何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

29 / 30

【挿絵表示】

二章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。



第二十九話☆狼を迎える日

 公爵様は、俺の話を途中で遮らなかった。

 山で狼を拾い、治療し、名前までつけた。

 そこまでお伝えすると、机の向こうで大きな手が組まれた。

 

「妻からも聞いた。森へ帰れるようになったのだろう」

「はい。森へ帰したあと、自分で山荘へ戻ってきました」

「今は管理人が世話をしている」

「手紙では、そのように」

 

 膝の上に置いた手へ、少し力が入った。

 公爵様は背もたれへ身体を預ける。

 

「君はどうしたい」

 

 尋ねられることは分かっていた。

 それでも、すぐには答えられなかった。

 俺の希望を申し上げるだけで、この家にいる方々の仕事が増える。

 屋敷には馬もいるし、子供たちも庭へ出る。狼を迎えるために、皆の暮らしまで変えていただくわけにはいかない。

 

「こちらで、暮らせる場所をいただけるなら。迎えに行きたいと思っております」

 

 公爵様が頷いた。

 

「その狼は馬を襲わないか」

「確かめては、おりません」

「では、襲わないと決めて扱ってはならないな」

 

 おっしゃるとおりだった。

 人に慣れたことと、馬のそばに置けることは違う。

 公爵様は執事を呼ばれた。庭の一角と、使っていない道具小屋の場所について尋ねる。

 二人の話では、馬屋から離れた道具小屋が使えそうだった。周りに柵を設ければ、庭を行き来する人の通り道とも分けられる。

 

「まずは囲いを作る。出入りをする人も決める。君が教会へ行っている間も、水は要るだろう」

「はい」

 

 公爵様は俺の隣のお嬢様にも目を向けられた。

 

「山の獣を連れてくるのだ。人へ向かうようなら、置き方を考え直す。妻にも話してあるが、セレスも一人で世話をしないこと」

 

「はい。お世話をする人と一緒に行くわ」

 

 お嬢様が頷かれると、公爵様は俺へ視線を戻された。

 

 俺も頷き、頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

「礼は、その狼が落ち着いてからでいい」

 

 それから、公爵様は少し笑われた。

 

「名をつけたら離れがたくなったか」

 

 それだけではないと思ったが、うまく言えなかった。

 傷が治り、森へ帰れるようになっても、あの狼は俺のところへ戻ってきた。

 これからも元気でいるか、そばで見ていたかった。

 

「……はい」

 

 答えると、公爵様はそれ以上お尋ねにならなかった。

 

     ☆

 

 迎えに行くのは、俺だけではなかった。

 山荘へ荷を届ける馬車に同乗し、帰りに狼を連れてくることになった。騎士と馬の世話をする者も同行する。

 お嬢様は屋敷に残られる。

 出発の日、玄関で小さな包みを渡された。

 

「布よ。中へ敷いてあげて」

 

 包みを開くと、狼が顎を置いていた毛布の切れ端が入っていた。山から持ち帰り、洗ってくださったらしい。

 

「お嬢様からだと、お伝えします」

「まず顔を見せてあげて。急に箱へ入れないでね」

「はい」

 

 お嬢様は俺の襟を一度直し、手を戻された。

 

「あなたも帰ってきてね」

 

 旅行の前より、声が静かだった。

 俺はご心配をかけないよう気をつけると申し上げた。

 狼を連れて帰るための道具は、もう馬車に積まれている。

 その中に、俺の身体では持ち上げられない木の枠もあった。

 

 山荘へ着くと、管理人が門へ出てきた。

 俺を見るなり、後ろを振り返る。

 

「あちらにおりますよ」

 

 薪小屋の前で、灰色の狼が立ち上がった。こちらへ耳を向けて数歩進むと、小走りに近づいてくる。

 

「ヘルヘイム」

 

 呼ぶと、俺の前で止まった。

 鼻先が腹へ当たる。服を嗅ぎ、手を嗅ぎ、最後に顔を見上げた。

 俺が頭を撫でると、掌へ頭を預けてきた。

 

「留守にして悪かった」

 

 管理人が笑った。

 

「よく森へ出ていましたが、夕方には戻ってきました。馬車の音がすると、柵まで見に行くこともあって」

 

 俺は狼の横へしゃがんだ。

 後ろ脚に血の固まりはなく、庇うような歩き方もしていなかった。

 管理人は食べた量を記した紙を出してくれた。

 

「ありがとうございました」

「私も、ずいぶん顔を覚えてもらいました」

 

 管理人が手を差し出すと、狼は鼻で触れた。

 留守の間に、管理人にも懐いていたらしい。

 その様子が、少し嬉しかった。

 

 運ぶための箱は、昼のうちに小屋の前へ置いた。

 格子のある丈夫なもので、横になっても身体がつかえない。扉は開けたままにし、中へお嬢様の布を敷いた。

 狼は、しばらく外から嗅いでいた。

 俺が入口の横へ座ると、隣へ来る。

 

「ここで運ぶ。馬車が揺れるからな」

 

 言っても、入らない。

 肉を置けば入るのではないかと騎士が尋ねたが、管理人は先に水を替えた。

 狼は飲み終え、箱の中を覗く。前脚を一本入れ、すぐ戻した。

 扉には触れず、狼が自分から入るのを待った。

 

 日が傾く頃、ヘルヘイムはようやく布の上へ乗った。

 一周して座り、俺を見る。

 扉を少し動かすと耳が立ったので、そこで止めた。

 扉を閉じても落ち着いていられるか、箱ごと持ち上げても嫌がらないかは、翌朝確かめることにした。

 迎えに来たのだから、早く連れて帰りたい気持ちはあった。

 だが、無理に押し込めば、今度は俺が手を伸ばすだけで逃げるかもしれない。

 その夜は箱の扉を開けておいた。

 狼が中で眠り始めるまで、俺は管理人と小屋の外で話をした。

 

 翌朝、管理人が箱の中の水を替えてくれた。

 狼が飲み終わるのを待ち、俺は扉を閉じる。すぐにこちらを振り向いたが、名前を呼ぶと立てていた耳が緩んだ。

 すぐに開け直す。

 ヘルヘイムは外へ出ず、布の上で座り直した。

 

 次に、箱を少しだけ持ち上げてもらった。

 底が浮くと狼は立ち上がり、格子へ鼻を押しつけかけた。俺が箱の横へしゃがんで声をかけると、こちらを見て鼻先を引っ込める。

 運ぶのは同行した大人たちに任せ、俺は狼のそばについていた。

 

「積むときも、この向きでお願いします」

 

 馬車に乗る俺の席から、顔が見えるようにしていただく。

 箱を載せ終え、管理人へ頭を下げた。

 管理人は俺へ答えたあと、格子の前で腰をかがめる。

 

「向こうでも、ちゃんと食べるんだぞ」

 

 ヘルヘイムが鼻を動かした。

 世話の記録を鞄にしまった。王都で世話をする者にも渡しておこう。

 

     ☆

 

 王都までの道では、何度も停まった。

 馬の休憩とは別に、狼へ水をやり、布が濡れていないか確かめる。

 箱のそばには馬を近づけず、泊まる場所も先に決めてあった。

 俺は箱の格子から顔が見える場所に座った。狼が鼻先を動かし、こちらの匂いを嗅いでいる。

 急に大きな音がすれば立ち上がる。俺は手を格子へ入れず、名前を呼んだ。

 

「もう少しだ。着いたら、水を替える」

 

 狼は顔を向けた。

 通じる言葉がいくつあるのか、分からない。

 ただ、何度か声をかけると、張っていた脚の力が緩んだ。

 俺が声をかけると落ち着く様子を、馬の世話をする者も休憩のたびに見ていた。

 

 公爵邸の裏門に着いたとき、お嬢様はもう待っていらした。

 奥様の隣で、箱の中を見つめられる。

 扉を開ける前に、庭へ続く柵が閉まっていることを確かめた。

 騎士が箱を地面へ下ろす。

 

「ヘルヘイム」

 

 お嬢様の声で、狼が立ち上がった。

 扉が開いても、すぐには出てこない。土を嗅ぎ、見慣れない小屋を見て、それから俺の靴へ鼻を寄せた。

 俺が一歩退くと、狼も外へ出た。

 お嬢様は駆け寄られなかった。

 旅先で教わったとおり、手を低く置いて待たれる。

 狼が近づき、その指を嗅いだ。

 

「お帰りなさい」

 

 ここへ来るのは、初めてだ。

 けれど、お嬢様はそうおっしゃった。

 その言葉に、俺も少しほっとした。

 

 新しい小屋には、水の器と、洗った毛布が用意されていた。

 大人が立って入れる高さがあり、馬屋や厨房から荷を運ぶ通路とも離れていた。

 狼は周囲を嗅いでから、小屋の入口へ座った。

 落ち着いたところで、世話を手伝う者が近づく。

 まず名前を呼び、俺の隣に立っていただいた。

 狼が嫌がらなければ、少しずつ顔を覚えてもらう。

 

「世話をする者がいないときは、囲いに入らないよう皆に伝えておきます」

 

 執事が言った。

 囲いの外へ、世話に入る者の名を書いた板が掛けられた。

 俺の名もある。教会へ出る日は別の者に頼み、帰ってから食べた量を確かめることにした。

 

 夕方、公爵様も裏庭へいらした。

 狼は立ち上がったが、吠えなかった。

 

「思っていたより大きいな」

「まだ若いようです。もう少し、大きくなるかもしれません」

 

 管理人の手紙をお見せした。

 公爵様は読み終えると、俺へ返された。

 

「では、君ももう少し大きくならなくては。散歩で引かれて転んでは困る」

 

 お嬢様が俺の隣で笑われた。

 丈夫な紐も用意してあったが、散歩はまだ先だ。まずは首輪を見せ、首に当てても嫌がらないか確かめなくてはならない。

 俺は頭を下げ、急がず慣らすと申し上げた。

 

 厨房から夕方の肉が届いた。

 器を持ってきた者が入口で止まり、置く場所を俺へ尋ねる。

 管理人の記録を見せると、朝と夜で量を分けるのですね、と頷いた。

 

「今夜は、私が置いてみてもよろしいですか」

 

 狼はその声を聞いている。

 俺はお嬢様と少し離れ、器を置くところを見ていた。近づく足音で耳が動いたが、歯は見せなかった。

 人が退いてから、ヘルヘイムが立つ。

 食べ始めたのを見て、器を運んだ者も息を吐いた。

 

「覚えてもらえそうですね」

 

 俺は頷いた。

 俺がいなければ食事も取れないままでは、この家で暮らし続けられない。

 新しい世話係からも食事を受け取ったことを、記録に書き足した。

 

 公爵様が戻られたあと、お嬢様は小屋の前に敷いた布へ座られた。

 狼はその足元に伏せる。

 俺は水の器を替え、布の端へ腰を下ろした。

 

「山より音が多いわね」

 

 通りを走る馬車の音がする。

 小屋の屋根へ鳥が降り、向こうの庭で誰かが枝を切っていた。

 狼の耳は、そのたびに別の方向へ動く。

 

「少しずつ、慣れてくれれば」

「あなたも最初は屋敷の音を聞いていた?」

 

 俺は頷いた。

 何がどこから聞こえるかを覚えることは、夜に動くためにも必要だった。

 だが、それだけをお伝えするのは、お嬢様のご質問とは違う気がした。

 

「孤児院とは、随分違いました」

「今は?」

 

 廊下を歩く靴の音で、誰が来たか分かることもある。

 いつ食事が運ばれ、いつ窓が閉められるかも知っている。

 俺は小屋を見てから、お嬢様へ答えた。

 

「帰ってきたと、分かる音になりました」

 

 お嬢様は何も言わず、狼の頭を撫でられた。

 しばらくして、俺の手もその隣へ置く。

 ヘルヘイムが、二人の手の下で目を閉じた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。