何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~ 作:名もなきそば付き
奥様が買い物の一覧に線を引かれた。
奥様は俺の書いた紙と学園から届いた紙を並べて見ていらっしゃる。
「本を借りられるのは分かったわ。でも、靴は借りられないでしょう」
「今のものが、まだ使えますので」
「それで雨の日に通うの?」
返事をする前に、お嬢様が椅子の下をのぞいた。
「踵が薄くなっているわ」
「履けないほどではございません」
「履けなくなる前に替えるのよ」
母娘に同じことを言われてしまった。
奥様の持つペンが、俺の書いた「不要」を消す。
靴。制服。外套。
その三つは、どうしても買っていただくらしい。
「制服まで、こちらで揃えていただいてよろしいのでしょうか」
「あなたも生徒になるのよ。入学の支度をするのは当然でしょう」
奥様は制服の項目へ、もう一度ペン先を置かれた。
「二つの頃から、あなたが大きくなるのを見てきたのよ。あの子と二人、ちゃんと揃えて送り出させてちょうだい」
お嬢様のそば付きとして必要なものなら、お願いできる。
俺自身の入学のためだと言われると、同じ制服でも返事に困った。
「……ありがとうございます」
「ノエルさんの背は毎年どれくらい伸びていると思うの?」
「そこまでは、測っておりませんが」
「仕立屋は測っています」
執事が扉のそばから答えた。
見れば、お嬢様が口元を押さえていらした。
十三歳の春が近づいていた。
今日は、入学前の最後の買い物に出る。
これまでの周回では、お嬢様のそば付きとして学園へ同行した。今度は俺も正式に入学し、二人で通うことになる。
何度も通った学園だ。必要な本も、教室の場所も、学園で困るものも知っている。
しかし、家にあるもので済ませようと削った品の半分は、奥様に書き戻されてしまった。
「せっかく一緒に選ぶのだもの。楽しませてちょうだい」
奥様が紙を畳む。
そう言われては、これ以上減らすわけにもいかなかった。
☆
仕立屋では、先にお嬢様が奥へ呼ばれた。
採寸を直すところがあるそうだ。
俺は手前で制服の上着へ袖を通した。
「肩を動かしていただけますか」
仕立屋の言葉に従い、両腕を上げる。
次に前へ伸ばし、肘を曲げた。
肩甲骨の辺りへ布がついてくる。腕を引いても脇が突っ張らない。
「もう少し余裕を持たせることもできますが」
「動きにくくならない程度で、お願いいたします」
鏡の前で上着の裾を見る。
座ったときに邪魔にならず、走っても太腿へ掛かりすぎない長さだった。
腰をひねると、仕立屋が少し笑った。
「踊られるときの確認とは違いますね」
「階段を上り下りすることが多くなりますので」
間違ってはいない。
階段で誰かをかばうこともあるし、屋外の演習で走ることもある。
学園では、大剣を帯びて歩くわけにはいかなかった。
素手でもすぐに動けるよう、服は身体に合うものを選んでおきたい。
袖口のボタンを留める。
細い手袋を着けても手首が詰まらないことまで確かめると、仕立屋はその位置へ印をつけた。
「よく使われるほうへ、内側のポケットをつけましょうか」
「小さな布が入れば、助かります」
清潔な布は持ち歩きたい。
怪我をした人へ神術を使う前に、血や泥を拭うことがある。見知らぬ場所なら、水をすぐ借りられるとも限らない。
「手帳も入る大きさにしましょう。昨日いただいた寸法がありますから」
俺は鏡から目を離した。
奥様がソファからうなずかれる。
「いつも持っているでしょう。あの子の予定を書いたもの」
「ありがとうございます」
奥様が、手帳の寸法まで仕立屋へ伝えてくださっていたらしい。
胸の内側へ掌を当てる。
そこへ手帳が入るなら、包みを抱えたままでもすぐ取り出せる。
お嬢様が奥から出ていらした。
学園へ持っていく赤いドレスの襟を指先で直し、俺を見る。
いつもお召しになっているものより裾が短く、袖も机に触れにくい形だった。
お嬢様は何着か並んだ中からこれを選び、椅子へ座って確かめたそうだ。
「どう?」
「よくお似合いです」
「あなたも似合っているわ」
お嬢様が俺の隣へ立たれた。
俺の制服の暗い色と、お嬢様の赤い裾が映った。
襟についた学園の印を指で確かめた。そば付きとしてお嬢様のお供をするだけでなく、俺も生徒として同じ教室へ通う。
「一緒に通う服ね」
お嬢様が言った。
俺は鏡の中で目を合わせる。
「はい。お待たせしないよう、支度しておきます」
「待つのはいいの。でも先に行かないでね」
お一人で行けないわけではなく、俺と一緒に出たいとおっしゃっているのだろう。
「それでは、毎朝お迎えに参ります」
お嬢様は満足したようにうなずいた。
☆
靴屋では、店主が俺の履いてきた靴を裏返した。
奥様へ見せる前に、俺へ見せる。
「まだ履けるというのは、本当です」
味方になってくださるかと思った。
「ただし、晴れた道を選べるのであれば」
そう付け足し、踵の薄いところを指で押す。
水の染みる箇所も示されてしまった。
「新しいものへ足を慣らす時間もいります。入学の日に初めて履かれるより、今日から少しずつお使いください」
「……承知いたしました」
お嬢様が、ようやく分かったかと言いたげに俺を見ていらした。
これ以上、今の靴を庇うのはやめた。
新しい靴で店の中を歩く。
つま先に余裕があり、踵は浮かない。立ち止まって向きを変えても、足の裏がずれなかった。
少し速く歩くと、店主に奥まで使ってよいと言われた。
棚の端から窓まで行き、戻る。
店主は俺の膝と踵を順に見ている。
「こちらでよいと思います。片方ずつ履き替えて、違いも確かめてください」
片足だけ元の靴へ戻した。
床を踏む感触が、確かに違う。
慣れているからと気にしなかっただけで、古い靴の踵は少し斜めになっていた。
稽古でも、新しい靴のほうが踏み込みやすいだろう。
「いかが?」
「歩きやすいです。ありがとうございます」
奥様へ頭を下げると、お嬢様が俺の新しい靴の隣へ足を置いた。
ご自分の靴も、今日選んだものだった。
「これなら学園まで行けるわね」
「馬車で参りますが」
「途中で降りても大丈夫でしょう」
どこで降りるおつもりだろう。
奥様が笑い、道を選ぶのは御者へ任せるようにとおっしゃった。
次は本屋だった。
紙に書かれた教本を、店員が棚から抜いていく。
家にあるものと同じ題でも、版が変わった本が二冊あった。
「こちらは地図が直されています。もう一冊は演習の決まりが増えました」
借りた本を使うつもりだった俺は、新しいページを開いた。
地図の街道に一本、線が加わっている。
奥にある森の入口には、小さな注記がついていた。
街道の追加と、演習規則の変更箇所を確かめた。
「こちらの二冊は、購入させていただきます」
執事が一覧へ印をつけた。
お嬢様は地図の見開きへ顔を寄せる。
「この川、山へ行ったときに渡ったところ?」
「その上流になります。馬車で渡ったのはこちらです」
指したところから、道をたどられる。
ヘルヘイムを見つけた山は、地図では小さな三角の一つだった。
お嬢様はそこへしばらく目を留め、次のページをめくった。
俺も本を閉じず、演習の決まりを読んだ。
班の人数。引率の位置。怪我をした際の合図。
覚え直しておくべきところを、紙へ書き留める。
「ノエル、それは帰ってからにしましょう」
奥様に言われて顔を上げた。
「まだ紙屋へも行くのよ」
「失礼いたしました」
お嬢様が教本を抱える。
俺が持とうと手を出すと、半分だけ渡された。
「私の本は私が持つわ」
「重くありませんか」
「このくらい持てるもの」
そうおっしゃって歩く足は、しっかりしていた。
俺は渡された分を抱え直し、横へ並んだ。
☆
紙屋では、お嬢様が二冊の帳面を選ばれた。
一冊は授業の書き取り用。もう一冊は、少し小さくて丈夫な表紙のものだった。
「こちらもお勉強に?」
「それ以外にも使うの」
何を書くのかまではおっしゃらない。
以前より、そういう答えが増えた気がする。
何でも俺へお任せになるのではなく、ご自分で決めて、必要なときに話してくださる。
「あなたのは?」
俺は飾りのない帳面を取った。
書きつけることが多いので、厚いものを二冊。
店員が、同じ大きさでも紙が違うものを二つ見せてくれた。
薄いほうは持ち歩きやすいが、裏へ書くと筆の跡が透けるという。
試しの紙を借り、いつも使う筆で短く名前を書いた。
乾くのを待って裏返す。
次の行を重ねれば、前に書いた文字が読みにくくなりそうだった。
「こちらにいたします」
少し厚い紙のほうを選ぶと、お嬢様もご自分の小さな帳面へ試しの紙を添えられた。
「私のも同じ紙にできる?」
店員が表紙の色を尋ねる。
お嬢様は、すでに選んだものを渡された。
俺が筆の次に墨も試している間、お嬢様は新しい帳面の表紙を撫でていらした。
店員に包んでいただこうとすると、お嬢様が一本のしおりを添えた。
青い細い布だった。
「いつも紙を挟んでいるでしょう。これなら落ちにくいわ」
「こちらは、お嬢様の分では」
「私は赤にするの。あなたは青」
並べて見せられたしおりを受け取る。
表紙の上から垂らす長さを確かめ、お礼を言った。
新しい帳面には、過去に学園で起きたことと、今周で変わったことを分けて書いておこう。
お嬢様の婚約はない。
クラウディア様は錬金術を続け、フィオナは人の言葉を聞く。
旅先で助けた狼が、今はヘルヘイムという名前で屋敷に暮らしている。
書き残した危険を消すには早いが、以前と違う出来事も、もうこれだけある。
最後の包みを受け取り、店を出る。
馬車の中では奥様が買い物の一覧を確かめ、お嬢様は新しい帳面を膝へ置いていらした。
「入学したら教えてね」
「何をでしょうか」
「難しかったところ。私も教えるから」
授業なら、知っているつもりだった。
だが、今のお嬢様がどんなふうに学園で過ごすのかは、まだ知らない。
「それでは、よろしくお願いいたします」
お嬢様が笑う。
馬車が動き、窓の外の店先がゆっくり後ろへ流れた。
帰ったら靴を履き替え、新しい本を棚へ並べよう。
その前にヘルヘイムのところへ行かなければ。
お嬢様はきっと、しおりを見せるとおっしゃるだろう。
膝へ置いた包みを押さえる。
隣では、同じ学園へ通うための服を受け取ったお嬢様が、帳面の最初のページを開いていらした。
これにて二章が終わります。
三章は表紙作成とか、構成を考え直すため、今週末から再開になると思います。