第百五話 同じ背丈で、違う夜を知る
ハリーが戻ってきたのは、箒を片づけ終えた後だった。
城へ入ろうとしていたロンが、廊下の向こうに彼を見つける。
「ハリー!」
駆け寄る足音に、鬼太郎とキーノも振り向いた。
ハリーは一人だった。
歩く速さは、マクゴナガルについていったときより軽い。だが、顔にはまだ、何かを考え続けているような表情があった。
「どうだった? 退学じゃないよね?」
「うん。違った」
ハリーは答え、三人を見る。
「クィディッチのチームに入ることになったんだ」
ロンの口が開いた。
「チームって、グリフィンドールの?」
「シーカーだって」
「君が?」
大きくなった声に、通りかかった上級生がこちらを見た。
ハリーは少し声を落とし、先生が窓から飛行を見ていたこと、ウッドという選手を紹介されたことを話した。
ロンは途中で何度も頷いた。
「すごいよ。だって、一年生で入れるなんて――」
「僕も、そう言ったんだけど」
ハリーが言う。
「例外にするって。箒のことも、校長先生への話も、全部先生がやるんだって」
キーノが眉を上げた。
「お前が、入りたいって頼んだのか」
「ううん。返事は、イエスか、はいだって言われた」
ロンが吹き出した。
ハリーも、今になって少し笑った。
鬼太郎は彼の顔を見ていた。
「それでは、断る言葉を選べませんね」
「そうなんだ。でも、また飛びたいとは思ってるよ」
ハリーは答えた。
それは、先生に決められる前から思っていたことだった。
鬼太郎は頷いた。
「玉を追ったときも、あのように飛ぼうと考えていたんですか」
「考えたっていうか……落ちる前に取れると思ったんだ。それで、前に傾いたら、箒が動いて」
ハリーは片手を前へ出した。
あのとき、指を伸ばした方向へ。
「地面が近づいたから、柄を上げた。うまく説明できないけど」
「初めてでも、身体を動かす順番に迷わなかったんですね」
鬼太郎が言った。
「僕には使えない道具でしたが、ハリーさんには、扱いやすかったようです」
ハリーは彼を見た。
羨ましがる声でも、嫌味でもなかった。
「まだ、ほかの飛び方もできるかは分からないよ」
「これから教わるのでしょう。それは、楽しみですね」
鬼太郎は微笑んだ。
キーノが腕を組む。
「私は、まず足が地面から離れるところだ」
「フーチ先生、合図を待ったらちゃんと見てくれたよ」
ロンが言う。
「ああ。次も、あの高さからにする」
キーノは頷き、ハリーへ顔を戻した。
「お前は、先へ行ったな」
ハリーは笑った。
午後の光が、廊下の床へ斜めに射していた。
◆
夕食では、ロンがまだクィディッチの話をしていた。
ネビルへ返した思い出し玉のことも話し、ハリーは安堵して頷いた。
手首の治療を受けたネビルは、寮へ戻っている。
鬼太郎は皿へ料理を取り、二人の会話を聞いていた。
キーノは途中で、シーカー以外にも役目があるのかと尋ねた。
ロンが説明し始めたところへ、マルフォイが来た。
クラッブとゴイルも、後ろにいる。
「まだいたんだね、ポッター」
ハリーが顔を上げた。
「君は、僕がいなくなると思ってたんだろ」
「ちょっと飛べたくらいで、いい気になるなよ。先生に見逃してもらえて、よかったじゃないか」
マルフォイは食卓の端へ手を置いた。
「教師のいないところでも、同じように強気でいられるのかな」
「何が言いたいんだよ」
「魔法使いの決闘だ。やったことがあるか?」
ロンが姿勢を変えた。
ハリーも、マルフォイを見続けている。
「今夜、相手になってあげるよ。真夜中に、トロフィー室で。来られるならね」
「行くよ」
ハリーが言った。
マルフォイの目が僅かに動く。
ロンがすぐ続けた。
「僕がハリーの付き添いだ」
「僕はクラッブを連れていく」
マルフォイが答えた。
その横で、鬼太郎は匙を置いた。
「では、僕が判定してもよろしいですか」
三人の目が、こちらへ向いた。
キーノも鬼太郎を見る。
「判定?」
マルフォイが聞いた。
「ええ。どちらかの味方として参加するのではなく、立会人として。合図と勝敗を決める役です」
「グリフィンドールの君が、公平にするって?」
「ハリーさんの負けになる場合も、そう告げますよ」
鬼太郎は穏やかに答えた。
「同じ年頃の方が、今どのくらい呪文を使えるのか、見ておきたいんです。授業で物へ唱えるところだけでは、分かりませんから」
ハリーは口を結んでいたが、頷いた。
「僕は、いいよ」
マルフォイは鬼太郎を見た。
「勝手に条件を変えるなよ」
「今、二人で決めていただきましょう」
鬼太郎は鞄から紙と筆記具を出した。
皿を少し寄せ、空いたところへ紙を置く。
羽根ペンが動き始めると、マルフォイの顔から笑みが薄れた。
◆
ハリーは、鬼太郎の書く文字を見ていた。
日時。
場所。
決闘する二人と、それぞれの付き添い。
その下へ、条件が続く。
「使うのは杖と呪文。一対一ですね」
鬼太郎が顔を上げた。
「付き添いは、途中で攻撃しない。開始は僕の合図を待つ。止める合図の後にも、唱えない。ここまでは、よろしいですか」
「もちろんだ」
マルフォイが答えた。
ハリーも頷く。
「勝敗は、どちらかが降参した場合。あるいは、杖を失って拾えない、立てなくなって続けられない場合としましょう」
ハリーは紙へ目を落とした。
さっきまで、相手に負けたくないとだけ思っていた。
今は、負ける場合が文字になっている。
「怪我をさせるための呪文や、周りを壊す呪文は使わない。かけたものを、その場で解けるようにもしておいてください」
「そんなこと、言われなくても分かってるよ」
マルフォイは言った。
「では、確認できましたね」
鬼太郎が紙へ書き足した。
その顔は、食事をしていたときと変わらなかった。
ロンが覗き込む。
「来なかったら?」
「来なかった方の不戦敗として、ここへ記します。約束した条件での結果を、後から変えないための紙ですから」
鬼太郎は答え、最後に署名する場所を空けた。
紙をマルフォイへ向ける。
「お名前を。それから、読んで違うところがあれば、今教えてください」
「僕が、来ないとでも?」
「来られるのでしたら、予定どおり始められますね」
返事を聞いたキーノが、自分の皿へ目を戻した。
口元が、少し動いていた。
マルフォイは羽根ペンを取った。
ハリー、ロン、付き添いに指名されたクラッブまで見ている。
自分から誘った決闘だった。
今ここで名前を書くのを嫌がれば、どう見えるかは分かっているらしかった。
マルフォイは紙へ署名した。
「これで満足か?」
「ありがとうございます。ハリーさんも、お願いします」
ハリーはペンを受け取り、自分の名を書いた。
鬼太郎も立会人の欄へ名を記す。
インクが乾くまで待ってから、紙を二人へもう一度見せた。
「真夜中、トロフィー室で。お待ちしています」
マルフォイは短く頷き、食卓から離れた。
ハリーは自分の皿を見た。
冷めかけた料理が残っている。
ロンが隣から声を落とした。
「君、使える呪文はあるよね?」
「授業で習ったものなら」
ハリーは答えた。
ルーモスやレパロでは、相手を止められない。
アロホモラも、ここでは役に立たないだろう。
この数日の授業で教わった中に、一つ、相手へ使うものがあった。
リクタスセンプラ。
ハリーは口の中で、発音を確かめた。
◆
談話室へ戻ると、キーノは鬼太郎の前へ座った。
「本当に行くのか」
「ええ。立ち会うと伝えましたから」
「そもそも、夜中にやる必要があるのか」
「二人は、その時間で約束しましたね」
「聞いてるのは、そこじゃない」
キーノが眉を寄せた。
鬼太郎は彼女を見た。
「僕は、二人が相手へ何をするのか、見たいんです」
授業で呪文が成功したときの顔は、知っている。
失敗してやり直す手元も見た。
だが、相手が避けたり、先に攻撃してきたりするところでは、まだ見ていなかった。
キーノは少し黙ってから、隣の卓へ目を向けた。
ハリーとロンが、顔を寄せて話している。
そこへハーマイオニーが来た。
「決闘へ行くつもりなの?」
ロンが顔を上げる。
「誰から聞いたんだよ」
「食卓であれだけ話していれば、聞こえるわ。夜中に寮を出て見つかったら、何点引かれると思ってるの?」
「君は行かなければいいだろ」
「同じ寮なのよ。私のことじゃないからいい、なんて言えないわ」
ハリーは膝の上で杖を持ち直していた。
ハーマイオニーの目が、こちらへ来る。
「鬼太郎も止めなかったの?」
「僕は、立会人として行くことにしました」
「あなたまで?」
彼女は椅子の背へ手を置いた。
「条件を書いたって、夜中に外へ出ていいことにはならないでしょう」
「ええ。先生から許可をいただいた紙ではありませんからね」
鬼太郎が答える。
ハーマイオニーの表情が、さらに険しくなった。
キーノは彼を見た。
「分かってるのに行くんだな」
「確かめたいものが、ありますので」
キーノは息を吐いた。
自分は見に行くとは言わなかった。
鬼太郎も誘わず、畳んだ紙を鞄の取り出しやすい場所へ入れた。
◆
寝室の灯りが落ちてから、ハリーは長く目を閉じていた。
眠ってはいなかった。
ロンが起きる音を待ち、寝台から脚を下ろす。
鬼太郎も着替えていた。
彼は小さく頷き、鞄を肩へ掛ける。
三人はほかの寝台を起こさないよう、扉へ向かった。
談話室の暖炉は、昼間よりずっと暗い。
椅子の影を抜け、肖像画の入口へ行く。
ハリーは一度、女子寝室へ続く階段を見た。
誰もいない。
ロンが先に外へ出た。
鬼太郎が最後に肖像画を戻す。
城の夜は、寝室で聞くより静かだった。
ハリーは杖を握り、ルーモスを唱えた。
小さな光がつく。
昼間なら明るかった廊下が、杖先の届くところだけ見える細い道になる。
ロンが向かう方へ、ハリーも足を進めた。
◆
キーノは、女子寝室の扉を静かに閉めた。
隣に、ハーマイオニーがいる。
談話室を見渡したが、三人はもういなかった。
「出ていったのね」
ハーマイオニーが囁いた。
キーノは頷き、肖像画へ向かう。
「追いついて、止めるぞ」
「ええ。決闘を始める前に、戻らせないと」
肖像画の向こうへ出ると、廊下の角に細い光が消えるところだった。
ハーマイオニーが杖を出す。
二人は光の消えた方へ歩いた。
走れば足音が響く。
キーノは前を見て、歩幅を大きくした。
見物へ行くつもりはなかった。
決闘の条件より先に、今夜わざわざ揉め事を増やすことを、三人にやめさせたかった。
◆
トロフィー室の入口で、ハリーは光を低くした。
中では、銀の杯や盾が、棚の奥で鈍く光っていた。
マルフォイがいた。
クラッブも、扉から少し離れたところに立っている。
「遅いぞ、ポッター」
「まだ、約束の時間ですよ」
鬼太郎が答え、二人の間へ進んだ。
ハリーはマルフォイから目を離さず、杖の光を消す。
鬼太郎は棚から離れた床を確かめた。
立つ位置と、付き添いが待つ場所。
互いに近すぎず、背後へ一歩引けるところを選び、二人へ示す。
壁際の明かりで、顔と足元は見えた。
紙を取り出し、署名のある面を開く。
「始める前に、条件をもう一度――」
「ちょっと待ちなさい!」
入口から、ハーマイオニーが来た。
キーノも隣にいる。
ロンが振り向いた。
「ついてきたの?」
「止めに来たのよ」
ハーマイオニーは二人の杖を見た。
「もう十分でしょう。寮へ戻りましょう」
「僕は、約束どおり来たんだ」
マルフォイが言った。
「ポッターが逃げるなら、それでいいけどね」
「逃げないよ」
ハリーはすぐ答えた。
キーノが鬼太郎へ近づく。
「お前も、戻るぞ」
「二人とも、始める意思はあるようですね」
「それを止めに来たんだ」
彼女の声が強くなった。
鬼太郎は入口を見てから、もう一度彼女を見た。
「声は、少し下げていただけますか。ここでは響きます」
キーノが唇を結んだ。
ハーマイオニーも、廊下の方へ顔を向ける。
足音は聞こえなかった。
だが、静かな城で自分たちの声だけが残るのは、気持ちのいいものではない。
鬼太郎は紙を畳まず、ハリーとマルフォイへ向けた。
「お二人とも、先ほどの条件で始めますか」
ハリーは頷いた。
マルフォイも、短く答える。
「早くしろよ」
キーノは鬼太郎を睨み、指定された床の脇へ退いた。
ハーマイオニーはまだ何か言おうとしていたが、二人が離れて立つのを見て、杖の先が向かない場所へ移った。
「何かあったら、止めるからね」
「ええ。危険だと判断したら、僕も止めます」
鬼太郎が答えた。
ハリーは、喉が乾くのを感じた。
◆
鬼太郎は、二人の杖先を見た。
ハリーは柄を強く握り、マルフォイの顔を見ている。
マルフォイは口元に笑みを残していたが、脚が落ち着かない。靴の向きを変え、ローブの裾を避けるように足を引いた。
付き添いの二人は、口を閉じている。
鬼太郎は自分の杖をまだ鞄に収めたまま、二人の間から横へ退いた。
「合図の後で、始めてください」
ハリーが唇を動かした。
声には出さず、呪文を確かめているらしい。
マルフォイの杖が、少し高くなる。
「始め」
「リクタスセンプラ!」
ハリーの声が先だった。
杖を振る。
先端に光が集まりかけ、すぐ消えた。
ハリーが自分の手元を見る。
その間に、マルフォイが唱えた。
「タラントアレグラ!」
ハリーが横へ跳ぶ。
呪文は、さっきまで彼が立っていた場所を抜けた。
マルフォイの腕が止まる。
避けた相手へ、まだ杖を戻していない。
ハリーはもう一度唱えようとしたが、着地で身体が揺れ、発音が途中で詰まった。
ロンが息を吸う。
鬼太郎は二人の顔を見た。
ハリーは、外れた呪文の方まで振り返りかけていた。
マルフォイも、動く相手を追うより、自分の杖を確かめている。
次の呪文が来ない時間が、長かった。
◆
ハリーは、授業の机を思い出した。
足を止め、杖を動かす順番を確かめてから唱えたときには、できた。
今は、マルフォイが動いている。
相手を見ながら、発音まで揃えなければならない。
マルフォイがこちらへ杖を戻した。
ハリーは先に腕を上げる。
「リクタスセンプラ!」
今度は、光が飛んだ。
マルフォイが身体を捻る。
呪文は、その腕の辺りをかすめた。
彼の口から、短い笑い声が漏れる。
ハリーは一歩進んだ。
だが、当たったかを確かめている間に、マルフォイも杖を向けていた。
「ロコモーター・モルティス!」
ハリーは慌てて脚を引いた。
呪文が足元を抜ける。
今の呪文は、授業で習っていない。
どうなるものか分からないことが、急に怖くなった。
マルフォイは唇を噛み、笑いを抑えた。
「そんなの、僕も知ってるよ」
杖を振る。
「リクタスセンプラ!」
ハリーは上体を伏せた。
眼鏡が少しずれる。
直す手を出しかけ、杖を握っていることを思い出した。
マルフォイが笑っている。
さっきの呪文のせいか、自分を見て笑ったのか、分からなかった。
ハリーは杖を持ち直した。
◆
鬼太郎は、マルフォイの足を見た。
先ほど呪文を外したときと同じように、杖先をハリーの脚へ向けている。
腕が動く。
ハリーは、その杖先を見ていた。
自分から唱えるより、次に何が来るかを待っている。
避けようとする脚が、すでに外側へ開いた。
鬼太郎は、二人の間の床へ目を移した。
踏み込めば届く距離ではない。
だが、相手が長い言葉を唱え、手を動かしている間に、取れる行動はいくつもあった。
ハリーは逃げる方へ動く。
マルフォイはそれを見て、杖を遅れて動かす。
避けられると、止まる。
追ってくる相手に何をするか、その次の動きがない。
弱い。
鬼太郎の中で、答えはもう出ていた。
圧倒的に、弱かった。
この時代の子供は、まだこんなところにいる。
同じくらいの背丈でも、前に知っていた世界では、子供というだけで次の一撃を待ってもらえなかった。
呪文が失敗したからと、手元を眺めている時間はない。逃げるなら相手を見て退き、戦うなら、力が届かなかった後も動く。
それを、二人はまだ必要としていない。
マルフォイが、足元へ杖を向け直す。
ハリーが身体を引く。
どちらも、目の前の一手で精いっぱいだった。
鬼太郎の笑みは、深くならなかった。
同世代との戦いを見れば、何か得られるかと思っていた。
今見えているものは、実戦の相手として考えられる水準から、あまりにも遠い。
ただ、その評価で勝敗を変えるつもりはなかった。
この二人の間には、この二人の差がある。
鬼太郎は、杖先と脚へ視線を戻した。
◆
ハリーは後ろ足を動かした。
これ以上退くと、後ろの展示台が近くなる。
マルフォイが、また杖を上げた。
ハリーは横へ動こうとする。
今度は、相手の声がまだ出ない。
一度上げた杖が下がり、足元へ向いた。
「ロコモーター・モルティス!」
ハリーは、動き始めた脚を戻せなかった。
呪文が当たる。
両脚が、引き寄せられるようにくっついた。
離そうとしても、開かない。
踏み出すはずだった足が出ず、身体だけが横へ傾いた。
膝から床へ落ちる。
空いている手をつき、肩まで倒れるのを防いだ。
杖は、まだ持っていた。
ハリーは顔を上げる。
マルフォイが、こちらへ杖を向けていた。
「そこまでです」
鬼太郎の声がした。
マルフォイの手が止まる。
ハリーは床へついた手で身体を起こそうとした。
脚が動かない。
膝を立て直せず、また手へ重さがかかった。
「ハリーさん。立って続けられますか」
鬼太郎が尋ねた。
ハリーは脚を見てから、首を振った。
「……無理だ」
「では、条件どおり、マルフォイさんの勝ちです」
言葉は、はっきりしていた。
ロンがハリーのそばへ来る。
マルフォイは口元を上げたが、自分も息が少し上がっていた。
「箒に乗るのとは、違っただろう?」
ハリーは彼の杖を見た。
「今の二つ、どこで覚えたんだよ」
「家でだよ。学校へ来るまで、何も知らなかった君とは違うんだ」
マルフォイが答えた。
ハリーは口を閉じた。
脚を離そうとしても、まだ動かない。
鬼太郎がマルフォイへ顔を向ける。
「かけた呪文を、解いてください」
「分かってるよ」
マルフォイは杖を動かした。
ハリーの脚を縛っていた力が消える。
ロンが腕を支え、ハリーは片足ずつ床へついて立った。
ハーマイオニーが、彼の膝を見ていた。
「痛めてない?」
「大丈夫」
ハリーは答えた。
痛みはあったが、脚を曲げることはできた。
キーノは床を見て、それから鬼太郎を見た。
勝った方にも負けた方にも、彼は肩入れしなかった。
紙を開き、今告げた結果を書き込んでいる。
◆
鬼太郎はインクの乾いた紙を、二人へ見せた。
ハリーはそれを見て頷いた。
マルフォイは自分の名の下に書かれた結果を読み、顔を上げる。
「ちゃんと、僕の勝ちにしたんだな」
「決めた条件を満たしたのは、マルフォイさんでしたから」
鬼太郎は答えた。
マルフォイは、ハリーへ目を向ける。
また何か言おうとしたところで、鬼太郎が紙を畳んだ。
「決闘は終わりました。声を増やす前に、戻りましょう」
「君に命令されることじゃない」
「ここで待っていても、勝ちは増えませんよ」
マルフォイは眉を寄せた。
クラッブが扉の外を覗いている。
鬼太郎は彼の肩越しに廊下を見た。
人影はなかった。
マルフォイはローブを直し、クラッブへ顎を向ける。
「行くぞ」
扉を出るとき、ハリーへもう一度笑いかけた。
ハリーは杖を握ったまま、その背中を見送った。
足音が遠ざかる。
ハーマイオニーが、残った三人へ向き直った。
「満足した? 今度こそ、帰りましょう」
ロンは何か言いかけたが、ハリーが先に頷いた。
「うん」
鬼太郎も鞄を閉じた。
キーノは彼の横へ並び、声を落とす。
「見たかったものは、分かったか」
「ええ」
返事を聞いても、彼女は笑わなかった。
「次は、昼間に先生のいるところでやれ」
「その方が、場所を選びやすいでしょうね」
「そういう話だけじゃない」
キーノが睨む。
鬼太郎は僅かに目を細め、廊下へ顔を戻した。
◆
ハリーは、ロンの隣で歩いていた。
両脚は、もう自由に動く。
だが、くっついた瞬間の感覚が、膝を曲げるたびに戻ってきた。
「惜しかったよ」
ロンが小声で言った。
「君のも、一度は当たってた」
「少しだけだよ」
ハリーは答えた。
「もっとちゃんと当てられたら、違ったかもしれないけど」
マルフォイは、授業で習っていない呪文を二つ使った。
自分は、同じものを繰り返すしかなかった。
その一つさえ、最初は出なかった。
箒に乗ったときとは違う。
身体を動かせば応えてくれるものではなく、覚えたはずの言葉が、急ぐと口の中で崩れる。
前を歩くハーマイオニーは、ときどき振り返っていた。
今は、何も言わない。
その後ろで、キーノと鬼太郎が並んでいる。
ハリーは鬼太郎へ顔を向けた。
「君は、あれを見て、どう思った?」
鬼太郎の足が、少し緩む。
「ハリーさんは、避けながら唱えようとすると、動きが止まっていましたね。マルフォイさんも、外した後で次の狙いを決めるまで、時間がありました」
ハリーは、自分の杖へ目を落とした。
「知ってるだけじゃ、駄目なんだな」
「ええ。相手が動いていると、教わったときのようにはいきませんね」
鬼太郎は答えた。
マルフォイに勝てなかったことを、彼は笑わなかった。
それでも、今の話を聞くと、勝つ方法より先に、できていないことがいくつもあるのだと分かる。
ハリーは杖をローブへ収めた。
明日になれば、また授業がある。
同じ呪文を唱えるときにも、今夜の床と、動くマルフォイの顔を思い出すだろう。
◆
鬼太郎は、四人の歩く先を見ていた。
マルフォイの知っていた二つは、家で覚えたものだと言っていた。
授業で習ったくすぐりの呪文だけを持つハリーには、その差があった。
だが、あの二つを覚えたところで、鬼太郎が見た弱さが消えるわけではない。
相手を見失う時間。
失敗した後、何もしない身体。
自分へ向いた杖を前に、言葉を思い出すために立ち止まること。
どれも、前に知っていた世界では長く残しておけないものだった。
ここでは、そのまま明日の授業へ行ける。
同じ年頃の者たちが、こんなにも弱いまま暮らしている。
鬼太郎は、今夜確かめたことを頭の中へ残した。
見下す言葉を口にしても、得るものはなかった。
ハリーの飛行が巧かったことは、変わらない。マルフォイが、使える手札の差で勝ったことも、事実だった。
それぞれ使えるところはある。
ただ、戦う相手として見たときの距離は、ずっと遠かった。
鬼太郎は鞄の上から、畳んだ紙のある場所へ指を添えた。
公平に判定すると約束した。
その役目は終えた。
廊下の先で、ハーマイオニーが曲がる角を確かめている。
鬼太郎は足音を抑え、皆と同じ道を進んだ。