何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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【挿絵表示】

二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第二十三話☆小さな工房

 アルトハイム家の屋敷へ伺うのは、初めてだった。

 門をくぐった馬車の窓から、青い旗が見える。鷹の背後を、杖が斜めに横切っていた。

 迎えに出た侍女に案内されながら、俺は持ってきた紙包みを抱え直した。

 中身は焼き菓子である。お嬢様が選び、最後に一つだけ、果実の入ったものを足してくださった。

 

「クラウディアにも食べてもらってね」

 

 そう言われたので、これは俺の分ではない。

 多分。

 

 あのお礼の訪問から、クラウディア様は何度か屋敷へいらしている。そのたびに、小さな瓶を一つずつ持ってこられた。

 ふたに紐をつけた瓶。片手でも外しやすいよう、栓の頭を大きくした瓶。

 お嬢様も一緒に、空の瓶へ水を入れて試した。紐が長すぎると、外した栓が傷口に当たる。短すぎれば、今度は傾けにくい。

 そんなことを話していると、クラウディア様はすぐに手帳を開いた。

 今日は、その続きをこちらで見せたいというお招きだった。

 

「ノエル」

 

 階段の上で声がした。

 クラウディア様が、手すりに添えていた手を離す。淡い水色の髪を後ろでまとめ、青いワンピースの上から前掛けをつけていらした。

 こちらへ一歩踏み出してから、止まる。

 

「……いらっしゃい」

「お招きいただき、ありがとうございます」

「堅くしなくていいわ。ここでは」

 

 そうおっしゃるご本人の背筋が、いつもより伸びていた。

 俺が頭を上げると、薄い灰色の瞳が紙包みへ向く。

 

「セレスティア様から?」

「はい。皆様で召し上がってください、と」

「今日はご一緒ではないのね」

「奥様とご用がおありです。お菓子の感想を聞かせてほしいと、おっしゃっていました」

「そう。……ちゃんと、伝えるわ」

 

 クラウディア様は包みを侍女に預けると、廊下の奥へ歩きだした。

 俺も続く。付き添ってきたうちの侍女は、先方の侍女と挨拶を交わしてから、少し後ろを歩いていた。

 

 案内されたのは、屋敷の裏庭に面した小部屋だった。

 窓際に作業台があり、壁の棚には蓋つきの壺が並んでいる。部屋の隅には小さな炉があったが、今は火が入っていない。

 机の上だけが、空いていた。

 いや、正確には、二人分の場所だけ空けられている。

 端へ寄せた紙の束は、紐でぎゅっと縛ってあった。

 

「お父様にここを使っていいと言っていただいたの」

 

 クラウディア様は戸を開けたまま、机へ向かった。

 

「材料を置く場所が欲しいと言ったら、部屋になったわ」

「随分、大事にしてくださるのですね」

「でも、火を使うときは大人と一緒。外から持ち帰ったものも、先に見せることになっているの」

 

 前掛けの端を、指でつまむ。

 

「材料を見に行くのも、今は、必ずお付きの人と」

「それがよいと思います」

 

 あの路地で腕を引かれていた姿が浮かんだ。

 口を塞がれ、声も出せなかった少女が、今は自分の机の前に立っている。

 戸口の侍女がこちらへ目を向けた。クラウディア様は一度うなずいてから、卓上の箱を開けた。

 

「……これなら、家でもできるから」

 

 箱の中に、細長い瓶が六本並んでいた。

 瓶の首には短い紐が結ばれ、その先についた栓が、横へ落ちるようになっている。胴には布の帯が巻いてあった。

 

「濡れた手でも、滑りにくいと思うの。試してくれる?」

「もちろんです」

 

 中身は薬ではなく、色をつけた水だという。

 俺は一本を取り、左腕を机に乗せた。以前怪我をしたときと同じように、右手だけで開けてみる。

 栓は抜けた。

 だが、傾ける途中で紐が親指に引っかかった。

 

「ここが、少し邪魔になるかもしれません」

「そこを持つの?」

「腕を怪我していると、机に押しつけて開けたくなります。そのまま握り直さず使おうとすると」

 

 もう一度、ゆっくりやってみせた。

 クラウディア様が身を乗り出す。髪が瓶へかかりそうになり、耳へかけ直していた。

 

「……私、両手でしか試していなかったわ」

「左手で開ける場合も、確かめてみましょうか」

「ええ。待って。書くから」

 

 手帳に小さな図が増えていく。

 書き終わるのを待ち、今度は右腕を机へ乗せた。どちらの手でも使うなら、紐をつける位置にも工夫が要る。

 俺は治療を受ける側にも、する側にもなったことがある。瓶を作ることはできないが、使って困ることなら思い当たった。

 

「痛いときは、思ったほど指が動きません。急いでいると、瓶もよく見ないので」

「薬を間違える?」

「似たものが並んでいれば」

 

 クラウディア様は、六本の瓶を見比べた。

 それから、一本だけ布の帯を二重に巻く。

 

「触って、違うと分かればいいのかしら」

「目印になりますね。ただ、初めて使う人にも、何の薬か読めるほうが安心です」

「文字も残すわ。……絵も、いるかもしれない」

 

 俺が言ったことより、少し先のことを書いている。

 読み書きのできない人へ渡すつもりなのだろうか。

 

「どなたかに、差し上げるご予定ですか」

「まだ、そこまでは決まっていないわ。でも、作れたのに、使えなかったら嫌でしょう」

 

 ペンの先が止まる。

 

「あのとき、あなたが使ってくれたから。瓶に入れて終わりではないって分かったの」

 

 血のついた袖と、傷にかけられた冷たい薬を思い出す。

 俺の腕は、たしかにあの薬に助けられた。

 

「とてもよく効きました」

「……それは、前にも聞いたわ」

「はい。何度お尋ねになっても、同じようにお答えします」

 

 クラウディア様が手帳へ顔を伏せた。

 けれど、口元が緩んでいるのは見えた。

 

 次は、材料の整理を手伝った。

 薬を作るところも見せていただくつもりだったが、今日使う分はもう量ってあるらしい。俺に急いで見せようとして、朝早くから用意したのだという。

 戸口にいた若い侍女がそう教えると、クラウディア様は頬を赤くした。

 

「そこまでは言わなくていいの」

「昨夜から楽しみにしていらしたことも、内緒でしたか?」

「もう。それもよ」

 

 クラウディア様は困ったように眉を下げたが、侍女が笑うと、つられて口元を緩めた。

 

「あとでお茶をお願い。あなたと、そちらの方の分も淹れてね」

「はい、お嬢様」

 

 侍女は嬉しそうに一礼して、廊下へ下がった。

 俺は机に広げられた乾燥した葉を、小皿へ分ける。砕けて細かくなったものと、形の残っているものは、別々に保管するそうだ。

 

「そんなに潰さなくて平気よ」

「失礼しました。薬草は、もっと細かくするものかと」

「使う前に砕くの。置いておく間に、香りが抜けるから」

 

 説明する声が、さっきより滑らかになっていた。

 俺は頷き、指先でつまむ量を減らす。似た色の葉が二種類あり、慣れないと見分けにくい。

 迷っていると、横から白い指が伸びてきた。

 俺の手の甲へ触れる、少し前で止まる。

 

「……こっち」

 

 クラウディア様は、葉を指さした。

 俺がつまみ直すのを見て、手を引っ込める。

 しばらくして、今度は皿を寄せようとした俺の指に、ご自分の指が触れた。

 皿から手を離すと、その指も離れた。

 

「申し訳ありません。近すぎましたか」

「違うわ」

 

 返事が早かった。

 俺は椅子を引きかけて、やめた。

 クラウディア様は小皿を見たまま、唇を結んでいる。何か言おうとしているようなので、次の葉へ手を伸ばさず待った。

 

「……手を、見せて」

 

 俺は両手を机へ置いた。

 薬草の粉でもついているのだろうか。

 クラウディア様の右手が、俺の左手へ重なった。

 指を絡めるでもなく、上からそっと乗せるだけの触れ方だった。

 こちらより少し長い指が、遠慮がちに曲がる。

 

「こうしても、いい?」

「はい」

 

 何かを確かめるのだと思った。

 だが、クラウディア様は俺の手を裏返したり、指を動かしたりはしない。

 重ねたところを見つめている。

 

「……温かいのね」

「クラウディア様は、少し冷えていらっしゃいますね」

「緊張、していたから」

 

 材料の扱いに失敗しただろうか、と机を見る。

 皿はこぼれていない。瓶の栓も、全部閉まっている。

 顔を戻すと、クラウディア様と目が合った。

 すぐにそらされたが、耳の先が赤い。

 

「作業は、急がなくても大丈夫です。帰るまで、まだ時間がありますから」

「……ええ」

 

 指先に、ほんの少し力が入った。

 クラウディア様は俯いたまま笑った。いつもの、口元だけを僅かに動かす笑い方より、ずっと分かりやすかった。

 その顔を見ているうちに、俺も手を動かしそびれた。

 窓の外で、庭師が何かを運んでいる。廊下から、お茶の支度をする音が聞こえた。

 先に手を離したのは、クラウディア様だった。

 

「ありがとう。……続きを、しましょう」

 

 葉をつまむ指は、さっきより軽やかに動いていた。

 

 お茶は、作業台から離れた小さな卓に用意された。

 持参した焼き菓子の中から、クラウディア様が果実入りのものを選ぶ。

 

「あなた、これが好きなのでしょう」

「お嬢様から、お聞きに?」

「前に一番先に取っていたから」

 

 そんなことまで見られていたのか。

 クラウディア様は一口食べてから、残りを皿へ戻した。

 

「おいしいわ。セレスティア様にお伝えして」

「かしこまりました」

「それと……次は私が、持っていくから」

 

 研究の話ではないらしかった。

 お二人の訪問が、薬の確認だけではなくなっていくなら、よいことだ。

 

 帰り際、小さな布袋を渡された。

 中には傷薬が一本と、清潔な布が入っていた。試作品ではなく、俺の腕に使ったものと同じ薬だという。

 

「もうすぐ山へ行くと聞いたわ」

「はい。お嬢様と、奥様にお供します」

「新しい瓶はまだ全部試せていないから。こっちはいつもの栓にしてあるの」

 

 瓶を作り直したばかりなのに、渡すものは確かめた品を選ぶ。

 その慎重さに、俺は安心して袋を受け取った。

 

「大切に使わせていただきます」

「使わないほうがいいのよ」

 

 クラウディア様が、俺の腕を見る。

 

「また血を流して帰ってこられても、困るから」

「気をつけます」

 

 屋敷の玄関まで送っていただいた。

 別れの挨拶をしていると、クラウディア様の手が少しだけ持ち上がる。

 俺が目を向けると、その手は小さく振られた。

 こちらも振り返す。

 クラウディア様は、今度は顔を隠さずに笑った。

 

 馬車に乗ってから、薬の袋を膝へ置いた。

 手の甲に、まだ人の体温が残っている気がした。

 俺の知っていた公女は、こんなふうに笑う方だったのだろうか。

 学園で向かい合っていたお二人の顔ばかり、よく覚えている。

 しかし、今日のことは、覚えておこうと思った。

 小さな部屋に用意された二脚の椅子も、手を重ねる前の、あの短い躊躇いも。

 

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