何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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【挿絵表示】

二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第二十話☆なぜか懐かれる

「私のことを、どなたから?」

 

 聞き返すと、フィオナは少し考えた。

 俺は、教会で誰かが噂を広めている可能性を考えていた。幼い神官がいるという話だけなら、患者の口から伝わっていてもおかしくない。

 

「橋のそばのパン屋さんも、お話ししていました。大聖堂に、何度も治療をしてくれる、小さい神官様がいるって」

 

「こちらにも、いらっしゃる方なのですね」

 

「はい。ノエルさんはパン屋さんの手を治したんですよね」

 

 覚えはあった。

 粉の袋を運ぶときに、手首を痛めた方だ。先生が先に診て、俺が治癒を使った。

 俺だけが治したわけではないのだが、患者にしてみれば、光を出した者のほうが印象に残るのだろう。

 

「それで、ご存じだったのですか」

 

「それも、あります」

 

 ほかにもあるらしい。

 だが、問いを重ねる前に、奥から昼食の支度ができたと呼ばれた。

 

 フィオナが空の籠を持ち上げる。

 

「ノエルさんもこっちです」

 

 彼女は歩き出し、俺が来るのを待って、戸口で振り返った。

 こちらは、お前を殺すつもりで近づいたのだ。

 そんな顔で待たれる筋合いはない。

 俺は笑い返さず、彼女のあとについていった。

 

     ☆

 

 食事は、治療の部屋の裏にある長い卓で取った。

 昼の鐘が鳴っても患者は来るので、神官たちは交代で食べる。俺たちには先に座るよう言われた。

 

 フィオナは俺の向かいに腰を下ろした。

 パンを割り、温かいスープの椀を両手で囲む。

 

「いつもはお屋敷で食べるんですか」

 

「仕事の時間によります。大聖堂でいただく日もございます」

 

「公爵様のお屋敷って、大きいんですよね」

 

「ええ」

 

「お部屋、間違えませんか」

 

 出入りする貴族の名や、持ち物を尋ねられると思っていた。

 俺は一度、彼女の顔を見た。

 

「……今は、間違えません」

 

「今は?」

 

「初めは、覚える必要がありましたので」

 

 初めて仕えたときのことだ。

 今周は道を知っていたが、過去と家具の置き場所が違っている部屋はあった。

 フィオナは納得したようにうなずいた。

 

「大聖堂も広かったから。お祈りするところへ戻るつもりが、台所に出ちゃったんです」

 

「もう、大聖堂へは?」

 

「一度だけ。私の光を調べていただいて。今度は、祈り方やお勉強も、もっと教わるそうです」

 

 既に、そちらも済んでいるのか。

 俺の知らない日に来て、帰っていたらしい。

 

「お名前も書けるようにしないといけなくて」

 

 彼女は指で、卓の上に文字をなぞった。

 一文字だけ、線の向きが逆だった。

 

「こちらから、こうです」

 

 つい、指摘した。

 フィオナが指を止め、俺の示した向きでもう一度なぞる。

 

「こう?」

 

「はい」

 

「よかった。あとで紙にも書いてみます」

 

 それから、彼女は隣の見習いにも同じ文字を見せた。

 間違っていないか確かめてもらうと、満足したようにパンをかじる。

 

 字を直すのは、難しくない。

 決まった形を示し、繰り返せばよい。

 だが、人とどう接するかは、そう簡単には直らなかった。

 

 フィオナが、壁際の小さな卓へ視線を向けた。

 午前に診てもらった老婦人が、薬を待って座っている。付き添いの娘は、薬の説明を聞くために奥へ行っていた。

 

「あの方、お一人ですね」

 

 少女が椀を置く。

 俺は、椅子が引かれる音を聞いた。

 

「お嬢さんが、すぐお戻りになりますよ」

 

「でも、ずっと窓を見てるから」

 

 聞き覚えのある言い方だった。

 

 寂しそうだから。

 困っているように見えたから。

 だから、自分がそばに行く。

 

 俺はパンを置いた。

 

「お話ししたいのかどうかは、まだ分からないのでは」

 

 少し、硬い声になった。

 フィオナが振り返る。

 

「……そう、ですね」

 

 少女は老婦人の前へ行き、膝を折った。

 すぐに隣へ座らず、顔を見上げて何かを尋ねている。

 老婦人が口を開き、彼女はうなずいた。

 

 戻ってきたのは、ほんの少しあとだった。

 

「目を閉じて休みたいそうです。娘さんが戻ったら、起こしてほしいって」

 

 自分の席へ座り直す。

 それきり、老婦人へ話しかけに行くことはなかった。

 

 俺は、閉じられた目と、食事を再開した少女を交互に見た。

 

「お話を、しなくてもよかったのですか」

 

「休みたいなら、話しかけたら困るでしょう?」

 

 当たり前のように言う。

 その当たり前が、昔は通じなかった。

 

「……そうですね」

 

 フィオナが俺を見つめた。

 褒めてほしいのかと思ったが、違った。

 

「ノエルさん、私、また何か間違えましたか」

 

「いえ」

 

 首を振る。

 俺が比べているものを、彼女は知らない。

 

     ☆

 

 午後になると、治療の手伝いも頼まれた。

 先生が傷を確かめ、薬でよいものと、神術を使ったほうがよいものを分けていく。

 フィオナはまず、俺が治癒を使うところを見ることになった。

 

 椅子へ座ったのは、洗い物で指先を痛めた女性だった。

 手に触れる許しをいただき、祈る。

 深く割れていた指の傷が、薄い光の中で塞がった。

 

「動かしてみてください」

 

 女性が指を曲げる。

 もう一度伸ばし、今度は小さく握った。

 

「痛くない。ありがとうねえ」

 

「しばらく、傷のあったところを強くこすらないでくださいね」

 

 先生が付け加える。

 次の方のために布を替えようとしたとき、フィオナがこちらの顔をのぞき込んだ。

 

「本当に、同じなんですね」

 

「何がでしょう」

 

「目の中です。星が」

 

 少女は自分の目の下を指した。

 先生が横からうなずく。

 

 自分の印は、水面や鏡に映して見たことがある。

 だが、この子の目に何が出るかは、まだ見ていない。

 フィオナのほうは、前から知っていたことを確かめたような口ぶりだった。

 

「フィオナにも祈るときに印が出るそうです。ノエルと似ていますね」

 

 似ている。

 それでは、あの形ではないのか。

 

「見せていただいても、よろしいでしょうか」

 

「はい。あ、次の方は私がやってもいいですか」

 

 フィオナは俺ではなく、先生へ尋ねた。

 先生が傷を確認し、うなずいてから、彼女が椅子の前へ立つ。

 相手は、右の手の甲に擦り傷を作った少年だった。

 

「光が出るけど、びっくりしないでね。手を見せてくれる?」

 

 差し出された手の下へ、布を敷く。

 祈り始めた少女の瞳に、淡い光が浮かんだ。

 

 五つの頂点を結んだ、星の印。

 左右の瞳に、一つずつ。

 

 ハートではなかった。

 

 俺は少女の顔から、目を離せなかった。

 傷を覆う光は、俺の治癒とよく似ている。だが、それだけで何かを判断できるほど、瞳の印について詳しいわけではない。

 

 これまで見てきた彼女の瞳には、いつもハートの印があった。

 今周は、それが違う。

 確かなのは、それだけだった。

 

「もう一度、これもやって」

 

 少年が左の腕を出した。

 そこには古い傷痕があった。

 フィオナは手を伸ばしかけ、止めた。

 

「先生。前の傷も消せるんですか」

 

「新しい怪我とは違います。今日は無理に触らないほうがよいでしょう」

 

「ごめんね。これは、まだ私にはできないみたい」

 

 少年が口を尖らせた。

 

「右手は治ったのに」

 

「うん。でも、やってみて痛くしたら嫌だから」

 

 フィオナは困った顔のまま、言い直さなかった。

 何とかしてあげるとも、次は治せるとも約束しない。

 少年の母親が礼を言い、二人は部屋を出ていった。

 

 少女は、その背中をしばらく見ていた。

 頼まれたことを断って平気なわけではないらしい。

 

「……あの子、がっかりしましたね」

 

「今、できることはなさいました」

 

 俺が答えると、彼女はこちらを見た。

 

「でも、全部治ったほうが、うれしいでしょう?」

 

「それは、そうでしょうが」

 

「だから、もっと教わります。今度はできるかもしれないから」

 

 先生が笑って、今日の手当てを先に覚えましょうと言った。

 少女は「はい」と返事をして、使い終わった布を取り替えた。

 

 俺は、その横で自分の手を洗った。

 水は、昼より冷たくなっていた。

 

     ☆

 

 帰る時刻になると、フィオナは入口まで見送りに来た。

 母親が迎えに来るまで、残った布を畳むのだという。

 

「次も来ますか」

 

「まだ決まっておりません」

 

「そうですか」

 

 落胆を隠すのは、あまり上手ではないらしい。

 しかし、すぐに顔を上げた。

 

「私が大聖堂へ行く日は、お会いできるかもしれませんね」

 

「仕事の時間が合えば」

 

「そのときもお話ししていいですか」

 

 よくない、と言う理由が思いつかなかった。

 避ければ、相手の様子を知る機会もなくなる。

 

「……手が空いているときでしたら」

 

「はい。先に聞きます」

 

 彼女は両手を前でそろえ、俺たちに頭を下げた。

 頭を上げると、もう笑っていた。

 

 この子を殺すために、近づくつもりだった。

 

 教会から離れる道を歩きながら、俺はそのことを考えた。

 既に力を授かり、庇護を受けているから、簡単には手を出せない。

 それは事実だ。

 だが、それだけが理由ではなかった。

 

 今日のフィオナは、指摘されると手を引いた。

 話を聞き、できないことを断った。

 過去に何度も求めたことを、目の前でしていた。

 あれほど言い聞かせても、自分のやり方を変えなかったのに。

 今は、当たり前のようにできている。

 

 だから、もう大丈夫だとは思わない。

 今は子どもで、殿下も学園のご子息たちも、そばにいない。

 相手が変われば、また同じことをするかもしれない。

 

 それでも、昔と同じだと決めて動くには、違うところが多すぎた。

 

 屋敷へ戻ると、お嬢様が今日の話を聞きたがった。

 俺は教会のことと、手伝いに来ていた少女のことをお伝えした。

 名前を伏せる理由はなかった。

 

「フィオナという、私たちと同じくらいの子です」

 

 お嬢様の指が、膝の上で止まった。

 だが、それはほんの一瞬で、すぐにいつものお顔へ戻られる。

 

「その子と一緒に働いたのね」

 

「はい。まだ教わり始めたばかりのようでした」

 

「あなたはどう思ったの?」

 

 答えに詰まった。

 よく働いていた。覚えようとしていた。

 そのどちらも嘘ではないが、それだけを言うのは、何かが違った。

 

「……もう少し、お話ししてみようと思います」

 

 お嬢様は、しばらく俺を見ていた。

 

「そう」

 

 問い詰めることはなさらなかった。

 俺の鞄を指し、今日も重くなかったかと尋ねてくださる。

 

 部屋へ戻ってから、俺は南の地区を描いた紙を開いた。

 路地の奥の家の横に、教会の場所を書き足す。

 家を空ける時刻を探るために、用意した紙だった。

 

 その下に、次に会ったら確かめたいことを書いた。

 光の力が現れた時期。

 誰から祈りを教わったのか。

 瞳の印。

 

 紙をしまう前に、今日あったことも短く残した。

 老婦人の希望を聞いて、話しかけずに戻ったこと。治せない傷について、勝手な約束をしなかったこと。

 次に会うとき、警戒している理由ばかりを思い出さないためだった。

 

 筆を置き、書き足した文字を見つめた。

 

「……なんで今回は、何もかもこんなに違うんだ」

 

 誰もいない部屋で、ぽつりとこぼした。

 

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