何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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第十四話☆お礼の訪問

 アルトハイム家から、手紙が届いた。

 

 外出から五日目の朝だった。

 俺は廊下で執事長に呼び止められ、午後には応接室へ来るようにと言われた。

 

「先日の件で、お礼にお見えになります。お手紙には、当事者であるご令嬢と、アルトハイム家の代表者が伺うと」

 

「私も、同席するのでございますか」

 

「あなたへのお礼ですから」

 

 それは、そうだった。

 俺は袖口を見た。

 白いシャツに、飾りのない濃紺の上着。同じ色のズボンと合わせた、屋敷でいつも着ている服だ。

 裂けた服は、もう着ていない。傷も先生に確かめていただき、手当ては終わっていた。

 

「いつもの服で、よろしいでしょうか」

 

「汚れのないものであれば。急に大人の格好をしなくても結構です」

 

 俺はうなずいた。

 執事長は、そのあとで少し声を落とした。

 

「両家のお付き合いについて、気にしているようですね」

 

 顔に出ていただろうか。

 

「ご迷惑にならなければと」

 

「公爵様がお迎えするとお返事なさいました。ノエルさんはご自分のお話をすればよいのです」

 

 家同士の事情まで、俺が引き受ける必要はない。

 そういうことらしかった。

 

     ☆

 

 お嬢様は、すでにご存じだった。

 

 朝の授業が終わると、俺の前へ回り、上着の襟を確かめた。

 曲がっているわけでもないのに、小さな手で直してくださる。

 

「今日はこの服なのね」

 

「はい」

 

「そう」

 

 少し考えるようなお顔だった。

 だが、別の服にしなさいとはおっしゃらなかった。

 

「薬を作った方がいらっしゃるのでしょう」

 

「ええ。お嬢様も、お会いになるのですか」

 

「私もお礼を言いたいもの」

 

 俺は返事に迷った。

 

 クラウディア様を助けたのは俺で、俺を助けたのはクラウディア様だ。

 お嬢様が頭を下げる必要はないと思う。

 しかし、それを申し上げれば、また別の話になりそうだった。

 

「大変よく効くお薬でした」

 

「それは何度も聞いたわ」

 

 お嬢様の指が、袖から離れた。

 

「怪我をしてもよかったという意味にはならないのよ」

 

「……承知しております」

 

 帰ってから、何度も思い返した。

 相手の腕をつかんで引き戻す。間に割って入り、自分の身体で押しとどめる。

 大人だった頃ならできたことを、今の身体でもできるつもりでいた。

 だが、七歳の俺には、大人の男を押さえ込むだけの力も体格もない。

 

 朝の鍛錬でも、護衛にそこを指摘された。

 回数を増やす許しは出ず、足の運びからやり直している。

 

「今日は、剣は振っておりません」

 

「今日は、でしょう」

 

 お嬢様は、よく聞いていらした。

 

     ☆

 

 応接室には、公爵夫妻もいらした。

 

 俺は椅子の後ろに立ちかけ、奥様に呼ばれて席へ座った。

 隣がお嬢様。その向こうに、客人の席が用意されている。

 卓には、まだ茶器だけが並んでいた。

 

 やがて、執事長が戻ってきた。

 公爵様のおそばへ寄り、声を落とす。

 

「アルトハイム公爵ご本人がお見えです」

 

 公爵様の眉が、わずかに動いた。

 

「……そう来たか」

 

 奥様が、卓の向こうの椅子へ目をやった。侍女がすぐに席を整え直す。

 代表者というから、家の重役か使者がいらっしゃるものだと、俺も思っていた。

 確かに、当主も代表者ではあるけれど。

 

 廊下から足音が近づいた。

 

 アルトハイム公爵は、娘を伴って入ってきた。

 すらりと背が高く、淡い銀青色の髪を整えている。紺の上着には、青地に鷹をあしらった家紋。灰青色の目が、こちらを静かに見渡した。

 

 迎えに立った公爵様は、肩幅も胸板も厚い。

 後ろへ流した濃い金髪は、獅子のたてがみのように豊かだった。胸にある赤地の獅子が、よくお似合いだと思う。

 剣を得意とする我が家の公爵様と、魔術を得意とするアルトハイム公爵。並ぶと、体つきまで対照的だった。

 

「当主自らとは思わなかった。ひと言、知らせてくださればよかったものを」

 

「当家の代表者が伺うとお伝えしたはずですが」

 

 アルトハイム公爵は、涼しいお顔で答えた。

 

「それとも、私では不足でしたかな」

 

「まさか。大変よく伝わるお手紙だった」

 

「本日は、娘の恩人に礼を申し上げに参りました」

 

 二人が手を差し出した。

 握ったところまでは、普通の挨拶だった。

 だが、いつまでたっても離れない。公爵様の手の甲に筋が浮き、アルトハイム公爵のこめかみも、ぴくりと動いた。

 

「お父様?」

 

 お嬢様が呼ぶ。

 向こうでも、クラウディア様が父親の袖を引いていた。

 

「何でもないよ」

 

「ああ。久しぶりなのでね」

 

 二人はそれぞれ娘に微笑み、ようやく手を離した。

 普段はどっしり構えていらっしゃる公爵様も、この方の前ではこうなる。表情を変えないことで知られる相手も、今日ばかりは同じだった。

 それでも、公爵様があの方の魔術の腕を悪く言うのは、聞いたことがない。

 腕を認めていても、仲よくできるとは限らないらしい。

 奥様は何も言わず、席を勧めるように手を添えた。

 

 父親の横から、クラウディア様が一歩進み出た。

 

 青地に金の刺繍を施したドレスに、濃紺のリボン。袖口と裾には、白いレースがあしらわれていた。

 頬に土はついていない。髪も丁寧に整えられていた。

 あの日は気づかなかったが、髪の間から見える耳の先が、ほんの少し尖っている。

 

 彼女は公爵夫妻の前で、きちんと礼をした。

 

「クラウディア・フォン・アルトハイムと申します。本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」

 

 それから、俺へ向き直った。

 

「先日は、助けていただきました。改めて、お礼を申し上げます」

 

 灰色がかった瞳が、俺を見る。

 声は静かだったが、指はスカートの脇を少し強くつまんでいた。

 

「ご無事で、何よりでございます」

 

 俺も立って、頭を下げた。

 

「お薬をいただいたおかげで、こちらもすっかり治りました」

 

「その後、痛くなったりは?」

 

「ございません」

 

 ようやく、彼女の指が緩んだ。

 

 公爵様が席を勧めた。

 アルトハイム公爵は、俺に向き直った。

 

「娘を助けてくれたこと、心から感謝する。君にまで怪我を負わせてしまった。すまなかったね」

 

 先ほどまで張り合っていた方が、子どもの俺へ頭を下げた。

 慌てて立ち上がりかけると、公爵様に手で制された。

 

「礼を受けておきなさい、ノエル」

 

「……はい」

 

 向かいの公爵の手が、娘の肩へそっと触れた。

 どちらの家にも、息子はいない。大切に育ててきた、一人きりの娘だ。

 その二人が同じ年の、同じ月の、同じ日に生まれたというのだから、不思議な巡り合わせだと思う。

 

 アルトハイム公爵は、付き添いの不手際についても詫びた。

 捕らえられた者たちのことは、衛兵と両家の大人が確かめているという。

 詳しい話は、別室ですることになった。

 

「娘も君の薬に礼を言いたいそうだ」

 

 公爵様がおっしゃると、お嬢様が立ち上がった。

 

「セレスティア・フォン・ローゼンベルクです」

 

 名乗ってから、クラウディア様を見る。

 

「ノエルの傷を治してくださって、ありがとう」

 

 俺は思わず、二人の顔を見比べた。

 

 学園の廊下では、挨拶の次に続く言葉を、いつも気にしていた。

 今日は、違う。

 

「助けていただいたのは、私のほうです」

 

「それでも、ありがとう」

 

 クラウディア様は、一度だけ俺を見た。

 返事を求められている気がしたが、何と答えればよいのか分からなかった。

 

「……どういたしまして」

 

 小さな声で、そう返された。

 お嬢様はうなずき、席に戻った。

 

 少なくとも、俺には普通のお礼のやり取りに聞こえた。

 学園でのお二人を思うと、それがかえって落ち着かなかった。

 

     ☆

 

 両公爵が隣室へ移ると、お茶が運ばれてきた。

 奥様は窓辺の席で、付き添いの侍女と話している。

 俺たちの卓には、焼き菓子が三人分並んだ。

 

 クラウディア様は、手元の小さな箱を開いた。

 中には、細い瓶が二本入っている。

 

「同じものを持ってきたの」

 

 瓶の首には、紙の札が結ばれていた。

 以前より、大きな字だった。

 

「家でもう一度、確かめてもらったわ。傷に使う薬。飲むものではないから」

 

「いただいて、よろしいのですか」

 

「そのために持ってきたのよ」

 

 俺は両手で受け取った。

 箱の底には布が敷いてある。馬車が揺れても、瓶同士がぶつからないようになっていた。

 

「ありがとうございます。先生にも、お伝えいたします」

 

 クラウディア様は、ほっとしたようだった。

 だが、俺が箱を閉じようとすると、少し身を乗り出した。

 

「使ったときのこと、聞いてもいい?」

 

「はい」

 

「最初に痛みが引いたのと、血が止まったのはどちらが先だった?」

 

 俺は腕を見た。

 よく覚えている。

 

「熱い感じが、先になくなりました。そのあとに、傷が塞がって」

 

「しみなかった?」

 

「いえ。冷たかったです」

 

「傷が閉じたあと、つっぱる感じは?」

 

「少しございました。翌朝には、ほとんど」

 

 彼女は付き添いの侍女へ顔を向けた。

 小さな手帳を渡され、膝の上で開く。

 

 書き始めると、筆が速かった。

 さっきまでの改まった様子が、少し薄れた。

 

「二回に分けてかけたでしょう。最初は、布のほうに吸われてしまったから。量が足りなくなるかと思ったの」

 

「最後まで、よく効いておりました」

 

「全部使ったら効くのは、分かっていたわ。でも、どこまで減らせるかは、まだ」

 

 言いかけて、筆が止まった。

 

「ごめんなさい。怪我の話ばかり」

 

「私でお答えできることでしたら」

 

「ノエル」

 

 隣から声がした。

 お嬢様が、こちらを見ている。

 

「試すために怪我をするのは、だめよ」

 

「そのようなことは」

 

「しないでね」

 

 念を押された。

 クラウディア様まで、真剣にうなずいている。

 

「それは、しないで。そういう調べ方はしないから」

 

「……かしこまりました」

 

 二人から言われるとは、思わなかった。

 

     ☆

 

 手帳の端に、瓶の絵が描かれていた。

 俺が見ていると、クラウディア様は少しためらってから、こちらへ向けた。

 

「別の形も考えたの」

 

 首の短い瓶と、口の広い瓶。

 横には、栓の形がいくつかある。

 

「あの日、抜きにくかったから」

 

 少女が、指をこする。

 震えていた手を、俺は思い出した。

 

「手が震えていても、開けやすい形にできるとよいですね」

 

「……慌てなければ、ちゃんと抜けたと思うわ」

 

「怖いときにも使うものですから。慌てずに済む方ばかりでは、ないかと」

 

 彼女は、手帳へ目を落とした。

 

 俺は空いている紙を一枚、いただいた。

 あの瓶の栓を、覚えている範囲で描く。

 

「小さかったので、つまむ場所が少なかったのだと思います。ここが少し大きければ」

 

「抜けやすくすると、こぼれるの」

 

「持つ場所だけ変えることはできますか」

 

 クラウディア様は俺の絵を見た。

 それから自分で筆を取り、栓の上へ線を足した。

 

「こう?」

 

「はい。そのような形でしたら」

 

「作ってみないと、分からないけれど」

 

 声が、少し明るくなった。

 

 お嬢様が、空の小皿をこちらへ寄せた。

 

「薬を使うとき、栓はどこへ置くの?」

 

 俺たちは、同時にお嬢様を見た。

 

「机がなければ、なくしてしまいそうだわ」

 

「……床に、落とした」

 

 クラウディア様が言った。

 俺は覚えていなかった。

 あのときの俺は、薬と傷と、奥の男しか見ていなかったのだ。

 

「そういうところも直せるのかしら」

 

「考えてみるわ」

 

 彼女は手帳へ、もう一行書いた。

 お嬢様はそれをのぞこうとせず、茶器を持ち上げた。

 

 窓辺で奥様が、こちらを見ていた。

 目が合うと、小さく笑われた。

 

 俺は、瓶の絵へ視線を戻した。

 家同士の争いの話は出なかった。二人とも、同じ瓶をどう使いやすくするか話している。

 

     ☆

 

 帰りの支度が始まる頃、クラウディア様は一枚の紙を手帳から抜いた。

 

 薬を使ったあと、俺が答えたことが書いてある。

 確かめるように読み、それから丁寧に挟み直した。

 

「家であの薬が役に立ったと言ったの」

 

「はい」

 

「そうしたら、詳しく聞かれたわ。私が何を作っていたか、前より長く」

 

 それだけ言って、口を閉じた。

 家族の考えが、全部変わったわけではないのだろう。

 魔法の練習も、続けるのだという。

 

「また、作れそうですか」

 

 尋ねると、彼女は箱の中の瓶を見た。

 

「もう作ったでしょう」

 

「そうでした」

 

 俺が答えると、少し笑った。

 今度は、はっきり分かった。

 

「次はもう少し使いやすくするわ」

 

「楽しみにしております」

 

「使わないで済むほうがいいのだけれど」

 

 そのとおりだった。

 俺はうなずいた。

 

 玄関まで、お嬢様と一緒にお見送りした。

 話を終えたアルトハイム公爵が、馬車のそばで待っていらした。クラウディア様はそちらへ向かう前に、俺を振り返った。

 

「新しい瓶ができたら、見てもらってもいい?」

 

「私でよろしければ」

 

「またお手紙を出すわ」

 

「次は私にも見せてくださる?」

 

 お嬢様が、俺の隣からおっしゃった。

 

「栓のことも気になるもの」

 

「ええ。でも、まずノエルに。実際に使ったときのことを、聞きたいから」

 

「では、またここへいらして。私も一緒に聞くわ」

 

 クラウディア様は少し間を置いて、うなずいた。

 

 

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 手紙でも済む話だと思ったが、お二人がよろしいのなら、それでよいのだろう。

 こうしてお会いするうちに、学園の頃より仲よくなってくだされば、何よりだ。

 

 彼女はそれから、お嬢様にも礼をした。

 

「今日はありがとうございました」

 

「ええ。お気をつけて」

 

 親しげに手をつなぐわけでも、次のお茶を約束するわけでもない。

 それでも、普通に別れの挨拶ができた。

 俺の知っている二人より、ずっと穏やかだった。

 

 馬車が門を出るまで見送ったあと、お嬢様が俺を見た。

 

「ずっと驚いた顔をしていたわ」

 

「そうでございましたか」

 

「薬のお話、楽しかった?」

 

 箱を持ち直した。

 薬の効き目を話し、栓の形を考えた。

 俺の言葉を聞いて、あの方が筆を動かした。

 

「はい」

 

「そう」

 

 お嬢様は、少しだけ唇を結んだ。

 何かお気に障っただろうか。

 

「では、お茶の続きにしましょう。あなた、ほとんど食べていなかったでしょう」

 

 言われて、菓子が残っていたことを思い出した。

 手帳を見ているうちに、すっかり忘れていた。

 

「お供いたします」

 

 お嬢様が、俺の空いている手を取った。

 薬の箱は、もう片方で抱えている。

 

「それもあとで置いてきなさい」

 

「はい」

 

 部屋へ戻ったら、倒れない場所を探そう。

 手紙が届いたら、返事を書こう。

 

 聖女を探しに出たはずの日から、予定になかったことばかり増えている。

 けれど、あの瓶を受け取らなければよかったとは、思わなかった。

 

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