何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

2 / 6

【挿絵表示】

一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。
書けたので投稿。次の話までは繋がり的に今日中に投稿予定。


第二話♡三十七回目――最後の失敗

「白と、こちらの白。あなたはどちらがいいと思う?」

 

 違いが分からない。

 

 机に広げられた二枚の布を、俺は真剣に見比べた。

 どちらも白い。窓からの光を受け、片方には少しだけ黄色みがあるようにも見えた。

 

「……右でしょうか」

 

「あら。理由を聞いても?」

 

「お嬢様のお髪に、よく合うかと」

 

 お嬢様は右の布を持ち上げ、肩へ当てた。

 金色の巻き髪が、その上を滑る。

 

「そうね。私も、こちらが好きだわ」

 

 向かいの仕立屋が、ほっとした顔で帳面に書き込んだ。

 どうやら、正解だったらしい。

 

 よかった。

 

 結婚式の衣装なのだ。俺の好みで、妙なものを選ばせるわけにはいかない。

 

「殿下には、どちらでもよいと言われてしまったの」

 

「お嬢様なら、どちらもお似合いになるということでしょう」

 

「あなたまで同じことを言わないでちょうだい。せっかく選んでもらったのに」

 

「失礼いたしました」

 

 叱る声にも、笑いが混じっている。

 

 窓の外で、庭師が枝を切っていた。

 昔は俺の背にも届かなかった木が、今は二階の窓を隠しかけている。執事長は髪に枝葉が落ちるのを嫌い、少し離れたところから指示を出していた。

 

 穏やかな午後だった。

 

 誰もお嬢様を責めない。

 招待状を破り捨てる者も、扉の向こうで泣く侍女もいない。

 

 学園は、無事に卒業できた。

 婚約も続いている。

 

 お嬢様と第二王子殿下の結婚は、一年後だ。

 

「袖も、少し変えていただこうかしら」

 

 お嬢様が布を広げる。

 その姿に白い婚礼衣装を重ねた途端、胸の奥を細い刃で突かれた。

 

 息が止まる。

 

「ノエル?」

 

「はい」

 

「今、顔色が悪くなったわよ」

 

「少し、寝不足で」

 

 嘘は、ずいぶん上手になった。

 

 お嬢様は眉を寄せたが、仕立屋が差し出す見本帳へ視線を戻した。

 俺は背後へ下がり、気づかれないように胸を押さえる。

 

 近頃、結婚の話になると、こうなる。

 

 日取りを決めたときも。

 殿下から贈られた首飾りを、お嬢様がつけたときも。

 

 まだ、何か見落としているのだろうか。

 

 俺は窓に映る部屋を見た。

 扉の位置。使用人の顔。仕立屋の荷物。

 

 おかしなものは、何もない。

 

 大丈夫だ。

 今回は、うまくいっている。

 

     ♡

 

 あの娘は、この春の卒業式にはいなかった。

 

 そもそも、学園へ入っていない。

 光の魔法に目覚めるより前に、俺が殺したからだ。

 

 説得したことはある。

 お嬢様に近づけさせなかったこともある。

 礼儀を教えようとしたことも、殿下との間に割って入ったことも。

 

 それで、何が変わった。

 

 お嬢様の死に方だけだ。

 

 だから今回は、誰にも相談しなかった。

 

 教会で地位を得て、仕事を選べるようになった。

 人に見られず出歩く方法も、帰りが遅れた理由の作り方も覚えた。

 

 お嬢様は何も知らない。

 

 知らなくていい。

 

 式で交わす挨拶を練習し、嫁ぎ先へ連れていく侍女のことで悩み、俺には荷物の整理を頼んでくださればいい。

 

 その日の夕方、お嬢様は俺の机に積まれた書類を見て、呆れた顔をした。

 

「寝不足だと言ったばかりでしょう」

 

「こちらだけ済ませましたら」

 

「その『こちらだけ』が減ったところを、私は見たことがないのだけれど」

 

 帳面の上に、白い手が置かれた。

 

「今日はおしまい」

 

「ですが」

 

「お茶に付き合いなさい。私のそば付きでしょう」

 

 逆らえるはずもない。

 

 俺が椅子を引くと、お嬢様は満足そうに笑った。

 

 ああ。

 

 この方は、こうやって笑っていればいい。

 

 そのためなら、俺の手がどれだけ汚れても構わない。

 

     ♡

 

 最初の報せは、夕食の途中で届いた。

 

 国境の砦が落ちた。

 

 公爵様は食器を置き、使者を別室へ通した。お嬢様は侍女に食事を下げさせ、奥様の隣で静かに待った。

 

 その夜のうちに、二度目の使者が来た。

 

 夜明けには、大聖堂の鐘が鳴り続けていた。

 

 魔王が現れた。

 

 俺は書状を読み直した。

 読み直しても、文字は変わらなかった。

 

 こんな先があるなんて、知らなかった。

 

 いつもは、ここまで来る前に終わっていた。

 お嬢様のいなくなった世界に残り、その後の歴史を眺めたことなど、一度もなかった。

 

 王家との婚礼の準備は止まった。

 

 公爵様は王城へ通い、屋敷では薬と食料の手配が始まった。俺も教会の救護に駆り出された。

 

 大聖堂の床に寝台が並ぶ。

 最初は通路が残っていた。やがて、横向きでなければ通れなくなった。

 

 癒やしても、癒やしても、次が運ばれてくる。

 

 勝ったという報せのあとに、守り切れなかった町の名が続いた。

 地図に引かれる線が、少しずつ王都へ近づく。

 

 お嬢様を東の領地へ移す話が出たとき、俺は賛成した。

 海へ出る道もある。王都で逃げ場を失うよりは、ずっといい。

 

 ところが、出立を待つ間に、避難民を受け入れていた王都外の宿営地が襲われた。

 

 お嬢様は、救援物資を届けに来ていた。

 

 俺が見たときには、倒れた荷車の前に立っていた。

 背後には、動けない子供がいた。

 

 拾った護衛の剣を、両手で握っていた。

 

「お嬢様、下がって!」

 

 間に合わない。

 この身に神を降ろしても、間に合わない。

 

 魔物の爪が振り下ろされる。

 俺は走った。結界を伸ばした。

 

 その向こうで、光が弾けた。

 

 爪も、腕も、その先にあった巨体までが裂けた。

 

 お嬢様は剣を握ったまま、呆然と立っていた。

 刃には、まだ白い光が残っている。

 

 勇者の血だ、と誰かが言った。

 

 公爵家だけではない。古い貴族の家々には、そうした祖先の話がいくつも残っている。

 だが、血を引くことと、その力を使えることは違う。

 

 お嬢様の手から、剣が落ちた。

 

 倒れる前に抱き留める。

 腕が震えていた。立ち上がろうとする膝が、力を失って折れた。

 

「子供は」

 

「無事です」

 

「そう。よかった」

 

 お嬢様は笑った。

 

 俺は、笑えなかった。

 

     ♡

 

 追ってくる連中は、荷物にも馬にも目をくれなかった。

 

 お嬢様だけを狙っていた。

 

 東へ向かう街道で二度襲われ、隊を分けた。

 護衛が敵を引きつける間に、俺たちは川沿いの旧道へ入った。

 

 それでも、追手は来た。

 

 最初の一人を、大剣で斬った。

 返す刃で二人目の短剣を弾く。

 

 手応えが軽い。

 飛び退かれた。

 

 逃がす。

 追えば、背後が空く。

 

「私の後ろへ」

 

「分かっているわ」

 

 お嬢様の声が近い。

 よかった。まだ、俺の手が届く。

 

 右から来た刃を受け、左側の木々との間に結界を張る。

 乾いた音を立てて、細い矢が砕けた。

 

 一人なら斬れる。

 二人でも、まだ何とかなる。

 

 だが連中は、俺と斬り合うつもりがなかった。

 

 一人が踏み込み、残りが散る。

 俺が大剣を振り切るのを待って、お嬢様へ刃を向ける。

 

 止めるたびに、腕や脇腹が少しずつ削られた。

 

 お嬢様も剣を抜いた。

 白い光が刃を走る。

 

 敵が引く。

 その一瞬に、二人で道を駆けた。

 

 けれど、光はすぐに消えた。

 お嬢様が木の幹に手をつく。俺は肩を貸し、そのまま歩かせた。

 

「ごめんなさい。さっきのようには」

 

「十分でございます。道が空きました」

 

 嘘ではない。

 何歩かは稼げた。

 

 それだけだ。

 

 進む先に、黒い影が降りた。

 後ろで枝が折れる。

 

 左は崖だった。

 はるか下で、川が白く泡立っている。

 

 右の斜面に踏み込めば、木々に視界を遮られ、敵に囲まれる。

 正面の一人を斬り倒しても、その間に後ろが来る。

 

 考えている時間を、敵はくれなかった。

 

 お嬢様へ伸びた刃に、大剣を合わせた。

 同時に、別の影が足元へ潜り込む。

 

 身体をひねって、お嬢様を引き寄せた。

 

 踵の下で、土が崩れた。

 

 視界が傾く。

 

 大剣を手放した。

 空いた腕をお嬢様の背へ回し、二人を包むだけの結界を張った。

 

 衝撃。

 

 光が割れた。

 口の中に鉄の味が広がり、それもすぐに冷たい水へさらわれた。

 

 上下が分からない。

 服が重い。

 

 腕の中の身体が、離れかけた。

 

 それだけは、駄目だ。

 

 俺は指を食い込ませた。

 

     ♡

 

 岸へ這い上がったとき、右腕が動かなかった。

 

 左手と膝で身体を引きずり、お嬢様を水際から離した。

 頬に触れる。

 

 冷たい。

 

「お嬢様」

 

 返事がない。

 

 金色の髪が、顔に張りついていた。

 払おうとした指が滑り、頬に泥をつけた。

 

「お嬢様、聞こえますか」

 

 祈る。

 胸元へ触れ、残った力を送り込む。

 

 いつもなら、考えずにできる。

 なのに、指先の光は頼りなく明滅するばかりだった。

 

 足りない。

 

 落ちるときに使いすぎた。

 分かっている。分かっているから、今だけは。

 

 俺は顔を寄せ、唇を重ねて息を送り、祈りをつないだ。

 裂けた口の傷が開く。赤いものが、お嬢様の唇の内側へ混じった。

 

 拭う余裕もなかった。

 

 息をしてください。

 どうか。

 

 お嬢様の身体が震えた。

 咳が漏れ、指が俺の袖をつかむ。

 

 俺は額を落としかけた。

 

 生きている。

 

「大丈夫です。すぐに、暖かい場所へ」

 

 その先を、足音が遮った。

 

 川下の斜面から、黒い服の男が降りてくる。

 その後ろに、もう一人。

 

 降りる道があったのか。

 

 俺は川を見た。

 お嬢様の顔を見た。

 

 もう一度、泳がせることはできない。

 

 立ち上がる。

 膝が笑った。

 

 剣はない。

 右腕も使えない。

 

 左手を握り、祈りの続きを口にした。

 

 男たちの足が止まる。

 俺の手に灯った光を、警戒している。

 

 いいぞ。

 少しでいい。そこで待っていろ。

 

「お嬢様。少し、目を閉じていてください」

 

 返事を待たず、前へ出た。

 

     ♡

 

 ノエルの背中が、すぐそこにあった。

 

 私は声を出そうとした。

 喉が痛んで、咳にしかならなかった。

 

 彼の右腕から、水が滴っている。

 指の先を伝って落ちた雫は、石の上で赤く広がった。

 

 逃げて。

 

 そう言いたかった。

 

 私を引き上げるだけでも、ひどく苦しかったはずだ。

 それなのに彼は、一度も私を責めなかった。

 

 左手の光が、薄い壁になる。

 黒い服の男たちが、その前で足を止めた。

 

 私も、戦わなくては。

 

 手を伸ばす。

 剣はなかった。身体を起こそうとしても、肘が崩れた。

 

 あの光を。

 子供を助けたときの、あの力を。

 

 何も起こらない。

 

 こんなときに使えなくて、何のための力なの。

 

 ノエルが一人を殴り倒した。

 その脇を、別の男が抜けた。

 

 こちらへ来る。

 

 ノエルが戻った。

 

 間に立つために、戻ってきてしまった。

 

 鈍い音がした。

 彼の身体が揺れた。

 

「ノエル」

 

 やっと呼べた声は、ひどく小さかった。

 

 彼が振り返る。

 いつものように、私の言いつけを待つ顔だった。

 

 どうして。

 

 仕事を頼めば引き受けた。

 お茶に呼べば、忙しくても来てくれた。

 難しいことを言っても、少し困った顔をして、結局はかなえてくれた。

 

 私はそれを、ずっと当たり前のように受け取っていた。

 

 白い布を選んでもらった日のことが浮かんだ。

 

 殿下は、どちらでもよいとおっしゃった。

 ノエルは違いも分からないくせに、いつまでも真剣に見比べていた。

 

 私が選んでほしいと言ったから。

 

 もっと、違うことを頼めばよかった。

 

 お茶の時間だけではなく。

 庭を歩く間だけでもなく。

 

 ずっと、そばにいてほしいと。

 

 彼が膝をついた。

 倒れかけながらも、私の前から退こうとはしなかった。

 

「申し訳、ありません」

 

 謝らないで。

 

「今度こそは、お守り、すると」

 

 何を言っているのか、よく分からなかった。

 

 けれど、悔しそうな声だった。

 自分の傷のことなど、少しも気にしていない声だった。

 

 私は手を伸ばした。

 泥だらけの袖に、指が届いた。

 

 いつも来てくれた。

 私が呼べば、必ず。

 

 こんなところにまで。

 

 彼の向こうで、刃が上がった。

 

 私は袖を握ろうとした。

 今度は私が離さないように。

 

 指に、力が入らなかった。

 

     ☆

 

 目を開けると、天蓋があった。

 

 川の音がしない。

 寒くもない。

 

 私は腕を持ち上げた。

 

 小さな手だった。

 泥も血もついていない。寝衣の袖からのぞく手首は、頼りないほど細かった。

 

 声を上げると、侍女が駆け寄ってきた。

 

 その顔を見て、また声が出た。

 何年も前に、結婚して屋敷を辞めた人だった。

 

 私は何度も、今日がいつなのか尋ねた。

 侍女は困りながら、同じ日付を繰り返した。

 

 まだ、ノエルがいない頃だった。

 

 夢だったのだろうか。

 

 袖を握る。

 あのときは、どうしても力が入らなかった。

 

 今は、握れる。

 

 私は寝台から降りようとして、侍女に抱き留められた。

 

「お父様に、お話があるの」

 

 声まで、小さくなっていた。

 

 それでも、話せる。

 今なら、お願いできる。

 

 きっと、もう一度会うためだ。

 

 私のそばに、ずっといてくれた人。

 最後まで、手を伸ばしてくれた人。

 

 あの人だったのだ。

 

 私は侍女の腕の中で、もう一度父を呼んでほしいと頼んだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。