第110話 残した力の行き先
「三つとも、杖を取られたところかね」
ダンブルドアが、開いた帳面を見た。
校長室の机には、冬の薄い光が差していた。鬼太郎は最後の図へ指を置く。
「はい。これは、低く持たれていた杖から、そのまま手を狙われました」
「上がると思うたのじゃな」
「ええ。僕が出したいところへ、もう向いていたんです」
ダンブルドアは、図の横へ目を移した。
足を置いた場所と、向きが変わったところで矢印が分けられている。
「よく残しておる」
「次も同じところで取られるのは、面白くありませんので」
鬼太郎は答えた。
校長が帳面を返す。
「では、今日はその続きを見よう。場所は用意してある」
◆
案内されたのは、城の外、生垣と低い石垣に囲まれた一角だった。
草の間に土が見え、壁の裾には枯れ葉と落ち枝が溜まっていた。廊下の窓からは、生垣の陰になる。
ダンブルドアが杖を振ると、周りを薄い光が走った。
遠くの声が、鈍くなる。
光が消えた後には、地面へ細い境の線が残った。
「火や雷を使うのは、この内側だけじゃ。境まで来たら止める。わしが終わりと言うたときも、両方の手を止めなさい」
「銃は、使わないんですね」
「うむ。今日は杖と、君の力をどう繋ぐかを見る」
鬼太郎は頷き、鞄を境の外へ置いた。
足元の土を靴で確かめ、右手へ黒檀を持つ。
左手を空けると、ダンブルドアの目がそちらへ動いた。
「まずは、鬼太郎から来なさい」
鬼太郎は一礼した。
相手へ二つの手を向けられる。
教室とは違う楽しみが、胸の奥へ戻ってきた。
◆
「ペトリフィカス・トタルス」
光は、校長の前で弾かれた。
鬼太郎は杖を見下ろさず、横へ動く。左の掌へ、内側の力を集めた。
「ザン」
風が土と枯れ葉を巻き上げ、二人の間へ広がった。
校長の姿が、葉の隙間に見え隠れする。
鬼太郎はそのまま同じ方へ進まず、途中で足を止めた。
向こうの杖先が、自分の行こうとしていた先へ向いている。
左手を下げ、別の力へ変えた。
「ブフ」
冷気が地面へ走った。
ダンブルドアの足の前で、湿った土が白くなる。
校長の杖が、下がった。
凍り始めたところの土が盛り上がり、低い石の形へ変わる。
その一瞬へ、鬼太郎は黒檀を向けた。
「エクスペリアームス」
赤い光が、石の上を通った。
ダンブルドアの杖が戻り、光を防いだ。
鬼太郎は足を進めた。
地面を変えられたことより、変えるために使った手を見ていた。
石は踏まず、脇へ出る。
「ジオ」
左手から走った雷が、校長の前へ現れた光に当たった。
細い枝のように分かれ、散る。
鬼太郎は腕を大きく引かず、次の力を送った。
「アギ」
炎が、二人の間を飛んだ。
ダンブルドアが杖を返す。
火は届く前に包まれ、細くなって消えた。
鬼太郎は肩を引き、距離を取った。
どちらも防がれた。
同じところへ、続けて注ぐつもりはなかった。
壁際には、腰ほどの高さの木樽が一つ置かれていた。来たときに中を覗くと、蓋も中身もなく、底の板まで見えていた。
鬼太郎はそれへ杖を向けた。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
樽の底が、土を離れた。
教室の箱と同じようには上がらない。片側が先に浮き、傾いた口がこちらを向いた。鬼太郎は足を止め、杖先を直した。底を揃えてから、ゆっくりと高さを足す。
上げることへ気を取られ、校長を見るのが一拍遅れた。
樽の向こうには、まだ校長がいる。底を腰の辺りまで上げれば、胸と左手の動きを隠せた。長く保つつもりはない。その脇へ出るまでの間だけでよかった。
樽が、横へ滑った。
ダンブルドアの杖が動いていた。
鬼太郎が出ようとした側へ、樽の丸い胴が寄ってくる。
自分の目の前を塞ぎかけた。
鬼太郎は、すぐ地面へ下ろした。
取り戻そうと杖を向け続けず、空いている方へ身体を移す。
「リクタスセンプラ」
返した光を、校長が防いだ。
鬼太郎は、もう次の足を出していた。
◆
ダンブルドアは、少年の右手と左手を見た。
夏に見たときにも、使い分けはしていた。
今は、その間へ学校の呪文が入っている。
冷気へ対処させたところに、武装解除が来た。防がれても足が止まらず、別の手から雷が続く。
覚えた呪文を、順番に並べているだけではない。
こちらが何をしたかを見て、その動作へ使っていた。
杖を使わない力にも、僅かな違いがある。
アギは届くまでが速く、消す前に感じた熱も強くなっていた。ジオを受けた光の表面では、以前より鋭く雷が散った。
ブフで土の白くなる範囲は広大ではないが、足を置けなくなるまでが短い。
最初のザンが掠めた落ち枝の細い端には、浅い切れ目が残っている。葉を持ち上げる風も、夏と全く同じではなかった。
一つずつなら、小さな差だ。
その差と、増えた手段とを合わせたとき、相手へ戻せる手が増えていた。
入学から、まだ四か月足らず。
熱心に学び、喜んで練習するとは思っていた。
だが、教室で教わったものが、ここまで早く、もとの経験へ馴染むとは。
鬼太郎の左手が、また上がった。
ダンブルドアは、受ける杖の動きを変えた。
以前の間で待てば、二つ目の手が入る。
まだ、追い詰められる相手ではない。
それでも、同じ見積もりを持ち続ける理由はなかった。
◆
「ザン」
再び土と葉を巻いたところで、鬼太郎は違いに気づいた。
校長の前へ残るはずだった葉が、横へ流れている。
ダンブルドアの杖に導かれ、鬼太郎が次に足を置く方へ集まった。
地面が見えない。
そこを凍らせようとしていた左手を、鬼太郎は下げた。
相手が通るはずだったところへ、自分が入れなくなった。
そのまま使えば、戻る道まで凍らせることになる。
鬼太郎は、先ほど下ろした樽へ杖を向け直した。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
今度は最初から底を揃えた。それでも胴が揺れ、杖を止めて収まるのを待つ。胸の前へ運び、少しだけ間を取る。
樽の脇から、校長の姿を確かめる。
息を一度吐いた。
次に出る側を決めようとしたとき、樽の輪郭が変わった。
ダンブルドアが、杖を向けていた。
丸い胴がほどけるように平らになり、左右へ広がった。樽だったものが、鬼太郎の前に背丈を超える大きな板となって立つ。
浮かせ続けようとはしなかった。
樽を浮かせておくだけでも、相手を見るのが遅れた。今はその幅も、釣り合いも違う。
木は地面へ下り、その向こうの校長が見えなくなった。
鬼太郎は、笑った。
こちらの手を隠すつもりのものが、相手を見失う壁に変わった。
「ザン」
板の右側へ、風と葉を走らせる。
自分は左へ出ようとした。
ダンブルドアの杖が、そちらを向いていた。
鬼太郎は肩を引き、板の陰へ戻った。
風を出した方から、自分が出るとは限らない。
そのことは、校長も知っていた。
板を焼くために、左手を上げかける。
やめた。
炎を当てられる場所に、校長はいない。
木を燃やしても、その向こうから何が来るかを見られるようにはならなかった。
◆
それからは、攻める時間が短くなった。
板の外へ出ると、校長が地面へ杖を向けた。戻りたかった方へ低い石ができ、平らだった道が狭くなる。
鬼太郎は別の方へ移った。
その側が空いていることにも、理由がある気がした。
杖を残す場所を変え、途中で足を止めない。
まだ、内側には力がある。
だが、使おうとした先が、使う前に変えられた。
ダンブルドアの杖が低く動いた。
地面か。
そう思ったところで、鬼太郎は目を下げるのをやめた。
低い杖先でも、こちらの手へ届く。
校長の向きを見ながら、横へ出る。
赤い光が、先ほどまで黒檀を置いていたところを抜けた。
「エクスペリアームス」
鬼太郎が返した光は、また防がれた。
当たらなかった。
それでも、今は一つ選び直せた。
鬼太郎は、その先へ足を置いた。
戻るところへ、石が寄せられた。
脇では、先ほどの板が倒れ、地面の葉を押さえている。
持ち上げるには大きすぎる。杖を向け続ければ、その間に校長が来る。
鬼太郎は左手を向けた。
「ザン」
板の横に溜まった葉を払い、土が見えたところへ出る。
その直前、ダンブルドアが一歩移った。
二つの手が、よく見えた。
同時に、自分の右腕も、その正面へ出ていた。
赤い光が届く。
黒檀が、手を離れた。
鬼太郎は足を置き直し、空いた左手へ力を集めかけた。
掌の前へ、薄い光が掛かった。
何をされたのかは、分からない。
ただ、力を出す先を考えなければならなくなったとき、校長の杖はもうこちらを向いていた。
「そこまでじゃ」
鬼太郎は、力を送るのをやめた。
まだ放っていないものを収め、手を下げる。
ダンブルドアはそれを確かめ、光を解いた。
◆
鬼太郎は、返された杖を受け取った。
握るところに、汗がついていた。
「まずは、座りなさい」
勧められた長椅子へ腰を下ろし、息を整える。
校長が、地面へ杖を振った。
大きな板は元の空樽へ戻り、石垣の裾へ置かれた。石が土へ戻り、掘れたところが均される。残った氷も解け、葉が道の外へ寄った。
鬼太郎は、その手を見ていた。
「置いたものを、先生の使えるものへ変えられましたね」
「うむ。相手も使えるところへ、置いたのじゃからな」
「僕が動かせる形のままで、ある必要もなかったんですね」
ダンブルドアは隣へ座った。
「とはいえ、前よりずいぶん手が増えた。杖の狙いも、左へ繋ぐときの速さもじゃ」
「授業でも、何度も直していただきました。セドリックさんも、同じ動きでは待っていてくださいませんし」
「見ていて分かったよ。正直に言えば、ここまで早く伸びるとは思うておらなんだ」
鬼太郎は顔を上げた。
負けたのは、自分だった。
それでも、校長はからかう顔ではなかった。
「覚えたものを使うだけでなく、相手がしたことへ繋いでおる。入学から、まだ四か月足らずじゃぞ」
「使ってみると、違いが分かりますから」
鬼太郎は黒檀を見た。
「今日も、分かるところが増えました」
◆
ダンブルドアは、膝へ置かれた黒い杖を見た。
浮遊術も、全身金縛りも、武装解除も、学校の教師が教える技術だった。
鬼太郎は、それを学ぶために本を読み、質問し、放課後にも教室へ通っている。
その教えが、もとから持つ経験へ入った。
トムの姿が、一瞬脳裏を過った。
強い力を求める子供というだけなら、似た言葉で語れる。
だが、今日見た成長を、そのまま闇への傾倒と考えるわけにはいかなかった。
誰もが初めに教わる術でも、鬼太郎は喜んで手を伸ばす。防がれれば、もっと危険な術を寄越せと言う前に、何が違ったのかを聞きたがる。
だから安全だと、結論づけるつもりはない。
相手を倒すことを面白がる性質も、既に何をしてきたかも、忘れていない。
それでも、教えてきたものが届いていることは、正しく認めなければならなかった。
学べる場所と、次に問える相手がある。
それを価値あるものにしておくことは、少年の行き先を選ぶ余地にもなる。
ダンブルドアは、成長の見積もりを改めた。
期待するためにも、見誤らないためにも。
◆
「途中で、使うのをやめたものがあったな」
校長が尋ねた。
鬼太郎は、葉の流された方を指した。
「あそこを凍らせるつもりでした。ですが、自分の道まで塞ぎそうでしたので」
「板の前でも、左手が止まった」
「アギを使おうとしました。でも、先生へは届きません。火をつければ、僕が見たい方も隠れます」
ダンブルドアが頷く。
「準備した手を捨てられたのは、よかった。次は、その後じゃな」
鬼太郎は帳面を開いた。
樽のあった場所と、大きな板になった向きを描く。
「ここから、先生が空けたところを避ける方が多くなりました」
「組み合わせが崩れた後、次を選ぶまでに時間が要った。最初が通じなかったところから始める練習も、してみよう」
「ええ。お願いします」
「今日は、先に記録を。休んでから、位置だけ辿るぞ」
鬼太郎は笑い、ペンを取った。
凍らせるはずだった場所に斜線を引き、その横へ、葉を送られた、と書く。
出さなかった力も、図へ残した。
休んだ後、二人は呪文を使わず、板のあった場所まで歩いた。
鬼太郎は、樽を下ろす前の位置へ立つ。
「ここで、一度離れた方がよかったでしょうか」
「離れるなら、どちらへ?」
指しかけた側は、最初に自分が凍らせた地面だった。
今は氷が解けている。だが、あのときは通れなかった。
鬼太郎は足を戻し、違う方を見た。
「戻した地面だけで考えると、間違えますね」
「うむ。何を残したかも、見ておきなさい」
帳面へ戻り、消したはずの氷の範囲を描き直す。後から分かった道にも、その場で使えたものと、使えなかったものがあった。
◆
談話室へ戻ると、キーノが暖炉のそばで本を開いていた。
鬼太郎へ気づき、紙を挟んで閉じる。
「今日も、負けたんだな」
「ええ。置いたものも、使いたいところも、変えられました」
隣へ座り、鬼太郎は鞄を下ろした。
「樽で手元を隠すつもりが、先生の壁になったんです」
「形まで変えられたのか」
「はい。浮かせたまま直そうとすれば、先生を見るどころではなくなります。それで下ろしたら、向こうが見えなくなりました」
キーノは、少し考えるように目を動かした。
鬼太郎は続けた。
「ただ、前より強くなったとは、おっしゃっていただけました」
「見ていれば、分かるだろ。使えるものも、続く時間も増えてる」
「ええ。今日は、残っている力を、使える場所がなくなる方も分かりました」
鬼太郎は右手を開いた。
もう、掌の汗は乾いていた。
「キーノさんは、何をしていましたか」
「本と、浮遊の記録を比べていた。箱の角が先に落ちたところだ。最後に揃えようとして、相手を見るのが遅れたのも書いた」
彼女は本の下から、自分の帳面を引き出した。
「それから、チェスを少しやった。ロンが、私にも動かしてみろって」
「どうでしたか」
「ポーンを取れると思ってビショップを出したら、その後ろにルークがいた。取る前は、ポーンで道が塞がってた」
キーノが、卓の上で指を真っすぐ動かす。
「取れる駒だけ見てたんだな」
「相手にも、使える道ができたんですね」
「ああ。次は、どかした後も見る。お前も、そのうちやってみろ」
鬼太郎は頷いた。
暖炉の中で、薪が鳴る。
キーノの本から、何も描いていない紙片が出ていた。
鞄の奥には、名前を添えた包みがある。
まだ渡す日ではない。
「何だ」
顔を向けられ、鬼太郎は本から目を戻した。
「いえ。続きを読むところでしたね」
「後でも読める。今日の図、見せろよ」
彼女は本を脇へ置き、椅子を寄せた。
鬼太郎は帳面を開いた。
自分が通りたかった道と、校長に変えられた地面を、順に指で辿る。
その間に、使わなかった力が残っている。
次なら、どちらへ向けるだろう。
暖かな卓を挟み、二人は途中で止めた手の先を、もう一度考えた。