何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第十五話☆公爵家のスーツ

 鏡の前で、上着の袖を引いた。

 手首が出る。

 反対の袖も引いてみたが、そちらも同じだった。

 

 洗って縮んだのかと思い、裾を見る。去年は膝の近くまであったはずが、今はずっと上にある。

 俺が大きくなったのだ。

 

 クラウディア様がお礼に見えてから、季節が一巡しようとしていた。

 俺もお嬢様も、八歳になった。

 机に向かっていられる時間は伸びたし、鍛錬でも思うように足が運べるようになった。この年頃の身体の扱い方も、何度となく覚えてきたものだ。

 まだ力も、手足の長さも足りない。だが、今の身体でできることは分かっている。

 

 この上着は、直せるだろうか。

 縫い代が残っていれば、袖だけでも。

 

「ちょうどよかったわ」

 

 開いた扉から、お嬢様が入っていらした。

 後ろには侍女がいる。腕に大きな箱を抱えていた。

 

「何が、でございますか」

 

「その服では、もう窮屈でしょう」

 

「袖を少し直していただければ」

 

「あなた、座るときにも裾を引いていたわ」

 

 見られていた。

 確かに、椅子へ腰を下ろすたびに肩のあたりが突っ張る。

 

「新しい服が必要なの。今日は、仕立屋が来るわ」

 

「私の分まで、お頼みになったのですか」

 

「ええ」

 

 お嬢様は当然のようにうなずいた。

 侍女が箱を卓へ置くと、中には布見本と、何枚かの絵が入っていた。

 仕事着にしては、光沢のある布ばかりだ。

 

     ☆

 

 王城で、子供たちも招かれる舞踏会が開かれる。

 そう聞かされたのは、数日前だった。

 

 お嬢様は、公爵夫妻と一緒に出席される。

 俺もお供する。そこまでは、何の不思議もなかった。

 

 困ったのは、奥様が机に広げた服の絵だった。

 

 上着。胴着。きちんと折り目をつけた長いズボン。

 教会で着る簡素な神官服とは、まるで違う。

 

「礼装でしたら、教会のものがございます」

 

 俺が申し上げると、奥様はうなずいた。

 

「ええ。お祈りのお役目で行くなら、それでよいでしょうね」

 

「お嬢様のおそばに控えるだけですので」

 

「控えている間は、服が見えなくなるの?」

 

 隣のお嬢様に尋ねられた。

 そういうことではない。

 

「目立つ必要は、ないかと存じます」

 

「では、きちんとしていましょう。服のことで目立たないように」

 

 言い返せなかった。

 俺の上着は、袖だけでなく肘も薄くなっていた。

 王城へ着ていくつもりはないが、お嬢様は俺の袖口をじっと見ている。

 

 奥様は絵の一枚へ指を置いた。

 

「招待を受けた方に、誰を伴うかは前もってお伝えしています。あなたのお名前も出してあるわ。娘のそばにいる子が、借り物の服で困らないようにしたいの」

 

「ですが、このような上等なものは」

 

「代金を心配しているのなら、当家で用意するものです」

 

 奥様の声が、少しだけきっぱりした。

 公爵家の顔を立てる服なのだと言われれば、俺が安いものを選び直すわけにもいかない。

 

「……ありがとうございます」

 

 頭を下げると、お嬢様が絵をこちらへ寄せた。

 

「ここからは、あなたも選ぶのよ」

 

 ただ着れば済むわけではなかった。

 

     ☆

 

 仕立屋は、まず俺の肩を見た。

 それから腕を上げ、下ろし、椅子に座るように頼んだ。

 

「苦しくはありませんか」

 

「はい」

 

「それは、苦しいというお返事ですか」

 

「いえ。問題ございません」

 

 お嬢様が横で笑った。

 俺は、薄い上着の上から肩に当てられた布を見下ろす。

 針が留めてあるので、勝手に動くのは危ない。

 

「いつも、こうして背筋を伸ばしていらっしゃる?」

 

「仕事中は」

 

「座っているときも、この方はそうよ」

 

 なぜか、お嬢様がお答えになった。

 仕立屋がうなずき、背中の布を少しつまむ。

 

 お嬢様は、持ってきた見本を膝へ並べていた。

 黒。深い紺。ほとんど黒に見える灰色。

 少し離れると、俺には見分けがつかない。

 

「こちらがいいと思うのだけれど」

 

 黒い布を差し出される。

 窓へ向けると、織り目が細かい。

 

「汚れが目立ちにくく、よいかと」

 

「最初に気になるのは、そこなのね」

 

「白いものよりは、手入れが」

 

「白いシャツも着るのよ」

 

 逃げ道がなくなった。

 侍女が、奥様に渡された紙へ何かを書きつけている。

 白いものを、何枚用意するつもりだろう。

 

 次に選ぶのは、襟の飾りだった。

 仕立屋が金糸の見本を二つ並べた。一方は幅が広く、もう一方は細い縁取りに小さな模様が入っている。

 

「こちらなら、公爵家のお席でも見劣りしません」

 

 広いほうを示され、俺は口を開きかけた。

 お嬢様も、同時に首を傾けた。

 

「少し、多くないかしら」

 

 意外だった。

 こういうときは、華やかなほうをお選びになると思っていた。

 

「ノエルの顔より、襟に目が行くわ」

 

 そこを気にしていらしたのか。

 仕立屋は笑わず、細い見本を俺の胸へ当てた。

 

「では、このくらいで」

 

「ええ。あなたは?」

 

「こちらのほうが、落ち着きます」

 

 答えると、お嬢様は満足そうにうなずいた。

 ようやく、一つは意見が合った。

 

 ところが、袖の長さでは合わなかった。

 

「少し長めにしていただければ、来年も」

 

「手が隠れてしまうわ」

 

「折っておけば」

 

「踊るときに、ほどけたら困るでしょう」

 

 踊る。

 思わず、お嬢様を見た。

 

「誰が、でございますか」

 

「あなたが」

 

「どなたと」

 

 お嬢様は返事をせず、こちらを見つめた。

 侍女まで、手元の紙へ視線を落とした。

 

 ……稽古のお相手、ということだろうか。

 舞踏会では、第二王子殿下と踊られるはずだ。その前に練習しておきたい、ということなら分かる。

 

「お申しつけがございましたら」

 

「今、申しつけているの」

 

「かしこまりました」

 

 仕立屋が、咳払いを一つした。

 

「裾の内側には、伸ばせる分を残しておきます。今は、今のお身体に合うようにいたしましょう」

 

 袖の長さについては、仕立屋にお任せすることになった。

 

     ☆

 

 仮縫いまでの間に、踊りの稽古が増えた。

 

 お嬢様の授業に呼ばれ、俺も先生の前で礼をする。

 先生に手の位置を確かめてもらい、曲に合わせて一通り踊る。

 

 手順は覚えている。この背丈で無理なく踏み出せる幅も分かる。

 だが、お嬢様の足を踏まないようにと下を見たら、すぐに注意された。

 

「お相手のお顔を見てください」

 

「はい」

 

 顔を上げる。

 お嬢様が、笑いをこらえていた。

 

「そんなに怖い顔をしなくても」

 

「踏んでしまわないかと」

 

「下ばかり見ているほうが、ぶつかるわ」

 

 言いながら、一歩下がる。

 俺が続く。

 お嬢様の一歩に合わせ、歩幅を小さく取る。

 

 お嬢様は、つま先を引くときにもふらつかなかった。

 俺の足も、覚えたとおりに動いている。それなのに、赤い裾が靴へかかるたび、踏みはしないかと気になった。

 

「もう一度、初めから」

 

 先生が手を打った。

 今度は、お嬢様のお顔を見たまま進む。

 曲がるところで、裾を避けようと余計に足を引き、お嬢様の靴の端へ触れてしまった。

 

「申し訳ございません」

 

「まだ、曲の途中よ」

 

 手を離しかけた俺を、お嬢様が引き留めた。

 先生も、続けるようにと指で拍子を取っている。

 

 失敗したところへ戻らず、その次の足を出す。

 最後まで踊って礼をすると、お嬢様は俺の手を離した。

 

「今度は、止まらなかったわね」

 

「お怪我は」

 

「していないわ。かすっただけよ」

 

 ようやく息を吐いた。

 先生が椅子を勧めると、お嬢様は俺の隣へ腰を下ろした。

 

「当日も、忘れないでね」

 

「足の運びでございますか」

 

「途中で逃げないこと」

 

 あれは逃げようとしたのではなく、お怪我を確かめようとしたのだ。

 申し上げる前に水の杯を渡され、言いそびれた。

 

     ☆

 

 その翌日、クラウディア様から手紙が来た。

 

 封筒には、俺の名前が書いてあった。

 初めてもらった頃には少し傾いていた字が、今はきれいにそろっている。

 中には小さな絵が一枚あった。

 

 薬瓶の栓だった。

 つまむ部分を広くし、瓶の首と細い紐でつないである。

 紐が邪魔にならないか試したところ、持ち方によって指へ絡む、と書かれていた。

 

 最初のお手紙から、一度でよくなったわけではなかった。

 栓を大きくしすぎて箱へ入らなくなったことも、紐が濡れてほどきにくくなったことも、教えてくださった。

 いただいた二本の薬は、期限が来る前に先生へ相談し、診療室で役立ててもらった。新しい瓶が届いたときには、水を入れて、開けやすさだけを確かめた。

 

 俺は絵の脇へ、手袋をしているときにもつまめたと返事を書いた。

 薬の中身については、先生に聞いていただく。

 試したことと、思いついただけのことを分けて書くうちに、返事は以前より長くなっていた。

 

 末尾には、王城の舞踏会へ出席する予定だと添えてあった。

 俺も伺うと書きかけ、少し考える。

 両家のお付き合いまで変わったわけではない。会場で長く薬の話を始めるのも、おかしいだろう。

 

 当日、ご挨拶できましたら。

 

 そう結び、封筒を閉じた。

 

     ☆

 

 仕上がった服は、箱から出されると、なおさら立派に見えた。

 

 黒い上着に、細い金の縁取り。

 白いシャツ。喉元には黒い結び飾り。

 胴着のボタンを留め、上着を羽織ると、肩も背中も引っ張られなかった。

 

 侍女が袖口を直し、鏡の前から退いた。

 俺は腕を曲げた。

 次に、そっと前へ伸ばす。

 

「剣を振る服では、ございませんよ」

 

「まだ、何もしておりません」

 

「なさりそうでしたので」

 

 この屋敷では、考えるだけでも見つかってしまう。

 俺は手を下ろした。

 

 扉の向こうで、靴音が止まった。

 お嬢様が入っていらっしゃる。

 今日は赤い礼装を試していたらしい。長い袖の先から白い飾りが少し見え、髪には深い赤のリボンをつけていた。

 

「どう、でしょうか」

 

 尋ねても、すぐには返事がなかった。

 お嬢様は俺の足元から顔まで、ゆっくりご覧になった。

 

「……よく似合っているわ」

 

 声が、いつもより小さかった。

 

「ありがとうございます。おかしなところは」

 

「ないわ」

 

 今度は早かった。

 近づいてきて、喉元の結び目へ手を伸ばす。

 ほどいて結び直すのではなく、端を少しだけそろえてくださった。

 

 鏡の中に、二人が並んでいた。

 お嬢様の頭も、俺の頭も、ほとんど同じ高さだった。

 いつもなら半歩後ろへ下がるところを、今は袖をつままれている。

 

「お嬢様も、よくお似合いです」

 

 申し上げると、青い瞳が鏡越しにこちらを向いた。

 

「本当に?」

 

「はい。リボンのお色も、お召し物と合っていて」

 

 殿下も、お喜びになるだろう。

 そう続けようとして、やめた。

 俺の服を見てくださっているときに、ほかの方の話を持ち出すのも違う気がした。

 

 お嬢様は、俺の袖から手を離した。

 

「では、これで決まりね」

 

「はい」

 

 仕立屋へ礼を述べ、脱ぐ前にもう一度、姿見を振り返った。

 公爵家の費用で仕立てていただいた、男物の礼装。

 当日は汚さず、皺にも気をつけて、お嬢様のおそばに控えなければ。

 

「ノエル」

 

「はい」

 

「踊るお約束も、決まったのだからね」

 

 鏡の中で、俺は頭を下げた。

 お嬢様が、楽しそうに笑っていらした。

 

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