交通事故に遭ったら、異世界転生じゃなくて、怪人に改造された件。 作:華洛
俺の名は遊戯賭。
三十八歳。いくつかの雀荘を渡り歩き、打ち子で日銭を稼いでいる、しがないフリーターだ。
彼女はいない。
両親とは勘当同然で、もう何年も連絡を取っていない。
要するに、人生はだいぶ薄い。
そんな俺が、ある日の帰り道、柄にもなく人助けなんてしたのが運の尽きだった。
雀荘を出た夜道。
信号の変わり目、ふらりと車道へ踏み出しかけた女の姿が見えた。
次の瞬間、けたたましいクラクションが鳴る。
視界の端を、大型トラックのヘッドライトが白く焼いた。
考えるより先に、体が動いていた。
女を突き飛ばした感触。
その直後、全身をまとめて砕かれるような衝撃が来た。
宙を回る。
アスファルトが迫る。
痛みより先に、あ、これ死んだな、と思った。
――で。
気がつくと、私は知らない天井を見上げていた。
いや、天井なんかより先に気づくことがある。
妙に体が軽い。
息が通る。痛くない。
それどころか、指先ひとつ動かすだけで、自分の手足じゃないみたいな違和感が走った。
恐る恐る身を起こす。
視界の端で、長い髪がさらりと肩を滑り落ちた。
「……え?」
喉からこぼれた声は、聞いたこともないほど高く澄んでいた。
震える手で頬に触れる。
骨ばっていたはずの輪郭は細く、指先は白くしなやかで、胸元には見慣れない膨らみまである。
近くの金属棚に映った姿を見て、私は言葉を失った。
そこにいたのは、金と銀のオッドアイに、プラチナブロンドの髪を持つ美少女だった。
意味が分からない。
トラックに轢かれたはずだ。
死んだのか、生きているのか、それとも最近流行りの異世界転生とかいうやつなのか。
混乱する私の前に、白衣の女が音もなく現れた。
長い髪。整った顔立ち。医者めいた白衣をまとっているくせに、その目つきはどうにもまともじゃない。
女は、呆然とする私を見て、満足げに口角を吊り上げた。
「おめでとう。君は脆弱な肉体を失い、強靭な身体を手に入れた」
一拍置いて、そいつは愉快そうに告げる。
「喜び打ちひしがれ感謝したまえよ」
「……なにそれ」
ようやく出た言葉が、それだった。
女はそんな私を気にした様子もなく、芝居がかった仕草で名乗った。
「私は零仙落華。見ての通り、しがない研究者だ」
見ての通り、の意味がまるで分からない。
だがその顔には、見覚えがあった。
トラックに轢かれそうになっていた、あの女だ。
「あなた……あの時の」
「うむ。身を挺して助けてもらったとも。実に殊勝な心がけだ。だからこうして、恩は返した」
恩返し。
そう言ってこいつが示したのは、どう見ても元の私ではない、この身体だった。
「君の新しい名は、零落マオ」
女――零仙落華は、もったいぶるように人差し指を立てた。
「私の名から頭文字を取って、零と落。そこに、この身体が魔王級の性能を持つことから、マオ。どうだ、なかなか似合っているだろう?」
「勝手に名前までつけないでくれる?」
「安心したまえ。新しい生には、新しい名がいる。しかも強そうで可愛い。実に理想的だ」
安心できる要素がひとつもない。
呆れる私をよそに、零仙落華はくるりと踵を返した。
「そして、ここは秘密結社《ア・バオア・クー》」
その名を告げる声音には、妙な誇りがあった。
「裏社会のなんでも屋だよ。ヒーローだろうがヴィランだろうが、金さえ積めば武器でも情報でも怪人でも用立てる。中立、混沌、灰色。なかなかに素敵な職場だろう?」
素敵な職場、という言い方に頭が痛くなる。
さらに落華は、こともなげに続けた。
「君の今の身体は、もともとあるヴィラン組織から依頼されていた万能強襲用怪人の素体だ。剣術、超常能力、耐久性能、拡張性、そのどれを取っても一級品。魔王級のスペックと言って差し支えない」
まるで中古車か最新兵器のカタログでも読むような口ぶりだった。
「だが依頼主は完成前にヒーローどもへ叩き潰されてね。納品先を失ったその身体は、長らく塩漬けになっていた」
「……それに、私を入れたの?」
「そうとも。瀕死の人間を前にして、使える器がある。なら試すだろう? 私はこう見えて、恩には恩を、仇には仇を返すのが信条でね。助けて死なれては寝覚めが悪い。だから蘇生した。それだけのことさ」
軽い。
人間ひとりの生き死にを語るには、あまりにも軽すぎる。
けれど、嘘は言っていないのだろうとも思った。
実際、私は生きている。
少なくとも、こうして呼吸をして、喋って、立ち上がることができている。
試しに拳を握る。
それだけで、筋肉とも骨格とも違う、得体の知れない力が全身の奥で脈打った。
以前の自分とは比べものにならないほど、身体が強い。
人間をやめた実感だけが、嫌になるほどはっきりあった。
「……異世界転生じゃなくて、怪人転生ってわけ」
「不服かね?」
「そりゃ、ちょっとは。できればもう少し夢のある転生先がよかったんだけど」
「何を言う。強くて、美しくて、将来性もある。実に当たり個体じゃないか」
「評価軸が怖すぎるのよ、あなた」
すると落華は、くすりと笑った。
「ともあれ、行き場のない君に選択肢は多くない。元の人生に戻るには、少々いろいろと変わりすぎた」
それは、そうだろう。
三十八歳のフリーター遊戯賭は、たぶんあの事故で死んだ。
戸籍も社会も知人も、今のこの姿を私だとは認めない。
帰る場所が最初から大してなかった人間に、帰れないと言い渡すのは、なかなか趣味が悪い。
「そこで提案だ、零落マオ」
落華は、実験結果を披露する子供みたいに目を輝かせた。
「《ア・バオア・クー》で働きたまえ。雑務、護衛、取り立て、実地検証、苦情対応。君ならきっと、便利に使える」
「今、さらっと本音が漏れたわよ?」
「安心しろ。福利厚生は悪くない」
「悪の組織みたいな名前してるくせに、そういうところだけ妙にちゃんとしてるのね……」
思わずこぼれた言葉に、落華は肩をすくめた。
「名前で差別するのは感心しないな。うちは公正な商売を旨としている」
ヒーローにもヴィランにも武器や怪人を売る組織の、どこが公正なんだ。
そう思ったが、口には出さなかった。
今の私には、文句を言って出ていく先すらない。
雀荘を渡り歩いて日銭を稼いでいただけのフリーターが、気づけば秘密結社の怪人になっていた。
ひどい話。
ひどい話だけど――死んで終わるよりは、まだましなのかもしれない。
ならまあ、このわけの分からない第二の人生も、しぶとくやっていくしかない。
異世界転生ではなく、怪人転生。
まるで夢はないけれど、案外、退屈はしなさそうだった。