第104話 光のすぐそば
棒が跳ねたとき、鬼太郎はもう、横へ足を出していた。
人形の手が空になったことを確かめ、肩の辺りへ目を残す。黒檀の先も、そこから大きく外れていない。
「そこで止めてください」
フリットウィックが言った。
鬼太郎は杖を下げる。
壁際で待っていたセドリックが、床の線と鬼太郎の足を見比べた。
「前より、戻るのが早いね」
「戻さなくてよいところへ、置くようにしてみました」
先生は人形へ棒を拾わせ、キーノも同じように確かめた。
その後で、二人に全身金縛りと解除を使わせる。
鬼太郎の人形が倒れ、動き始める。キーノも、解除するぞと声を掛けてから、揃った腕と脚を解いた。
「最初の日より、安定しましたね。今日の手合わせでは、武装解除と全身金縛りも使ってよいでしょう」
鬼太郎は、黒檀を握り直した。
先生の目が、その指へ来る。
力を入れすぎていた。
鬼太郎は少し緩め、セドリックへ顔を向けた。
「楽しみですね」
「こっちも、前と同じにはいかないつもりだよ」
セドリックは笑い、先にキーノの練習のため、線のそばへ立った。
歩く速さを決め、杖を持つ。
キーノは、その手へ狙いを合わせた。
「エクスペリアームス」
赤い光が、腕の横を抜けた。
彼女の顔が、一瞬そちらへ向きかける。
すぐに戻した。
「もう一度、お願いする」
セドリックは頷き、出発した位置へ戻った。
今度は、相手が歩き始める前から、杖を動かす準備をする。
光が届いた。
杖が、手を離れる。
キーノは、セドリックを見ていた。
「ええ。外れた後も、見失いませんでしたね」
先生が杖を戻すと、彼女は自分の右手を見た。
「当てようとすると、手だけ追ってしまう」
「その手を運ぶのは、身体ですからね。どちらへ進むかを見るためには、足も確かめなければなりません」
キーノは、もう一度セドリックへ向いた。
鬼太郎は壁際へ寄り、その足を見た。
最初の練習では、唱え終えてから自分の杖を見ていた。
今は、相手へ目が残っている。
キーノがこちらを見たので、鬼太郎は小さく頷いた。
彼女は返事をせず、次の位置へ足を置き直した。
◆
中央へ出る前に、先生は、二人が使う呪文を改めて確かめた。
今日も、杖だけ。
強い光を相手の目へ向けず、合図があれば止める。
鬼太郎は右手で黒檀を持ち、セドリックと向かい合った。
相手が肩を一度動かし、腕を下ろす。
そこだけを待ってはいけない。
鬼太郎は、胸の前にある杖と、床を確かめる足へ目を配った。
「一礼を」
二人は頭を下げた。
顔を上げると、セドリックはまだ笑っていた。
鬼太郎も、同じだった。
「始め」
「エクスペリアームス!」
杖先の向きが決まるところで、鬼太郎は右足をずらした。
上体を斜めにする。
赤い光が、腕のすぐ外を抜けた。
前より近かった。
その分、杖を外へ振り回さずに済む。
「リクタスセンプラ」
返した光を、セドリックが横へ避けた。
軽く上がっていた口元が、引き締まる。
鬼太郎は、その手が構えへ戻るのを見ていた。
肩の動きは、小さくなっている。
教えたところを、直してきたのだろう。
代わりに、こちらへ向く杖を見る。
「ペトリフィカス・トタルス!」
鬼太郎は肩を引き、前の足へ体重を移した。
袖の外を、光が通る。
大きく跳び退かなかった分、間合いは残った。
「エクスペリアームス」
セドリックは、手を引きながら身体ごと横へ出た。
鬼太郎の光が外れる。
相手は、すぐ次を向けてきた。
今度は、鬼太郎が身体を戻そうとしていた場所だった。
鬼太郎は、出しかけた足を前へ置いた。
膝を折り、杖を射線から外す。
赤い光が上を抜けた。
笑みが、深くなった。
いい返し方だった。
そう思ったところで、膝を伸ばす足が遅れた。
浅く置いた靴の底へ、体重が乗り切っていない。
セドリックの杖が、その遅れを待たずに動いた。
◆
キーノは、線の外で指を握った。
当たる。
そう思うたびに、光が鬼太郎のそばを抜けた。
前の手合わせでは、もっと大きく避けていた。
今日は、相手の杖が上がっても、そこからあまり離れない。袖のすぐ外を通った後で、もう自分の呪文を返している。
本人は、楽しそうだった。
せっかく使えるものが増えたのに、今度は逃げる場所まで狭くしている。
キーノは声を出しかけ、止めた。
鬼太郎が、大きく左へ出た。
今度は、杖が相手から外れる。
先生は二人を見ていた。その手には、既に杖がある。
キーノは握った指を緩め、鬼太郎が足を置き直すところを見た。
◆
中央を、また取られた。
鬼太郎は、セドリックが前へ寄るのを見た。
反撃できないほど避けた分、相手には構えを整える時間ができている。
だが、あの姿勢から、小さく避け直すことはできなかった。
足を少し開く。
思い描いた避け方でも、その後に立て直せなければ、次の杖は出せない。
セドリックが向きを変えた。
今度の線なら、足を残せる。
鬼太郎は肩を引き、右腕を外した。
光が抜けるときには、唱え始めていた。
「ペトリフィカス・トタルス」
セドリックが下がった。
鬼太郎の前に、少し長い空間ができる。
すぐに追いかけきろうとはしなかった。
相手が、下がり続けるのをやめたからだ。
横へ動く。
その理由は、踊り場で聞いている。
鬼太郎も向きを変え、杖先を戻した。
◆
フリットウィックは、鬼太郎の足と杖を順に見た。
回避が、小さくなっている。
その分、相手へ杖を戻す時間が減り、唱え終えて構え直すところへ、次が返った。
一度、足の位置が合わなかった。
そのときには大きく離し、立ち直ることを選んでいる。全て同じ幅で通そうとしているわけではない。
先生は、持つ杖を下げなかった。
鬼太郎は笑っていた。
避けられて安心したときだけでも、相手を追い込んだときだけでもない。
ディゴリーが動きを変えると、その先を見たがった。
近くを光が抜けた後にも、反撃の場所を探している。
この子は、戦うこと自体を楽しんでいる。
前の手合わせよりも、それがはっきり見えた。
新しい呪文を覚えた喜びだけなら、こんなところまで残らなくてもよい。
そこから返せると知ると、確かめずにはいられないのだろう。
フリットウィックは、次にどちらの杖が動くかを見た。
◆
セドリックの杖が、胸の前へ戻った。
鬼太郎が足を出す。
相手は、まだ唱えなかった。
先にこちらが避けるのを、待っている。
鬼太郎の口元が上がった。
誘われていた。
動いたところへ向けるつもりなら、こちらから使う。
「リクタスセンプラ」
セドリックは横へ踏み出した。
光は、その脇を抜ける。
鬼太郎は外れた先を見ず、自分も位置を変えた。
引いた腕が、前へ戻ってくる。
「エクスペリアームス!」
声と杖の向きへ、鬼太郎は斜めに半歩出た。
赤い光が、黒檀の外を通る。
今度は、その近さを足が支えた。
「リクタスセンプラ」
返した呪文が、セドリックの脇腹へ届いた。
息が漏れ、肩が揺れる。
それでも、足は止まらなかった。
手が持ち上がる。
鬼太郎は、その動きを見ていた。
前と同じように、唱えられる。
ただ、杖先が戻るまでに、僅かな乱れがあった。
相手が動けなくなるまで、待つ必要はない。
「エクスペリアームス」
赤い光が、手を捉えた。
セドリックの杖が離れる。
鬼太郎は、彼へ杖先を残した。
その足が、飛んだ方へ動きかける。
「そこまで」
二人は止まった。
杖が宙で静まる。
鬼太郎は息を吐き、ようやく黒檀を下げた。
セドリックも、こちらを見ていた。
その顔へ笑いかけると、相手は脇腹へ手を当て、まだ少し引きつる口元で笑い返した。
◆
先生がくすぐりを解き、セドリックへ杖を返した。
「今度は、間に合わなかったな」
セドリックが言った。
「次が、すぐに来た」
「使えるものが、増えましたので」
「それもあるけど、避けた後だよ。前なら、もう少し離れてた」
彼は、自分の袖の外へ手を置いた。
鬼太郎は頷いた。
「離れると、僕も向け直す必要があります。残れれば、そのまま返せますから」
「当たると思わなかった?」
「一度、危ないと思いました。膝を落とした後、足が戻りませんでしたね」
鬼太郎は、床へ目を落とした。
そこへ、先生が来た。
「最後の武装解除は、よい使い方でした。相手がどのくらい動けるかを、見てから続けましたね」
「はい。止まると思って、前に失敗しましたので」
「回避の後も、杖を残せていました。ただ、どの呪文にも同じ避け方ができるとは、思わないことです」
先生は、自分の杖先で小さな幅を示した。
「手元を狙う光と、周りへ広がるものでは、離れる場所が違います。知らない呪文まで、この近さで通そうとしてはいけません」
「ええ。読めないものからは、距離を取ります」
鬼太郎は答えた。
「今日は、使うものを聞いていましたので」
「それでも、狙いは変わります。強さも、あなたの踏み出せる幅も。さっきは、途中で離せましたね」
先生の目が、鬼太郎の足へ向く。
鬼太郎は、膝を戻すときの遅れを思い出した。
近くで避ければ、必ず次へ手が届くわけではない。
残れないところからは、離れる。
その選び方まで、正確にしたかった。
先生は、セドリックへ顔を向けた。
「あなたも、見られた癖を直してきましたね。相手が動くまで待ったところも、考えは分かります」
「でも、待っていたら、向こうから使われました」
「ええ。次は、それも知った上で考えなさい。二人とも、前とは違う手合わせにできました」
フリットウィックは笑った。
セドリックは、返された杖を一度見てから、頷いた。
◆
壁際の机へ座ると、セドリックも隣へ来た。
キーノが運んでくれた帳面を、鬼太郎は開いた。
「最後の前に、くすぐりを一度外しただろ。あれも、その後のため?」
「動いていただければ、杖を戻すところを見られます。ただ、当たればそのまま、次を使うつもりでした」
「外れても、当たっても、続けるつもりだったんだ」
「そちらも、僕が避けるのを待っていましたね」
「先に動いてくれたら、そこへ向けようと思ってた。でも、君の方が唱えた」
セドリックの手が、机の上で少し動く。
鬼太郎はその向きを見てから、自分の頁へ、最後に相手が待った位置を書いた。
その横へ、くすぐりの後も杖が上がった、と足す。
ただし、前より早く次へ向けられた。
ペンを止めると、セドリックも、自分の帳面を出していた。
◆
キーノは、二人の横で鞄を置いた。
鬼太郎が杖を奪えたのは、よかった。
人形へ繰り返していたことが、動く相手にも通じた。
だが、その笑顔は、勝ったからというだけではない。
近くを呪文が抜けたことを聞かれると、そのとき残せた足や杖について、楽しそうに答えている。
もっと近くでも、できるのではないか。
そう考え始めたら、こいつは自分から、確かめに行きそうだった。
キーノは、先生がもう一度、鬼太郎の足元を見るのを見た。
危ないと思ったとき、黙っているつもりはない。
近くにいれば、遠慮なく言ってやれる。
ただ、声を掛けるだけで間に合うとは限らない。
キーノは、自分の帳面を開いた。
今日、最初に外した一回。
手だけを追っていたことを、そこへ書く。
自分も、動く相手へ当てられるようになりたかった。
◆
フリットウィックは、机に並ぶ三人を見た。
勝敗がついた後にも、練習は続いていた。
クラブを再開できれば、もっと違う相手とも組ませられるだろう。
だが、まずは、今の三人へ教える時間だった。
墓場には、小さく避けた後の足。
ディゴリーには、避けさせたところから返される呪文。
キーノには、移動する身体と手を一緒に見ること。
先生は予定を開いた。
「三人とも。次は、この日にしましょうか」
顔が上がる。
返事を聞いて、先生は次の練習日を書き込んだ。
◆
教室を出たところで、鬼太郎は右手の指を開いた。
杖を向けていた感触が、まだ残っている。
セドリックが階段の前で振り返った。
「次は、取られないようにするよ」
「では、別の取り方を考えておきます」
「君も、取られない方を考えた方がいいんじゃない?」
「ええ。それもですね」
二人は笑った。
その背中を見送ってから、キーノが隣へ来る。
「二つとも、手合わせで使えたな」
「ええ。全身金縛りは、当たりませんでしたが」
「武装解除は、当たった」
「練習した甲斐がありましたね」
鬼太郎は黒檀を収め、鞄を持ち直した。
セドリックには、奪える杖がある。
それを失えば、向けていたものがなくなる。
森で出会う相手が、皆そうだとは限らなかった。
「次に戻ったら、試したいことも増えました」
「グロブニクか?」
「応じてくだされば。今度は、杖と、僕の魔法を合わせてみたいです」
くすぐりが毛を揺らしただけで終わったことを、覚えている。
全身金縛りが通るかも、まだ分からない。
効くものを探している間に、爪は来る。
杖を向け直す間へブフを入れられるか。相手が足を変えたところへ、別のものを使えるか。
学校で習ったことを、左手の力と一緒に使ったとき、どう変わるのか。
鬼太郎が考えていると、キーノが先に言った。
「まず、森の様子を聞いてからだぞ」
「ええ。知らせがあるなら、そちらを伺いませんと」
留守の間に何があったかは、まだ聞いていない。
誰も入っていないとも、既に誰かが罠を置いたとも、今ここでは言えなかった。
教師の見ている教室と、同じつもりでは歩けない。
向こうの相手は、使う呪文を先に聞かせてはくれないだろう。
窓から差す日暮れの光が、鬼太郎の袖を照らしていた。
赤い光が抜けたのは、そのすぐ外だった。
残れる場所が分かれば、反撃へ手が届く。
間違えれば、次を考える時間もなくなる。
「今日は、何を直すんだ」
キーノが尋ねた。
「膝を落とした後の足ですね。あそこで、すぐには戻れませんでした」
「勝ったところより、そっちか」
「次も、同じように外してくださるとは限りませんので」
鬼太郎は答え、彼女へ顔を戻した。
「キーノさんは?」
「手だけ見るな、だ。お前たちがやってるとき、足が動くのも見てた」
「では、次にはそれも、確かめましょう」
二人は並んで、談話室へ向かった。
今は、帰って書ける頁がある。
直したものを、次に向ける相手もいた。
鬼太郎は、その続きを楽しみにしていた。