何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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【挿絵表示】

二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第二十四話☆お嬢様との旅行

 荷物の確認は、三度目だった。

 着替え。手帳。筆記具。教会から借りた本は、返してある。

 クラウディア様からいただいた薬の袋を、鞄の外側の物入れへ移した。必要になったとき、服を全部出さずに取り出せる。

 紐を結び直していると、戸口から声がした。

 

「ノエル。まだかかる?」

 

 お嬢様が、帽子を両手に持って立っていらした。

 赤いリボンを結んだ、つばの広い帽子である。旅用の服は裾が短めで、いつもより歩きやすそうだった。

 

「もう済みます」

「さっきもそう言っていたわ」

「念のため、もう一度だけ」

「忘れたものがあったら、向こうで借りましょう」

 

 俺の鞄を覗き込み、教本の角を指で押す。

 

「それも持っていくの?」

「読みかけですので」

「……そう」

 

 何か言いたそうだったが、お嬢様は本を取り出したりはしなかった。

 俺が留め具を閉めるのを待ち、先に廊下へ出られる。

 その足取りが軽い。

 山へ行くのを、楽しみにしていらっしゃるのだろう。

 

 王都を離れたのは、朝のうちだった。

 奥様とお嬢様の乗る馬車へ、俺も乗せていただいた。別の馬車に使用人と荷物が乗り、前後には護衛の騎士がついている。

 公爵様は、お仕事のためお留守番である。

 出発前、何度も同じことをおっしゃっていた。

 

「川へ近づきすぎるな。森へ入るときは護衛と一緒に。寒ければ、すぐ一枚着るんだぞ」

「お父様。まだそんなに寒くありませんわ」

「山は違う」

 

 お嬢様の帽子を直し、肩の布を直し、最後には俺の上着まで確かめた。

 奥様が馬車からお呼びになって、ようやく手が離れた。

 

 行き先は、王都から東へ二日ほど進んだ山間にある、公爵家の山荘だった。

 海へ向かう街道から外れ、山道を上った先にあるという。夏の暑さを避けて過ごすため、屋敷の者が先に支度へ入っている。

 俺にとっては、初めて行く場所だ。

 以前の周にもお嬢様がお出かけになったことはあるが、俺は王都に残っていた。教会の仕事や、来客の準備をしていた覚えがある。

 こうして隣へ座り、街並みが畑へ変わっていくのを見るのは、今回が初めてだった。

 

「あれ、麦かしら」

「はい。こちらは、まだ刈り入れ前のようですね」

 

 お嬢様が窓の外を指す。

 俺は反対側の席から身を乗り出しかけ、膝へ置いた鞄を押さえた。

 

「ノエルもこっちへ来ればいいのに」

「窮屈になりませんか」

「二人とも小さいでしょう」

 

 それは、そうだった。

 奥様に目を向けると、笑ってうなずいてくださる。

 俺はお嬢様の隣へ移った。

 窓枠の下に顎を乗せるようにして外を見ると、麦の穂の向こうに荷車が見えた。畑の端で、子どもがこちらへ手を振っている。

 お嬢様も手を振り返した。

 

「あんなに走ったら、転ぶわ」

 

 そう言いながら、その子が見えなくなるまで窓を見ていた。

 

 昼は、街道沿いの宿で休んだ。

 食事をする間に馬を休ませ、馬車の車輪を点検する。俺も外の様子を見ようと腰を浮かせたが、奥様に呼び止められた。

 

「ノエルさん。あなたの食事はまだ残っていますよ」

「ですが、荷物が」

「荷物には見てくださる方がいます」

 

 窓から中庭を見ると、従僕がちょうど俺の鞄を別の荷物の上へ載せ直していた。

 俺は座り直した。

 お嬢様が、皿に残ったパンをこちらへ寄せる。

 

「ほら。出発するまでに食べないと」

「はい」

「私より遅いわよ」

 

 ご自分の皿は、もう空だった。

 俺が食べ終わるまで、お嬢様は席を立たなかった。

 

 一日目の宿では、俺は従僕たちと同じ部屋を使った。

 寝台へ腰を下ろすと、窓の外で馬が鳴いた。慣れた屋敷より、外の音が近い。

 上着を脱ぎ、明日の分の服を確かめる。

 昼に座っていた時間が長かったので、まだ眠くなかった。借りてきた燭台のそばで、手帳を開く。

 山荘での予定。同行する護衛の人数。教会へ戻る日。

 書きつけたところで、同室の従僕が水差しを置いた。

 

「ノエルさんは明日もお嬢様とご一緒でしょう」

「はい」

「朝が早いですから、今夜は休んでください。廊下にも人がいますよ」

 

 見張りをしようとしていたわけではない。

 そう答えかけて、手帳を閉じた。

 寝台は壁際にあり、部屋の戸が見える。隣では、大人の男がもう靴を脱いでいた。

 俺が眠っても、困ることはない。

 水を一口飲み、横になった。

 

     ☆

 

 翌日は、昼を過ぎたころから景色が変わった。

 畑が少なくなり、道の両側へ木々が迫る。窓から入る風は冷たく、汗ばんでいた首筋が乾いていった。

 山道へ入る前に馬車が止まり、お嬢様の肩へ薄い上着がかけられる。

 公爵様のおっしゃったとおりだった。

 

「ノエルも着て」

「まだ大丈夫です」

「お父様に叱られるわ」

 

 俺の上着も、膝へ載せられた。

 逆らうほどの理由はないので、袖を通した。

 

 山荘は、森の縁に建っていた。

 石造りの低い建物で、日当たりのよい側に木の長椅子が並んでいる。前には牧草地が広がり、その向こうへ山の稜線が続いていた。

 窓を開ければ、王都の通りの音はしない。

 風が葉を揺らす音と、どこかで鳴く鳥の声が聞こえる。

 俺が通された小部屋は、お嬢様のお部屋と同じ廊下にあった。間に侍女の部屋が一つあり、奥様のお部屋も近い。

 荷物を置くと、すぐに呼ばれた。

 

「見て。あそこまで歩けるのですって」

 

 お嬢様の指の先に、白い石を敷いた道が見えた。

 道は建物の裏を回り、林の手前の柵へ続いている。

 

「今日はお庭だけになさいませ」

 

 侍女が帽子を持ってきた。

 お嬢様は素直にかぶり、俺を見上げる。

 

「一緒に行きましょう」

 

 俺は頷き、戸口を空けた。

 

 庭と言っても、王都の屋敷とは違った。

 土の上に石が置かれ、踏み外すと靴が草へ沈む。道の端には、小さな白い花が群れていた。

 お嬢様は花へ手を伸ばしたが、摘まずに戻した。

 

「名前、分かる?」

「申し訳ありません。私は」

「クラウディアなら、分かるかしら」

「薬になるものなら、ご存じかもしれません」

 

 お嬢様は花の形をよく見てから、歩きだした。

 

「絵にして送ったら、教えてくださるかしらね」

 

 その言葉を聞いて、少し嬉しくなった。

 以前なら、お二人がお互いを話題にするときは、もう少し声が硬かった。

 今は、小さな花の名前を尋ねる手紙を考えている。

 

 木陰を抜けたところで、風が吹いた。

 お嬢様は帽子のつばを押さえたが、後ろのリボンが枝へ引っかかった。

 俺は足を止めていただき、結び目をほどかないよう、枝を押し下げた。ちょうどよい高さにある。背伸びをする必要もなかった。

 

「取れました」

「ありがとう。曲がっていない?」

 

 こちらへ向き直り、少し顎を上げられる。

 帽子を直している間、お嬢様は動かなかった。赤いリボンの片方だけが長くなっていたので、左右を揃える。

 

「これで、よろしいかと」

「あなたはかぶらないの?」

「木陰が多いですから」

 

 答えると、お嬢様は自分の帽子を持ち上げ、俺の頭へ乗せた。

 つばが目の前へ落ちる。

 慌てて押さえると、すぐ近くで笑い声がした。

 

「似合うわ」

「前が、見えません」

 

 帽子を返す。お嬢様はまたかぶり直し、今度は俺が何も言わなくても、枝から離れて歩いてくださった。

 

 柵のそばで、山荘の管理をする男が待っていた。

 この辺りの森も見回っている人だという。護衛の騎士に道の様子を説明し、俺たちにも、木々の間へ勝手に入らないよう話した。

 

「鹿もおりますが、狼も通ります。こちらを見て逃げることのほうが多いですが、近づいてよいということではありませんので」

「このお庭にも来るの?」

「普段は、もっと山の奥におります。夜に声が聞こえることはありますよ」

 

 お嬢様が林へ顔を向けた。

 俺も見る。枝と枝の間が暗く、奥までは見通せない。

 管理人は、川沿いの道なら案内できると言った。上流へ向かいすぎなければ足場もよく、山荘の者が毎日使う道らしい。

 騎士が明日の天気を尋ねている間、お嬢様は柵へ手を置いた。

 

「あなたはどこへ行きたい?」

「お嬢様のお供をいたします」

「そうではなくて」

 

 青い瞳が、俺を見る。

 

「あなたが、行きたいところ」

 

 考えていなかった。

 どこなら人目があるか。どの道なら馬車へ戻りやすいか。そんなことは、着いてからずっと見ていたのに。

 俺は牧草地の向こうへ目をやった。

 木々の切れ目に、水が光っている。

 

「……川を、見てみたいです」

「では、明日は川ね」

 

 お嬢様が、すぐに決めた。

 もちろん、奥様と護衛の許しをいただいてから、という話になったが。

 

 夕食のあと、長椅子の置かれた軒先へ出た。

 昼は見えなかった星が、山の上にいくつも出ている。

 お嬢様は膝に毛布をかけ、温めた乳の入った杯を持っていらした。俺にも同じものが用意されている。

 少し離れた戸口に、侍女がいた。

 

「本は読めた?」

「まだです」

「そう」

 

 なぜか、満足そうだった。

 俺は杯へ口をつけた。甘味は少なく、温かい。

 

「明日も読めないかもしれません」

「川へ行くものね」

「はい」

「その次は花の絵を描くのを手伝って」

「私でよろしければ」

 

 滞在中の予定が、一つずつ埋まっていく。

 お嬢様は膝の上で、毛布の端を俺のほうへ引いた。

 

「少しそちらへかけてもいい?」

「冷えていらっしゃいますか」

「風でずれるの」

 

 俺の膝に端を乗せると、たしかに毛布は動かなくなった。

 肩が触れるほど近くへ、お嬢様が座り直す。

 しばらく二人で、星を見た。

 星の名前を尋ねられ、一つだけ答えられた。ほかは分からなかったので、そう申し上げると、お嬢様は笑った。

 

「何でも知っているわけではないのね」

「もちろんです」

「じゃあ、明日聞きましょう。ここに住んでいる方なら、知っているかもしれないわ」

 

 また、明日の予定が増えた。

 俺は手帳を持ってきていなかったが、忘れないだろうと思った。

 

 山のほうから、長い声が聞こえた。

 お嬢様が顔を上げる。管理人の言っていた狼の声だろうか。

 騎士は戸口から森を見たあと、その場へ戻った。近くではないらしい。

 

「本当に、いるのね」

「そのようですね」

 

 お嬢様は怖がっている様子もなく、もう一度山を見た。

 やがて杯が空になり、侍女が俺たちを呼びに来た。

 毛布を畳み、お嬢様のあとから部屋へ戻る。

 鞄の中の本は、その夜も開かなかった。

 

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