何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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【挿絵表示】

一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。


第八話☆神官として働く

「今日は、私の隣に座っていなさい」

 

 診療室へ入るなり、神官様は椅子を指さした。

 机の端には、俺の分の筆と紙が置いてある。

 

「治療のお手伝いは」

 

「必要なら頼みます。まずは、お名前と症状を」

 

 椅子に上がり、足をそろえた。

 五歳になった秋から、教会へ来る日が増えた。

 屋敷への迎えには大人がつき、帰る時刻も決まっている。神官として働きたいと申し出ても、半日だけの手伝いからだった。

 

 以前なら、もう少し先のことを任されていた。

 そう思ってから、以前の自分はもっと大きかったのだと思い直す。

 

「頼まれる前に治そうとしないこと。よいですね」

 

「はい」

 

 筆を取ったところで、最初の患者が入ってきた。

 

     ☆

 

 男は、左の手首を布で巻いていた。

 椅子に座ると、俺を見て、隣の神官様へ目を戻す。

 

「その子も、ここにいるんですか」

 

「記録を手伝ってもらっています。話したことを外へ漏らさないのも、勉強のうちです」

 

 俺は頭を下げた。

 男は少しためらったあと、荷を下ろすときに手を痛めたと話した。

 

 腫れている。

 治せる傷だった。

 

 俺が手を出すより先に、神官様が布を外した。

 

「いつから痛みますか」

 

「昨日の昼からです」

 

「そのあとも、お仕事を?」

 

「片手では間に合わなくて」

 

 机の下で、男の右手が膝を握った。

 俺は聞いたことを書き留める。

 昨日。荷を下ろすとき。仕事は続けた。

 

 神官様が手首を支え、短く祈った。

 光が消えると、男は指を開いた。

 それから、驚いたように手首を動かす。

 

「ありがとうございます。これで戻れます」

 

「今日は重い荷を持たないように」

 

 男の動きが止まった。

 

「でも、治ったんでしょう」

 

「今の傷は治りました。昨日と同じ持ち方で、同じ重さのものを運べば、また痛めることがあります」

 

 男は困った顔をした。

 神官様も、仕事を休めの一言では済まないと分かっているようだった。

 

「荷を分けるか、誰かと持てますか」

 

「親方に、言ってみます」

 

「お願いするために、私からも一筆書きましょう」

 

 俺は新しい紙を差し出した。

 神官様が礼を言い、短い文を書く。

 

 傷は、もう治っている。

 しかし男が本当に安心した顔をしたのは、その紙を受け取ったときだった。

 

 次の患者を呼ぶ前に、神官様が俺の記録をご覧になった。

 

「何か、書き足すことは?」

 

 俺は男が出ていった扉を見た。

 

「荷の持ち方について、お話ししたことですか」

 

「ええ。次に同じ手を痛めて来たとき、今日何を話したか分かるように」

 

 文字を足す。

 治した、それだけでは記録にならない。

 知っていたはずのことを、改めて教わった。

 

 次に来た老婦人は、治療が終わっても椅子を立たなかった。

 膝の上の袋を開き、何度も中を探っている。

 ようやく出てきたのは、小さな硬貨が一枚だった。

 

「今日は、これしかなくて」

 

 神官様は、その手を押し戻した。

 

「お気持ちだけで結構です。帰りの買い物にお使いください」

 

「でも、この間も診てもらったでしょう」

 

「ですから、今日来てくださってよかった。歩き方が楽になったか、確かめられました」

 

 老婦人はまだ、申し訳なさそうだった。

 俺は記録から目を上げた。

 何か一つでも返さなければ、帰りづらいのだろう。

 その気持ちは、少し分かる。

 

「家で、布を繕うくらいならできるんだけど」

 

「今日は手も休めてください。お仕事を探していただくために、お返ししたのではありませんよ」

 

 神官様は柔らかく言った。

 老婦人はやっと袋を閉めた。

 

 扉まで送って戻ると、俺は机の上の寄付の箱を見た。

 朝より少し、中身が増えている。

 それでも、この部屋で使う布や薬の量には、とても追いつかない。

 

「この部屋の費用は、どちらから出るのですか」

 

「教会へ納められる寄付などからですよ。今日来た方だけで、今日の分を払うわけではありません」

 

 神官様は、老婦人の記録をめくった。

 

「払えるときに納めた人が、払えなくなって来ることもあります。初めから持っていない人もいる。それを、ここで選り分けては困るでしょう」

 

「はい」

 

 俺が孤児院で診てもらったときも、硬貨など持っていなかった。

 祈りの言葉を覚える前から、この仕組みの中にいたのだ。

 

 先ほどの老婦人は、治療のお礼に何か仕事をしようとしていた。

 俺も屋敷で世話をしていただくたびに、できることを探している。

 神官様の言葉を聞いていると、自分も少し休むように言われた気がした。

 

 俺は寄付の箱から目を離し、次の紙を用意した。

 廊下で、小さな子供の泣き声が聞こえた。

 

     ☆

 

 午前の終わり近く、小さな女の子が母親に連れられてきた。

 膝に血がにじんでいた。

 母親の袖を握り、椅子へ座るのを嫌がっている。

 

「転んだところを、見せてくれるかな」

 

 神官様が尋ねると、女の子は首を振った。

 

「また痛くする」

 

「汚れを落とすときには、少し痛むかもしれません。でも、そのあとは治しましょう」

 

 女の子の手に、ますます力が入る。

 母親は困り、俺たちに謝った。

 

 俺は椅子から下りた。

 

「こちらの椅子なら、足が床につきますよ」

 

 自分の使っていた椅子を示す。

 女の子は、俺の顔を見た。

 神官様より目線が近いせいか、少しだけ肩の力が抜けた。

 

「そこに座れば、お母様の手をつないだままでいられます」

 

「……ずっと?」

 

「はい」

 

 母親がうなずく。

 女の子はようやく座った。

 

 神官様が膝を確かめ、俺へ目を向けた。

 

「治癒をお願いできますか。先に、傷をきれいにします」

 

「はい」

 

 水が触れると、女の子は泣いた。

 俺は急かさず、母親の手を握り直すのを待った。

 傷についた砂がなくなったところで、膝のそばに手をかざす。

 

「今から、お祈りをしますね」

 

 光が、擦りむいたところを覆った。

 女の子は泣きながら、俺を見上げていた。

 やがて声が小さくなる。

 

「お目々に、星」

 

「手のほうも、少し光っていますよ」

 

 視線を傷へ向けてもらう。

 まだ怖がっている相手に、見慣れない目まで近づけることはない。

 

「もう、痛くない?」

 

「そっと曲げてみてください」

 

 女の子は母親の顔を見て、それから膝を動かした。

 痛くないと分かると、すぐ椅子から下りようとする。

 俺はその前に、落ちていた靴を拾った。

 

「こちらも、履いてから」

 

 母親が笑い、何度も礼を言った。

 帰り際、女の子は扉のところで振り返った。

 

「また、いる?」

 

「いる日も、ございます」

 

「転ばない日に、来てもいい?」

 

 神官様が、お祈りにおいでと答えた。

 女の子は、今度は自分から母親の手を引いて出ていった。

 

 俺は手を下ろした。

 この程度の傷なら、続けて何人でも治せる。

 ただ、椅子へ座ってもらうまでのことは、傷を閉じるより長くかかった。

 

「よく待てましたね」

 

 神官様に言われた。

 

「怖がらせてしまうかと思いました」

 

「怖がっていると気づいてくれれば、それで十分です」

 

 紙には、転倒による膝の傷と書いた。

 その下に、母親と手をつなぐと落ち着く、と小さく添えた。

 

     ☆

 

 片づけのあと、別の神官様が診療室へ来た。

 俺が最初に神術を見せたときにも、立ち会っていた方だった。

 

「今日も、瞳に印が出ましたか」

 

「はい。治癒を行ったときに」

 

 隣の神官様が答える。

 俺は洗った杯を布で拭きながら、二人を見た。

 

「痛みや、見え方の変化は?」

 

「ございません」

 

「使ったあと、妙に眠くなることは」

 

「普段と変わりません」

 

 尋ねられるたびに、同じ返事をする。

 五芒星は珍しいらしく、教会では俺がここへ通い始めた頃から記録を取っていた。

 だが、それが何を意味するか、はっきりした説明はまだ聞いていない。

 

 最初の人生には、なかった。

 少なくとも、誰かに指摘されたことはない。

 それを口にすれば、説明することが増えすぎる。

 

「変わったことがあれば、すぐに知らせなさい」

 

「承知いたしました」

 

 もう一人の神官様が出ていくと、診療室は静かになった。

 俺は布を畳み、棚へ戻した。

 

「お昼まで、もう少しお手伝いできます」

 

「お迎えの時刻です」

 

 壁の時計を見る。

 そうだった。

 

「まだ外に、お待ちの方が」

 

「午後を担当する者が来ていますよ」

 

 廊下には、別の神官がいた。

 俺よりずっと大きな手で、薬箱を運んでいる。

 

 自分が席を立っても、診療は続く。

 屋敷の帳面のときと、同じことだった。

 

 俺は今日の紙をそろえた。

 神官様が順番を確かめ、最後にうなずく。

 

「お疲れさまでした」

 

「ありがとうございました」

 

 頭を下げたとき、腹が鳴った。

 声より、はっきり聞こえた。

 

 神官様が笑いをこらえる。

 

「そちらも、忘れずに」

 

「……はい」

 

     ☆

 

 迎えの馬車までの短い道で、教会の裏手を見た。

 

 大きな荷車が一台止まっている。

 荷を受け取る者の向こうに、灰色の上着を着た男が二人いた。

 腰に剣を下げている。

 そのうち一人は、見覚えのある歩き方をしていた。

 

 まだ若い。

 俺に書類の読み方と、人の話の聞き方を教えた頃より、頬の傷も浅かった。

 

「どうしました」

 

 付き添いに尋ねられ、俺は視線を戻した。

 

「いえ。あちらの方々は、教会のお仕事を?」

 

「そうですよ。詳しいことは、先生にお尋ねなさい」

 

 男がこちらを見た。

 俺は軽く頭を下げた。

 向こうも、ただの子供への挨拶として返した。

 

 異端審問官。

 今の俺は、まだその仕事へ手を伸ばせない。

 

 焦るな。

 治癒と記録で信用を作り、少しずつ近づけばいい。

 昔は、そうして道を開いた。

 

 馬車へ乗り、膝の上で手を重ねた。

 昨日より、指の動きがよくなった気はしない。

 それでも、一年前よりは確かに筆を長く持てる。

 

 屋敷へ戻ると、お嬢様が食堂へ続く廊下で待っていてくださった。

 

「今日は、どんなことをしたの?」

 

「お名前を書いて、治療のお手伝いを少し」

 

「どなたを治したの?」

 

 答えかけて、止まる。

 

「……患者様のことは、あまり詳しくお話しできません」

 

「そうね」

 

 お嬢様はすぐにうなずいた。

 

「では、あなたのことを聞かせて。うまくできた?」

 

 俺は朝の椅子を思い出した。

 治せると分かっていたのに、待った時間。

 帰っていくときには、自分で歩いていた小さな靴。

 

「できたことも、ございます」

 

「よかったわ」

 

 お嬢様は、食堂の扉へ向かった。

 俺も隣を歩く。

 厨房から、温かい汁物の匂いがした。

 

 配られた匙を持つと、もう一度腹が鳴りそうになった。

 お嬢様が先に召し上がるのを待って、俺も口へ運ぶ。

 

「おいしい?」

 

「はい」

 

 今日は、すぐに答えられた。

 午後の予定を考える前に、もう一口いただいた。

 

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