何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~ 作:名もなきそば付き
調べる相手は、八歳の神官だった。
名はノエル。姓はない。
孤児院から王都の大聖堂へ移り、その翌日にはローゼンベルク公爵家に引き取られた。今は令嬢のそばで学びながら、教会でも働いている。
ずいぶんと異例の経歴だ。
だが、珍しい経歴の子どもというだけで、俺が素性を隠して探りに行く理由にはならない。
「誰が、何を教えているのか。それを確かめてきなさい」
命じた枢機卿は、机に置いた紙を指で押さえた。
娘を救った幼い神官に、アルトハイム家の当主が自ら礼を述べたという。
東と西の公爵家。その両方に顔を覚えられた子どもだ。
「あの子を公爵家へ送られた方に、お尋ねになっては」
「尋ねる前に、こちらでも知っておきたいのです」
静かな返事だった。
俺はそれ以上、口を挟まなかった。同じ枢機卿の地位にある者同士だからこそ、面と向かって聞きにくいこともあるのだろう。
「本人には接触せず、普段どおりの様子を見てきなさい」
「承知いたしました」
使っている術。接している人間。教会と屋敷を出入りする時間。
まずは、そのあたりで足りるはずだった。
☆
公爵邸へ入り込む必要はなかった。
屋敷の使用人も、買い物には出る。仕事を終えれば、外で茶を飲むこともある。
菓子屋の軒先で、若い侍女が包みを抱えていた。
店主が釣り銭を取りに奥へ引っ込んだところで、俺は隣に立った。
「ローゼンベルク家の方でしたね」
「ええ」
「あそこの小さな神官様は、お元気ですか。教会で見かけたことがありまして」
侍女の顔が、すぐにほころんだ。
「ノエルさんですか。元気ですよ。元気すぎて、休んでもらうほうが大変なくらい」
「そんなにお忙しいので?」
「お仕事を見つけるのがお上手なんです。こちらが何か落とせば拾ってくださるし、荷物を持っていれば手を貸そうとしてくださるし。ご自分の背丈と比べていただきたいわ」
困ったと言う割に、声は楽しそうだった。
俺はうなずき、話の続きを待つ。
「この間も、踏み台を運ぼうとなさって。上の棚に手が届かないのに、先に私のほうを気遣ってくださるんですもの」
「屋敷の皆さんに、よくしてもらっているのですね」
「それはもう。あんなに小さいのに、言うことだけ聞いていると立派な殿方みたいで。お礼を言うと、きちんとこちらを見て笑ってくださるんです。格好いいのよねえ」
褒めるところしかないらしい。
帳面にはまだ何も書かず、頭の中に留めておく。
「ご令嬢とも、仲がよろしい?」
「とても。お嬢様がノエルさんを連れてきてほしいとおっしゃった日から、もう、見違えるほど落ち着かれて」
俺は侍女を見た。
「その日から?」
「ええ。それまでは、あれも嫌、これも嫌ということもございましたけれど。あ、まだ本当に幼い頃のお話ですよ」
「もちろん」
「お勉強も頑張られるようになって。ノエルさんも一生懸命でしょう。ご一緒に育っていらっしゃるのを見ると、こちらまで嬉しくなります」
連れてきてほしいと言った日。
来た日ではないのか。
「お二人は、その前にもお会いに?」
「さあ。そこまでは存じませんけれど」
侍女は首をかしげた。
そこへ店主が戻り、釣り銭を差し出した。
「あら、私ったら。お屋敷のことをぺらぺらと」
包みを持ち直した侍女が、少し顔を赤くする。
「どちらの方でしたかしら」
「教会へ品物を運ぶことがありまして。お元気なら何よりです」
答えになりすぎない程度に答えて、店主へ道を譲った。
侍女は会釈し、公爵邸の方角へ歩いていく。
好かれている。
少なくとも、あの侍女は疑いなくそうだった。
だが、好かれている理由と、公爵家へ呼ばれた理由は、同じとは限らない。
令嬢のことも、報告の端には残しておこう。
☆
教会では、違う話が聞けた。
若い神官は、ノエルの名を出した途端に眉を寄せた。
礼拝を終えた人々が去り、脇の廊下には俺たちだけが残っていた。
「あの子が、何か?」
「ずいぶん力のある子どもだと聞きました。こちらで学んでいるのでしょう」
「学んでいる、ということにはなっていますね」
言葉の端を、妙に強く切った。
「治癒はお得意だそうで」
「治癒だけではありません。攻撃に使う神術まで扱うんです。公女様を助けた件は、お聞きでしょう」
「噂には」
「あの年で、ですよ。普通は一つ覚えるだけでも苦労する。それなのに、別の術まで当然のように使う。誰に教わったのかと聞いても、教会で習いましたとしか言わない」
その返事は、俺の持ち帰りたいものではなかった。
俺は先を促した。
「先生方は、何と?」
「よく勉強している、と。そういうことではないでしょう」
神官は声を落とした。
「治癒を何度も使って、それでも倒れないんですよ。攻撃の術も使えるうえに、です。あんな小さな身体で、おかしいとは思いませんか」
「続けて、何人くらいに」
「人数までは。でも、私なら休まなければ続かない」
実際にどれだけ使ったのかは、知らないらしい。
しかし、術の種類が多いという話は、ほかでも確かめる価値がある。
「それだけではないんです。目を見たことは?」
「目?」
「術を使っているとき、印が出るんですよ。高位の神官様にしか出ないはずのものが」
神官は自分の目元を指した。
「高位の方々の瞳に浮かぶのは、ハートの形でしょう。ですが、あいつのは星です。五つ尖った、あの星の形」
そこで初めて、俺は聞いた話をはっきり覚え直した。
印があるだけではなく、形が違う。
「誰かに、確かめていただいたのですか」
「確かめなくても、おかしいでしょう。あの歳で、あれほどの力ですよ。異端の術か、何か得体の知れないものに手を出しているのでは――」
足音がした。
若い神官の肩越しに、黒い服が見えた。
胸元の印と、腰の剣。異端審問官だった。
「それでは。お仕事中に失礼しました」
俺は先に頭を下げた。
神官が何か言いかけたが、聞くために立ち止まることはしなかった。
柱の角を曲がり、礼拝堂へ戻る。
扉を抜ける前に、一度だけ振り返った。
異端審問官は、別の廊下から現れた子どもを呼び止めていた。
「ノエル。今日は、まだ仕事があるのか」
「こちらをお返しすれば、終わりでございます」
子どもは抱えていた帳面を少し持ち上げた。
声も顔も、ひどく落ち着いている。
「腕の具合は」
「もう痛みません。お心遣い、ありがとうございます」
異端審問官はその腕を見て、短くうなずいた。
詰問ではなかった。顔を知っている相手に、調子を尋ねただけだ。
俺は扉の外へ出た。
若い神官の続きは、おそらく聞かなくても分かる。
異端ではないのか。
だが、その疑いを取り締まる側の男は、子どもと普通に話していた。
☆
翌日、ノエルは朝から大聖堂にいた。
公爵家の馬車から降り、付き添いに頭を下げる。
俺は通りの反対側から、その小さな背を見送った。
途中で寄り道はしなかった。誰かと落ち合う様子もない。
教会には、見知らぬ人間がいても不自然ではない。
俺も礼拝に来た一人として中へ入り、しばらく長椅子に座った。
ノエルが来たのは、それから少しあとのことだった。
年長の神官と並んで、手当てを待つ人のところへ向かう。
一人目は手を怪我した職人だった。
子どもは傷を洗う手伝いをし、神官が確かめてから、その手へ自分の両手を添えた。
淡い光がともる。
顔を上げた瞬間、瞳の奥にも光が見えた。
星だ。
噂を聞いていなければ、光の映り込みだと思ったかもしれない。だが、細い線で結ばれた五芒星が、確かにそこにあった。
職人が指を曲げてみせると、ノエルは笑った。
続いて、足を引きずってきた女の話を聞く。
こちらは神官に呼ばれ、布と水を取りに行っただけだった。
何でも自分で治すわけではない。
人が途切れると、ノエルは水を飲んだ。呼ばれればすぐに顔を上げ、次の患者を迎える。
ここまで何人も治しているのに、足取りは変わらない。先ほどの神官が気にするのも分かる。
俺は席を立った。
光が消えたあと、印はどうなっている。
もう少し近くで、それだけ確かめたかった。
人の流れに合わせて廊下へ出る。
ノエルは空になった水差しを持ち、奥へ歩いていった。俺も柱を二本挟んで、そのあとを追う。
治療の場所から離れるにつれて、人の声が遠くなった。
角を曲がった先で、水差しが台へ置かれた。
足音が止まる。
俺も止まった。
柱の陰から見えるのは、白い袖の端だけだった。
「どなたか、御用でしょうか」
俺は息を止めた。
呼びかけは、こちらへ向いている。
ほかの誰かに言ったのか。そう思いたかったが、ノエルはもう歩きだしていた。
「道をお探しでしたら――」
俺は身を引いた。
返事をするな。顔を見せるな。
接触せずに調べるよう命じられている。ここで名前を尋ねられるわけにはいかない。
来た道を戻り、礼拝堂を横切った。
後ろで戸が開く音がした。走りたいのをこらえ、人の間を抜ける。
外へ出てから角を二つ曲がり、ようやく歩みを緩めた。
追ってくる足音はない。
剣を抜かれたわけでも、衛兵を呼ばれたわけでもなかった。
ただ、どなたか、と尋ねられただけだ。
それで逃げた。
壁に手をつき、呼吸を整える。
こんな仕事は初めてではない。気配を殺し、相手の意識から外れて歩く。そのために何年も費やしてきた。
俺の隠密を、そんじょそこらの人間が見破れるはずはない。
聖騎士か、異端審問官か。そうでなければ、公爵家に仕える熟練の騎士くらいでなければ。
あれは、八歳の子どもだろう。
どうして、分かった。
☆
「ノエルの周囲を探っている者がいます」
異端審問官は、扉を閉めてから告げた。
机の向こうで、枢機卿が顔を上げる。
六年前、公爵家へ行くよう幼いノエルに伝えた、その人だった。
「何かされましたか」
「今のところ、聞き込みと尾行です。昨日は、うちの神官に話しかけていました。私が近づくと、すぐに離れた」
「なるほど」
「見覚えのある男です。別の枢機卿猊下のもとへ、報告に通っているのを以前から見ています」
枢機卿は、持っていた筆を置いた。
「その方がノエルを調べさせていると」
「そう考えるのが自然かと。こちらで命じた調査ではありませんね」
「ええ」
「何か、ご存じですか」
返事まで、わずかな間があった。
「あの子に何かできるとは思いません。放っておきなさい」
異端審問官の眉が動いた。
「ノエルは、まだ子どもです」
「承知しています」
「では、せめて本人に知らせるべきでは。相手が何を考えているかも分からないのに」
「分からないまま呼び止めれば、向こうも言い分を用意するでしょう。礼拝に来ただけだと」
「ですが」
「今は、手を出さなくてよろしい」
穏やかな声だった。だが、問い直す余地はなかった。
異端審問官は口を閉じ、しばらく机の向こうを見ていた。
「……承知しました」
礼をして、扉へ向かう。
出ていく前に振り返りかけたが、結局、何も言わなかった。
扉が閉まった。
枢機卿は足音が遠ざかるのを待った。
机の上には、公爵家から届いた書状と、教会の仕事を書き留めた帳面が並んでいる。
その一冊に記されたノエルの名を、指先でなぞった。
「これでよろしいのですよね、神よ」
静かな部屋で、枢機卿の瞳に五芒星が輝いた。