。

 

 外から笛が聞こえた。

 衛兵だ。

 もう少しだった。

 

 少女が袖を離した。

 逃げようとしたのではなかった。

 胸元の小さな袋を開き、中を探っている。

 

 出てきたのは、細い瓶だった。

 両手で隠せるほどの、小さなもの。

 

「傷の薬が、あるの」

 

 声が震えていた。

 

「でも、これは……私が作ったものだから」

 

 差し出しかけた手が止まる。

 俺は、その瓶を見た。

 

 目の前にいるのは、まだ幼い少女だ。

 学園で見た冷たい顔も、立派な魔法も、今ここにはない。

 けれど、逃げるより先に、俺の傷を見てくれた。

 

「使わせていただけますか」

 

 そう頼むと、少女は瓶を握り直した。

 

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