何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第十八話☆ノエルを探る者

 調べる相手は、八歳の神官だった。

 

 名はノエル。姓はない。

 孤児院から王都の大聖堂へ移り、その翌日にはローゼンベルク公爵家に引き取られた。今は令嬢のそばで学びながら、教会でも働いている。

 ずいぶんと異例の経歴だ。

 だが、珍しい経歴の子どもというだけで、俺が素性を隠して探りに行く理由にはならない。

 

「誰が、何を教えているのか。それを確かめてきなさい」

 

 命じた枢機卿は、机に置いた紙を指で押さえた。

 娘を救った幼い神官に、アルトハイム家の当主が自ら礼を述べたという。

 東と西の公爵家。その両方に顔を覚えられた子どもだ。

 

「あの子を公爵家へ送られた方に、お尋ねになっては」

 

「尋ねる前に、こちらでも知っておきたいのです」

 

 静かな返事だった。

 俺はそれ以上、口を挟まなかった。同じ枢機卿の地位にある者同士だからこそ、面と向かって聞きにくいこともあるのだろう。

 

「本人には接触せず、普段どおりの様子を見てきなさい」

 

「承知いたしました」

 

 使っている術。接している人間。教会と屋敷を出入りする時間。

 まずは、そのあたりで足りるはずだった。

 

     ☆

 

 公爵邸へ入り込む必要はなかった。

 屋敷の使用人も、買い物には出る。仕事を終えれば、外で茶を飲むこともある。

 

 菓子屋の軒先で、若い侍女が包みを抱えていた。

 店主が釣り銭を取りに奥へ引っ込んだところで、俺は隣に立った。

 

「ローゼンベルク家の方でしたね」

 

「ええ」

 

「あそこの小さな神官様は、お元気ですか。教会で見かけたことがありまして」

 

 侍女の顔が、すぐにほころんだ。

 

「ノエルさんですか。元気ですよ。元気すぎて、休んでもらうほうが大変なくらい」

 

「そんなにお忙しいので?」

 

「お仕事を見つけるのがお上手なんです。こちらが何か落とせば拾ってくださるし、荷物を持っていれば手を貸そうとしてくださるし。ご自分の背丈と比べていただきたいわ」

 

 困ったと言う割に、声は楽しそうだった。

 俺はうなずき、話の続きを待つ。

 

「この間も踏み台を運ぼうとなさって。上の棚に手が届かないのに、先に私のほうを気遣ってくださるんですもの」

 

「屋敷の皆さんに、よくしてもらっているのですね」

 

「それはもう。あんなに小さいのに、言うことだけ聞いていると立派な殿方みたいで。お礼を言うと、きちんとこちらを見て笑ってくださるんです。格好いいのよねえ」

 

 褒めるところしかないらしい。

 帳面にはまだ何も書かず、頭の中に留めておく。

 

「ご令嬢とも仲がよろしい?」

 

「とても。お嬢様がノエルさんを連れてきてほしいとおっしゃった日から、もう、見違えるほど落ち着かれて」

 

 俺は侍女を見た。

 

「その日から?」

 

「ええ。それまでは、あれも嫌、これも嫌ということもございましたけれど。あ、まだ本当に幼い頃のお話ですよ」

 

「もちろん」

 

「お勉強も頑張られるようになって。ノエルさんも一生懸命でしょう。ご一緒に育っていらっしゃるのを見ると、こちらまで嬉しくなります」

 

 連れてきてほしいと言った日。

 来た日ではないのか。

 

「お二人はその前にもお会いに?」

 

「さあ。そこまでは存じませんけれど」

 

 侍女は首をかしげた。

 そこへ店主が戻り、釣り銭を差し出した。

 

「あら、私ったら。お屋敷のことをぺらぺらと」

 

 包みを持ち直した侍女が、少し顔を赤くする。

 

「どちらの方でしたかしら」

 

「教会へ品物を運ぶことがありまして。お元気なら何よりです」

 

 答えになりすぎない程度に答えて、店主へ道を譲った。

 侍女は会釈し、公爵邸の方角へ歩いていく。

 

 好かれている。

 少なくとも、あの侍女は疑いなくそうだった。

 だが、好かれている理由と、公爵家へ呼ばれた理由は、同じとは限らない。

 令嬢のことも、報告の端には残しておこう。

 

     ☆

 

 教会では、違う話が聞けた。

 

 若い神官は、ノエルの名を出した途端に眉を寄せた。

 礼拝を終えた人々が去り、脇の廊下には俺たちだけが残っていた。

 

「あの子が、何か?」

 

「ずいぶん力のある子どもだと聞きました。こちらで学んでいるのでしょう」

 

「学んでいる、ということにはなっていますね」

 

 言葉の端を、妙に強く切った。

 

「治癒はお得意だそうで」

 

「治癒だけではありません。攻撃に使う神術まで扱うんです。公女様を助けた件は、お聞きでしょう」

 

「噂には」

 

「あの年で、ですよ。普通は一つ覚えるだけでも苦労する。それなのに、別の術まで当然のように使う。誰に教わったのかと聞いても、教会で習いましたとしか言わない」

 

 その返事は、俺の持ち帰りたいものではなかった。

 俺は先を促した。

 

「先生方は何と?」

 

「よく勉強している、と。そういうことではないでしょう」

 

 神官は声を落とした。

 

「治癒を何度も使って、それでも倒れないんですよ。攻撃の術も使えるうえに、です。あんな小さな身体で、おかしいとは思いませんか」

 

「続けて、何人くらいに」

 

「人数までは。でも、私なら休まなければ続かない」

 

 実際にどれだけ使ったのかは、知らないらしい。

 しかし、術の種類が多いという話は、ほかでも確かめる価値がある。

 

「それだけではないんです。目を見たことは?」

 

「目?」

 

「術を使っているとき、印が出るんですよ。高位の神官様にしか出ないはずのものが」

 

 神官は自分の目元を指した。

 

「高位の方々の瞳に浮かぶのは、ハートの形でしょう。ですが、あいつのは星です。五つ尖った、あの星の形」

 

 俺は神官の顔を見た。

 印があるだけではなく、形が違う。

 

「誰かに、確かめていただいたのですか」

 

「確かめなくても、おかしいでしょう。あの歳で、あれほどの力ですよ。異端の術か、何か得体の知れないものに手を出しているのでは――」

 

 足音がした。

 若い神官の肩越しに、黒い服が見えた。

 胸元の印と、腰の剣。異端審問官だった。

 

「それでは。お仕事中に失礼しました」

 

 俺は先に頭を下げた。

 神官が何か言いかけたが、聞くために立ち止まることはしなかった。

 柱の角を曲がり、礼拝堂へ戻る。

 

 扉を抜ける前に、一度だけ振り返った。

 異端審問官は、別の廊下から現れた子どもを呼び止めていた。

 

「ノエル。今日はまだ仕事があるのか」

 

「こちらをお返しすれば、終わりでございます」

 

 子どもは抱えていた帳面を少し持ち上げた。

 声も顔も、ひどく落ち着いている。

 

「腕の具合は」

 

「もう痛みません。お心遣い、ありがとうございます」

 

 異端審問官はその腕を見て、短くうなずいた。

 詰問ではなかった。顔を知っている相手に、調子を尋ねただけだ。

 

 俺は扉の外へ出た。

 若い神官の続きは、おそらく聞かなくても分かる。

 異端ではないのか。

 だが、その疑いを取り締まる側の男は、子どもと普通に話していた。

 

     ☆

 

 翌日、ノエルは朝から大聖堂にいた。

 

 公爵家の馬車から降り、付き添いに頭を下げる。

 俺は通りの反対側から、その小さな背を見送った。

 途中で寄り道はしなかった。誰かと落ち合う様子もない。

 

 教会には、見知らぬ人間がいても不自然ではない。

 俺も礼拝に来た一人として中へ入り、しばらく長椅子に座った。

 ノエルが来たのは、それから少しあとのことだった。

 

 年長の神官と並んで、手当てを待つ人のところへ向かう。

 一人目は手を怪我した職人だった。

 子どもは傷を洗う手伝いをし、神官が確かめてから、その手へ自分の両手を添えた。

 

 淡い光がともる。

 

 顔を上げた瞬間、瞳の奥にも光が見えた。

 星だ。

 噂を聞いていなければ、光の映り込みだと思ったかもしれない。だが、細い線で結ばれた五芒星が、確かにそこにあった。

 

 職人が指を曲げてみせると、ノエルは笑った。

 続いて、足を引きずってきた女の話を聞く。

 こちらは神官に呼ばれ、布と水を取りに行っただけだった。

 

 何でも自分で治すわけではない。

 人が途切れると、ノエルは水を飲んだ。呼ばれればすぐに顔を上げ、次の患者を迎える。

 ここまで何人も治しているのに、足取りは変わらない。先ほどの神官が気にするのも分かる。

 

 俺は席を立った。

 光が消えたあと、印はどうなっている。

 もう少し近くで、それだけ確かめたかった。

 

 人の流れに合わせて廊下へ出る。

 ノエルは空になった水差しを持ち、奥へ歩いていった。俺も柱を二本挟んで、そのあとを追う。

 治療の場所から離れるにつれて、人の声が遠くなった。

 

 角を曲がった先で、水差しが台へ置かれた。

 

 足音が止まる。

 

 俺も止まった。

 柱の陰から見えるのは、白い袖の端だけだった。

 

「どなたか、御用でしょうか」

 

 俺は息を止めた。

 呼びかけは、こちらへ向いている。

 ほかの誰かに言ったのか。そう思いたかったが、ノエルはもう歩きだしていた。

 

「道をお探しでしたら――」

 

 俺は身を引いた。

 返事をするな。顔を見せるな。

 接触せずに調べるよう命じられている。ここで名前を尋ねられるわけにはいかない。

 

 来た道を戻り、礼拝堂を横切った。

 後ろで戸が開く音がした。走りたいのをこらえ、人の間を抜ける。

 外へ出てから角を二つ曲がり、ようやく歩みを緩めた。

 

 追ってくる足音はない。

 剣を抜かれたわけでも、衛兵を呼ばれたわけでもなかった。

 ただ、どなたか、と尋ねられただけだ。

 

 それで逃げた。

 

 壁に手をつき、呼吸を整える。

 こんな仕事は初めてではない。気配を殺し、相手の意識から外れて歩く。そのために何年も費やしてきた。

 

 俺の隠密を、そんじょそこらの人間が見破れるはずはない。

 聖騎士か、異端審問官か。そうでなければ、公爵家に仕える熟練の騎士くらいでなければ。

 

 あれは、八歳の子どもだろう。

 どうして、分かった。

 

     ☆

 

「ノエルの周囲を探っている者がいます」

 

 異端審問官は、扉を閉めてから告げた。

 机の向こうで、枢機卿が顔を上げる。

 六年前、公爵家へ行くよう幼いノエルに伝えた、その人だった。

 

「何かされましたか」

 

「今のところ、聞き込みと尾行です。昨日はうちの神官に話しかけていました。私が近づくと、すぐに離れた」

 

「なるほど」

 

「見覚えのある男です。別の枢機卿猊下のもとへ、報告に通っているのを以前から見ています」

 

 枢機卿は、持っていた筆を置いた。

 

「その方がノエルを調べさせていると」

 

「そう考えるのが自然かと。こちらで命じた調査ではありませんね」

 

「ええ」

 

「何かご存じですか」

 

 返事まで、わずかな間があった。

 

「あの子に何かできるとは思いません。放っておきなさい」

 

 異端審問官の眉が動いた。

 

「ノエルはまだ子どもです」

 

「承知しています」

 

「では、せめて本人に知らせるべきでは。相手が何を考えているかも分からないのに」

 

「分からないまま呼び止めれば、向こうも言い分を用意するでしょう。礼拝に来ただけだと」

 

「ですが」

 

「今は、手を出さなくてよろしい」

 

 穏やかな声だった。だが、問い直す余地はなかった。

 異端審問官は口を閉じ、しばらく机の向こうを見ていた。

 

「……承知しました」

 

 礼をして、扉へ向かう。

 出ていく前に振り返りかけたが、結局、何も言わなかった。

 

 扉が閉まった。

 

 枢機卿は足音が遠ざかるのを待った。

 机の上には、公爵家から届いた書状と、教会の仕事を書き留めた帳面が並んでいる。

 その一冊に記されたノエルの名を、指先でなぞった。

 

「これでよろしいのですよね、神よ」

 

 静かな部屋で、枢機卿の瞳に五芒星が輝いた。

 

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