何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。

悪役令嬢モノなのにこの章でも学園に行かないと思われ...。


第二章  予定になかった縁
第十九話☆聖女候補のいる場所


 王城へ上がった日の服は、衣装タンスの中にしまってある。

 今朝、袖を通したのは、洗い慣れた神官服だった。

 裾を整え、祈祷書を鞄へ入れる。今日は大聖堂から、南の地区にある小さな教会へ向かうことになっていた。

 

「南のほうへ行くのね」

 

 朝食のあと、お嬢様が尋ねた。

 俺は卓の脇に立ち、今日の予定をお伝えした。

 

「はい。治療のお手伝いと、薬の届け物がございます」

 

「帰りも先生と?」

 

「教会まで一緒に戻ります。屋敷へは、いつもの馬車で」

 

 お嬢様は一つうなずき、俺の鞄に目を落とした。

 

「それ、重くない?」

 

「帳面と祈祷書だけですので」

 

「そう。では、お昼を食べ損ねないようにね」

 

 鞄を取り上げることも、予定を変えることもなさらなかった。

 その代わり、俺が部屋を出るまで、こちらを見ていた。

 

 クラウディア様を助けた日のことが、まだご心配なのだろう。

 あれから、教会の外出では同行する者と帰る時刻を、前より細かく伝えるようになっている。

 俺自身も、勝手に寄り道をするわけにはいかなかった。

 

 それでも、南の教会へ行けるのは都合がよい。

 フィオナが暮らしていた家は、そこから遠くない場所にあった。

 

     ☆

 

 八歳になった今も、あの路地の奥へは入れていない。

 

 去年の買い出しは、誘拐事件のために途中で終わった。

 そのあとは大聖堂での仕事が続き、外へ出ても決められた店を回るだけだった。屋敷へ迎えに来る馬車を待たせてまで、抜け出すことはできない。

 無理をして不審を買えば、この先に動ける機会まで失う。

 

 前の周で、フィオナに近づいたのはもう少しあとだ。

 彼女が光の力に目覚め、教会の庇護に入るよりも前。

 まだ時間はあるはずだった。

 

 だが、今周は俺が公爵家へ行く時期も、クラウディア様と会う場所も変わっている。

 覚えている日付だけを頼りに、いつまでも先延ばしにはできない。

 

「今日は治療を待つ方のお名前を聞いてください」

 

 隣を歩く先生が言った。

 荷車には薬の包みと清潔な布が載っている。年長の見習いが押し、先生と俺がその横についていた。

 

「向こうの方だけでは、受付まで手が回らないそうです」

 

「治癒は、使わなくてもよろしいのですか」

 

「必要になれば頼みます。まず、何に困って来たのかを聞いてくださいね」

 

「承知いたしました」

 

 南の教会では、普段は薬と手当てが中心になる。

 神術を使える者が来る日は人が増えるので、大聖堂からも時折、手伝いを送っているらしい。

 俺が行くのは、今回が初めてだった。

 

 荷車が石畳のくぼみを越え、包みが一つ揺れた。

 落ちる前に押さえる。

 年長の見習いに礼を言われ、手を離した。

 

 この身体での歩幅や、届く距離は、もう分かっている。

 荷車ごと支える力はなくても、包みを押さえるのに困るほどではない。

 俺は足を緩めず、道の向こうへ目をやった。

 

 橋の手前に、去年も見たパン屋があった。

 その先の路地には洗濯物が渡され、白い布の下を人がくぐっていく。

 フィオナの家へ続く道だ。

 

 教会へは、次の角を曲がる。

 俺は路地の位置を確かめてから、先生のあとについていった。

 

     ☆

 

 南の教会には、大聖堂のような高い塔はなかった。

 鐘を吊った小さな屋根があり、入口の前に長椅子が三つ並んでいる。

 既に二つは埋まっていた。

 

 先生が迎えの神官と話している間に、荷車の包みを運び込む。

 薬を置く棚の前には、脚の短い踏み台があった。背の低い者もここで仕事をするらしい。

 

「そちらは下から二段目へお願いします」

 

 横から声がした。

 

 桃色の髪だった。

 顎のあたりで切りそろえられた髪の先が、白い襟に触れている。

 薄いクリーム色の、飾り気のないワンピースに、仕事用の前掛けをつけている。棚の位置を示していた指が、俺を見て止まった。

 

 包みを持つ手に、力が入った。

 

 幼い。

 けれど、見間違えるはずがなかった。

 

 聖女フィオナ。

 お嬢様の婚約が壊れ、学園で居場所を失う、その始まりにいた少女。

 そして、前の周で俺が殺した相手だった。

 

「……ここでしょうか」

 

 声は、普段どおりに出た。

 

「はい。あ、でも、奥にあるほうを先に使うから」

 

 少女が踏み台へ乗る。

 既にあった包みを手前へ寄せ、今届いたものの場所を空けた。

 俺はそこへ薬を置いた。

 

 棚の脇には、大人用の前掛けが二枚、掛けてあった。

 少女のものは、それより短く仕立て直してある。ここへ来たのは、今日が初めてではない。

 棚の位置に迷う様子もなく、使いかけの布を取り出し、籠の底へ敷いていく。

 俺の知らないところで、この場所へ通い、やり方を教わっていたのだ。

 

 どうして、ここにいる。

 

 家へ行く方法を考えていた。

 いつなら母親と離れるのか。今は何をして過ごしているのか。

 確かめるはずだった相手が、教会の棚の前に立っている。

 

「大聖堂から来てくださった方ですよね」

 

「はい」

 

「私、フィオナといいます」

 

 知っている。

 そう答えないよう、わずかに息を置いた。

 

「ノエルと申します」

 

 少女の顔が、ぱっと明るくなった。

 踏み台から下りようとした足が止まり、慌てて棚につかまり直す。

 

「やっぱり」

 

「……何か?」

 

「いえ。お会いできて、うれしいです」

 

 まだ、挨拶をしただけだ。

 だが、彼女は古い知り合いに会えたように笑っていた。

 

 昔も、こういう笑い方をした。

 殿下も、ご子息たちも、皆がそれを自分に向けられた特別なものだと思った。

 俺は棚から一歩離れ、入口にいる先生を見た。

 

 フィオナは空になった籠を持ち、俺と一緒に先生のところへ戻った。

 

「先生、薬はこちらへ置きました」

 

「ありがとう。ノエルとも挨拶ができましたか」

 

「はい」

 

 こちらの神官がうなずく。

 

「この子も最近手伝いに来るようになりましてね。光の力を授かったばかりなのですが、よく働いてくれます」

 

 もう、目覚めている。

 

 俺は驚きを顔に出さないようにした。

 覚えている時期より早い。前の周のやり方を、そのまま繰り返すことはできなくなった。

 

「お母様と、お近くにお住まいなのですか」

 

 尋ねたのは先生だった。

 

「はい。橋の近くです。夕方までに戻る約束をしています」

 

 家は変わっていない。

 母親も、まだいる。

 違うのは、彼女が既に神の力を使えることだった。

 

 神官は、奥の机から紙を一枚取った。

 

「大聖堂でも改めて見ていただく予定です。枢機卿様からお口添えをいただけるそうで」

 

 先生が、その紙の署名を確かめた。

 脇から見えた名は、俺を公爵家へ送り出してくださった枢機卿様のものではない。

 

 フィオナの後ろ盾となる方だ。

 その点は、過去と同じだった。

 

 聖女候補として扱われる前に、と思っていた。

 しかし、教会はもう、この子を見つけている。

 

「ノエル。入口をお願いできますか」

 

「はい」

 

 今、考え込んでいるわけにはいかない。

 俺は帳面を持ち、待っている人たちの前へ出た。

 

     ☆

 

 名前を聞くだけでは、順番は決められなかった。

 

 早く来た人から書き留めていると、後ろの女性が、抱いていた子を見せた。

 顔が赤い。母親の肩に頬をつけ、呼ばれても目を開けない。

 先生を呼び、先に中へ入っていただく。

 

 長椅子の端で、男が膝を叩いた。

 

「こっちは鐘が鳴る前からいるんだぞ」

 

「申し訳ございません。順番は覚えております。ですが、あのお子さんは――」

 

「分かってるよ。熱があるんだろ」

 

 男は言い終えてから、顔を背けた。

 袖をまくった腕に、昨日ついたらしい傷がある。力仕事をする方なのだろう。

 気が立っているのは、待たされた時間だけが理由ではなさそうだった。

 

「お仕事へ、戻られるお時間がございますか」

 

「昼までに戻れなきゃ、今日の分はほかへ回される」

 

 傷を治すことより、その先が心配なのだ。

 俺は時刻を確かめ、先生へ伝えることにした。

 

 そのとき、フィオナが水差しを持ってきた。

 

「お水、飲めますか。今朝からいらしたんですよね」

 

「ああ。すまんな」

 

 男が杯を受け取る。

 少女はすぐには離れず、腕の傷へ視線を向けた。

 その手が、少し上がる。

 

 俺は帳面を閉じた。

 今、ここで勝手に治療を始めれば、入口で待っている全員が彼女へ集まる。

 まだ中で処置を受けていない人もいるのだ。

 

「フィオナ様」

 

 呼ばれて、彼女はこちらへ顔を向けたが、視線は俺の少し横で止まった。

 そこには誰もいない。

 フィオナは上げかけた手を下ろし、自分の前掛けの前へ戻した。

 

「……先生に、聞いてきますね」

 

 そう言って、先に中へ入った。

 

 言いかけていた注意が、口の中に残った。

 俺は背中を見送ったあと、帳面を開き直した。

 

 少しして、神官が入口へ出てきた。

 男の傷と、ほかに待っている人の具合を順に確かめる。

 俺たちは指示を受け、入口とは別の長椅子を空けた。軽い手当てで済む方は、そちらで見ていただくことになった。

 

 フィオナは杯を集めた。

 男に笑いかけ、返された杯を籠へ入れる。

 治療を頼まれても、その場で一人ずつ引き受けることはしなかった。

 

 教わったばかりだから、守れているのかもしれない。

 周囲に先生がいるから、勝手を控えたのかもしれない。

 

 たった一度のことで、判断するべきではなかった。

 

 だが、俺の知るフィオナなら、どうしただろう。

 困っているのだからと、先に手を伸ばしてはいなかったか。

 

 相手が困っていても、まず周りを見てほしい。手を差し出す前に、誰かに確かめてほしい。

 あれほど繰り返し、言い聞かせた。

 お嬢様の安全がかかっていたのだ。忘れるはずがない。

 それでも変わらなかった彼女が、今は自分から手を止めた。

 

 入口の人が途切れた頃、彼女が隣へやって来た。

 

「ノエルさん。お名前の横の、これは何ですか」

 

「先ほどの方が、お昼までにお仕事へ戻りたいとおっしゃっていたので。先生へお伝えするためです」

 

「怪我のことだけじゃないんですね」

 

「ご事情が分かれば、できることもございますから」

 

 フィオナは、帳面の小さな書き込みを見つめた。

 やがて顔を上げると、また、あのうれしそうな顔になる。

 

「私も教えていただいていいですか」

 

 返事をするまでに、少し間が空いた。

 

 教えたことはある。

 何度も。言葉を変えて、場所を変えて。

 それで、お嬢様を救おうとしたことがある。

 

「……私に分かることであれば」

 

「ありがとうございます」

 

 彼女は俺の手元を見るために身を寄せ、近づきすぎたと気づいたように、半歩身を引いた。

 

 初めて会ったはずの相手に、どうしてこれほど気を許せるのだろう。

 こちらが抱えているものなど、知らないにしても。

 

 ああ、もう。ここで殺してしまおうか。

 何も知らずに笑いかけられるたび、そんな考えが浮かぶ。

 また話を聞いて、また信じて、同じことになったら。

 そのとき失うのは、お嬢様なのだ。

 

 俺は、息を吐いた。

 だが、この子が俺を知っているらしい理由さえ、まだ聞いていない。

 

「私のことを、どなたかからお聞きになりましたか」

 

 フィオナの指が、籠の持ち手を握り直した。

 隠し事を見つけられた子のような顔だった。

 

「はい」

 

 少女は、俺を見上げた。

 

「会ってみたかったんです。ずっと」

 

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