第百一話 頁の向こうにも、道がある
廊下へ出ると、向こうから上級生の一団が来た。
ハリーは壁際へ寄り、先に通した。
その後で時間割を見直す。
「次は、呪文学だね」
「フリットウィック先生よ」
ハーマイオニーが答えた。
ロンは先の分かれ道を見ていた。
「今度は、すぐ見つかるといいけど」
「帰るときのためにも、曲がったところを覚えておきたいですね」
鬼太郎は、壁際の甲冑へ目を向けた。
片腕が少し持ち上がっている。
キーノもそれを見た。
「次に来たとき、腕が下りていたらどうする」
「足元の台は、動かないと助かりますね」
「それも、まだ分からないぞ」
ハリーは甲冑の足元を見た。
こちらの話を聞いているような気がして、少し歩く速さを上げた。
キーノが、鬼太郎の隣から口を開く。
「お前は、次の授業も知っている呪文があるのか」
「ルーモスやレパロは、こちらで教わるものなのでしょうね。ただ、それ以外は、まだ使っていません」
「じゃあ、知らないものもあるんだな」
「ええ。そちらの方が、ずっと多いです」
鬼太郎が答える。
ハーマイオニーは振り向いた。
「教科書だけでも、いろいろ載っているもの。全部を授業で扱うのかしら」
「全部、覚えてきたの?」
ロンが聞いた。
「読んだのよ。読んだだけで、全部使えるわけではないわ」
「でも、さっきはできたじゃないか」
「準備はしたもの」
ハリーは二人の会話を聞きながら、鞄の紐を持ち直した。
変身術の教科書に、自分でつけた印がある。
次に読むときには、先生の手の動きも思い出せるだろう。
何も分からないまま頁を見るのとは、少し違っているはずだった。
◆
呪文学の教室へ入ると、小柄な教師が本を整えていた。
鬼太郎は空いた席へ向かいながら、その手元を見た。
机の後ろに、本が積まれている。
教師は生徒たちを迎え、全員が座るのを待ってから、その上へ上がった。
小さな身体が、よく見えるようになる。
「おはよう、皆さん。フリットウィックです。これから一緒に、呪文学を学んでいきましょう」
声は明るかった。
鬼太郎も挨拶を返し、教科書を机へ置いた。
教師は名簿を取り、出席を確かめ始めた。
ハリーの名を読んだとき、声が少し高くなる。
本人を見つけようとして身を乗り出し、積んだ本の上で身体が揺れた。
ハリーが腰を浮かせる。
フリットウィックは机の縁へ手をつき、姿勢を戻した。
「ああ、大丈夫、大丈夫。ポッター、来てくれて嬉しいよ」
ハリーは少し赤くなって、座り直した。
名簿が進む。
キーノの正式な名が呼ばれ、彼女が返事をした。
鬼太郎も自分の名に応じる。
教師はそれぞれの顔を確かめ、名簿へ印をつけた。
最後の返事を聞くと、本を閉じた。
「さて。今日は、杖を使う前に知っておいてほしいことから始めます。筆記用品を出してください」
鬼太郎は、鞄へ伸ばしかけた手を止めた。
杖はそのままにし、羽根ペンとインクを出す。
隣でキーノも、筆記用品を並べ直していた。
◆
キーノは、先生が示した頁を開いた。
朝の変身術では、木の棒が針になった。
こちらでは、ものへどのような働きを与えるのかを学ぶという。
似ているところと、違うところの説明が続いた。
キーノは教科書の言葉へ目を移す。
読んだことのある文章だったが、説明と一緒に聞くと、先ほど見た針ともつながった。
フリットウィックは、黒板へ書きながら話した。
一つの説明を終えると、生徒たちの手元を見る。
羽根ペンが動いている間は、少し待った。
キーノは最後の言葉を書き、顔を上げた。
「最初から、大きな魔法を起こそうとする必要はありません。まず、自分が何をするのかを理解することです。発音も、杖の動きも、急いで覚えたつもりになると、間違いを見落としてしまうからね」
キーノは、自分の指を見る。
先ほど、マッチ棒が変わったか気になって、杖の動きを途中で止めた。
そこを、マクゴナガルに直されたのだった。
先生は、教科書の図を指した。
今日はそれを見て、説明を書き留める。
杖を振るようには言われなかった。
少し、試してみたかった。
だが、図の中には分からない記号がある。
キーノは手を上げた。
フリットウィックがこちらを見る。
「先生。この印は、杖を止める場所なのか」
「よいところに気づいたね。その図では、そこまでの動きが一まとまりになっているんだ。次の線とは分けて見てごらん」
キーノは二つの線を見比べた。
一続きの模様だと思っていたものが、違って見える。
先生は黒板にも同じ部分を大きく描き、ほかの生徒へ説明した。
キーノは教科書の余白に、小さく書き加えた。
隣のハーマイオニーも、その箇所を見ていた。
「私も、続けて読むところだと思っていたわ」
小声で言われた。
キーノは彼女を見る。
何でも知っているわけではないらしい。
「私もだ」
答えてから、黒板へ顔を戻した。
◆
鬼太郎は、羽根ペンを置いた。
説明を聞いていると、自分が練習していたことにも、当てはまるものがあった。
同じ呪文でも、望む結果へ毎回同じように届くとは限らない。
光を短く終えることも、修復する位置を選ぶことも、繰り返し確かめる必要があった。
手を上げると、フリットウィックが頷いた。
「どうぞ、墓場」
「同じ呪文で結果が揃わないときは、発音と杖の動きを、別々に確かめた方がよろしいでしょうか。一度に直そうとすると、何が変わったのか分かりにくくなるので」
「その通り。自分で確かめられるところを、一つずつ見ていくといい。もちろん、それだけで全部の原因が分かるとは限らないけれどね」
教師は、机に置かれた筆記用品へ目を向けた。
「どこを変えたか、書き留めておくのも役に立ちます。昨日うまくいった動きを、今日は忘れてしまうこともあるから」
「では、うまくいったときも、残しておくのですね」
「そう。失敗したところだけを覚えていては、よかったところまで変えてしまうよ」
鬼太郎は頷き、書き加えた。
ルーモスとレパロを練習したときのことを思い返す。
結果は、覚えている。
そこへ至る手の動きまで、同じように記せていただろうか。
次の練習では、確かめられるものが増えそうだった。
フリットウィックは、別の席から上がった手へ向き直った。
ハーマイオニーが、説明にあった用語について尋ねる。
教師はすぐ答えを渡す前に、教科書の一文を皆へ示した。
鬼太郎もそこを読んだ。
説明を聞き、頁を見る。
知らない言葉を確かめてから、次の説明へ進む。
杖は鞄の中にあったが、手を持て余す時間はなかった。
◆
昼食の席で、ロンはパンを取りながら言った。
「今日は、書くことが多いな」
「まだ、最初だからね」
ハリーは答えた。
インクを拭いたはずの指に、小さな黒い跡が残っている。
ハーマイオニーは、鞄を席の下へ入れた。
「最初に分からないままだと、後で困るもの。説明があってよかったわ」
「本を読むだけでは、間違えていたところもありましたね」
鬼太郎が言った。
キーノは匙を取り、頷いた。
「あの印は、聞かなければ続けて見ていた」
「僕もだよ」
ロンがすぐ言う。
「君が聞いてくれて、助かった」
キーノは顔を上げた。
「そうか」
「うん。先生が黒板に大きく書いてくれたし」
ロンは頷いてから、自分の皿へ料理を取った。
その顔を、ハリーは少し見ていた。
朝、眠そうだったときより、ずっと熱心に話を聞いている。
キーノは自分の匙へ戻った。
「今日は針にできなかったが、聞きたいことは聞けた」
鬼太郎へも顔を向ける。
「お前に聞くより、すぐ分かったぞ」
「こちらは、僕も教わるところでしたからね」
鬼太郎は笑った。
「直接、分かる方に尋ねられるのは、ありがたいです」
ハーマイオニーが、時間割を広げた。
午後の最初は、魔法史だった。
「今度は、どこを曲がるんだろう」
ハリーが言うと、皆が紙へ顔を寄せた。
料理を食べる合間に、午前中に通った場所を思い出す。
キーノが壁の絵を挙げ、鬼太郎は階段の位置を添えた。
初めて降りてきた朝より、確かめる手掛かりが増えていた。
◆
魔法史の教師は、幽霊だった。
鬼太郎は教室へ入ってきた半透明の姿を見て、目を上げた。
ビンズは、生徒の反応へほとんど目を向けなかった。
教える箇所を告げ、そのまま話し始める。
声の調子は、長く変わらなかった。
名前と年が続く。
誰がどこで争い、どのような出来事が起きたか。
ハリーは最初、ひとつずつ書き留めていた。
だが、昼食の後の教室は暖かかった。
目を上げても、教師の顔にはほとんど変化がない。
隣でロンが頬杖をついた。
ハリーも少し姿勢を変える。
そこで、羽根ペンの音が聞こえた。
鬼太郎は書いていた。
ハーマイオニーも顔を上げ、黒板と教科書を交互に見ている。
キーノは眠そうに瞬きをした後で、二人の手元へ目を向けた。
ハリーは自分の紙を見直した。
途中で、年がひとつ抜けていた。
◆
鬼太郎は、聞き慣れない名前を教科書で確かめた。
ビンズが話しているのは、ゴブリンの反乱についてだった。
人と、人ではないものが争っている。
その名前が出るたび、森で石を運んでいた者たちや、銀行の窓口を思い出した。
同じ種族の名で呼ばれていても、そこにいる理由や、している仕事は違う。
過去の争いを知らずに、今ある関係だけを見ていたのだと分かった。
ビンズは出来事を次々に並べていく。
鬼太郎は、争いが始まったところへ印をつけた。
教科書には、その前の経緯も載っている。
今ここで先を読み始めると、教師の話を聞き落としそうだった。
頁の端へ小さく書き、後で読む場所を残した。
隣で、椅子が僅かに動く。
ロンが瞬きを繰り返していた。
キーノは自分の頬を指で押し、それから羽根ペンを持ち直した。
鬼太郎はもう一度、教師へ目を向ける。
ニックと同じ幽霊でも、話し方は随分違った。
死んだ後にも、教壇へ立つ者がいる。
その仕組みも気になったが、今は教科書へ視線を戻した。
ここで暮らす者たちが、何を争ってきたか。
それは、これから相手を知るときにも役に立つだろう。
◆
魔法史の教室を出ると、ロンは大きく息を吸った。
「眠るかと思った」
「少し、眠っていただろ」
キーノが言った。
「目を閉じただけだよ」
「長く閉じていた」
ハリーは笑った。
自分も、同じようなものだった。
ハーマイオニーは鞄を掛け直した。
「あとで読み返さないと、名前を取り違えるわよ」
「分かってる」
ロンは答え、鬼太郎を見た。
「君、ずっと書いてたね。あれ、面白かった?」
「知らなかったことが多いですから。どうして争いになったのか、教科書で少し確かめたいですね」
「まだ読むの?」
「聞いたところと、読めていないところがありますので」
ロンはハーマイオニーへ目を向け、それから鬼太郎へ戻した。
何か言いかけて、口を閉じる。
キーノはその顔を見て笑った。
「お前の分も、あとで読めばいい」
「読むよ」
ロンは言い、先へ歩き出した。
ハリーは彼の隣へ並んだ。
窓の外には、明るい庭が見えた。
教室を出ただけで、空気が軽くなった気がする。
覚えることも、歩くところも、まだ残っていた。
◆
夕食を終えて寮へ戻る頃には、キーノも入口までの角をいくつか覚えていた。
最後の肖像画へ合言葉を伝えると、婦人が入口を開けた。
談話室には、上級生たちが集まっている。
暖炉のそばで話している者も、本を広げている者もいた。
キーノは空いた卓を見つけ、鞄を下ろした。
ハーマイオニーが隣へ座る。
鬼太郎も向かいの椅子を引いた。
「もう勉強するの?」
ロンが言う。
「今日、分からなかったところを確かめるだけよ」
ハーマイオニーが答えた。
ロンは背もたれへ身体を預けた。
ハリーは隣へ座り、鞄から変身術の教科書を出した。
「僕も、印をつけたところだけ」
頁を開くと、先生が示した手の動きを思い出した。
自分の書いた短い言葉が、その助けになる。
キーノは紺色の帳面を取り出した。
銀の留め金を外す。
昨日は、覚えた名前を書いた。
今日は、その次へ書き加える。
マクゴナガル。
フリットウィック。
ビンズ。
名前の横に、教わった科目も記した。
変身術の下へ、アクフォルマと書く。
まだ、針にはできなかった。
その隣に、直してもらったことを短く足した。
「今日も、増えたわね」
ハーマイオニーが言った。
キーノは顔を上げる。
昨夜も、同じようなことを言われた。
「ああ。先生の名前も、覚えた」
「三人とも、全然違ったね」
ハリーが言った。
「最後の先生は、幽霊だったし」
「ずっと話していたな」
キーノは答え、帳面のビンズの名を見る。
眠くなったことまで書こうか迷い、やめた。
先に、教科書で確かめたい言葉を書く。
鬼太郎は魔法史の本を開いていた。
ときどき、自分の書いた紙へ目を移している。
「さっき言っていたところか」
キーノが聞いた。
「ええ。反乱が起きる前の話です」
「分かったか」
「少し。こちらも、知らない言葉がありました」
彼は頁へ指を置いた。
キーノも覗き込む。
ハーマイオニーが顔を寄せ、前の頁にも説明があったと教えた。
鬼太郎は戻って読み、頷いた。
「ありがとうございます。つながりましたね」
キーノは自分の帳面へ戻った。
分からなかったことが、そのまま残るものもある。
聞けば、その場で分かるものもあった。
今日の帳面には、その両方が並んでいる。
ロンが椅子の上で伸びをした。
それから、ハリーの開いた教科書へ目を向ける。
「そこ、先生は何て言ってた?」
ハリーが自分の書き込みを示した。
ロンはしばらく見て、自分の鞄へ手を伸ばした。
◆
鬼太郎は、読むと決めていた箇所を終えた。
その先にも、別の出来事が続いている。
すぐ読みたいところだったが、今夜は変身術の説明も確かめておきたかった。
紙へ頁を記し、魔法史の本を閉じる。
キーノの帳面にも、行が増えていた。
彼女はそれを閉じる前に、一度読み返した。
昼間の質問は、本人が自分で選んだものだった。
答えを聞いた後の顔も、鬼太郎は覚えている。
ここには、彼女が尋ねる相手もいる。
自分にとっても、同じだった。
針を細かく整えることは、できなかった。
だが、その理由を探すための助言をもらい、練習の結果を確かめる方法も聞けた。
知らない歴史は、本と講義で繋がり始めている。
使えるものへ変えるには、まだ時間がかかるだろう。
それを積む場所が、今はある。
鬼太郎は変身術の教科書を開いた。
隣の卓では、上級生が誰かの話へ笑い声を上げた。
ロンが顔を向け、ハリーも少しそちらを見る。
キーノは帳面をしまい、二人と同じ方へ目を向けた。
鬼太郎は一度顔を上げてから、頁へ視線を戻す。
朝は教室までの道を探していた。
今は、今日教わったことの中から、次に確かめるところを探している。
羽根ペンを取り、明日までに忘れたくない箇所へ、小さな印をつけた。