交通事故に遭ったら、異世界転生じゃなくて、怪人に改造された件。 作:華洛
手術を終えた私は、近くのソファへ腰を下ろした。
ヤクザの組長の手術は滞りなく終わった。
全身に転移した癌の除去など、私に言わせれば大した術式ではない。病変ごと身体を分解し、使える部位を残して組み直すだけだ。退屈ですらある。
人体のオーバーホール程度面白くも興味もでてこない。
あまりの退屈さに、私の眼とリンクさせたマオの戦闘状況を確認しながらでも十分にこなせる程度の仕事だった。
「先生。親父は……無事なんでしょうね」
声をかけてきたのは、黒いスーツに黒いサングラスをかけた男だった。
いかにも、それらしい。外見からにじみ出る品のなさまで含めて、実に分かりやすい。
「おいおい。誰に向かってものを言っているんだい」
私は脚を組み、男を見上げた。
「この程度の手術で、私が失敗するとでも? 心外だな。失敗やミスという概念は、少なくとも私の手元には存在しないよ」
「……失礼しました」
男は短く頭を下げた。
謝る程度の分別はあるらしい。もっとも、その程度で評価が上がるほど私は安くない。
「それで?」
私は肘掛けに頬杖をつきながら、気のない調子で続ける。
「そちらの不手際について、何か弁明はあるのかね」
男の喉仏が小さく上下した。
「……親父の手術情報が漏れた件については、こちらの落ち度です」
「漏らした人物は?」
「先生の手を煩わせるまでもありません。すでに、こちらで適切に処理しました」
「ふぅん」
興味の薄い相槌を打つ。
処理した、というのは要するに消したということだろう。裏社会の人間は、そういう言い回しだけは妙に上品ぶる。
とはいえ、今回の件はなかなかに趣味が悪かった。
組長の手術を望まない人間が、それなりにいた。
まあ当然だ。治ってもらっては困る連中からすれば、治療役の私を始末してしまうのが一番早い。
だが、あからさまに殺すのは外聞が悪い。そこで連中は考えたわけだ。運悪く交通事故に巻き込まれて死んだ、という形に見せかければ角も立たない、と。
実に凡庸で、実に姑息だ。
もっとも、私は日頃の行いがいい。
そのおかげで、偶然通りすがりの善良な男に庇われ、こうしてぴんぴんしている。因果応報というやつだろう。
「そちらの内部事情には興味がないよ」
私は軽く手を振った。
「問題は、その不手際のせいで私が殺されかけたことだ。となれば当然、慰謝料を請求する権利がある」
男の口元が引きつる。
「……慰謝料、ですか」
「そう。慰謝料だ。まさか払わないとは言わないだろうね?」
少しだけ声音をやわらげてやる。
脅しというものは、怒鳴るより静かに言う方がよく効く。
「今はまだ、私と君たちの個人的なやり取りで済ませてあげている。だが、もし誠意を欠くようなら、こちらとしても《ア・バオア・クー》に正式な仲介を頼まざるを得ない」
男の顔色が目に見えて悪くなった。
うむ、いい反応だ。組織の名前の使いどころというものを私はよく心得ている。
「……おいくら、ご希望で」
「一億ドル」
私は即答した。
「キャッシュで」
「は……?」
「だから、一億ドルだよ。日本円にして、おおよそ百五十億強といったところか。良心的な額だろう?」
「払えるわけがないでしょうッ!」
男は思わず声を荒らげた。
「今回の手術費だって、こちらは相当な金額を用意して――」
「それはそちらの事情だ」
ぴしゃりと遮る。
「私には関係ない。私はただ、命を狙われた被害者として、正当な要求をしているだけだ」
男のこめかみがひくついた。
数秒の沈黙のあと、男はやれやれと言わんばかりに内ポケットへ手を入れた。
そして取り出したのは、拳銃だった。
黒い銃口が、まっすぐ私を向く。
「先生」
男の声は、先ほどまでよりずっと低い。
「親父を助けてくれたことには感謝してる。恩もある。だから本当は、こんな真似はしたくなかった」
「だったらやめたまえよ」
「だが、あまりに法外だ。せめてドルじゃなく円なら、話しようもあった……!」
「断る」
私は即座に言い切った。
「私という天才の命を狙ったんだ。一億ドルでも安すぎるくらいだよ。しかも今、君はさらに銃まで向けている。上乗せ請求の根拠としては十分すぎるね」
「……っ」
男の指が引き金にかかった。
銃声が鳴る。
乾いた破裂音。
だが、私の額に風穴が開くことはなかった。
甲高い金属音が室内に跳ねる。
弾丸は、私の目の前へ滑り込んできた白銀の刃によって弾かれていた。
次の瞬間には、男の身体が床へ叩きつけられる。
黒いスーツが鈍い音を立てて転がり、拳銃が手元から弾き飛ばされた。
「主任。命、狙われすぎじゃない?」
呆れたような声とともに、マオが刀を収める。
実に頼もしい。美しく、強く、反応もいい。私の審美眼はやはり正しかった。
「天才というものはね」
私はソファの背にもたれたまま、肩をすくめる。
「常に凡人から妬まれ、狙われる宿命を背負っているのさ。悲しいことに」
「自分で言うの、それ」
「事実だから仕方ない」
私は改めて、マオの姿を眺めた。
《ア・バオア・クー》に蓄積された怪人開発データを惜しみなく注ぎ込み、なおかつ私自身の趣味を最大限反映して作り上げた、万能強襲用怪人――零落マオ。
あまりに出来が良すぎた。
本来なら依頼主に納品されるはずだったが、正直なところ、そんなものは我慢ならなかった。
だから少しだけ情報を流し、依頼元には退場してもらった。
完成前に組織が潰れたのは、実に不運だったろう。もっとも、私にとっては幸運だった。
問題は中身だった。
あの身体を十全に動かせる魂の器が、なかなか見つからなかったのである。性能が高すぎるがゆえに、並の人間では負荷に耐えられない。
だが、そこへちょうどよく瀕死の男が転がり込んできた。しかも、私を庇ってだ。
なんという僥倖。
ああ、本当に私は運がいい。
床に転がる男が、うめきながら身じろぎする。
まだ意識があるらしい。しぶといことだ。
私はゆっくり立ち上がり、弾き飛ばされていた拳銃を拾い上げた。
重さを確かめるように一度だけ手の中で転がし、そのまま男を見下ろす。
「さて」
男の顔が引きつる。
「さっきのはいただけないな。交渉の席で銃を抜くとは、あまりにも短絡的だ」
「せ、先生……」
「安心したまえ。別にここで殺したりはしない」
私がそう言うと、男はあからさまに安堵した。
実に浅い。だから短命なのだ。
「死体は一度きりだが、生きている負債者は長く金を生む」
私は穏やかな口調で続けた。
「君ほどの立場なら、なおさらだ。背負わせられる責任も、払わせられる代価も、それなりにある。ここで雑に壊してしまうのは、実に惜しい」
男の喉がひくりと鳴る。
「人間というものはね、案外いろいろな価値を持つんだよ。地位、コネ、労働力、情報、信用、そして身体の臓器一つまでだ。資産は最後まで活用してこそ美しい」
「……っ」
「だから、そう怯えなくていい。君はこれから、きちんと有効利用される」
「主任、その言い方だと逆に怖いんだけど」
「怖がるのは健全な反応だよ、マオ」
私は拳銃をくるりと回し、男から離れた位置へ放り捨てた。
「殺すより、生かした方が得だ。単純明快だろう?」
「それ、言ってることは分かるけど、分かりたくない種類の明快さなんだよなあ……」
まったく、贅沢な子だ。
本来なら、この手の取り立てを自分でやる必要はない。
《ア・バオア・クー》には優秀な回収部門がある。個人依頼で動かすと二割ほど手数料を取られるが、素人仕事よりずっと効率的だ。
連中が本気になれば、跡地には砂粒ひとつ残らない――などとまことしやかに囁かれているが、まあ、あながち誇張でもない。
「あとはこちらで預かる」
私は男へ告げた。
「君個人への請求、今回の銃撃による追加分、ならびにそちらの組織が負うべき補償については、改めて精査しよう。回収部門を通せば、分割案くらいは提示してもらえるかもしれない。感謝したまえ」
「ぶ、分割……」
「希望があるのは良いことだ」
私は薄く笑った。
「もっとも、条件はそれなりに厳しくなるだろうがね」
マオが小さく肩をすくめる。
その反応は実に正しい。希望というのは、提示された瞬間から回収の導線にもなる。
もっとも、今回マオを現場に出したのは別件だ。
あれは回収のためというより、業務に慣れさせるための実地研修である。初陣としては上々だろう。
精霊側とも、こちらとしては最初から全面衝突するつもりはなかった。
魔法少女は夢だ。希望だ。人気商材だ。
人気があるところには金が生まれる。ならば、その供給元と本気で揉めるのは愚策でしかない。
適度に圧をかけ、適度に交渉し、適度に回収する。商売とはそういうものだ。
「この素体を買い取るの、そんなに大変だったんだ……」
マオが半ば呆れたように言う。
「当たり前だろう」
私は鼻を鳴らした。
「社員割、主任割、開発功労者向け特例、その他もろもろ使えるだけ使っても、それはかなり高かったんだぞ」
「そこまでしてローン組んだの?」
「残価設定型クレジットだ。実に合理的な選択だろう」
「合理的かなあ……」
合理的だとも。
ただ少し、私に浪費癖があって現金が手元に残りにくいだけの話である。
それでも後悔はしていない。欲しいものには、相応の対価を払うべきだ。分割であっても。
私は軽く伸びをした。
手術も終わり、交渉も済み、予定外とはいえ回収案件も増えた。今日はなかなか実りの多い日だ。
「よし」
私はマオへ向き直る。
「今日は別口で現金が入る見込みも立った。祝して、ファミレスで奢ろうじゃないか」
「……そういう時って、普通は寿司とか焼肉とかじゃないの?」
「分かっていないな、マオ」
私は人差し指を立て、軽く振った。
「ファミレスは優秀だ。料理は和洋中と種類が多い。ドリンクバーがある。空調が安定している。長時間居座っても比較的許される。あれはもはや、地上に残された数少ない理想郷と言っていい」
「スケールが急に小さくなったなあ……」
「幸福は案外そういうところに宿るのだよ」
肩をすくめてそう言うと、マオはなんとも言えない顔でこちらを見た。
その反応すら愛らしい。やはり買ってよかった。
私は白衣の裾を払って歩き出す。
「行くぞ。遅い時間だとドリンクバーの氷が切れていることがある。あれは許しがたい」
「ファミレスに対してだけ情熱の向け方が本気すぎない?」
「食事環境は生活の質に直結するからね」
そんな他愛ないやり取りを交わしながら、私たちは建物を後にした。
夜風が肌を撫でる。
裏社会の面倒ごとは尽きないが、それでも今日は悪くない一日だった。
よく働いた後のファミレスほど、世界を肯定してくれる場所もそうないのだから。