何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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投稿順を誤り、第二十五話の次に第二十八話を公開してしまいました。混乱させてしまい、申し訳ありません。
改めて、第二十六話から第二十八話までを順に投稿いたします。

本日は三話投稿となります。こちらは一話目です。


【挿絵表示】

二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第二十六話☆狼の看病

 狼は、俺が見ている間は食べなかった。

 薪小屋の床へ置かれた肉を、一度だけ嗅ぐ。それから顔をそむけ、奥の壁へ寄った。

 俺が器を近づけようとすると、耳が伏せられる。

 

「置いておきましょう」

 

 管理人に言われ、俺は手を止めた。

 

「人がいると、食べられないのかもしれません」

「そういうものですか」

「腹を空かせていても、用心はしますよ」

 

 治療が必要な場所を探すつもりで、ずっと見ていた。

 狼にしてみれば、食事をしようとするたび、こちらと目が合うことになる。

 俺は戸口へ下がった。

 管理人も外へ出る。小屋の戸は風が通る程度に開け、外側の囲いの柵を閉じた。

 

 夕方、もう一度覗くと、器の肉はなくなっていた。

 狼は毛布の上へ戻っている。俺を見ても、今度は壁へ下がらなかった。

 

「食べたんだな」

 

 返事の代わりに、耳がこちらを向く。

 俺は空の器を取り、入れ替えた水を置いた。傷のある後ろ脚は横へ出され、毛の間に新しい血は見えない。

 呼吸も、川岸で見たときより落ち着いている。

 近くで確かめたい気持ちはあったが、手は伸ばさなかった。

 

「明日、また来る」

 

 そう告げてから、部屋へ戻った。

 

 夕食の席では、お嬢様から狼の様子を尋ねられた。

 食べたことを伝えると、ほっとしたように息をつかれる。

 

「よかった。何も食べないままだったら、どうしようかと思ったわ」

「見ていないほうが、よかったようです」

「ノエルがずっと見ていたの?」

「はい」

 

 お嬢様は俺の皿を見た。

 話していたせいで、匙を持ったままになっていた。

 

「では、今度は私が見ているわ」

「……食べにくいのですが」

「狼も、そうだったのでしょう」

 

 奥様が小さく笑った。

 俺は口を閉じて、食事を再開した。

 

     ☆

 

 翌朝、山荘の中が動きだしてから、管理人と薪小屋へ向かった。

 狼は戸口の明るいほうへ頭を向けていた。俺が見えると、前脚を突いて身体を起こす。

 だが、腰はすぐに床へ戻った。

 

「まだ、無理をしなくていい」

 

 昨日より近くへしゃがむ。

 後ろ脚をかばっている。傷は塞いだが、地面へつくと痛むのだろうか。

 狼は俺の手を見た。

 今度はすぐに触れず、掌を下へ向けて待つ。

 鼻先が動いた。指を嗅がれ、息がかかる。

 唸らないのを確かめてから、肩の辺りへ触れた。

 

 毛は思っていたより硬く、ところどころに土が残っていた。

 その下の身体は温かい。撫でようとしたのではないが、少し手を動かすと、狼の背中が強張った。

 俺は止めた。

 

「ここは、嫌か」

 

 手を離すと、ゆっくり息を吐いた。

 触れて平気な場所を探りながら、傷めた脚の様子を見ていく。

 人の脚なら、どこが腫れていて、どんな動きで痛むか、言葉でも確かめられる。狼は答えない。俺の見立てだけで、もう治ったと決めるわけにはいかなかった。

 管理人は戸口で、狼が立とうとしたときの足のつき方を見てくれた。

 

「昨日より、力は入っていますね。ただ、走らせるのはまだ先でしょう」

 

 俺は頷き、脚へ光を寄せた。

 最初、狼の耳が後ろへ倒れた。

 けれど、昨日のようには歯を見せない。光が消えるまで、目だけで俺の手を追っていた。

 

「終わった」

 

 狼が前脚を伸ばす。

 少し間を置いて、今度は腰も持ち上がった。すぐに座り込んだが、片方へ倒れることはなかった。

 俺はもう一度手を上げかけ、やめた。

 治療の光を重ね続ければ、立ち上がる力まで戻るわけではない。何日食べていなかったのか、どれほど血を失ったのかも分からないのだ。

 今は、水と食事と、落ち着いて眠れる場所が要る。

 

「今日は、ここまでにしよう」

 

 狼は伏せ直し、顎を毛布へ乗せた。

 

 昼前、お嬢様が水の器を持っていらした。

 侍女が後ろに立ち、管理人も一緒である。お嬢様は小屋の戸口で足を止めた。

 

「入ってもいい?」

「まだ、そこでお願いします」

 

 俺が答える前に、狼が頭を上げていた。

 人が増えると、やはり落ち着かないらしい。

 お嬢様は頷き、器を俺へ差し出した。

 

「これ、倒れにくいと思うの」

 

 底の広い、厚手の器だった。

 昨日使っていた軽いものは、狼が脚を動かすたびにずれていた。毛布の端も少し濡れてしまっている。

 

「ありがとうございます。助かります」

「台所で借りたのよ。もう使っていないものですって」

 

 お嬢様は小屋へ入らず、外の腰掛けへ座った。

 俺が器を置き換えるのを見ながら、膝の上に小さな紙束を広げる。

 

「それは?」

「昨日の花。描いてみたの」

 

 白い花びらと、細い葉の絵だった。

 横に、小さく文章も書いてある。

 

「クラウディアに送るわ。狼を拾ったことも書いていい?」

「はい。いただいた布が役に立ったと、お伝えいただけますか」

「ノエルが噛まれたことも?」

 

 俺は、狼へ目をやった。

 こちらを見返されても、助けにはならない。

 

「……ご心配をおかけしたくは、ないのですが」

「では、もう治ったことも書くわ」

 

 隠してはくださらないらしい。

 自分で手紙を書くべきだろう。借りたもののお礼もある。

 そう考えていると、お嬢様が紙の端を指で押さえた。

 

「クラウディアの薬は使わなかったの?」

「今のところは、布だけです。薬は残してあります」

「そう。役に立たないまま、持って帰れたらいいわね」

 

 クラウディア様と、同じようなことをおっしゃった。

 俺は頷いた。

 

 お嬢様が花の説明を書いている間、俺は小屋の中を片づけた。

 濡れた毛布を替えるため、狼に少しだけ動いてもらう必要がある。

 器を持ち上げ、乾いたほうへ置く。狼は鼻先を向けたが、腰を上げない。

 持ち上げて移そうかと考えたところで、お嬢様に呼ばれた。

 

「ノエル。その子、あなたの足を見ているわ」

 

 俺は足元を見た。

 小屋の中は広くない。俺がしゃがんでいる場所を通らないと、空いた床へ行けなかった。

 壁際へずれると、狼はゆっくり立ち上がった。

 一歩。もう一歩。

 後ろ脚をかばいながら、水のそばへ移った。

 

「……通せんぼをしていたようです」

「少し横へ行ってあげればよかったのね」

 

 お嬢様は紙へ目を戻した。

 俺は毛布を取り替える。

 狼は新しい毛布を嗅いでから、さっきと同じ向きに伏せた。戸口と、俺のいる場所が両方見える向きだった。

 

 午後には、俺も軒先で手紙を書いた。

 クラウディア様宛てに、花の絵への補足と、山で狼を保護したことを記す。

 手を噛まれたが傷は治した、と書くところで、ペンが止まった。

 隣から覗いていたお嬢様が、口を開く。

 

「それだけだと、また同じことをすると思われるわ」

 

 俺は、その下へ一行足した。

 慌てて近づきすぎたこと。今は管理人に教わりながら、距離を取って世話をしていること。

 書き終えて見せると、お嬢様はようやく頷いてくださった。

 

「私もあなたに教わったわ」

「何をですか」

「川の石は動くから、足を置く前に見ること」

 

 お嬢様が、ご自分の靴の先を揃える。

 

「狼のことは知らないのだから、知っている方に聞けばいいのでしょう」

 

 俺は手紙を見下ろした。

 何度も生きた。人が倒れていれば、たいていは自分が動くほうが早かった。

 それでも、知らないことはある。

 目の前の狼が何を嫌がっているかさえ、俺より早く気づく人がいる。

 

「はい。そうします」

 

 お嬢様は満足したように、ご自分の手紙を畳んだ。

 

 封筒へ入れるのを手伝ってから、俺は少し迷って口を開いた。

 

「せっかくのご旅行なのに、狼の世話ばかりで申し訳ありません」

 

 お嬢様が顔を上げる。

 

「ばかり、ではないでしょう」

「ですが、今日も」

「一緒にお茶を飲んだし、お花も描いたわ。朝は昨日見えた星の名前も教えていただいたでしょう」

 

 指を折り、今日したことを数えられる。

 言われてみれば、どれも俺が一緒にいた時間だった。

 

「王都ではあなたが教会から帰るのを待つこともあるのよ」

 

 お嬢様は、薪小屋へ顔を向けた。

 

「ここではあそこへ行けばいるもの」

「お呼びいただければ、すぐに参ります」

「私が行ってはいけない?」

「いえ。そういう意味では」

 

 お嬢様は封筒を重ね、侍女へ渡した。

 

「あの子がもう少し歩けるようになったら、お庭にも出ましょう。あなたも一緒に」

 

 次に何をするか、もう考えていらっしゃる。

 俺は、それ以上謝るのをやめた。

 

     ☆

 

 その翌日から、狼は俺の前でも食べるようになった。

 はじめは器へ顔を寄せるたびにこちらを見ていたが、何もしないと分かると、食事を続ける。

 俺は戸口に腰を下ろし、本を開いた。

 部屋から持ってきた教本である。狼ばかり見ていないようにするには、ちょうどよかった。

 紙をめくる音で、耳が動く。

 次の頁でも動いた。

 

「うるさいか?」

 

 狼は肉を飲み込み、また器へ顔を戻した。

 気にしなくてよさそうだった。

 俺は続きを読んだ。背後の庭では、管理人が柵の蝶番を直している。お嬢様は侍女と一緒に、木の実を拾っていた。

 静かで、暖かい午後だった。

 

 足に何かが触れた。

 目を落とすと、狼が前脚を伸ばしていた。爪が俺の靴へかかっている。

 邪魔だったかと思い、足を引く。

 すると、狼が少し身体をずらした。

 もう一度、前脚が触れる。

 俺は本を閉じた。

 

「……ここでいいのか」

 

 狼は顎を下ろした。

 靴のすぐ横に、灰色の耳がある。

 俺が動かずにいると、瞼がゆっくり下がっていった。

 

「ノエル」

 

 庭からお嬢様が戻ってきた。

 俺は口元へ指を立てる。お嬢様は小屋を覗き、声を小さくした。

 

「眠ったの?」

「そのようです」

「あなたが見ていても?」

 

 俺は頷いた。

 お嬢様は拾ってきた木の実を侍女へ預け、外の腰掛けをこちらへ少し寄せてもらった。

 狼の脚を踏まないよう、ゆっくり座られる。

 

「では、私も少しだけ」

 

 何を、と尋ねる前に、肩へ小さな重みがかかった。

 お嬢様が俺にもたれていた。

 狼の耳が一度動き、また伏せられる。

 庭の修理の音だけが、続いていた。

 

「……お嬢様。お部屋へお戻りになりますか」

「まだ、眠くないわ」

 

 そうおっしゃったあと、返事が少なくなった。

 俺は本を片手で支え直し、もう片方の手を膝へ置いた。

 狼のほうへ落とすと、せっかく眠ったのを起こしてしまいそうだった。

 

 やがて、薪小屋の床で、狼が寝返りを打った。

 傷めていた脚が、昨日より大きく伸びる。

 俺はそれを見届けてから、教本を閉じた。

 お嬢様の頭を揺らさないよう、ゆっくり息を吐く。

 二人とも起こさずにいられるなら、しばらく座っていようと思った。

 

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