神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

109 / 193
低い杖先

第109話 低い杖先

 

 帰省する生徒の荷物が、玄関へ集まっていた。

 

 ハーマイオニーは本の袋を抱え直し、出発の列へ入る前に振り返った。

 

「フラメルのこと、忘れないでね。違う本を見つけたら、どれを調べたかも覚えておいて」

 

「分かってるよ。君のその袋には、まだ調べてない本も入ってるの?」

 

 ロンが尋ねると、彼女は持ち手を握り直した。

 

「これは休暇に読む分。全部じゃないわ」

 

「全部なら、持てないだろ」

 

 キーノが言った。

 

 ハーマイオニーは袋を見てから、少し笑った。

 

「そうね。じゃあ、また休暇の後に」

 

「ああ。またな」

 

 鬼太郎も挨拶をし、列へ戻る彼女を見送った。

 

 少し離れたところで、セドリックが手を上げていた。

 

「先生との練習、戻ったら聞かせてよ」

 

「ええ。お話しすることが、たくさんありそうですね」

 

「その分、こっちも考えてこないとな」

 

 セドリックは鞄を持ち、扉の向こうへ出た。

 

 荷物を引く音が遠ざかる。

 

 鬼太郎たちが階段へ戻る頃には、玄関にいた人数は随分減っていた。いつもは人の声に重なる自分の靴音が、天井の高いところまで響いた。

 

     ◆

 

 昼食の後、ロンは談話室でチェス盤を開いた。

 

 向かいにハリーが座り、キーノは横から駒を覗く。

 

「その端の駒は、斜めへ行かないのか」

 

「ルーク? 縦か横だよ。途中に駒がなければ、何マスでも進める」

 

 ロンが、白い駒から盤の奥まで指を動かした。

 

 キーノは途中のポーンを見た。

 

「じゃあ、こいつがどけば、向こうまで来るんだな」

 

「そういうこと。だから、今そこを動かすと――」

 

「言わないでくれよ」

 

 ハリーが盤へ顔を寄せる。

 

 鬼太郎は、机の上の帳面を鞄へ入れた。

 

「では、行ってきます」

 

 キーノが顔を上げた。

 

「今日が、先生とやる日か」

 

「ええ。終わったら、どんなふうだったかお話しします」

 

「聞くことが多そうだな」

 

 彼女は鬼太郎の顔を見てから、盤へ目を戻した。

 

 ハリーが、不思議そうに尋ねる。

 

「休暇なのに、授業がなくても練習に行くんだね」

 

「今日は、先生に相手をしていただけますので」

 

 鬼太郎は答え、黒檀の位置を確かめた。

 

 最初に武装解除を見せられたときから、あの杖の向かいへ立ってみたかった。

 

 廊下へ出ると、教室へ向かう足が、いつもより少し早くなった。

 

     ◆

 

 フリットウィックは、床の線の端で待っていた。

 

 机は壁へ寄せられ、小さな空き箱も片づけられている。

 

「来ましたね。休暇の課題は、進んでいますか」

 

「今日の分は、済ませてきました」

 

「結構。では、鞄を置いてください」

 

 鬼太郎は机へ荷物を置いた。

 

 先生が、使える呪文を一つずつ挙げる。

 

 武装解除、全身金縛り、くすぐり。

 

 今日は浮遊術を含めず、鬼太郎はその三つだけ。先生も、初めは武装解除だけで相手をする。

 

「杖が取られたら終了です。私が止めたときも、すぐに下げなさい」

 

「はい」

 

「それから、今日は何を確かめたいですか」

 

 鬼太郎は先生へ向き直った。

 

「呪文を当ててみたいです。先生がどう避けて、どこへ返されるかも」

 

「両方見られるか、やってみましょう」

 

 その声は、教室で羽根の動きを見ていたときと変わらなかった。

 

 フリットウィックが、線の内側へ入る。

 

 鬼太郎も位置へついた。

 

 先生の杖が、上がった。

 

「構えなさい、墓場」

 

 声が、静かになった。

 

 大きくも、荒くもない。だが、聞いた途端に鬼太郎の指が握りを確かめた。

 

 小さな身体の下で、足が定まっている。

 

 杖は軽く持たれているように見えた。なのに、あの手が遅れる場所を想像できない。

 

「私から、目を離さないように」

 

 鬼太郎は、先生の胸と肘、床に置かれた足を見た。

 

 相手を見るつもりで来たのに、先にこちらの足を見られていた。

 

 鬼太郎の口元が、緩む。

 

 近くで見る方が、ずっとよかった。

 

「一礼」

 

 頭を下げ、顔を上げる。

 

 フリットウィックの杖は、もうこちらへ向いていた。

 

「始め」

 

     ◆

 

「ペトリフィカス・トタルス」

 

 鬼太郎が先に唱えた。

 

 先生が、半歩動く。

 

 光は肩の外を抜けた。

 

 鬼太郎は杖を残し、次を使う場所へ足を置き直した。

 

 フリットウィックの先端が、こちらを向く。

 

 鬼太郎は右へ身体をずらした。

 

 先生の杖先が、僅かに向きを変える。

 

「エクスペリアームス」

 

 赤い光が出たのは、その後だった。

 

 避けたはずの場所へ、届く。

 

 指が開き、黒檀が手を離れた。

 

 鬼太郎は、次の詠唱に入れなかった。

 

「そこまで」

 

 先生が杖を動かすと、飛んだ黒檀は床へ落ちる前に止まり、ゆっくり下りた。

 

 鬼太郎は空いた手を下げ、フリットウィックを見た。

 

 まだ、笑っていた。

 

「僕が動いてから、向け直されましたね」

 

「ええ。先に行く方を教えてくれましたから」

 

 柔らかな声が戻った。

 

 先生は、黒檀を拾うよう促した。

 

 鬼太郎は杖を取った。

 

 呪文を知っているから避けられるのではない。

 

 知っていても、相手が出す場所を変えられるなら、そこへ自分から動くことになる。

 

「もう一度、お願いできますか」

 

「何を変えますか」

 

「最初に向いたところだけで、避ける方を決めないようにします」

 

 先生が頷き、中央へ戻った。

 

     ◆

 

 二度目は、鬼太郎からすぐには撃たなかった。

 

 先生の手が動く。

 

 今度は、杖がこちらを向いても、まだ同じ足に重みを残した。

 

 フリットウィックが、少し横へ移る。

 

 鬼太郎も身体の向きを変えた。

 

 杖先が低くなった。

 

 右手へ来るのか。

 

 鬼太郎は肘を寄せ、黒檀を身体の近くへ引いた。

 

 先生が、一歩近づく。

 

 鬼太郎は、間合いを保つため後ろへ出た。

 

 フリットウィックは、そのまま追ってこなかった。横へ移り、鬼太郎が戻したかった場所へ向きを取る。

 

 鬼太郎も動いた。

 

 床の線が、足の近くへ来た。

 

 もう一歩下がれば、範囲から出る。

 

 横へ戻ろうとしたところへ、先生の杖があった。

 

 ここで、使う。

 

「リクタスセンプラ」

 

 鬼太郎が黒檀を向け直すと、先生は肩を引いた。

 

 光が外れる。

 

「エクスペリアームス」

 

 引いた手を、出し直したところだった。

 

 黒檀が飛んだ。

 

 鬼太郎は線の内側で足を止め、息を吐いた。

 

 今度は、早く動かなかった。

 

 それでも、取られた。

 

     ◆

 

 フリットウィックは、杖を下げたまま最初の位置へ戻った。

 

「先ほど、あなたはここにいましたね」

 

 鬼太郎も、向かいへ立つ。

 

「私が横へ動くと、あなたも向きを変えました。右手を守ろうとして、杖を引いた」

 

「はい」

 

「そこへ近づけば、下がりたくなる。下がった先へ私が追えば、あなたはまた同じ方へ動けたでしょう」

 

 先生は、後を追わず横へ出た場所を示した。

 

 鬼太郎は、自分が通った方を歩く。

 

 確かに、そちらへ向き直した。

 

 向かいに立とうとするたび、少しずつ端へ寄っている。

 

「戻るところにも、杖がありました」

 

「あなたが戻りたいところも、見ていましたからね」

 

 誘われた経験がないわけではない。

 

 武器を下げ、こちらが近づくのを待つ護衛もいた。セドリックにも、避けた後の位置を狙われた。

 

 ただ、先生は一度の隙だけで待っていなかった。

 

 この一歩なら、と選ぶ。

 

 次も、戻れると思って動く。

 

 繰り返すうちに、足を置く場所が減っていた。

 

「一つずつなら、すぐ次へ戻せると思ったんですが」

 

「戻した後で何をしたいかも、相手から見えます」

 

 先生が、鬼太郎の黒檀を指した。

 

「あなたは杖を残し、小さく避けて返したい。それはよい手です。でも、相手が毎回そこへ残してくれるとは限りません」

 

 鬼太郎は、右肘を少し動かした。

 

 反撃しやすいところへ置けば、その位置を狙うこともできる。

 

「では、次は戻るところも変えてみます」

 

「ええ。ただ大きく動けば解決する、と決めないように」

 

 フリットウィックは、床の中央へ戻った。

 

     ◆

 

 三度目は、くすぐりの呪文から始めた。

 

 先生が避ける。

 

 鬼太郎はその後で、前より大きく位置を変えた。

 

 杖先が追ってくる。

 

 まだ、声はしない。

 

 鬼太郎は、足を止めずにもう一歩動いた。

 

 向けられたところへ、同じ幅で収まらない。

 

「エクスペリアームス」

 

 先生の手へ、赤い光を送った。

 

 フリットウィックが横へ出る。

 

 光は当たらなかったが、こちらを向いていた杖先も、一度別の方へ外れた。

 

 鬼太郎は、その間に構えを戻した。

 

 すぐには、近づかない。

 

 先生の全身が見える距離で、足を置き直す。

 

 フリットウィックの目が、靴から右手へ戻った。

 

「続けなさい」

 

 静かな声だった。

 

 鬼太郎の胸が、弾んだ。

 

 一度避けられた後にも、まだ試せるものがある。

 

「ペトリフィカス・トタルス」

 

 先生が、また小さく避けた。

 

 そちらへ、次を重ねようとする。

 

 だが、その足はもう戻り始めていた。

 

 鬼太郎は、追うのをやめた。

 

 先生が寄る。

 

 鬼太郎は下がり続けず、横へ移った。

 

 杖先が来る。

 

「リクタスセンプラ」

 

 返した光も、肩の外を抜けた。

 

 息が速くなっていた。

 

 まだ、脚は出る。

 

 鬼太郎は一度吐き、先生の構えへ目を戻した。

 

 杖が、低い。

 

 自分の手を狙うなら、少し持ち上げるはずだった。

 

 その動きへ、先に使おう。

 

 鬼太郎が黒檀を出した。

 

「エクスペリアームス」

 

 低いままの杖先から、赤い光が走った。

 

 上がらなかった。

 

 鬼太郎は腕を引こうとした。

 

 その前に、指が開いた。

 

 三度目も、黒檀は手を離れた。

 

「そこまで」

 

 鬼太郎は動くのをやめ、空いた右手を下げた。

 

     ◆

 

「今度は、少し長く続けられましたね」

 

 先生の声が、柔らかく戻る。

 

 鬼太郎は額を手で拭った。汗で、髪が少し張りついていた。

 

 向こうの息は、ほとんど変わっていない。

 

「一度だけ、狙いを変えていただけました」

 

「ええ。最初に向けたところから、そのまま出ませんでしたね」

 

 黒檀を受け取り、鬼太郎は低く持ってみた。

 

「最後は、先生が手を上げると思いました」

 

「私の高さで、その位置から向けるなら、上げ直す必要があったでしょうか」

 

 フリットウィックが、同じ構えを取った。

 

 鬼太郎も、さっき右手を出したところへ立つ。

 

 先端は、既にそちらへ向いていた。

 

 低く持っているように見えても、自分が差し出す手より下を狙っていたわけではない。

 

「もう、届く向きだったんですね」

 

「ええ。杖の高さと、向いている先を同じものにしないことです」

 

 鬼太郎は、先生との身体の高さの差を見た。

 

 相手が小さいことは、見えていた。

 

 それでも、返してくる手の位置は、慣れた相手のものを待ってしまった。

 

「今日は、手合わせをここまでにします。今の位置を、ゆっくり確かめましょう」

 

「はい。お願いします」

 

 先生は、最初の開始位置を指した。

 

 三度の動きを、一つずつ辿り直す。

 

 鬼太郎が早く出た右側へ、先生が遅れて向け直す。

 

 次は、鬼太郎が杖を引いて下がり、戻ろうとしたところで止まる。

 

 呪文を出さずに歩いてみると、何を選んだつもりだったかを、途中で確かめられた。

 

 最後の図には、杖を持つ手と、その先端から伸びる線も描いた。

 

「向け直す前に見えるものは、何ですか」

 

 先生が尋ねた。

 

「足を置いた方と、杖の出る場所です。ただ、その足へ次も戻るとは限りません」

 

「では、その先は」

 

「もう一度、見ます」

 

 フリットウィックが頷いた。

 

 鬼太郎は、足から先へ一気に引いていた矢印を消し、向きが変わったところで分けた。

 

 線を一本増やすことより、そこで確かめる時間が要った。

 

     ◆

 

 帰る頃には、帳面の見開きが二人の足跡で埋まっていた。

 

「次は、キーノの練習も見ましょう。来る日は、二人で確かめておいてください」

 

「ええ。伝えておきます」

 

 鬼太郎は鞄を持ち、扉の前で向き直った。

 

「ありがとうございました。面白かったです」

 

 フリットウィックは、三度杖を返した手へ目を落とした。

 

 最初より長く動いた三度目も、相手へ呪文を当てたわけではない。

 

 それでも、この生徒は負けたところを一つずつ持って帰る。

 

「次に、何を変えてくるか楽しみにしていますよ」

 

 鬼太郎は一礼し、教室を出た。

 

 談話室へ戻ると、キーノが暖炉のそばから顔を上げた。

 

「どうだった」

 

「三回、杖を取られました」

 

「先生が相手なら、そうなるよ」

 

 ロンが盤から顔を向けた。

 

 鬼太郎は隣へ座り、帳面を開く。

 

「ええ。でも、毎回違いました」

 

 キーノが、最後の図へ目を寄せた。

 

「この線は?」

 

「先生の杖が向いていた先です。手が上がるのを待っていましたが、もう僕の手が出るところへ向いていました」

 

 ハリーも、椅子から身を寄せる。

 

「先に分かってたの?」

 

「僕がそうしたくなるところへ、立たれていたんだと思います。次を全部知っていた、というよりは」

 

 鬼太郎は、二度目の図を指で辿った。

 

「ここへ戻りたくなって、実際に戻りかけましたので」

 

 キーノが図の端にある線を見た。

 

「お前が退けるところも、減ってたんだな」

 

「はい。一歩ずつなら、動けるつもりでした」

 

 負けた話をしているのに、鬼太郎の口元は緩んでいる。

 

 キーノはしばらく顔を見てから、自分も次に行く日を確かめ、図の続きを読んだ。

 

     ◆

 

 夕食の後、鬼太郎は帳面を収めてから、別の袋を開けた。

 

 紺色の栞と、銀色の星を出す。

 

 紐を、すぐには切らなかった。

 

 前には短すぎて、星の端が頁の間に残った。長くした後で、まだ結び目だけが少し余っている。

 

 自分の本へ挟み、閉じる。

 

 星が外へ出る位置で結び直し、余った先だけを短く切った。

 

 もう一度開くと、紺の紙は読みかけの場所にあった。

 

 鬼太郎は端を指で撫でた。

 

 僅かに曲がっていた角を整え、本の下敷きになる部分に厚いものが残っていないか確かめる。

 

 昼には、杖を出す位置を何度も直された。

 

 今は、紙と紐の位置を直している。

 

 実際に動かしてみなければ、頭の中の形だけでは分からないところがあった。

 

 鬼太郎は栞を抜き、包む紙を広げた。

 

 これは、相手を待たせるためのものではない。

 

 キーノが好きなところで本を閉じ、また続きへ戻るために使う。

 

 彼女が読んでいる間にも、紺色の紙は本のそばにあるだろう。

 

 そう考え、鬼太郎は星の角が折れないよう、脇へ薄い紙を添えた。

 

 少し離れた卓で、キーノが一度こちらを見た。

 

 鬼太郎は包みを折っていた。

 

 彼女は手元の本へ戻り、向かいのハリーへ頁を示す。

 

「人物の名前は、この後ろにあるんじゃないか」

 

「うん。フラメルが載ってるといいんだけど」

 

 ハリーは巻末を開いた。

 

「どこかで見た気がするんだ。でも、どこだったのか思い出せなくて」

 

 キーノは、索引の並びを目で追った。

 

 彼女はもう一度だけ鬼太郎の卓を見たが、立ち上がらず、ハリーの開いた次の頁へ指を置いた。

 

 鬼太郎は小さな紙へ、キーノの名前を書いた。

 

 包みに添え、鞄の奥へ収める。

 

 まだ、渡さない。

 

 祝いの日に、彼女が自分で開く。

 

 その隣には、今日の三度の敗北を記した帳面が入っていた。

 

 次に先生の前へ立つ日も、この包みを渡す日も、今は楽しみに待てた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。