何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。
また作中に挿絵が1枚あります。そちらもAI画像ですのでご注意ください。



第十七話☆王子様はよろしいので?

 第二王子殿下は、俺の覚えている顔よりずっと幼かった。

 

 当然だ。

 学園でお見かけしたときより、何年も前なのだから。

 

 けれど、学園での印象が強いせいか、殿下の幼いお顔にはどうにも違和感があった。

 隣では、お嬢様がいつもと変わらぬ足取りで歩いている。

 金色の髪につけた赤いリボンが、歩くたびに揺れた。

 

 公爵様が、殿下の前で足を止める。

 挨拶を交わし、娘を紹介された。

 

「セレスティア・フォン・ローゼンベルクでございます」

 

 お嬢様は、教わったとおりに礼をなさった。

 声が上ずることも、殿下のお顔を見つめたまま言葉を忘れることもない。

 

「よく来てくれたね」

 

 殿下は笑った。

 近くにいた大人のほうを一度見てから、お嬢様へ目を戻す。

 

「ローゼンベルクには、大きな船が来るのだろう」

 

「はい。海を渡ってくる船もございます」

 

「城にある船の絵を見たことは?」

 

「まだ、ございません」

 

「あちらの回廊にあるんだ。あとで、見ていくといい」

 

「ありがとうございます」

 

 お嬢様は、もう一度きれいに頭を下げた。

 殿下も、うまく話せたことに安心したように笑う。

 

 それだけで、俺の胸の奥が少し固くなった。

 殿下は、まだ何もしていない。

 目の前の令嬢を迎え、話しかけているだけだ。

 

 あの広間で、お嬢様の名を呼んだ声は、もっと低かった。

 今の声と重ねてはいけない。

 

 順番を待つ親子が、後ろに控えている。

 俺も紹介されたときに礼をし、口を開くよう求められなかったので、そのまま下がった。

 

 お嬢様は、もう一言くらいお話をなさるだろうか。

 そう思っていたら、すぐに俺の隣へ戻っていらした。

 

「お待たせ」

 

「……いえ」

 

 待つほどの長さではなかった。

 

     ☆

 

 広間の脇へ戻っても、お嬢様は殿下をご覧にならなかった。

 

 侍女から水を受け取り、一口飲む。

 それから、俺の手に何もないのを見て、もう一杯頼んでくださった。

 

「お疲れになりましたか」

 

「少し。ご挨拶する方が、たくさんいらしたもの」

 

 答えながら、椅子に座る。

 俺はその横へ立った。

 

 殿下の周りには、まだ子供たちがいる。

 そのうち一人が笑うと、お付きの方まで笑った。

 お嬢様なら、あちらの輪へ加わることもできる。

 

「王子様は、よろしいのでしょうか」

 

 お嬢様が、杯を下ろした。

 

「何が?」

 

「もう少し、お話しにならなくても」

 

「ご挨拶は、済んだでしょう」

 

「はい。ですが」

 

 続ける言葉に困った。

 もっとお近づきになりたいのでは。

 そう申し上げる根拠は、今のお嬢様には何もない。

 

「ノエルは、殿下とお話ししたかったの?」

 

「私が、でございますか」

 

「ずっと、あちらを見ているわ」

 

 慌てて視線を戻した。

 

「お嬢様が行かれるのでしたら、お供しようと」

 

「今は、ここにいるわ」

 

 隣の椅子を指さされた。

 俺は座った。

 

 この頃には、もう殿下のお話をよくなさっていたはずだ。

 初めてお会いした夜のことを、あとになって何度も聞いた。

 何を言われ、どんなふうに笑ってくださったか。覚え間違いかと思うほど、細かなことまで。

 

 その夜は、今夜ではなかったのか。

 

 記憶をたどっている間に、お嬢様は焼き菓子の皿を手元へ寄せた。

 

「こちら、果物が入っているわよ」

 

 砂糖の甘さが強いものより、果実の入った焼き菓子のほうが好きだ。

 今のお嬢様も、俺の好みを覚えていてくださったらしい。

 差し出され、受け取る。

 

「ありがとうございます」

 

 今は、殿下より菓子が気になっていらっしゃるらしい。

 もともと、お好きなものには熱心な方だ。

 殿下と初めて会われた夜を、俺は直接見たわけではない。知らなかったお顔があっても、不思議ではないのだろう。

 

 結婚相手のことを、今から急かす必要はない。

 この先、気持ちが向くこともある。

 そう考えて、俺はそれ以上尋ねるのをやめた。

 

     ☆

 

 一曲終わると、踊っていた子供たちが一斉に親のもとへ戻ってきた。

 

 頬を赤くしている子も、靴を気にしている子もいる。

 笑いながら同じ動きを繰り返し、侍女にぶつかりそうになって止められた子もいた。

 

 お嬢様は、膝の上で指を組み直した。

 踊りたいのだろう。

 

「次の曲には、出られますか」

 

 尋ねると、青い瞳がこちらを向いた。

 

「あなたは?」

 

「お席で、お荷物をお預かりしております」

 

 しばらく返事がなかった。

 お嬢様は、ご自分の膝と俺とを交互に見た。

 

「預ける荷物なんて、持ってきていないわ」

 

 そうだった。

 扇も、まだお使いにならない。

 必要なものは付き添いの侍女が持っていた。

 

「……お約束は、覚えております」

 

「忘れたのかと思ったわ」

 

「ただ、こちらでは」

 

 床の中央を見た。

 家名を紹介されてきた子供たちが、次の曲を待っている。

 先ほどの少年たちも、父親のそばにいた。

 

 言いかけた俺を見て、お嬢様は口を閉じた。

 怒られたのだろうかと思ったが、そうではなかった。

 

「少し、歩きましょう」

 

 椅子から下りる。

 俺も立つと、お嬢様は侍女に声をかけた。

 

「お母様に、お伝えしてくれる? 船の絵を見てくるわ」

 

 侍女は奥様のもとへ行き、すぐに戻ってきた。

 

「回廊の先までなら。私もご一緒いたします」

 

「ええ」

 

 許しをいただいてから、広間を出た。

 俺は振り返った。

 殿下は、次に来た令嬢と話していらっしゃる。

 

 お嬢様は振り返らなかった。

 

     ☆

 

 回廊には、背の高い絵が何枚も掛かっていた。

 

 山。戦場。冠を載せた人。

 その先に、白い帆をいくつも張った船の絵があった。

 絵の下には、小さな文字で船の名が書かれている。

 

 お嬢様が、俺の袖を引いた。

 

「これかしら」

 

「おそらく」

 

 近づきすぎないように立ち、見上げる。

 船のそばには、小舟が浮かんでいた。

 俺の覚えている授業の絵より、ずっと細かく人が描かれている。

 

「荷物を積む場所が、あるわね」

 

 お嬢様がおっしゃった。

 

「ええ。大きな船ですから」

 

「あなたが描いたときは、なくなったでしょう」

 

 三歳の頃のことだ。

 舟の横へ大きすぎる人を描いて、公爵様に岸辺を足していただいた。

 

「よく覚えていらっしゃいますね」

 

「お父様が、ここへ線を引いたのよ」

 

 指で、絵には触れずに空中をなぞる。

 お嬢様がその隣へ、もう一人描いたことも思い出した。

 

「まだ、お部屋にございますか」

 

「ええ。本の間に入れてあるわ」

 

 片づけるときに捨てても、何の不思議もない紙だった。

 俺の字の練習など、とうに重ねて物入れの下へ敷いている。

 お嬢様は何年も前の絵を、取っておいてくださったらしい。

 

「次は、もう少しましに描きます」

 

「次の絵は、別の紙に描いてね」

 

 仕舞ったものを描き直されるとでも思ったのか。

 俺がうなずくと、お嬢様は隣の絵へ進んだ。

 

 回廊の先には、外へ出られる扉があった。

 片方が開かれ、冷たい空気が入ってくる。

 近くにいた衛兵へ侍女が声をかけると、短く返事があった。

 

「テラスへ出てもよろしいそうです。柵へは寄らないでくださいね」

 

 お嬢様が俺を見た。

 

「少しだけ」

 

 床が濡れていないことを確かめ、俺はうなずいた。

 

     ☆

 

 テラスは、思っていたより明るかった。

 

 壁の灯りと、開いた扉から漏れる光。

 外の庭は暗いが、立っているところの床目は見える。

 侍女は扉のそばへ残り、俺たちが寒くなったらすぐ戻れるようにしてくれた。

 

 お嬢様は柵へ近づかず、壁際で空を見上げた。

 その隣に立つ。

 城の屋根の向こうへ、雲がゆっくり流れていた。

 

「少し、静かね」

 

「はい」

 

 広間の音楽は、ここにも届いた。

 話し声が遠いので、かえって旋律がよく分かる。

 

 お嬢様が、一歩だけ足を動かした。

 稽古で覚えた、最初の足だった。

 

 俺は、すぐに意味が分かった。

 今度は、どなたとですかとは聞かなかった。

 

「こちらで、踊られますか」

 

「ええ」

 

「広間ほど、広くはございませんが」

 

「大きく動かなければいいわ」

 

 扉のそばから、侍女がこちらを見ている。

 少し照れくさかった。

 けれど、知らない人々が何列も並んでいるわけではない。

 

 俺はお嬢様の前へ回り、礼をした。

 差し出された手を取る。

 

「踏んでも、途中でやめないでね」

 

「踏まないようにいたします」

 

「踏んだら、謝って。それから続けて」

 

「はい」

 

 お嬢様は笑った。

 俺は最初の拍子を待った。

 

 小さく前へ出る。

 お嬢様が下がる。

 金色の巻き髪が揺れ、赤い裾が半歩遅れてついてきた。

 

 次の曲が始まったばかりだったらしい。

 聞き覚えのある旋律で、途中から拍子を数えなくても歩けた。

 笑顔を向けられると、つい目を伏せそうになる。そのたび、お嬢様の指に少し力がこもる。

 

「こちらよ」

 

 顔を上げた。

 すぐ近くで、目が合う。

 

 こんなふうに笑って踊る方だったのか。

 

 いや、笑うところなら何度も見た。

 殿下から声をかけられたとき。新しい衣装が届いたとき。

 けれど今、手を取っているのは俺だ。

 そのたびに、何か返事をしなくてはと思い、何も言えなくなった。

 

「難しい顔をしているわ」

 

「間違えないようにと」

 

「今、合っているでしょう」

 

 そう言われ、間近の笑顔に気を取られた。一拍だけ、足を出すのが遅れる。

 お嬢様の肩が、小さく揺れる。

 

 笑われた。

 俺も、笑ってしまった。

 

 それでも止まらなかった。

 次の一歩で戻り、曲の終わりに、二人で礼をした。

 

     ☆

 

 拍手は、扉のほうから聞こえた。

 侍女が小さく手を打ち、それから中を指さした。

 

「あと少しで、お戻りになるお時間ですよ」

 

「分かったわ」

 

 お嬢様が答え、俺を見た。

 踊り終えたので、つないでいた手は離れていた。

 

「お疲れではございませんか」

 

「楽しかったわ」

 

 答えが違う。

 そう思ったが、息は乱れていなかった。

 頬は赤く、目も輝いている。

 

「ノエルは?」

 

「はい。私も」

 

 言ってから、少し驚いた。

 上手にできたかではなく、楽しかったかと尋ねられていた。

 今日は、答えを間違えずに済んだ。

 

 お嬢様の笑みが、いっそう大きくなった。

 声を上げて笑いそうなのを隠すこともせず、俺の前に立っている。

 

 頭の隅に残っていた、殿下のことを忘れた。

 今は、広間へ急いで戻る理由がない。

 

「来てよかったわね」

 

「はい」

 

「服も、作ってよかったでしょう」

 

 自分の袖を見た。

 黒い布に、細い金の糸。

 汚れも裂け目もない。

 

「大切にいたします」

 

 お嬢様はうなずいた。

 それから、こちらへ手を差し出す。

 

 赤い袖からのぞく、小さな手だった。

 頬をいっぱいに緩め、青い瞳を細めて笑っていらした。

 

「また、一緒に踊りましょうね、ノエル」

 

 

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 差し出された手に、いつかの細い指が重なった。

 けれど、今、目の前のお嬢様は笑っている。

 俺は、その手を取った。

 

「喜んで」

 

 お嬢様が歩きだした。

 俺は遅れず、隣へ並んだ。

 

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