何回やり直してもお嬢様が救えない~今度のお嬢様は、なぜか私を離してくれない~   作:名もなきそば付き

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一章の表紙イメージです。AI画像ですのでご注意ください。


第九話☆鍛錬と外出の予定

 剣先が、地面に触れた。

 

「そこまで」

 

 声をかけられ、俺は木剣を下ろした。

 振り切った腕が、わずかに震えている。

 あと一度なら、同じ軌道を通せる。

 だが、その次は分からなかった。

 

「もう一度、お願いいたします」

 

「何のために?」

 

 屋敷の護衛を務める男が、俺の手元を見た。

 

「今の動きを確かめたく」

 

「なら、休んでからだ。疲れて崩れた動きを覚えても仕方がない」

 

 七歳の手には、大人用の木剣は長すぎた。

 今使っているものは短く、軽く削ってある。それでも、振り方を誤れば身体ごと引っ張られる。

 

 頭の中には、大剣を振った感覚が残っていた。

 踏み込みも、刃の返し方も知っている。

 ついてこないのは、足の長さと、腕の力だった。

 

 俺は剣を置き、指を開いた。

 

「先にこちらの言う回数で止められるようになれ」

 

「はい」

 

「返事はいつもよいんだがな」

 

 護衛は肩をすくめた。

 

     ☆

 

 朝の鍛錬を許していただくまでに、ずいぶんかかった。

 

 初めは庭を歩くところから。

 次に、転び方と、足の運び。

 神聖力で身体を補えばできると申し上げると、それを使わずに立てるようになってからだと言われた。

 

 もっともだった。

 力を切らした瞬間に、自分の重さで足を傷めては意味がない。

 

 護衛が地面に二本の線を引いた。

 

「剣は持たなくていい。この間を前と後ろへ」

 

 俺は線の間に立った。

 前へ出る。下がる。

 足を交差させず、上体を揺らさない。

 

 昔の歩幅を使うと、前へ出すぎる。

 それを戻そうとして、膝が内側へ入る。

 

「そこだ。大きく動こうとしすぎる」

 

「承知しております」

 

「分かっていて直せないのなら、ゆっくりやれ」

 

 俺は息を吐いた。

 線を見て、一歩の幅を小さくする。

 今度は止まれた。

 

 何百年分の記憶があっても、七歳の脚は七歳の脚だ。

 それを毎回、覚え直さなければならない。

 

「不思議な子だな」

 

 護衛がつぶやいた。

 

「守りを崩さないのは上手い。だが、自分の腕がどこまで届くかを、時々忘れる」

 

「……気をつけます」

 

「誰かに習ったことがあるのか」

 

 ここで、ないと言うのは簡単だった。

 だが、一度そう答えれば、この先もずっと説明が必要になる。

 

「教わったことを、思い出しながら動いております」

 

「なら、今は私のやり方にも付き合ってくれ」

 

「はい」

 

 それ以上は聞かれなかった。

 助かった、と思った。

 同時に、今の師にもきちんと教わろうと思った。

 この人が見ているのは、今ここにいる俺の足なのだから。

 

     ☆

 

 昼前に教会へ向かった。

 

 診療の手伝いを始めてから、二年近くになる。

 患者の名を書く仕事に加え、薬草の在庫や、各地区へ運ぶ包みの数も確認するようになった。

 古い帳面を読めることを、何度も確かめてもらった結果だった。

 

 今日は、いつもの机に灰色の上着が掛けてあった。

 持ち主は窓辺で書状を読んでいる。

 

 俺が挨拶すると、男は顔を上げた。

 頬に浅い傷がある。

 二年前、裏手で見かけた異端審問官だった。

 

「君がノエルか」

 

「はい」

 

「字を読むのが早いと聞いた。数字も得意だそうだな」

 

「お役に立てることがございましたら」

 

 男は向かいの椅子を指した。

 机には、同じ日の帳面が二冊あった。

 

「こちらは倉庫を出た荷。こちらは礼拝所に届いた荷だ。数の合わないところへ印をつけてくれ」

 

 仕事の内容は、珍しくなかった。

 俺は座り、日付と品名を順に追った。

 包帯。灯油。乾燥させた薬草。

 途中で一つ、数字が合わない。

 

「こちらが、二包み少なくなっております」

 

「どうしてだと思う?」

 

 答えを知っているような声だった。

 昔も、こういう聞き方をする人だった。

 

「書き間違いか、数え間違い。途中で別の場所へ届けた可能性もございます」

 

「盗まれた可能性は?」

 

「それも、ございます。ただ、これだけでは」

 

 男はうなずき、三枚目の紙を出した。

 荷車が途中で寄った小さな礼拝所からの受け取りだった。

 二包み。

 数字が合った。

 

「正解だ。足りないからといって、最初から盗人を探すな」

 

 俺は紙をそろえた。

 以前、この言葉を聞いたときは、教わる余裕がなかった。

 早く必要なものを覚えようと、答えばかり求めていた。

 

 男は三枚の紙を並べたまま、窓際に置いてあった包みを開いた。

 中から出てきたのは、すり減った木の札だった。

 祈りの言葉らしきものが、浅く刻まれている。

 

「これは病を遠ざける札として売られていた」

 

 俺は札へ手を伸ばしかけ、許可を求めた。

 うなずかれたので、裏返して確かめる。

 神聖力は感じられない。

 

「何も、込められていないようですが」

 

「そうだ。では、売った者を捕らえればいいか」

 

 木の端が、手のひらに当たった。

 粗い彫りだった。

 同じ形のものを、まとめて作ったのだろう。

 

「本人が、どのように売っていたかを確かめる必要がございます」

 

「続けて」

 

「祈りのときに持つ札なら、力が込められていなくてもおかしくありません。持てば病が治ると説明したなら、話が違います」

 

 男は口元だけで笑った。

 

「売った者は、祈りの助けにと言っていたそうだ。治る札だと思ったのは、買った者の隣人だった」

 

 俺は札を包みへ戻した。

 訴えの書かれた紙だけでは、分からないことだった。

 

「まだ双方から話を聞いている。誰が、どこで、何と言ったか。それを飛ばすと、こちらが人の暮らしを壊す」

 

 男の指が、包みの紐を結んだ。

 乱暴な手つきではなかった。

 

「役目の名を出せば、相手は怖がる。だからこそ、先に決めつけるな」

 

「……はい」

 

 俺は昔、この教えを守れただろうか。

 聞くべき話を、結論が変わらないからと切り捨てたことはなかったか。

 

 聖女フィオナの顔が浮かび、すぐに消えた。

 あの少女については、何度も話した。何度も、別の道を探した。

 そう考えてから、俺は札の置かれた場所へ目を戻した。

 今、この男に教わっているのは、その話ではない。

 

「こういった確認も、なさるのですか」

 

 今なら、尋ねられた。

 

「大半は地味なものだよ」

 

 男は上着を椅子へ掛け直した。

 

「神の名を使って金を集める者もいれば、教会の品を勝手に売る者もいる。だが、訴えられた者が必ず悪いとは限らん」

 

 聞き取った話。持ち込まれた品。書かれた日付。

 それを照らし合わせ、食い違いを確かめる。

 危険な相手へ近づくことも、もちろんある。

 だが、剣を抜けば仕事が終わるわけではない。

 

「興味があるのか」

 

「はい。教会の役に立てるよう、学びたいと思っております」

 

 嘘ではなかった。

 それだけでも、なかった。

 

 人の出入りを調べること。

 必要な相手に近づき、知られずに動くこと。

 俺には、覚え直さなければならない仕事がある。

 

「では、まずは先生の許可をもらいなさい。君の勉強の時間を私が勝手に取るわけにはいかない」

 

「かしこまりました」

 

 正式な役目など、まだ望めない。

 だが、机の向かいに座るところまでは来た。

 

     ☆

 

 午後は、先生と配達の一覧を見直した。

 診療に使う布を買い足し、薬草を受け取る日を決める。

 年長の見習いたちが街へ出ると聞き、俺は手を上げた。

 

「私も、ご一緒してよろしいでしょうか」

 

「買い物ですか」

 

「はい。帳面の品が、実際にはどのくらいの量なのか、確かめてみたく」

 

 先生は一覧と俺を見比べた。

 

「荷物を持ちたい、と言いださないなら」

 

「……はい」

 

「今、少し間がありましたね」

 

 俺は返事をし直した。

 先生は笑い、屋敷へ予定を伝えると言ってくださった。

 

 地図を広げ、回る店を確かめる。

 薬草の店は、王都の南寄りにあった。

 その少し先に、狭い通りが何本も集まる地区がある。

 

 フィオナがいた場所だ。

 

 前の周では、この時期よりあとに近づいた。

 まだ光の力を知らず、学園へ入る未来も知らなかった少女。

 その姿を、俺は覚えている。

 

 今も同じ場所にいるとは限らない。

 母親の仕事も、借りていた家も、確かめる必要がある。

 

 指を地図から離した。

 いきなり何かをするつもりはない。

 人の出入りも、今の暮らしも、知らないまま近づくのは危険だ。

 

 お嬢様の婚約が結ばれるより前に。

 学園へ、あの少女が入るより前に。

 

 前の周では、卒業まではたどり着いた。

 あの先の戦争を防ぐ方法は、まだ分からない。

 だが、少なくとも学園で起きたことを、もう一度繰り返させるわけにはいかなかった。

 

「ノエル。こちらの道を使いますよ」

 

 先生の指が、俺の見ていた場所から外れた。

 南の大通りを通り、橋の手前で曲がる。

 

「その路地は近道ですが、荷車が通れませんから」

 

「承知いたしました」

 

 俺は、実際に通る道を覚えた。

 まずは、その日に見えるものを確かめればいい。

 

     ☆

 

 屋敷へ戻ると、お嬢様は応接室で布見本を眺めていた。

 まだ仕立てる品が決まったわけではないらしい。

 赤い布を窓の光にかざし、侍女と相談している。

 

「ただいま戻りました」

 

「お帰りなさい。今日は遅くならなかったのね」

 

「はい」

 

 お嬢様は布を置き、俺の手を見た。

 

「朝の鍛錬で痛くした?」

 

「いえ。少し、握りすぎただけです」

 

「それを痛くしたと言うのではなくて?」

 

 手のひらに、薄く赤いところがあった。

 皮は破れていない。

 治癒を使うほどでもないと答えると、お嬢様は侍女に冷たい布を頼んだ。

 

「今日の分は終わったのでしょう」

 

「はい」

 

「では、持つのもやめておきなさい」

 

 脇へ抱えた本まで、卓へ置かされた。

 剣の話だったはずなのに。

 

 布を手に当てながら、教会で決まった外出の予定を伝えた。

 お嬢様は、最後まで聞いてくださった。

 

「誰と行くの?」

 

「先生と、見習いの方々です」

 

「帰るのは?」

 

「昼過ぎの予定です」

 

 お嬢様はうなずいた。

 一緒に行くとは、おっしゃらなかった。

 

「戻ったら、お話を聞かせてね」

 

「もちろんです」

 

「患者様のお話はしなくていいわ。あなたが見たものを」

 

 俺は地図の路地を思い浮かべた。

 それは、お話しできない。

 

「……何か、お土産を探してまいります」

 

「お仕事に行くのでしょう」

 

 お嬢様が笑う。

 

「無事に帰ってきて。それでいいわ」

 

 俺は頭を下げた。

 その願いなら、守れる。

 少なくとも、守るつもりだった。

 

 部屋へ戻り、外出の日を紙に書いた。

 今の俺の歩幅では、どれだけ歩けるか。

 どこからなら通りが見えるか。

 

 考え始めてから、朝の二本の線を思い出す。

 昔の自分なら届く距離を、今の自分にも当てはめてはいけない。

 

 帰る時刻を、予定の一番下へ書き加えた。

 その下には何も書かず、筆を置いた。

 

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