何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。


第十三話☆お手製のポーション

「傷に、かけるわ」

 

 少女はそう言って、瓶の栓に指をかけた。

 一度、滑った。

 もう一度つまみ直す。

 

 奥の男が、出口を見た。

 俺は光の壁を保ちながら、声をかけた。

 

「急がなくても、大丈夫です」

 

 自分の腕から血を流して言うことではなかったかもしれない。

 少女がこちらをにらむ。

 

「急ぐわ」

 

「……お願いいたします」

 

 栓が抜けた。

 少女は傷へ瓶を傾けようとして、俺の袖に気づいた。

 裂けた布が、血で濡れて腕に貼りついている。

 

「ここ、少し動かすから」

 

「はい」

 

 指先で、布をよけてくれた。

 ひんやりしたものが傷に触れる。

 布に吸われた分を確かめ、少女がもう一度、瓶を傾けた。

 

 痛みが増すかと思い、歯を食いしばった。

 違った。

 熱が引いていく。

 

 裂けたところへ、薄い膜が張った。

 それが肌の色に変わり、流れていた血が止まった。

 

 俺は、思わず腕を見た。

 

 効いた。

 しかも、早い。

 

 クラウディア様が、こんな薬を作れる方だったとは。

 魔法に秀でていることは知っていた。だが、錬金術にも通じていたなど、これまでの周回では一度も聞いたことがない。

 どういうことだろう。

 

「痛い?」

 

「いえ。もう、随分と」

 

 言い終える前に、奥の男が逃げ出した。

 追わなかった。

 俺の後ろには少女がいる。

 薬のことは、あとで考えればいい。

 今は、この方を無事に外へ連れ出すことだけを考えろ。

 

 外から、先生が入ってきた。

 その後ろに衛兵の姿が見える。

 

「二人とも、こちらへ」

 

 先生と衛兵が来たのを確かめ、俺は結界を解いた。

 近づいてきた先生の手が、肩に触れる。

 そこでようやく、身体から力が抜けた。

 

     ☆

 

 薬草店の奥には、小さな腰掛けがあった。

 

 そこへ座らされ、先生に腕を見せた。

 傷は閉じている。

 血のついた袖だけが、そこに傷があったことを物語っていた。

 

「薬を、使っていただきました」

 

 隣の少女を見た。

 空になった瓶を、両手で包んでいる。

 

 先生は傷のあったところを確かめ、腕を動かせるか尋ねた。

 指を曲げ、肘を曲げる。

 少し引きつる感じはあるが、痛みはほとんど残っていなかった。

 

「よく効いていますね」

 

 先生の言葉に、少女が顔を上げた。

 

「本当に?」

 

「ええ。こちらへ渡してもらえますか」

 

 瓶を受け取り、底に残った薬と、紙の札を見た。

 材料の名らしい文字が、細かく書かれている。

 俺には、少し離れていて読めなかった。

 

「あなたの薬ですか」

 

「私が、作りました」

 

 さっきより、小さな声だった。

 

「家の者に確かめてもらったものです。傷を治す薬で、変なものは入れていません」

 

「責めているのではありませんよ」

 

 先生は瓶を返した。

 

「この子を助けてくれて、ありがとう」

 

 少女は何も答えず、札の端を指で押さえた。

 

 入口のほうでは、衛兵が店主に話を聞いていた。

 御者と、通りにいた男たちは捕まったらしい。

 奥へ逃げた男については、別の衛兵が追っている。

 

 俺は立ち上がりかけた。

 先生の手が、肩へ戻った。

 

「あなたの仕事はここまでです」

 

「ですが、奥の出口は」

 

「知っていることはここで話しなさい」

 

 座り直した。

 膝に、力が入らなかった。

 疲れているのだと、ようやく分かった。

 

     ☆

 

 水をいただき、見たことを順番に話した。

 

 閉じた窓。少女の口を押さえた手。馬車から隣の店へ移ろうとしたこと。

 人の数を尋ねられたので、見えた範囲を答えた。

 見ていないところまで、分かったように言わない。

 

 衛兵が書き留め、隣の少女へ向き直った。

 

「お名前と、お家を教えていただけますか」

 

 少女は背筋を伸ばした。

 

「アルトハイムの家です。クラウディアと申します」

 

 衛兵の筆が止まった。

 先生も、こちらを見た。

 

 そうなるだろう。

 俺は水の杯を持ち直した。

 

 家へ知らせる使いが、すぐに出された。

 少女は店主の奥方に手を拭いてもらい、傷の有無を確かめられた。

 手首に赤い跡はあったが、大きな怪我はない。

 それを聞いて、俺もようやく息をつけた。

 

 先生は手首の跡を治す前に、触れてもよいかと尋ねた。

 少女はうなずいたが、手が近づくと肩を固くした。

 すぐに、先生の動きが止まる。

 

「痛ければ、教えてくださいね」

 

 俺は彼女の顔を見た。

 薬を渡してくれたときには、こちらの傷ばかり気にしていた。

 自分の腕も痛かっただろうに、一度も口にしていなかった。

 

 光が消えたあと、少女は手首をそっと回した。

 赤い跡がなくなっても、つかまれていた場所を何度か確かめている。

 

 傷を閉じるだけで、何もかも済むわけではない。

 診療室で教わったことだった。

 俺は大丈夫ですかと尋ねかけ、やめた。

 大丈夫だと答えなければならない気がしたら、この方はそう言ってしまいそうだった。

 

 材料を見に来た先で、付き添いとはぐれたのだという。

 家の者が待っていると声をかけられ、曲がり角で腕をつかまれた。

 知らない馬車だと気づいたときには、口を塞がれていた。

 

 途中から、声が途切れた。

 奥方が背中へ手を置く。

 

「続きは、お迎えが来てからでも」

 

 衛兵もうなずいた。

 俺は、膝の上の袋を開けた。

 

「パンがございますが」

 

 クラウディア様が俺を見た。

 自分でも、ひどく間の抜けた申し出だと思った。

 

「今すぐでなくても。水も、いただけます」

 

「……あなたが食べるものでしょう」

 

「二つにできます」

 

 割ろうとして、先生に止められた。

 手を拭くのが先だった。

 

 新しい布で指を拭いてもらい、半分を差し出す。

 少女はしばらく見ていたが、受け取った。

 

「ありがとう」

 

 まだ、食べなかった。

 それでも、空の瓶を握っていた手が少し緩んだ。

 

「さっき、あなたの目に星みたいなものが光っていたわ」

 

 クラウディア様が俺の顔を見て言った。

 神術を使ったときの五芒星だろう。

 

「力を使うと、浮かぶことがあるのです」

 

「……そうなのね」

 

 彼女はもう一度俺の目を見てから、手元のパンへ視線を落とした。

 

     ☆

 

「あの薬は、いつもお持ちなのですか」

 

 尋ねると、クラウディア様は小さくうなずいた。

 

「初めて、ちゃんとできたものだから」

 

 袋の内側へ、瓶をしまう。

 空になっても捨てないらしい。

 

「お守りみたいに持っていたの」

 

「大切なものを、使っていただいたのですね」

 

「でも、何にもならなかったわ」

 

 俺は顔を上げた。

 

 少女は自分の靴を見ていた。

 片方のつま先が削れ、白くなっている。

 

「持っていても、捕まったもの。栓を抜くこともできなかった」

 

 そこで、言葉を切った。

 パンを膝へ置き、指を握る。

 

「もっと魔法を覚えなさいって言われていたの。瓶ばかり並べていないで、いざというときに自分を守れるようにって」

 

 家族の言葉なのだろう。

 その心配自体は、間違っていない。

 今日、この方は危険な目に遭った。

 

「そのとおりだった」

 

 俺は、治った腕を見た。

 

「ですが、この薬がなければ、私はまだ血を流しておりました」

 

「神官なら、治せるでしょう」

 

「あのときは、結界を保つだけで精一杯でした」

 

 強がる理由はなかった。

 現に、膝はまだ頼りない。

 

「傷が塞がったので、そちらへ気を取られずに済みました。先生が来るまで、待つことができたのです」

 

「でも」

 

「ご自分を守れなかったことと、私を助けてくださったことは、別ではございませんか」

 

 少女は口を閉じた。

 

 俺はパンを一口食べた。

 少し乾いていた。

 さっきから腹が減っていたらしく、飲み込むと、もう一口欲しくなった。

 

「おいしいです。いただいたほうが、よろしいかと」

 

「……急に、パンの話に戻るのね」

 

「申し訳ありません」

 

 謝ると、少女はほんの少し、口元を動かした。

 笑ったのかもしれない。

 

 自分の分を、小さくかじる。

 俺たちはしばらく、黙って食べた。

 

     ☆

 

 迎えに来た侍女は、戸口で少女を見つけた途端、膝をついた。

 

「お嬢様」

 

 呼びかける声が、かすれていた。

 後ろの護衛も、頭を深く下げている。

 

 少女は何か答えようとした。

 だが、差し出された腕へ手を伸ばしたところで、顔が歪んだ。

 

 声を上げずに、泣き始めた。

 

 俺は目を伏せた。

 ずっと、我慢していたのだ。

 知っている人が来るまで。

 

 先生が俺を連れ、少し離れた場所へ移った。

 家の者と衛兵の話が済むのを待つ。

 

「ノエル」

 

「はい」

 

「気づいて知らせてくれたのは、よかった」

 

 俺は先生を見上げた。

 

「あの子へ手を伸ばしたことも、何も考えていなかったとは思いません」

 

「……はい」

 

「けれど、あなたまで連れ去られるところでした」

 

 言い返せなかった。

 七歳の腕では、同じくらいの子供を引き寄せるだけで足元が崩れた。

 助けるつもりで、二人とも奥へ転んでいたら。

 

「次に同じことがあっても、同じように動けばよいとは思わないでください」

 

「承知いたしました」

 

 先生は息をつき、血のついた袖を新しい布で覆ってくださった。

 

「帰りは馬車にしましょう」

 

「買い物が、まだ」

 

「その話をすると思いました」

 

 店の前には、もう包みを積んだ荷車があった。

 見習いたちが、残りを済ませてくれたのだ。

 

 クラウディア様が出てきた。

 目元は赤かったが、俺の前で足を止めた。

 

「あなたの名前を聞いていないわ」

 

「ノエルと申します」

 

「教会にいるの?」

 

「学びに通っております。暮らしているのは、ローゼンベルクのお屋敷です」

 

 少女が一度、まばたきをした。

 後ろの侍女の顔も、わずかに変わる。

 

 そうだった。

 東のローゼンベルク公爵家と、西のアルトハイム公爵家。

 海のローゼンベルクに、森のアルトハイム。家紋を彩る色も、赤と青だ。

 何もかも競い合うように対照的な両家は、昔から互いを敵視していた。

 

「そう」

 

 クラウディア様は、それだけ答えた。

 それから、俺の腕を見た。

 

「痛くなったら、ちゃんと言って」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 彼女はうなずき、侍女と一緒に馬車へ乗った。

 

     ☆

 

 屋敷へ戻ると、奥様とお嬢様が玄関にいらした。

 

 先生が先に知らせを出していたらしい。

 お嬢様の視線が、俺の袖で止まった。

 

 布で隠れている。

 けれど、傷を負ったことまでは隠せなかった。

 

「ただいま、戻りました」

 

 お嬢様は、返事をなさらなかった。

 俺の前まで歩いてきて、手を伸ばす。

 袖に触れる直前で、指が止まった。

 

「もう、治っております」

 

「……見せて」

 

 奥様にうなずかれ、布を外した。

 閉じた傷を見ても、お嬢様のお顔は晴れなかった。

 

「血が、出たのでしょう」

 

「はい。ですが、薬を」

 

「痛かったでしょう」

 

 俺は言葉を止めた。

 大したことはないと答えるつもりだった。

 それを聞きたいのでは、ないらしい。

 

「……少し」

 

 お嬢様は、傷のないほうの手を握った。

 指先が冷たかった。

 

 俺を見ているのに、別のものを見ているようなお顔だった。

 よほど驚かせてしまったのだろう。

 

「無事に帰ってくると、申し上げたのに。申し訳ございません」

 

「帰ってきたわ」

 

 小さな声だった。

 

「今、ここにいるもの」

 

 握る力が強くなった。

 俺は、その手を握り返した。

 

 奥様が、先生を居間へお通しした。

 俺も事情を話しに行く。

 お嬢様は、ずっと手を離さなかった。

 

 聖女の居場所は、確かめられなかった。

 代わりに、思いがけない方と知り合った。

 

 治った腕には、まだ薬の匂いが残っていた。

 あの小さな瓶を作った手も、馬車へ乗る頃には、もう震えていなかった。

 

 居間で話を終えると、今日はもう部屋で休むように言われた。

 俺はうなずいた。

 いつものように、まだできることを探す気にはならなかった。

 

 お嬢様と歩きながら、何度か腕を動かしてみる。

 痛くない。

 布の下から血がにじむこともない。

 

 自分で治した傷なら、それで確認を終えただろう。

 今日は、あの方にも伝えたかった。

 いただいた薬は、そのあともちゃんと効いています、と。

     ☆

 

 ノエルが部屋へ戻るのを見届けてから、私は裏庭へ向かった。

 侍女には、いつもの稽古だと伝えてある。

 

 無事だった。

 玄関で見た、血のついた袖が頭を離れない。それでも、握り返してくれた手は温かかった。

 今日は、ちゃんと帰ってきてくれた。

 

 ほっとすると、今度は別のことが気になった。

 

 アルトハイムのご令嬢。

 助けてもらったうえに、ノエルの傷を自分の薬で治したという。

 

 ……泥棒猫が現れた気がする。

 

 薬を使ってくれたことには、お礼を言わなくてはならない。

 それと、安心していられるかどうかは、別だった。

 

「お待たせしたわ」

 

 裏庭には、ノエルにも剣を教えている護衛がいた。

 差し出された小さな木剣を、両手で受け取る。

 

「今日は、お休みになってもよろしいのでは」

 

「いいえ。お願いするわ」

 

 前の人生で、私には勇者の力があった。

 けれど、力が目覚めたからといって、剣の扱いまで身についたわけではなかった。

 思うように動けず、走れば息が切れた。ノエルは敵と戦いながら、そんな私まで守らなければならなかった。

 

 今度は、自分の足でついていきたい。

 彼が傷ついたとき、何もできずに立っているのは、もう嫌だった。

 

 構え、足を踏み出す。

 木剣を振ると、先ほど教えられた位置より肩が上がった。

 

「肩に力が入りすぎています。まずは、ゆっくり」

 

 息を吐いて、構え直した。

 勇者の力がいつ戻るかは分からない。けれど、足の運びも、剣の握り方も、今から覚えることはできる。

 

 ノエルが教会へ行っている間や、自室で勉強している時間を選んで、少しずつ教わっていた。

 彼に知られたら、きっと心配される。私を守るのは自分の役目だと、また一人で引き受けようとするだろう。

 

「この稽古のことはノエルには内緒よ」

 

「承知しております。ただし、お約束の回数までです」

 

「ええ」

 

 彼を困らせるために、強くなりたいのではない。

 決められたところで休むことも、覚えなければならなかった。

 

 息を整え、護衛を見上げる。

 

「もう一度、お願いします!」

 

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