神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

1 / 10
プロローグ、神を殺したあとで

『神殺し、墓場に還し者』

 

 神の断末魔に、声はなかった。

 

 宇宙そのものを震わせる光が収束し、無数に重なっていた黄金の顔が、一つ、また一つと砕けていく。

 

 絶対であるはずの存在。

 

 世界を造り、法を定め、人も悪魔も自らの下に置いてきた唯一神YHVHが、今、消滅しようとしていた。

 

 最後まで残っていた巨大な眼が、墓場鬼太郎とフリンを見下ろす。

 

 憤怒か。恐怖か。あるいは、自らが人間に殺されるという事実を理解できずにいるのか。

 

 鬼太郎には、どれでもよかった。

 

「終わらせましょうか、フリン」

 

「ああ」

 

 二人が同時に踏み出す。

 

 フリンの神殺しの剣が、黄金の光を引き裂いた。

 

 その亀裂へ鬼太郎の一撃が突き刺さる。

 

 光が弾けた。

 

 世界を満たした轟音の中で、神の眼に初めて明確な恐怖が浮かぶ。

 

 次の瞬間、唯一神は砕け散った。

 

 残されたのは、崩壊を始めた異界と、神を殺した者たちだけだった。

 

 鬼太郎はゆっくり息を吐いた。

 

 衣服は裂け、全身から血が流れている。それでも、その顔には満足そうな微笑があった。

 

「素晴らしい相手でしたね。できれば、もう少し戦っていたかったのですが」

 

「相変わらずだな、お前は」

 

 フリンも無傷ではない。神殺しの剣を握る腕は震え、立っているだけでも限界に近い。

 

 彼の隣では、傷だらけのジャックフロストが胸を張っていた。

 

「オイラたちが勝ったんだホ! これで、みんな安心して暮らせるんだホ!」

 

 マサカドは黙したまま、崩れゆく世界の先を見据えている。

 

 鬼太郎の傍らでは、四本の腕を血に染めたカーリーが、恍惚とした眼差しを主人へ向けていた。

 

「我が主よ。神すら、あなたの歩みを止めることはできませんでした」

 

「僕一人で倒したわけではありませんよ。あなたもよく働いてくれました」

 

 その一言だけで、カーリーの顔に歓喜が広がった。

 

「もったいなきお言葉」

 

「大げさですね」

 

「おい」

 

 低く響いたダグザの声には、疲労と苛立ちが混じっていた。

 

「褒め合うのは帰ってからにしろ。神は消えたが、この宇宙まで巻き添えで崩れ始めてやがる」

 

「そうですね」

 

 鬼太郎は崩壊する光景を眺めた。

 

 神の支配は終わった。

 

 これからは、力を持つ者たちが次の世界を奪い合う。人間も、悪魔も、神々も、互いを食い、踏み越え、より強くなろうとするだろう。

 

 考えただけで胸が躍った。

 

「帰ろう、鬼太郎」

 

 フリンが言った。

 

「東京へ戻る。ミカド国とも話をしなければならない。戦争は終わった。これからは、人間が自分たちの手で世界を作り直すんだ」

 

 鬼太郎は、わずかに首を傾げた。

 

「戦争を終わらせるのですか?」

 

「そのために戦った」

 

「そうでしたか」

 

 二人の間に、短い沈黙が落ちた。

 

 フリンの目が細くなる。

 

「お前は違うのか」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は穏やかに答えた。

 

「僕は、あの神と戦ってみたかっただけです。僕を支配しようとする者を、そのままにしておく理由もありませんでしたから」

 

「その後の世界は、どうでもいいと?」

 

「いいえ。楽しみにしていますよ」

 

 鬼太郎は微笑んだ。

 

「神がいなくなれば、次の強者が現れるでしょう。その者を倒せば、また別の誰かが上へ昇る。強い者が弱い者を食らい、弱い者が生き残るために強くなる。そんな世界が、これからも延々と続く」

 

 ジャックフロストの笑顔が消えた。

 

「僕は、その世界を見てみたいのです」

 

「弱い人間たちはどうなる」

 

「死ぬのでしょうね」

 

 あまりにも自然な返答だった。

 

「生き残りたいのであれば、強くなればいい。逃げても、隠れても、誰かに縋っても構いません。それもその人の力です。何もできないのであれば、そこまでだったというだけですよ」

 

「そんな世界にはさせない」

 

 フリンが神殺しの剣を構えた。

 

 マサカドが静かに刀へ手を置き、ジャックフロストも傷ついた身体で前へ出る。

 

 鬼太郎は彼らを見回し、嬉しそうに目を細めた。

 

「あなたなら、そう言うと思っていました」

 

 カーリーが歓喜の声を上げ、四本の腕に握った刃を掲げる。

 

 ダグザは深いため息をついた。

 

「神を殺した直後に、今度は救世主と殺し合いか。お前といると、本当に退屈しねえな」

 

「嫌なら帰っても構いませんよ」

 

「ここまで付き合っておいて、今さら帰れるかよ」

 

「それはよかった」

 

 鬼太郎はフリンへ向き直った。

 

「最後に一度だけお願いします。そこを退いていただけませんか?」

 

「断る」

 

「そうですか」

 

 鬼太郎の笑みが深くなる。

 

「では、仕方ありませんね」

 

 最初に動いたのはカーリーだった。

 

 砕けた空間を蹴り、一直線にフリンへ迫る。四本の刃が異なる軌道を描き、逃げ道を残さず襲いかかった。

 

 マサカドが割って入る。

 

 刃と刀が激突し、衝撃だけで周囲の黄金片が粉砕された。

 

 その背後からジャックフロストが冷気を放つ。絶対零度の奔流がカーリーだけでなく、その後方の鬼太郎とダグザまで飲み込もうと広がった。

 

「まとめて凍るんだホ!」

 

「そう簡単にいくかよ」

 

 ダグザが片手を振る。

 

 黒い魔力が冷気を中央から引き裂いた。その裂け目を鬼太郎が駆け抜ける。

 

 フリンは予想していた。

 

 神殺しの剣が、鬼太郎の首を狙って振り抜かれる。

 

 鬼太郎は身を沈めてかわし、フリンの懐へ踏み込んだ。互いの一撃が同時に相手を捉える。

 

 骨の軋む音。

 

 二人は吹き飛ばされながらも、倒れることなく着地した。

 

「いいですね」

 

 鬼太郎の声が弾んだ。

 

「神との戦いでは、あなたと殺し合えませんでしたから」

 

「俺は楽しむために戦っているんじゃない」

 

「知っていますよ。だから、楽しいのです」

 

 鬼太郎が再び踏み込む。

 

 カーリーの斬撃がマサカドを押し込み、ダグザの魔法がフリンの退路を塞ぐ。鬼太郎は二体の意図を一瞥さえせず理解し、残された唯一の道へ攻撃を重ねた。

 

 だが、フリンたちも同じだった。

 

「今だホ!」

 

 ジャックフロストが作り出した氷壁が、フリンの足場となる。

 

 フリンは壁を蹴り、ダグザの魔法を飛び越えた。マサカドがカーリーの刃を受け止めたまま身体をひねり、その巨体を鬼太郎の進路へ叩きつける。

 

 鬼太郎はカーリーを避けなかった。

 

 衝突の直前、彼女の背へ手を添え、その勢いさえ利用してフリンへ押し返す。

 

 カーリーは空中で体勢を変え、四本の刃を振るった。

 

 フリンを守ろうと、ジャックフロストが間へ飛び込む。

 

 白い身体を二本の刃が貫いた。

 

 同時に、ジャックフロストの両手がカーリーの胸へ触れる。

 

「捕まえたんだ……ホ」

 

 カーリーの身体が内側から凍りついた。

 

「ジャック!」

 

 フリンの声が響く。

 

 カーリーは胸を貫く氷を見下ろし、それから鬼太郎を振り返った。

 

「我が主……」

 

「ええ。見ていますよ」

 

「私は、お役に……立てましたか」

 

「もちろんです」

 

 カーリーは満たされたように微笑んだ。

 

 次の瞬間、氷に覆われた身体が砕ける。

 

 その破片の中へ、ジャックフロストも崩れ落ちた。

 

 フリンが抱き留める。

 

「フリン……泣いちゃ、駄目だホ」

 

「しゃべるな」

 

「最初から……最後まで……一緒だったホ」

 

 小さな手が、フリンの腕から落ちた。

 

 フリンは動かなくなった相棒を静かに横たえる。

 

 その背へ、ダグザの魔力が迫った。

 

 マサカドが立ちはだかる。

 

 黒い光が鎧を貫く。それでもマサカドは止まらず、刀をダグザの胸へ深々と突き立てた。

 

「東京の未来は、貴様らには渡さぬ」

 

「はっ……相変わらず、くそ真面目な野郎だ」

 

 ダグザは刀を自らの胸へさらに食い込ませ、逃げる代わりにマサカドを掴んだ。

 

 零距離で魔力が爆発する。

 

 二体の姿が黒い光に飲み込まれた。

 

 光が消えたとき、マサカドは刀を地へ突き立て、辛うじて立っていた。

 

「フリンよ」

 

 その身体が、端から崩れ始める。

 

「人の世を……頼んだぞ」

 

「ああ。必ず守る」

 

 マサカドは静かに目を閉じ、塵となって消えた。

 

 ダグザは仰向けに倒れていた。

 

 鬼太郎が、その傍らへ歩み寄る。

 

「死にそうですね」

 

「見りゃ分かるだろうが」

 

「何か言い残すことは?」

 

「負けたら……承知しねえぞ」

 

 鬼太郎は少しだけ笑った。

 

「努力しますよ」

 

「努力じゃねえ。勝て……馬鹿野郎」

 

 それが最後だった。

 

 ダグザの瞳から光が消える。

 

 鬼太郎はしばらく悪友の亡骸を見下ろし、それからフリンへ向き直った。

 

 残ったのは、二人だけだった。

 

 鬼太郎もフリンも、既に立っていることさえ不思議なほど傷ついている。

 

 それでも、どちらも武器を下ろさない。

 

「後悔しているか」

 

 フリンが尋ねた。

 

「何をです?」

 

「あいつらを死なせたことを」

 

「大切なものを失えば、惜しいとは思いますよ」

 

 鬼太郎はカーリーとダグザの亡骸へ一度だけ目を向けた。

 

「ですが、彼らは自分でここに残りました。僕が選んだように、彼らも選んだ。それだけです」

 

「そうか」

 

「あなたは後悔していますか?」

 

「している」

 

 フリンは迷わず答えた。

 

「それでも、お前を止める」

 

「ええ。それでこそ、あなたです」

 

 二人が同時に地を蹴った。

 

 剣と魔力が衝突する。

 

 一撃ごとに空間が裂け、足元の大地が消し飛ぶ。

 

 フリンが斬る。鬼太郎がかわす。

 

 鬼太郎が死角から攻める。フリンは振り返ることなく受け止める。

 

 長く敵対し、長く共に戦ってきた。

 

 互いの呼吸も、癖も、追い詰められたときに選ぶ手段も、二人は知り尽くしている。

 

 鬼太郎の攻撃がフリンの肩を裂いた。

 

 フリンの剣が鬼太郎の脇腹を抉る。

 

 血を流しながら、鬼太郎は笑っていた。

 

「素晴らしい。まだ速くなるんですね」

 

「お前は、いつもそうだ」

 

 フリンが荒い息の間から言った。

 

「勝てるときほど、危険な方を選ぶ」

 

「その方が楽しいでしょう?」

 

「だから負ける」

 

 フリンが、わずかに重心を崩した。

 

 鬼太郎は見逃さない。

 

 確実に仕留めるなら、距離を取り、残った魔力を撃ち込めばよかった。

 

 だが鬼太郎は前へ出た。

 

 フリンが待っていると分かっていても、その先にある一撃を見たかった。

 

「ああ――やはり、あなたは面白い」

 

 フリンの身体が沈む。

 

 神殺しの剣が、鬼太郎の攻撃の下を抜けた。

 

 刃が胸を貫く。

 

 鬼太郎の身体から力が抜けた。

 

 フリンが剣を引き抜くと、鬼太郎は数歩よろめき、仰向けに倒れた。

 

 崩壊する宇宙の光が、遠い星のように頭上で瞬いている。

 

 フリンが傍らへ膝をついた。

 

「鬼太郎」

 

「……楽しかったですね」

 

 鬼太郎の声は、ひどく穏やかだった。

 

「もっと続けたかったのですが……」

 

 血に濡れた唇が、かすかに笑う。

 

「今度は、勝ちたいですね」

 

 その目から光が消えた。

 

 神を殺した男は、救世主との戦いに敗れ、死んだ。

 

 墓場鬼太郎の最初の生涯は、そこで終わった。

 

     ◆

 

 ホッグズ・ヘッドの二階は、酒と埃の臭いが染みついていた。

 

 アルバス・ダンブルドアは、目の前に座る痩せた女性を静かに観察していた。

 

 シビル・トレローニー。

 

 名高い占い師の血を引いてはいるが、採用するほどの才能があるようには見えない。

 

 面接を終わらせようとした、そのときだった。

 

 トレローニーの身体が大きく震えた。

 

 眼鏡の奥から焦点が消え、喉から、先ほどまでとはまったく異なる低い声が響く。

 

 闇の帝王を打ち破る可能性を持つ子供が、近づいている。

 

 七月が終わるころ、三度彼へ抗った者たちのもとに、その子供は生まれる。

 

 扉の外で、かすかな物音がした。

 

 ダンブルドアが振り向く。

 

 何者かが階下の主人に見つかり、激しく抵抗しながら引きずられていく気配が遠ざかった。

 

 やがて予言は終わり、トレローニーの身体が椅子へ沈む。

 

「わたくし、何か?」

 

 本人は何も覚えていない。

 

 ダンブルドアが答えようとした瞬間、彼女の背筋が再び伸びた。

 

 一夜に二度。

 

 トレローニーの口から、再び彼女自身のものではない声が発せられる。

 

「――神を殺せし魂は、墓場を越える」

 

 ダンブルドアは息を止めた。

 

「敗れてなお屈せず、選ばれず、従わず、定めの外より還り来る」

 

 窓の外で風が鳴った。

 

「古き魔法の血を引きながら、その力を持たぬ父と、日の昇る国より来た母。その間に、二人目の子は生まれる」

 

 低い声が、さらに沈む。

 

「一人は闇に選ばれ、一人は神を拒む。二つの道が交わるとき、魔法の世は、墓場より還りし者の望みを知るであろう」

 

 トレローニーの頭が、力なく垂れた。

 

 今度こそ、部屋に沈黙が戻る。

 

「校長先生?」

 

 顔を上げた彼女は、二度目の予言も覚えていなかった。

 

 ダンブルドアは答えられなかった。

 

 一つ目は、闇の帝王と、その敵となる子供についての予言。

 

 二つ目は、神を殺した魂についての予言。

 

 そして「古き魔法の血」という言葉を聞いた瞬間、ダンブルドアの胸には、説明し難い確信が生まれていた。

 

 その血は、自分から遠く離れた場所へ続いている。

 

 あまりにも遠く、もはや同じ一族と呼ぶ者さえいないほどに。

 

     ◆

 

 赤子の泣き声が、夜の家に響いた。

 

 外では冷たい雨が降っている。

 

 闇の魔法使いと、その配下が英国中で勢力を広げていた時代。魔法族の血を引きながら、一つの呪文も使えない父親は、扉の向こうで祈ることしかできなかった。

 

 やがて扉が開く。

 

 寝台の上では、日本から来た母親が、生まれたばかりの子供を抱いていた。

 

 父親は恐る恐る近づき、小さな顔を覗き込む。

 

 赤子の髪は、一見すると黒い。

 

 だが、窓から差し込んだ淡い光を受けた一房だけが、深い濃紺に輝いていた。

 

 泣き声が止まる。

 

 赤子は静かに目を開いた。

 

 異なる世界で神を殺し、敗れて死んだ魂が、再び生を得た瞬間だった。

 

 ただし、生前の記憶は深い霞の向こうへ沈んでいた。魔法も、悪魔も、神を殺したことさえ、今の彼には分からない。

 

 それでも、魂に刻まれた性格と、やがて言葉を覚えたときに現れる話し方だけは、かつてのまま残されていた。

 

 その子の名は――墓場鬼太郎。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。