登校班から宇宙戦士へ 作:匿名希望
宇宙船「アルゴ」の自室。
超光速航行の微かな振動が響く静寂の中、長身の指揮官――ルージュは、軍服を脱ぎ捨てることもなく簡易ベッドの上で浅い眠りについていた。
侵食率100%。戦闘OSと完璧な戦術脳が定着した彼女たちの脳内では、記憶のフォーマットが完了しているはずだった。
だが、脳の最深部、消し去ることのできない最下層の領域で、微かな「ノイズ」が夢となって再生されていた。
視界が低い。地面がすごく近い。
黄色い布のつば越しに、目の前を歩く大きなランドセルが見える。
『歩幅が大きいよぉ……待ってよぉ、班長……』
自分が泣きべそをかきながら、誰かの服の裾を掴んでいる。
『あはは、泣くなよ! ほら、手繋いでやるから!』
上から降ってくる、威勢のいい声。
見上げると、自分よりずっと小さな、けれどすごく頼もしい後ろ姿があった。
あったかい手。
アスファルトの匂い。
夕焼けの橙色。
――ハッと目を開けると、視界に入ったのは冷たい金属の天井だった。
「……夢、か」
ルージュは体を起こした。175cmを超える圧倒的な体躯。
しなやかで長い四肢。
軍服の胸元に触れると、そこにあるのは子供の手ではなく、威厳に満ちた女性司令官の手だった。
「……あたたかかった」
声を出して呟いてから、ルージュは眉をひそめた。
その単語は、彼女の戦術データベースには存在しない感情のノイズだった。
ブリッジへ向かうと、すでに他のメンバーも集まっていた。
しかし、普段のような完璧なミリタリー・プロトコルのピンと張りつめた空気とは、どこか違っていた。
「……みんな、早いな」
ルージュが声をかけると、耐Gスーツを着たパイロット――ブランが、ヘルメットをコンソールに預けたまま、不機嫌そうに横を向いた。
「アタシ……変な夢見たのよ。操縦桿じゃなくて、黄色い……変な帽子を頭に載せて、道路の白い線の上からはみ出さないように走ってる夢」
「……落ちたら、サメに食べられるルール」
ぶかぶかの戦術ローブを着たハッカー――ジョーヌが、光のない瞳のまま無感情に言葉を繋いだ。
「私も、夢を見た。『じゃんけん』をして勝ったから、一番前を走ってた。……でも、途中で転んで、膝から赤い液体が出た。……そしたら」
ジョーヌは視線を、白衣風アーマーを着た衛生兵――ヴェールへ向けた。
「……ヴェールが、絆創膏を貼ってくれた。ナノマシン注射器じゃなくて、キャラクターの絵がついた、粘着テープ」
「あはは……私もね、その夢見たよ」
ヴェールはおっとりとした笑みを浮かべながら、自分の綺麗な指先を見つめていた。
「怪我したジョーヌちゃんに『痛いの痛いの飛んでけ』って言ったら、本当に痛みが消えたの。
……スカルペルも、局所麻酔も使わずに、傷が治るわけないのにね。ふふ、変な夢」
「……あたしは、一人で歩いてた」
暗がりから漆黒のステルススーツを着た工作員――ノワールが姿を現した。
暗視バイザーを押し上げ、どこか遠くを見るような瞳でつぶやく。
「夕方で、みんな影が長くなってて。……あたし、一番後ろからみんなの後ろ姿を見てたの。
『置いていかないで』って思ってたのに……口に出せなくて。そしたら……」
ノワールは視線を、小柄な狙撃手――シアンへ飛ばす。
「シアンが振り向いて、あたしの手を引っ張ってくれた。『一緒に帰ろう』って」
「……私、そんな言葉、知らない」
シアンは膝の上の長距離対物質ビームライフルを固く抱きかかえ、感情の消えた声で言った。
「でも……スコープを覗いてないのに、みんなの顔が……すごく近くに見える夢だった。……弟の顔じゃなくて、みんなの顔」
ブリッジに静かな沈黙が流れる。
記憶は消えた。
名前も、顔も、地球の場所すらもう思い出せない。
けれど、脳が兵器へと書き換えられても、彼女たちの「魂の根底」に刻まれた温かな通学路の記憶だけは、完全に消し去ることはできなかった。
長身の指揮官・ルージュは、静かに艦長席へと腰掛けた。
「……全員、同じ夢を見たのだな」
「ええ」「肯定」「……まあね」
各々が小さく頷く。
ルージュは軍服の襟元を正し、艦長窓の向こうに広がる、果てしない星の海を見つめた。
「……行き先は、まだ決まらない。だが、一つだけ確かなことがある」
ルージュの声が、重厚で美しい響きとなってブリッジを満たす。
「我々がどこへ行こうと、どれほど姿形が変わろうと……この6人で一列になって進む限り、そこが我々の『帰り道』だ」
「……フン。相変わらずキザな言い方」
ノワールが口元を緩め、暗視バイザーを下ろす。
「アタシが一番前を飛んで、道を開けてあげるわ!」
ブランが耐Gスーツの拳を握りしめ、不敵に笑う。
「全機、作戦行動を開始せよ」
ルージュの命令とともに、宇宙船「アルゴ」は光の尾を引いて未知の星系へと跳躍した。
夢の中で繋いだ小さな手は、いまや銀河を穿つ兵器の手となっていたが、彼女たちは確かに同じ温もりを胸に抱きながら、あてのない宇宙を旅し続けていく。