何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

7 / 8

【挿絵表示】

一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。


第七話☆休みをもらう日

「明日は、お休みよ」

 

 夕食のあと、お嬢様はそうおっしゃった。

 

 俺は翌日の予定を思い返した。

 文字の授業はない。教会から先生がお見えになる日でもない。

 お嬢様は奥様と過ごされると聞いていた。

 

「かしこまりました」

 

 ちょうどよかった。

 書きかけの帳面を整理し、祈祷書の傷んだ糸を直して、靴の泥を落とす時間が取れる。

 

「今、何をしようと思ったの?」

 

 なぜ分かるのだろう。

 

「身の回りを、少し」

 

「それは、休みなの?」

 

「普段はできないことを済ませられますので」

 

 お嬢様は奥様を見た。

 奥様も、お嬢様を見た。

 短い間に、何かの相談が済んだらしい。

 

「明日は、私と遊びましょう」

 

「お嬢様は、奥様とご一緒では」

 

「午前のお話は、今夜にしたわ」

 

「何も、私のために」

 

「私が、遊びたいの」

 

 そうおっしゃるなら、従うほかない。

 俺は頭を下げた。

 

「喜んで、お供いたします」

 

 お嬢様はなぜか、まだ納得していないようだった。

 

     ☆

 

 四歳の春は、風が強かった。

 

 翌朝、窓を開けると、カーテンの端が内側へふくらんだ。

 庭の木が揺れている。

 外遊びをするには、少し寒いかもしれない。

 

 上着を用意しようと衣装タンスを開き、その下の棚に積んだ紙を見つけた。

 昨日、片づけるつもりだったものだ。

 

 一枚だけ。

 どの帳面へ挟むか決めておけば、あとで迷わない。

 

 紙を広げる。

 教会から借りた本の一覧だった。

 返す日付を確かめ、次に借りる本の名を書き足す。

 そういえば、こちらの本も返却が――。

 

「始めていると思ったわ」

 

 扉のところに、お嬢様がいた。

 今朝は帽子を手に持っている。

 

「おはようございます」

 

「おはよう。何をしているの?」

 

「片づけを」

 

「書くものを増やしているように見えるわ」

 

 俺は紙を見た。

 そのとおりだった。

 

 お嬢様は机に近づき、書きかけの欄を見た。

 

「今日返すの?」

 

「いえ、来週です」

 

「では、来週までにしましょう」

 

 紙を奪われるのかと思った。

 けれど、お嬢様は触れなかった。

 俺が自分で畳むのを、待っていらした。

 

 どうにも、負けた気がする。

 俺は筆を置き、紙を棚へ戻した。

 

「これでよろしいでしょうか」

 

「ええ。何をして遊ぶか、決めましょう」

 

「もう、お決めになっているのでは」

 

「まだよ」

 

 お嬢様は帽子を卓へ置いた。

 

「あなたにも、決めてもらうの」

 

     ☆

 

 選ぶというのは、難しい。

 

 庭の散歩なら、お嬢様のお疲れにならない道を知っている。

 読書なら、お好きな本を覚えている。

 積み木なら、高く積むより、家を作るほうがお気に召す。

 

 しかし、そのどれも、お嬢様の好みだった。

 

「ノエルがしたいことよ」

 

「では、お庭で」

 

「何をするの?」

 

 警備の確認。

 口にする前に飲み込んだ。

 

 お嬢様はじっと待っている。

 答えを用意してくださるつもりはないらしい。

 

 窓の外を見た。

 風が、雲を押している。

 

「……何かを、飛ばしてみるのはいかがでしょう」

 

「飛ばす?」

 

「紙を使って。子供の頃、孤児院で作ったことがございます」

 

 寄付の荷物を包んでいた紙を、修道女が取っておいてくれたのだ。

 破れていないところを選び、年上の子たちとつなぎ合わせて使った。

 

 言ってから、少しまずかったと思った。

 今も、子供だった。

 

「もっと小さい頃に」

 

 言い直すと、お嬢様は気にした様子もなくうなずいた。

 

「作り方は、覚えている?」

 

「おおよそは」

 

「では、それにしましょう」

 

 侍女に相談すると、薄い紙と糸、それに小枝を持ってきてくれた。

 庭師が切った枝の中から、軽いものを選んだそうだ。

 刃物を使うところは、大人に頼む。

 俺たちは卓の上で、紙を広げた。

 

 十字に枝を重ね、糸で結ぶ。

 紙を張り、下へ細い尾をつける。

 

 簡単なはずだった。

 

「曲がっているわね」

 

「……そのようです」

 

 中央の結び目が動いた。

 枝が斜めにずれ、四角い紙が引きつる。

 昔、教えてくれた年上の子は、もっと簡単そうに作っていた。

 

 俺は結び直そうとして、糸を引いた。

 今度は紙が少し裂けた。

 

「ノエル」

 

「申し訳ありません。すぐに」

 

「押さえていましょうか」

 

 顔を上げる。

 お嬢様は、小枝の両端に手を置いていた。

 

「こちらを持てばいい?」

 

「……はい。少し、そのままで」

 

 二人で押さえると、結びやすかった。

 破れたところには、小さな紙を上から貼った。

 やり直した跡は、どうしても残る。

 

「新しく作り直しましょうか」

 

「まだ、飛ぶか試していないでしょう」

 

 お嬢様はそう言って、貼った紙をそっと押さえた。

 

 乾くまで待つ間に、絵を描くことになった。

 俺は鳥を描いた。

 お嬢様は花を描いた。

 

「これは、鶏?」

 

「空を飛ぶ鳥のつもりでございます」

 

「足が、強そうね」

 

 お嬢様は声を震わせた。

 自分でも、そう思った。

 

「歩くほうが、得意かもしれません」

 

 そこで、お嬢様はとうとう笑いだした。

 笑いながら、自分の花の横へもう一つ、丸いものを描く。

 

「こちらは、何でしょう」

 

「花よ」

 

「……なるほど」

 

「今、何だと思ったの?」

 

「車輪かと」

 

 今度は俺も、笑ってしまった。

 

     ☆

 

 庭へ出ると、作ったものは思ったより大きく見えた。

 

 侍女が敷物を広げる間、俺は周りを見回した。

 通用口は閉まっている。

 庭師が花壇にいる。

 塀の向こうから、荷車の音がした。

 

 反射的に、お嬢様の前へ出た。

 門のほうを確かめる。

 何も起きていない。

 当然だった。ここは公爵家の庭で、塀の外には普通に道がある。

 

「どうしたの?」

 

「いえ。何でもございません」

 

 俺は作った紙を持ち直した。

 その角をつまむ手に、少し力が入っている。

 

 遊んでいていいのか。

 

 気を抜いた一瞬を、後になって悔やんだことがある。

 外を見ていれば。声を聞き逃さなければ。先に気づけていれば。

 そんなことを考え始めると、目の前の紙が急に、役に立たないものに見えてきた。

 

 お嬢様が、庭師を呼んだ。

 

「このあたりで、遊んでもいい?」

 

「ええ。通り道からも離れていますし、枝も落としてあります」

 

「門のところには、誰がいるの?」

 

「いつもの者がおりますよ」

 

 庭師は不思議そうに答えた。

 お嬢様はうなずき、俺を見た。

 

「聞こえた?」

 

「はい」

 

「私たちが遊んでいても、皆、お仕事をしているわ」

 

 その向こうで、侍女が敷物の端を押さえている。

 門には門番がいて、廊下には使用人がいる。

 俺が目を離しただけで、全員がいなくなるわけではない。

 

「何かあったら、呼んでいただけますか」

 

 俺が頼むと、庭師は大きくうなずいた。

 

「もちろんです」

 

 お嬢様は、それ以上何も言わなかった。

 俺の持つ紙が風にあおられ、頬へ当たった。

 思わず目を閉じる。

 

「……まず、これを飛ばさないといけませんね」

 

「ええ。顔ではなく、空へ」

 

 紙を下ろすと、お嬢様の口元が笑っていた。

 俺はそのお顔を見て、持ち方を変えた。

 今日は、この方が望んだ遊びをしよう。

 全部を一人で確かめなくてもいいように、今、頼んだのだから。

 

 侍女が後ろで支え、俺が糸を持つ。

 風に向かって、少し走る。

 

 紙は持ち上がった。

 すぐに横を向いた。

 そのまま、草の上へ落ちた。

 

「……飛びましたね」

 

「落ちたわね」

 

 お嬢様のほうが正確だった。

 

 尾の向きを直して、もう一度。

 今度は右へ曲がり、植え込みに突っ込んだ。

 庭師が笑いながら取ってきてくれる。

 

「左右の重さが違うんでしょう。こちらの枝が、少し太い」

 

 枝を替えてもらうことになった。

 その間、お嬢様と芝生の端へ腰を下ろす。

 下には侍女が敷いてくれた布があった。

 

「魔法で浮かせることも、できますが」

 

 俺が言うと、お嬢様は首を振った。

 

「それでは、あなたが飛ばしているのでしょう」

 

「風で飛ばすのも、同じでは」

 

「違うわ。手を離したら、落ちてしまうのでしょう?」

 

 確かに、そうだ。

 風で上がるものに、風以外の力を足してしまうのは、少し違う。

 

 庭師が戻ってきた。

 修理した紙を持ち上げると、今度は風を受ける角度が安定していた。

 

 俺が糸を引く。

 お嬢様が隣を走る。

 地面から離れた紙が、俺たちの頭より高く上がった。

 

「ノエル、見て」

 

「見ております」

 

「もっと上よ」

 

 糸が指を引っ張った。

 小さな力だ。

 それでも、自分の手の先に空がつながっているようだった。

 

 お嬢様にも糸を持っていただく。

 二人の手が、同じ方向へ引かれる。

 

 鳥と花の絵が、青い空の下で揺れた。

 飛んでしまえば、鳥の足が太いことなど分からない。

 

「飛びました」

 

「ええ」

 

 お嬢様は、今度は笑わなかった。

 まぶしそうに目を細めて、ずっと上を見ていた。

 

 やがて風が弱くなり、紙はゆっくり下りてきた。

 走れば、まだ上げられたかもしれない。

 だが、お嬢様の息が弾んでいたので、そこで終わりにした。

 

「明日も飛ぶかしら」

 

 お嬢様が、下りてきた紙を見ながら尋ねた。

 

「風があれば、飛びますよ」

 

「なかったら?」

 

「……待ちましょう」

 

 俺がそう答えると、お嬢様はうなずいた。

 

     ☆

 

 部屋へ戻る前に、靴の泥を落とした。

 今度はお嬢様も、仕事をしているとはおっしゃらなかった。

 遊んで汚した靴を手入れするのは、休みの続きらしい。

 

 俺の靴と、お嬢様の靴が並ぶ。

 侍女が仕上げに布で拭き、二足をそろえた。

 

「楽しかった?」

 

 お嬢様に尋ねられた。

 俺は、答えを探さなくてもよかった。

 

「はい」

 

「失敗しても?」

 

「最後は、飛びましたので」

 

 お嬢様は少し考えた。

 

「私は、作っているときも、楽しかったわ」

 

 車輪のような花と、歩くほうが得意そうな鳥。

 糸がほどけて、何度も結び直した卓。

 

 俺も、あの時間を嫌だとは思わなかった。

 何一つ、予定どおりには進まなかったのに。

 

 夕方、部屋の棚から帳面を出した。

 お嬢様は、もうご自分の部屋に戻っている。

 今なら少しだけ、片づけられる。

 

 紙の端を持ち上げる。

 その隣に、明日飛ばすものが立てかけてあった。

 尾の紙が一枚、外れかけている。

 

 俺は帳面を戻し、糊を借りに行った。

 

 翌朝、乾いた尾を確かめていると、お嬢様が扉から顔を出した。

 

「今日も、働いているの?」

 

「いえ」

 

 俺は、直したところを見せた。

 

「風待ちでございます」

 

 お嬢様は一度まばたきをして、それから、昨日と同じように笑った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。