何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第十六話☆そば付きには過ぎた服

 馬車の扉が開いたとき、まず数えたのは、入口までの段だった。

 

 七段。

 両側に手すりがあり、その手前で王城の使用人が客を迎えている。

 雨は降っていない。石も乾いていた。

 

 先に降りた公爵様が振り返る。

 奥様、お嬢様、俺の順に馬車を降りた。

 

「足元ばかり見ていると、ぶつかるわよ」

 

 お嬢様に言われ、顔を上げる。

 広い階段の上で、幾つもの窓が明るく光っていた。

 

「失礼いたしました」

 

 王城へ来たことはあるが、この身体では初めてだった。

 学園に通っていた頃には、舞踏会にもお供した。だが、この年の舞踏会には一度も来ていない。いつもなら屋敷へ上がったばかりで、留守を預かる側だった。

 

 門のところで客の名を確かめる係が、手元の紙へ目を落とす。

 公爵夫妻とお嬢様の名が呼ばれ、次に、ノエルと続いた。

 俺が返事をすると、係は何も尋ねず、通るように手を差し出した。

 

 名前は、本当に出されていた。

 当たり前のことを、今になって確かめた気がする。

 

 屋敷からの護衛は決められた控えへ向かった。広間の警備は王城の衛兵が受け持つ。

 俺は剣を持っていない。

 今夜は、お嬢様に付き添うために来たのだ。

 

 それでも、衛兵の立つ場所を目で追ってしまう。

 柱の陰。階段の上。外へ通じる扉。

 

「お父様たちから、離れないでね」

 

 お嬢様は、俺の手を取った。

 

「私がお申し上げすることかと」

 

「先に言ったほうがよいでしょう」

 

 それは、何の決まりなのだろう。

 尋ねる前に、公爵様がこちらを振り返った。

 

「二人とも、こちらだ」

 

 お嬢様が歩きだす。

 袖の金糸が、壁の灯りを受けて光った。

 

     ☆

 

 広間の音が、廊下まであふれていた。

 

 弦の音に、重なる話し声。

 磨かれた床には、幾つもの靴が映っている。

 飲み物を載せた盆が通るたびに、人の間へ細い道ができた。

 

 入ってすぐのところで、公爵様が知人に呼び止められた。

 俺はお嬢様の半歩後ろで足を止める。

 

「大きくなられましたな」

 

「この間お会いしたときは、まだ抱かれていたのに」

 

 お嬢様は順に礼をして、挨拶を返した。

 返事に困っていらっしゃる様子はない。

 

 以前、俺が仕え始めた頃も、お嬢様はこの年だった。礼儀を知らない方ではなかったが、気に入らないことがあれば、もっとはっきり顔にも言葉にも出していらした。

 今のお嬢様は、大人の長話にも穏やかに相槌を打っている。

 ……やはり、この頃からこんなにおとなしい方だっただろうか。

 二歳からおそばにいるうちに見慣れてしまったが、昔を思い返すと、どうにも違う。

 俺が知らなかっただけでは、説明がつかない気もした。

 

 俺も紹介されたときだけ顔を上げ、頭を下げた。

 

「娘のそばに置いているノエルです。教会へ通いながら、一緒に学んでいます」

 

 公爵様は、そう説明された。

 神官として何ができるのかは、誰にも尋ねられなかった。

 そのかわり、名前を呼ばれ、こちらが自分の娘だと紹介される。

 

 俺まで挨拶をする相手に数えられると、どうにも落ち着かない。

 お嬢様は、そのたびに俺のほうを見ていた。

 下がりすぎないよう、確かめているらしかった。

 

 挨拶が一段落すると、奥様が壁際の席を示した。

 

「少し、あちらでお待ちなさい。向こうのお話が済んだら、戻りますから」

 

「はい」

 

 お嬢様が返事をする。

 付き添いの侍女が一緒に来て、二人分の飲み物を頼んでくれた。

 公爵夫妻の姿も、ここから見えた。

 

 椅子へ座る前に、俺は上着の裾を確かめた。

 皺を作らないように下へ引く。

 お嬢様が、その手を見ている。

 

「破れないわよ」

 

「借り物ではございませんが、やはり」

 

「あなたの服でしょう」

 

 それが落ち着かない理由だった。

 これだけの布で、普段の上着を何枚作れるだろう。

 

 運ばれてきた杯を受け取る。

 赤い果汁が入っていた。

 一滴でも胸へこぼせば、白いシャツに跡が残る。

 慎重に口をつけると、お嬢様が笑いそうなお顔になった。

 

「その飲み方、しばらく続くのかしら」

 

「慣れれば、もう少し」

 

「服より先に、果汁が温まってしまうわ」

 

 口元が緩み、少しだけ多く飲めた。

 

     ☆

 

 水色の髪が見えたのは、杯を置いたときだった。

 

 向こうの通路を、大人たちと一緒に歩いてくる。

 クラウディア様は、淡い青の礼装を着ていた。歩くたび、重ねた薄い布の裾がわずかに揺れる。

 俺たちに気づくと、足が止まった。

 

 隣の婦人へ何か告げている。

 うなずかれ、侍女を伴ってこちらへ来た。

 

「こんばんは」

 

 まず、お嬢様へ挨拶をした。

 それから、俺を見る。

 

「お手紙、ありがとう」

 

「こちらこそ。栓の絵を拝見いたしました」

 

「紐は、少し短くしてみたわ」

 

 すぐに返事が戻ってきた。

 俺は持っていた杯を置き、両手で長さを示しかけた。

 ここは薬瓶を並べる卓ではないと思い出し、手を下ろす。

 

「後日、改めてお聞かせいただけますか」

 

「ええ」

 

 クラウディア様の視線が、俺の襟へ移った。

 

「今日は、違う服なのね」

 

「公爵家で、ご用意いただきました」

 

「そう。似合っているわ」

 

「私が選んだの」

 

 お嬢様が、横からおっしゃった。

 

 いや、俺も選ぶように言われたはずだ。

 布と袖の長さではほとんど意見を通せなかったが、襟の飾りは一緒に選んだ。

 訂正するほどのことでもなく、俺は黙っていた。

 

 クラウディア様はお嬢様の顔を見た。

 

「そうなのね」

 

 それだけだった。

 けれど、返事のあと、少し間があった。

 

 今のは、何だろう。

 俺は二人の顔を見比べた。

 

「お手紙では、手袋でも開けられたと書いてあったわね」

 

 先に話を戻したのは、クラウディア様だった。

 今日は薬の話を長くするつもりはなかったのだが、尋ねられれば答えられる。

 

「薄手のものでしたら。ただ、濡れているときは試しておりません」

 

「次は、それも確かめてみるわ」

 

「今夜は、瓶を持ってきてはいらっしゃらないでしょうね」

 

 お嬢様がお尋ねになると、クラウディア様は眉を少し上げた。

 

「お礼の訪問ではないもの」

 

「ええ。舞踏会ですものね」

 

 にこりと笑われる。

 クラウディア様も口元だけで笑った。

 

 そうだ。この顔なら知っている。

 俺が何か申し上げるべきか考えていると、別の声が割って入った。

 

     ☆

 

「お二人とも、こちらにいらしたんですね」

 

 少年が二人、立っていた。

 俺たちより少し年上に見える。

 先ほど、公爵様が挨拶を交わした家のご子息だった。

 

 お嬢様たちへ礼をし、近くで踊っている子供たちの話をする。

 俺は、杯のそばへ半歩下がった。

 

 年の近い貴族同士で親しくなる場だ。

 俺が間に入る必要はない。

 

「そちらは、どちらの家の方ですか」

 

 一人が、俺を見た。

 

「ノエルと申します。セレスティア様のおそばに上がっております」

 

「そば付き?」

 

「はい」

 

 少年は俺の上着を見直した。

 もう一人が、その隣で何か小さく言う。聞き取れなかったが、二人とも笑った。

 

「では、後ろで待つものではないのですか。客と同じ場所にいらしたので、間違えました」

 

 もっともな指摘に聞こえた。

 実際、いつもなら壁際へ控えている。

 

「失礼いたしました。私が」

 

「私が、ここにいてと頼んだのよ」

 

 お嬢様が言った。

 謝りかけた俺の袖に、指が触れる。

 

「ご挨拶する間も、一緒にいてもらうつもりなの」

 

「でも、お仕えする方なのですよね」

 

「ええ。父もご紹介したでしょう」

 

 少年が、広間の奥へ目を向けた。

 公爵様は、まだ大人同士の話をしている。

 

 もう一人の少年が、俺の襟を指さした。

 

「その服も、公爵家からいただいたのですか」

 

「はい」

 

「ずいぶん、ご立派だ。家名がなくても、服だけなら公爵家の子になれるんですね」

 

 隣の少年が笑った。

 今度は、何を面白がっているのか分かった。

 

 俺は両手を前にそろえた。

 お嬢様の前で言い返すわけにはいかない。大事にしたくもなかった。

 俺が一度下がれば、それで済む。

 

「少し、失礼いたし――」

 

「今のお言葉は、ノエルの服を用意した私の家にも向けたものかしら」

 

 お嬢様の声が、はっきりと響いた。

 大声ではない。

 それだけに、近くの話し声が一つ途切れた。

 

「そんなつもりでは」

 

「では、どういう意味だったの?」

 

 俺は袖を引かれたまま、立っていた。

 少年は口を開き、隣の少年を見る。

 さっきまで一緒に笑っていた相手は、何も言わなかった。

 

「……少し、冗談を」

 

「ノエルは、笑っていないわ」

 

 別の声だった。

 クラウディア様が、少年の前へ目を向けていた。

 

「人の服を指さして笑うことは、こちらの舞踏会ではお許しになるの?」

 

「あなたには、関係のない」

 

「私とお話ししていた方よ」

 

 静かな返事だった。

 

「途中でいらしたのは、そちらでしょう」

 

 俺は、息をするのを忘れかけた。

 

 お嬢様とクラウディア様が、同じ少年を見ている。

 互いの言葉を打ち消さず、俺を下がらせようともしない。

 学園で、このお二人の間に立ったときとは、何もかもが違った。

 

 少年が、もう一度何か言いかけた。

 その肩へ、大人の手が置かれた。

 

「何の話をしている」

 

 少年たちの父親だった。

 付き添いの侍女が呼びに行ってくれたらしい。

 

 お嬢様は、先ほどの言葉をそのまま伝えた。

 何も足さなかった。俺がどう思ったかを代わりに話すこともしなかった。

 

 父親の目が、息子から俺へ移る。

 それから、セレスティア様とクラウディア様を見た。

 

「失礼をいたしました」

 

 父親に促され、二人の少年が頭を下げた。

 俺も頭を下げかけ、お嬢様の指に止められる。

 

「……承りました」

 

 それだけ答えた。

 父親は改めて公爵家へ詫びると言い、少年たちを連れて離れていった。

 

     ☆

 

 音楽は、途切れていなかった。

 

 俺たちの周りに生まれた小さな隙間も、人が行き交ううちに埋まった。

 お嬢様の手が、ようやく袖から離れる。

 

「申し訳ございません」

 

 二人が、同時にこちらを向いた。

 その顔を見て、今のは間違えたと思った。

 

「……ありがとうございます」

 

 言い直すと、お嬢様は小さく息を吐いた。

 

「あなたが謝ったら、あの言い方が正しかったことになるでしょう」

 

「場を騒がせるほどのことでは、と」

 

「先に騒がしくしたのは、向こうよ」

 

 クラウディア様が、侍女の差し出した杯を取った。

 

「せっかくのお話を、途中で止められてしまったわ」

 

「薬のお話ね」

 

 お嬢様がすぐにおっしゃる。

 

「ええ。薬の話よ」

 

 クラウディア様は、今度はこちらへ顔を向けた。

 

「続きは、手紙に書くわ」

 

「はい。お待ちしております」

 

 家の者に呼ばれ、彼女は席を離れた。

 去り際、お嬢様へも礼をする。

 お嬢様は礼を返したが、手を振りはしなかった。

 

 急に仲良くなられたわけでは、ないらしい。

 それでも、さっきは確かに、二人で俺をかばってくださった。

 

「お嬢様」

 

「何?」

 

 なぜクラウディア様まで、と尋ねるのは失礼だろうか。

 そんなことで迷っている間に、お嬢様は俺の襟元へ目を留めた。

 

「少し曲がっているわ」

 

 上着ではなく、喉元の結び飾りだった。

 直そうとすると、先に小さな手が伸びた。

 

「これでいいわ」

 

「ありがとうございます」

 

「似合っているのだから、そんなに肩を縮めないで」

 

 さっきから、自分の手を前へそろえていた。

 俺は指をほどき、背筋を伸ばす。

 仕立屋が整えた上着は、動いても乱れていなかった。

 

 近づいてきた奥様が、広間の奥を示した。

 

「殿下へのご挨拶の順になりましたよ」

 

 俺は顔を上げた。

 第二王子殿下が、お嬢様と同じくらいの子供たちに囲まれている。

 

 来た。

 この方と、お嬢様が出会う夜だ。

 

 お嬢様は袖口を確かめ、俺へ手を差し出した。

 

「行きましょう、ノエル」

 

 俺はその手を取り、公爵夫妻の後について歩きだした。

 

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