何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~ 作:名もなきそば付き
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二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。
また作中に挿絵が1枚あります。そちらもAI画像ですのでご注意ください。
今回は五回目の人生の回想です。第十一話「あなたが男だったらよかったのに」の回想よりも前、ノエルがまだ男装を始めていない頃のお話です。
五回目の人生では、教えれば変えられると思っていた。
「お手紙は、その場ですぐにお受け取りにならなくてもよいのです」
机を挟んで、フィオナが首を傾げた。
桃色の髪が肩の上で揺れる。真新しい学園の制服には、まだ折り目が残っていた。
「せっかく書いてくださったのに?」
「受け取ったことで、相手のお申し出に応じたと受け止められる場合もございます」
「まだ読んでいないのにですか」
「はい」
彼女は封のされた手紙を見た。
名を聞けば誰もが知る、商家の跡取りから届いたものだった。休みの日に、二人で街を歩かないかという誘いだ。
本人が渡すときにそう言ったので、開けなくても内容は分かっている。
「お相手には、婚約者がいらっしゃいます」
「でも、お店を見せてくださるだけですよ」
「その方は、そう聞いて安心なさるでしょうか」
フィオナは、すぐには答えなかった。
私は机に置いた別の紙を、彼女のほうへ向けた。
「お店をご覧になりたいのであれば、ほかの方もご一緒に、とお返事をしてはいかがでしょう」
「……それなら、お断りしなくていいんですね」
「お二人きりのお誘いには、お断りを。そのうえで、別の機会をお願いするのです」
彼女は筆を取った。
私は胸の内で、息をついた。
責めたいのではない。
何をしてよいのか、なぜいけないのかを、分かってもらいたかった。
お嬢様が繰り返し注意をし、そのたびに殿下から冷たくされる前に。
♡
入学して、まだひと月も経たない頃だった。
私はお嬢様のそば付きとして学園へ通い、仕事の合間にフィオナと会う時間を作った。
黒いワンピースに白い前掛け。他の侍女と変わらない姿で、教本と紙を持って歩く。
先生と呼ばれるほどの身分ではなかったが、神官として学んだことや、公爵家で教わったことなら伝えられる。
先に、お嬢様へお願いをした。
教会からも、聖女候補が学園の暮らしを覚える手助けになるならと、許しをいただいた。
何もかもを自分一人で決めてよいとは、もう思っていなかった。
「あなたが教えるの?」
お嬢様は、少し驚いた顔をなさった。
「私も最初は、何も存じませんでしたので」
「あなたは言われたことを覚えようとしたでしょう」
「フィオナ様も、まだ慣れていらっしゃらないのかもしれません」
自分で口にしながら、そうであってほしいと思った。
前の人生までに何度も聞いた返事を、知らないふりで聞き直す。
今度は、叱られる前に教えればよい。
間違える前なら、あの方を悪者にせずに済むかもしれない。
「あなたのお仕事を増やすことになるわ」
「時間は、きちんと分けます」
お嬢様は私の持つ教本を見た。
やがて小さくうなずく。
「困ったら、私に言うのよ。あなたが全部引き受ける必要はないのだから」
「ありがとうございます」
頭を下げると、前掛けの紐が少し緩んだ。
お嬢様が立ち上がり、後ろへ回って結び直してくださった。
「こういうところはまだ私のほうが上手ね」
笑う声が、背中から聞こえた。
私はその笑顔を、この先も守れるつもりでいた。
♡
フィオナは、何も覚えられない人ではなかった。
挨拶で頭を下げる深さも、相手を呼ぶときの敬称も、何度か繰り返すと直った。
借りた小部屋で二人、椅子を引いて立ったり座ったりする。
お茶をこぼさずに注げた日は、彼女のほうから私に見せてくれた。
「セレスティア様にもお出ししてみたいです」
「きっと、お喜びになります」
その言葉を、私は本気で信じていた。
お嬢様も、彼女の出自が理由で嫌っていらっしゃるわけではない。
平民出身の私をそばに置き、何年も教えてくださった方だ。
守るべきことを守れば、きっと話はできる。
ある日、フィオナは、二人きりの外出を断る返事を見せてくれた。
商家の跡取りは少し残念そうだったが、店へは何人かで行くことにしてくれたという。
「これでよかったんですよね」
「はい。ご自分でも、お困りになりませんでしたか」
「少しだけ。でも、次に皆さんで行けばいいんですもの」
よかった。
私は紙を返しながら、思った。
彼女がその場で考えられるようになれば、お嬢様が注意する必要もなくなる。
私は教えることを紙へ書き足した。
呼び止める場所。贈り物を受け取る前に確かめること。夜に会ってはいけない相手。
机の上で、紙は少しずつ増えていった。
最初に行き違いが起きたのは、その翌週だった。
フィオナが、夕方の庭で、騎士団長のご子息と二人きりでいた。
稽古で失敗し、父親から厳しく叱られたのだという。
私が迎えに行くと、彼はフィオナの隣から動かなかった。
「今話を聞いてもらっている」
「日が暮れます。談話室へお移りになってはいかがでしょう」
「ほかの者に聞かせるような話ではない」
私はフィオナを見た。
彼女は困った顔をしていた。
「もう少しだけ、駄目ですか」
誰にも聞かれたくない話だという。
だから、扉のない庭の奥で、二人でいる。
誰かに見られたとき、どう受け取られるか。
婚約者が耳にしたら、どう思うか。
昼に教えたことが、そのまま当てはまる場面だった。
「お付きの方を呼びます。お話の中身を、聞かせる必要はございません」
私はそう答えた。
彼が何か言う前に、近くの使用人へ声をかけた。
迎えが来るまで、二人は黙っていた。
帰り道で、フィオナがつぶやいた。
「せっかく話してくださったのに」
私は立ち止まった。
「相談をしてはいけないと、申し上げたわけではございません」
「分かっています。でも、あんなに落ち込んでいらしたから」
「別の場所で、お話を続けることはできます」
「今はほかの人の前では嫌だって」
彼が望む形で聞くことが、彼を助けることになる。
フィオナは、そう考えていた。
私は翌日のために、別の例を用意した。
順序立てて話せば、伝わるはずだった。
♡
季節が変わっても、授業は続いた。
できるようになったことはある。
だが、同じ理由で、同じことが起きた。
婚約者を伴わず、殿下の部屋へ招かれる。
断ったはずの贈り物を、相手が悲しそうだったからと受け取る。
手当てを終えたあとも、不安そうだったという理由で、手を握り続ける。
私は叱る代わりに、次はどうしたらよいかを尋ねた。
フィオナは、正しい答えを言えた。
そして、困っている人を前にすると、その答えから外れた。
お嬢様を慕う令嬢たちの不満も、消えなかった。
私はお嬢様へ相談し、陰で嫌がらせをしないよう、改めて皆へ話していただいた。
相手が間違っていることと、何をしてもよいことは別だと、お嬢様ははっきりおっしゃった。
しかし、注意をした事実ばかりが広まった。
フィオナが何かを断ると、お嬢様に言われたからだと思われるようになった。
「君にまであのようなことを教え込ませているのか」
ある日、第二王子殿下に言われた。
フィオナに返事の書き方を教えていたところだった。
「私から申し出たことです」
「そば付きの君が、彼女に逆らえるとは思わない」
背中が冷えた。
私が何を答えても、お嬢様の指示にされる。
フィオナが横から、ノエルさんは優しく教えてくださるんです、と言った。
殿下は彼女へ笑いかけた。
「君は人を悪く言わないからな」
違います、と言う前に、殿下はフィオナの持つ紙を取った。
そこには、二人きりのお誘いはお受けできないと、書いてあった。
殿下は一読し、机へ戻した。
「そこまで気を遣わずともよい。私は君の話を聞きたかっただけだ」
フィオナは、困ったように笑った。
私は机の下で、前掛けを握った。
♡
殿下が去ったあと、二人だけになった部屋で、私は椅子へ座り直した。
開いた扉から、廊下を行く足音が聞こえる。
「フィオナ様。お嬢様は、何も命じていらっしゃいません」
「はい。存じています」
「では、先ほど殿下にも、そうおっしゃっていただきたかったのです」
「ノエルさんが優しい方だとはお伝えしました」
それでは、お嬢様が無理をさせているという誤解は残る。
私はそう説明した。
フィオナは最後まで聞き、うなずいた。
「次にお会いしたら、お話しします」
「ありがとうございます」
頭を下げてから、私はもう一つ尋ねた。
「お嬢様も、傷ついていらっしゃることは、お分かりでしょうか」
彼女が、私を見た。
「殿下に冷たくされても、人前で泣いたり、誰かに縋ったりはなさいません。けれど、平気でいらっしゃるわけではないのです」
声が、震えそうになった。
私は机の上の紙を見て、息を整えた。
「困っている方を助けたいと、おっしゃいましたね。あの方も、困っていらっしゃいます」
「……はい」
「殿下がどうしてもとお望みになっても、お二人きりではお会いにならないでください。それだけでも、違いますから」
フィオナが両手を重ねた。
短く祈ると、その指先に薄い光が宿る。
こちらを向いた桃色の瞳の奥には、ハートの印が浮かんでいた。
光の消えたあとも、左右に一つずつ、濃く残っている。
「皆さんが仲良くなれたらいいのに」
彼女は笑った。
少し前、殿下へ向けたときと同じ角度に首を傾け、同じように口元を緩める。
私が答えを待っている間も、その形は変わらなかった。
まるで笑顔だけを、先に作っておいたようだった。
「お約束して、いただけますか」
私は重ねて尋ねた。
フィオナの笑顔が、ようやく曇った。
「できるだけ、そうします」
「できるだけ、では――」
「でも、本当にお一人で困っていらしたら。そのときまで、何もしないとは言えません」
聞きたくなかった答えだった。
けれど、今までの授業で分からなかったことが、そこで分かった。
作法を知らないから、間違えるだけではない。
知っていても、その場にいない人より、目の前の人を選ぶ。
それを優しさだと思っている。
私は、お嬢様のそばにいたい。
この人も、助けたい相手のそばを離れたくないのだろう。
そう考えても、受け入れることはできなかった。
「あの方が、泣いてお願いをすれば、聞いてくださるのですか」
言ってから、唇を閉じた。
お嬢様に、そんなことをさせたかったわけではない。
フィオナは答えられなかった。
机の上には、二人で書いた断りの返事が残っていた。
♡
その後、フィオナは殿下に、お嬢様から命じられたのではないと話してくれた。
約束の一つは、守ってくれたのだ。
しかし、殿下は、お嬢様が彼女に謝らせたのだと受け取った。
どんな言葉で話したのか、私はその場にいなかったので知らない。
後日、お嬢様が殿下に責められ、初めて知った。
私は、お嬢様の前で頭を下げた。
「申し訳ございません。私が、お願いしたのです」
「誤解を解こうとしたのでしょう」
「けれど、かえって」
「あなたまで謝らないで」
顔を上げると、お嬢様は疲れた顔で笑っていた。
卓には二人分のお茶があり、私の好きな、果実の入った焼き菓子も置かれている。
「今日はここにいらっしゃい。お勉強の話はおしまい」
私はうなずき、お嬢様の隣へ座った。
どうすればよかったのか、尋ねることはできなかった。
お嬢様にまで、答えを探させるわけにはいかなかった。
冬の舞踏会で、婚約は破棄された。
令嬢たちが起こした騒ぎの責任を、お嬢様はまた負わされた。
私が渡していた教本まで、フィオナを縛ろうとした証しのように扱われた。
屋敷へ引き上げる荷物をまとめながら、私は教本の間に、練習に使った紙を見つけた。
丁寧な字で、お誘いを断る言葉が書かれていた。
書き終えた彼女を、私が褒めた日のものだ。
間違いは、どこにもなかった。
文字も、敬称も、断り方も。
私はその紙を折り、教本へ戻した。
廊下から、お嬢様が私を呼ぶ声がした。
「ただいま、まいります」
もう、お一人にはしない。
そう思って、荷物を置いて部屋を出た。
それでも、この人生で、お嬢様と次の春を迎えることはできなかった。