第百九話 並ぶ頁に、秋が降り積もる
肖像画の入口が開いたとき、ロンが真っ先に顔を上げた。
「どうだった?」
ハリーは箒を持ったまま、暖炉の近くへ来た。
外では気にならなかった頬の冷たさが、火の前に立つと分かった。空いている椅子へ腰を下ろし、ニンバス2000を膝の横へ立て掛ける。
「ゴルフボールを捕まえてた」
「何を?」
ロンが聞き返した。
「小さい、硬い球。ウッドが投げて、僕が追いかけるんだ。今日はスニッチを飛ばすと、暗くなって見失うかもしれないからって」
「取れたのか」
キーノが、開いていた帳面から顔を上げた。
「うん。何度か落としたけど」
ハリーは片手を前へ出した。
「最初は、まだ遠いのに手を伸ばしちゃって。箒を動かしながらだと、近づいたつもりでも届かないことがあるんだ」
鬼太郎は本の間へ紙を挟んだ。
「手を伸ばすと、箒の向きも変わりますか」
「変わる。身体を傾けるから。でも、ずっと両手でつかんでたら球を取れないし」
ハリーは、指を開いてから握った。
掌には、何度も捕まえた球の感触が残っている。
「近づくまでは、ちゃんと箒を動かす。取るときだけ、手を離すんだ」
「追う方と、つかむ方の動きを揃えるのですね」
「そう。うまくいくと、すごく気持ちいいよ」
言ってから、ハリーは笑った。
鬼太郎にも、あの空の感じが伝わればよいと思った。けれど、本人は飛べなかったことを嘆くより、今の手の動きを見ている。
「次は、もっと難しくなるんだろうな」
ロンが箒を眺めながら言った。
「ほかの選手も飛んでるし。ブラッジャーだってある」
「ウッドもそう言ってた。球だけ見てればいいわけじゃないって」
ハリーは鞄へ手を伸ばした。
羊皮紙が見える。
帰ってから書くつもりだった宿題を、すっかり忘れかけていた。
「ああ、まだこれがあった」
「僕も終わってない」
ロンが自分の紙を寄せる。
キーノはハリーの鞄と、立て掛けられた箒を見比べた。
「飛んできても、こっちは減らないんだな」
「減ってたらよかったのに」
ハリーが答えると、ロンが笑った。
鬼太郎は卓の上の本を少し寄せた。二人が紙を広げられるだけの場所ができる。
ハリーは椅子を引き寄せ、羽根ペンを出した。
飛んでいる間は、次の球がどちらへ来るかを考えていた。
今は、書きかけの一行をどこから続けるか、考えなければならなかった。
◆
それから、ハリーの夕方には、競技場へ行く日が加わった。
鞄を置いて箒を取り、城を出る。帰ってきたときには、食事の話と宿題の話が一緒に待っていた。
ロンは練習のことを聞きたがった。ハリーも話したかったが、眠る前になって羊皮紙の空白を見るのは困った。
翌日に持っていくものを、昼のうちに確かめるようになった。
鬼太郎は、授業の終わりに紙へ印をつけていた。
宿題として渡されたものと、自分でもう一度試したいもの。その二つが、同じ頁に書かれていることもあった。
変身術の教室で、彼は一本の針を机へ置いた。
マッチ棒から変えたものだった。
針先も、糸を通す穴もある。持ち上げれば金属の重さがあり、木の筋は残っていない。
初めて成功したときにも、針にはなった。
しかし、そこから長さや穴を整えようとして、同じ呪文を重ねても変わらなかった。
今日は、そのときの記録も持ってきていた。
ほかの生徒が片づけを始めてから、鬼太郎は手を上げた。
「先生。出来上がったものを直す場合も、最初と同じように考えてよろしいのでしょうか」
ミネルバが机の横へ来た。
鬼太郎は針と、紙に描いた細長い図を示す。
「針へ変えるところはできました。ただ、もう少し穴を広くしたいと思っても、そのままでした」
「そのとき、何を思い描きましたか」
「この針の、穴を広げた形です」
「では、変える前のものを、どう捉えていましたか」
鬼太郎は針へ目を戻した。
最初に唱えるときは、木のマッチ棒があった。
次に唱えるとき、そこにあるのは金属の針だった。
「最初のマッチ棒から、同じ手順を続けるつもりでした」
「始めるところが変わっています。出来上がったものへ重ねれば、望む箇所だけが勝手に変わるわけではありません」
ミネルバは、机に残っていた別のマッチ棒を指した。
「まずは、こちらで今の課題を確かめなさい。仕上がりを変えたいなら、最初に作ろうとする形を曖昧にしないことです」
鬼太郎は新しいマッチ棒を置いた。
穴だけを見ず、針全体の形を考える。杖を動かし、唱えた。
「アクフォルマ」
木の軸が細くなり、鈍い銀色へ変わった。
出来たものを、先ほどの針と並べる。
今度の穴は、少し大きかった。けれど、縁の厚さは左右で揃っていない。
鬼太郎は顔を近づけすぎず、机の上で向きを変えた。
「形を決めたつもりでも、細かいところまでは揃っていませんね」
「それを確かめられたなら、次に見るところが分かります」
ミネルバは二本を見比べた。
「課題の変身は、できています。そこから先を急いで、一度に何もかも変えようとしないように」
「はい。ありがとうございます」
鬼太郎は、紙へ短く書き足した。
ミネルバが次の机へ向かうと、キーノが彼の針を覗いた。
「使えそうなのに、まだ気になるのか」
「どこまで自分で決められたのか、知っておきたいんです」
鬼太郎は二本を紙の上へ戻した。
「ただ、今の課題で何をすればよいかは、分かりました」
キーノは自分の机を見た。
彼女のマッチ棒には、まだ木の色が残っていた。
「私は、先に全部を変えないとな」
「今日のものは、前より金属の部分が増えていますね」
「先が木のままじゃ、縫えないぞ」
キーノが言うと、鬼太郎は笑った。
彼女も、自分の結果を帳面へ描いてから、杖をしまった。
◆
呪文学で習ったものは、変身術とはまた違った。
閉じた錠を開ける。
割れたものを直す。
杖の先に光を灯し、それを消す。
教師の指示に沿って練習するたび、鬼太郎は発声と杖の動きを確かめた。
初めのうちは、唱え終わっても結果が出ないことがあった。動かしたつもりの杖先が、説明された軌道から外れていることもあった。
成功したときだけを記していては、次に失敗した理由を比べられない。
彼は失敗した動きも残した。
教師に見てもらい、直す。もう一度試し、同じように働くかを確かめる。
九月が終わる頃には、授業で扱った錠の前で、何度も唱え直すことはなくなっていた。
「アロホモラ」
小さな音がした。
鬼太郎は、開いた留め金へ指を寄せる。教師から渡された練習用の錠だった。
動くことを確認し、机へ戻した。
フリットウィックは隣の生徒へ助言を終えてから、こちらを見た。
「開いたね。では、次はもう一つ試してごらん」
別の錠が置かれる。
鬼太郎は向きを確かめ、同じ呪文を唱えた。
こちらも開いた。
前から使えるルーモスとレパロに加え、授業で学んだ呪文が、普通に扱えるものとして手元へ残っていく。
リクタスセンプラも、授業で指示された使い方なら、狙った相手へ届くようになっていた。
ただ、動く相手を前にしたとき、いつ使うかは別に考えなければならない。
決闘で見たハリーは、失敗した後、自分の杖を見た。その間に相手が次へ進んだ。
唱えられるものが増えるほど、どれを選ぶかにも時間が要る。
鬼太郎は、今の錠を片づけてから、そのことを紙の端へ書いた。
すぐ隣で、金具の鳴る音がした。
キーノが自分の錠を開けていた。
「今のは、一回でできましたね」
「見てたのか」
「音がしましたので」
キーノは、開いたものを持ち上げた。
しばらく眺め、机へ置く。
「閉まってるものを、自分で開けられるのはいいな」
鬼太郎は、彼女の指が留め金から離れるところを見た。
「使える場面も、多そうですね」
「だからって、寮のほかの奴の荷物を開けるなよ」
「その練習相手には、不自由していませんよ」
彼が教師の用意した錠を示すと、キーノは鼻を鳴らした。
それから、二つ目を自分の前へ寄せた。
◆
十月になると、朝の廊下が冷えた。
窓の外では、木々の葉が黄や赤へ変わっている。教室へ向かう生徒たちの足音は変わらなかったが、大広間へ着くと、温かいものへ手を伸ばす者が増えた。
キーノは朝食を終え、女子寝室へ一度戻った。
持っていく帳面を取り違えていた。
寝台のそばでラベンダーが鞄を閉じている。パーバティは、床へ落とした羽根ペンを探していた。
「そこだ」
キーノが寝台の脚の向こうを指す。
パーバティは屈み、羽根ペンを拾った。
「ありがとう。踏むところだった」
キーノは自分の帳面を取った。
ラベンダーが、その紺色の表紙を見た。
「それ、いつも使ってるのね」
「ああ。授業で分からなかったことも書いてる」
「宿題とは別に?」
「後で聞くとき、忘れると困るから」
答えてから、キーノは銀の留め金を閉じた。
ハーマイオニーにも、書いたことを見てもらうことがある。教科書のどこを見ればよいか、すぐに見つけるのは彼女の方が早かった。
ラベンダーは帳面から顔へ目を戻した。
「ねえ、ハロウィーンのごちそうって、何が出ると思う?」
キーノは少し考えた。
「普段と違うのか」
「きっと違うわ。上級生が、すごいって言ってたもの」
「大広間の飾りも変わるんだって」
パーバティが立ち上がった。
キーノは二人を見た。
まだ起きていないことを、二人とも楽しそうに話している。
何が出るかも、どんな飾りになるかも知らない。それでも、来ると分かっている日を待ってよいらしかった。
「お菓子もあるのか」
「あるんじゃない?」
ラベンダーが笑った。
「今からお腹を空かせておく?」
「まだ先だろう」
キーノは答えた。
パーバティも笑った。
三人で寝室を出ると、階段の下でハーマイオニーが本を閉じていた。
「次の教室へ行くなら、もう出た方がいいわ」
「分かってる。帳面を取りに戻ったんだ」
キーノは鞄を少し持ち上げた。
四人が入口へ向かう。
昨日までは知らなかった話を持ったまま、いつもの教室へ歩いていった。
◆
その日の放課後、鬼太郎はキーノと廊下を歩いていた。
ハリーとロンは少し前にいる。
ハーマイオニーは授業中に言われた本を確かめるため、図書館へ寄ると言って別れていた。
「ハロウィーンは、食事が変わるらしいぞ」
キーノが言った。
鬼太郎は彼女へ顔を向けた。
「どなたに聞いたのですか」
「ラベンダーとパーバティ。飾りも変わるって」
「では、あの広間も賑やかになりそうですね」
「お前は知ってたのか」
「学校でどのように過ごすかは、知りませんよ」
キーノは前へ目を戻した。
「なら、見てみないとな」
先を歩くロンが振り向いた。
「ホグワーツのごちそうなら、期待していいよ。フレッドとジョージが、去年もいっぱい食べたって言ってた」
「あの二人なら、いつでもいっぱい食べそうだけど」
ハリーが言う。
「それもそうだな」
ロンが笑った。
キーノも口元を緩めた。
角を曲がると、窓から冷たい光が差していた。庭へ落ちた葉が、風で石段の端へ寄せられている。
鬼太郎は、その向こうの木々を見た。
森でも、季節は進んでいるだろう。
ここへ来てから学んだものを、向こうで使える形にもしていきたい。錠を開けるだけなら今もできるが、開ける必要がある場面で、杖を出してから何秒かかるかは、まだ縮められる。
針へ変える呪文も、課題としては扱えるようになった。
そこから何を作れ、何には使えないのか。
教師に尋ねるための問いは、減るより増えていた。
「鬼太郎」
キーノに呼ばれ、彼は窓から目を戻した。
「今日も、戻ったら復習か」
「ええ。短くまとめてから、次の頁を読もうと思います」
「私は、薬草学の言葉を先に確かめる。ハーマイオニーにも聞いておいたから」
「では、その後で、今日の呪文を比べましょうか」
「ああ」
キーノは頷いた。
前から、ロンがハリーへ練習の時間を尋ねる声が聞こえた。
夕方の予定は、皆が同じではない。
けれど、その話をしながら帰る道は、しばらく一緒だった。
◆
談話室へ戻ると、キーノは窓辺の卓へ帳面を置いた。
銀の留め金を外し、今日の頁を開く。
前に描いた木片の図も、針の図も残っている。うまくいったところには印がつき、尋ねたことの横には返事が書き加えられていた。
空いている端へ、彼女は小さく「ハロウィーン」と書いた。
書いてから、少しだけ手を止める。
知らない言葉を調べるための記録とは違った。
いつか来る日のことを、忘れないように残していた。
向かいで、鬼太郎が鞄から教科書を出す。
キーノは文字の横へ余白を残し、薬草学の頁へ戻った。
その日に何があったかは、終わってから書けばよい。
今は、待っているだけでもよかった。