神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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同じ卓から、違う空を待つ

 

第百十四話 同じ卓から、違う空を待つ

 

 談話室へ戻ると、キーノは窓辺の椅子に座っていた。

 

 鬼太郎に気づき、閉じた帳面の上から手を離す。

 

「長かったな」

 

「いくつか、確かめていただきましたので」

 

 鬼太郎は向かいへ腰を下ろした。

 

 鞄を右側へ置く。

 

 キーノの目が、その動きを追った。

 

「腕は?」

 

「強く握らなければ、それほど痛みません」

 

「なら、強く握るなよ」

 

「ええ。今日は、もう休むように言われました」

 

「その言葉だけは、ちゃんと覚えてきたんだな」

 

 キーノは椅子へ身体を戻した。

 

 鬼太郎は声を落とし、面談で話したことを伝えた。

 

 トロールについて咎められたこと。

 

 通路にいた悪魔を報告すると、ダンブルドアも知らなかったこと。

 

 黒檀の杖を調べてもらうと、力が僅かに増していたこと。

 

 キーノは、鞄へ目を向けた。

 

「吸い込んだ分、強くなったのか」

 

「そのようです。ただ、どう働いているかまでは分かりません」

 

「悪魔が来た理由も?」

 

「まだ、分かっていません。また現れたら、お知らせすることになりました」

 

 キーノは頷いた。

 

 質問を続けかけて、彼の左腕へ視線を戻す。

 

「調べるのは、明日からにしろ」

 

「はい」

 

 鬼太郎が答えると、彼女はようやく帳面を鞄へ入れた。

 

 暖炉の近くでは、ハリーとロンが話していた。

 

 鬼太郎が戻ったことには、二人とも気づいている。

 

 ハリーは何度か顔を向けたが、キーノの言葉が終わるまで待っていた。

 

     ◆

 

「あの通路にいたのって、何だったの?」

 

 ハリーが尋ねた。

 

 鬼太郎は鞄から寝室へ持っていくものを出し、卓へ置いた。

 

「以前、見たことのある生き物です」

 

「名前も知ってる?」

 

「コボルト、と呼ばれています」

 

 ロンが眉を寄せた。

 

「聞いたことないな。ゴブリンとは、違うのか」

 

「別のものですね」

 

 鬼太郎は答えた。

 

 ハリーは、床へ倒れた身体が消えていく場面を思い出した。

 

 身体の輪郭が光の粒へほどけ、何も残らなかった。

 

「死ぬと、消えるんだ」

 

「あの二匹は、消えましたね」

 

「杖にも、何か入っていったよね」

 

 鬼太郎は頷いた。

 

「ええ。何かを取り込んだようです。ダンブルドアさんにも、そのことはお伝えしました」

 

 ハリーは、鞄の中に収められた杖を見た。

 

 鬼太郎は続けて仕組みを説明しなかった。

 

 どこで見た生き物なのかも、あの流れが何だったかも、それだけでは分からない。

 

 ハリーは、もう一つのものを思い出した。

 

「あのとき、持ってたのは銃だよね」

 

「はい」

 

 ロンが顔を向けた。

 

「銃って、マグルの使う鉄の棒だろ?」

 

 ハリーは彼を見た。

 

「棒っていうか、武器だよ」

 

「そうなの?」

 

 ロンは鬼太郎へ目を戻した。

 

「杖じゃないのに、あんな音がしたのか」

 

「銃を使った音ですね」

 

 鬼太郎が答えた。

 

 ロンは、掌に棒を握るような形を作った。

 

 杖も、木の棒だった。

 

 マグルの鉄の棒にも、それなりの使い方があるのかもしれない。

 

 けれど、何が相手へ届いたのかは、見ていなかった。

 

「あれで、倒したのか」

 

「ええ。魔法も使いましたが」

 

「どうして持ってるの?」

 

 ハリーが尋ねた。

 

 マグルの町で、子供が日常の持ち物として持ち歩くものではない。

 

 鬼太郎はハリーを見た。

 

「必要になることがあるので、持っています」

 

 穏やかな返事だった。

 

 通路では、実際に使っていた。

 

 昨日の鬼太郎は、通路でも、トロールに出会った階段でも、迷わず次の行動を決めていた。

 

 ハリーは、その理由も知りたかった。

 

 だが、鬼太郎は銃を取り出さず、鞄も開け直さなかった。

 

「お二人の方は、棍棒を落としたのですね」

 

 話が変わった。

 

 ロンが顔を上げる。

 

「うん。ハリーが、背中に飛びついて」

 

「鼻に、杖が入っちゃったんだ」

 

 ハリーは自分の杖へ目を落とした。

 

 拭いた後でも、あの感触は忘れられなかった。

 

 ロンが、その先を説明した。

 

 トロールが棍棒を上げたとき、朝の授業を思い出した。

 

 浮かせて、頭の上まで運び、落とした。

 

 鬼太郎は最後まで聞いた。

 

「相手の武器を使ったのですね。皮膚へ呪文を当てるより、よい方法だったと思います」

 

「本当?」

 

「棍棒を手放させていますし、もう一度振られることも止められましたから」

 

 ロンは、自分の手を見た。

 

 あのときは、そこまで考えていたわけではない。

 

 ハリーに当たる前に、何とかしたかった。

 

 それでも、できたことを言われると、少し胸が軽くなった。

 

「ただ、僕のときは、羽根も動かなかったんだ」

 

 ロンが言った。

 

「朝は、発音が違っていたのでしょうね」

 

 鬼太郎は教室で見たやり取りを思い出した。

 

 ロンも、椅子の背へ身体を戻した。

 

 ハーマイオニーの言葉を、戦っている間に思い出した。

 

 それを、まだ本人には話していなかった。

 

     ◆

 

 翌日、ハーマイオニーは談話室で宿題を広げていた。

 

 キーノが隣へ座ると、本を少し寄せる。

 

 前と同じだけの場所が空いた。

 

 キーノは鞄を下ろした。

 

「昨日、持ってきてくれた文章のことなんだが」

 

「読めた?」

 

「ああ。教科書の説明を読んでからだと、分かった」

 

「よかった。じゃあ、答えも書いてみた?」

 

 キーノが帳面を出す。

 

 ハーマイオニーは、開いた頁へ目を向けた。

 

 腕のことは聞かなかった。

 

 キーノも、説明の言葉を用意するのをやめ、書いた答えを示した。

 

 そこへ、ロンが来た。

 

 ハリーも少し後ろにいる。

 

「ハーマイオニー」

 

 ロンが呼んだ。

 

 彼女は顔を上げた。

 

 キーノの指が、帳面の端で止まる。

 

「授業の後で言ったこと、あれは、ごめん」

 

 ロンは卓の前に立ったまま言った。

 

「君が教えてくれたのに、僕ができなくて、腹を立てたんだ。友達がいないとか、言うことじゃなかった」

 

 ハーマイオニーは、羽根ペンを置いた。

 

 少し待ってから、答える。

 

「分かってくれたなら、いいわ」

 

 ロンが息を吐きかけた。

 

「でも、聞こえてたから。あの言葉は」

 

 ハーマイオニーが続ける。

 

 ロンは頷いた。

 

「うん。だから、ちゃんと謝りたかった」

 

 ハーマイオニーの肩から、少し力が抜けた。

 

「私も、言い方が急だったかもしれない。すぐに間違ってるって言われたら、嫌よね」

 

「……あの発音、後で役に立った」

 

 ロンが言った。

 

 ハーマイオニーが彼を見る。

 

「棍棒を浮かせたとき、思い出したんだ」

 

「ハリーから聞いたわ。成功したのね」

 

 ロンは頷いた。

 

 キーノは、二人の顔を見比べた。

 

 ロンは笑ってごまかさず、ハーマイオニーも、傷ついたことを曖昧に済ませはしなかった。

 

 それなら、自分がまた怒鳴る必要はなさそうだった。

 

 彼女は帳面へ手を戻した。

 

 ハリーが卓の端へ来る。

 

「ここ、座っていい?」

 

 ハーマイオニーは羊皮紙を寄せた。

 

「いいわよ。インクを倒さないでね」

 

 ロンも椅子を引いた。

 

 少し離れた場所で、鬼太郎がその卓を見ていた。

 

 キーノが顔を上げ、彼へ目を向ける。

 

「お前も、使うなら来い」

 

 鬼太郎は教科書を持って立った。

 

 座るための場所は、まだあった。

 

     ◆

 

 授業へ戻ると、鬼太郎は杖の扱いを確かめる練習を続けた。

 

 まだ腕を激しく使わないうちは、立つ位置を変えずに唱える。

 

 浮遊術では、上がったものをそのまま眺めず、決めた場所へ下ろした。

 

 持ち上げる高さと、下ろす速さ。

 

 呪文を唱えてから、対象が動き始めるまでの間。

 

 木片を直すときには、接ぎ目を確かめてから杖を収めた。

 

 ルーモスとレパロは、ほかの呪文より長く使っている。

 

 浮遊術も、アロホモラも、授業の課題なら扱えた。

 

 だからこそ、トロールの前で足りなかったものが、はっきり残っていた。

 

 動く相手を見ながら、呪文を選ぶ。

 

 使っている間にも相手が近づき、思ったとおりに働かなければ、すぐに次を選ぶ。

 

 教室の机の上では、それが起こらない。

 

 鬼太郎は記録へ目を落とした。

 

 動かない物へ呪文を掛けるだけでは、実戦で使う間合いまでは分からない。

 

 マルフォイとハリーの決闘では、同じ背丈でも、何ができるかは見えた。

 

 ただ、あの夜のように生徒同士で勝手に場所を決めることは、校長から止められている。

 

 教師のいるところで練習できるなら、移動しながら使う呪文を確かめられるだろうか。

 

 それだけで足りるかは、相手にもよる。

 

 呪文を正しく唱えられても、その間、相手が待ってくれるわけではない。

 

 鬼太郎は羽根ペンを置いた。

 

 校内で向き合える相手は、まだ決まっていない。

 

 使ってよい場所も、聞いたことがなかった。

 

 授業の後で頼めば、教師が一度見てくれるかもしれない。だが、相手役まで継続して引き受けてもらえるかは分からない。

 

 まず、何を確かめたいかをまとめておく。

 

 ただ強い者と戦わせてほしいと言うより、持っていく問いが必要だった。

 

 紙へ、動く相手、移動中の詠唱、呪文が効かなかった場合、と書く。

 

 その下に、教師への相談、と添えた。

 

     ◆

 

 数日のうちに、左腕を動かしたときの痛みは薄れていった。

 

 ポンフリー夫人にも経過を見てもらい、練習で使う動作を少しずつ戻した。

 

 キーノは呪文学の課題を終えると、鬼太郎の紙へ目を向けた。

 

「また、戦う方法を考えてるのか」

 

「覚えた呪文を、相手が動いている間にも使いたいんです」

 

「それで、誰に頼む」

 

「まだ、決めていません。教室で使えても、戦う場所として借りられるとは限りませんし」

 

 キーノは紙の下の一行を見た。

 

「先に先生へ聞くんだな」

 

「ええ。相手も場所も、勝手に用意すると、またお話が長くなりそうですから」

 

 彼女は鼻を鳴らした。

 

「どうせ、聞くならやってみたいんだろ」

 

「それは、もちろん」

 

 鬼太郎は笑った。

 

 キーノは、自分の帳面を閉じる。

 

 今のところ、教師に相談するためのメモだ。

 

 キーノはそれ以上口を挟まず、自分の課題へ戻った。

 

     ◆

 

 授業のない時間に、鬼太郎は校内を歩いた。

 

 いつもの教室へ向かう道を離れ、窓の続く廊下へ入る。

 

 庭を見下ろせる高さが変わった。普段通る階段とは、別の場所へつながっているらしい。

 

 鬼太郎が次の角を確かめていると、後ろから声がした。

 

「君、墓場だよね」

 

 振り向く。

 

 本を抱えた上級生が立っていた。

 

 ローブには、ハッフルパフの色が見える。

 

「はい。何か御用ですか」

 

「僕はセドリック・ディゴリー。組分け帽子のときから、気になってたんだ。一度、話してみたくて」

 

 鬼太郎は顔を見た。

 

 見覚えはなかった。

 

 ディゴリーは少し笑い、本を抱え直す。

 

「あんなふうに帽子が騒いだのは、初めて見たから。君は、その後も落ち着いてたね」

 

「驚いたのは、帽子の方だったようですね」

 

「何があったの?」

 

「何を見たのかまでは、僕にも分かりません」

 

 鬼太郎は答えた。

 

 帽子が記憶へ入り込んだことは分かる。

 

 自分にも戻っていない記憶から何を拾ったかは、知らなかった。

 

 ディゴリーは頷いた。

 

「そうか。じゃあ、聞かれても困るよね」

 

 それ以上、続きを求めなかった。

 

「学校には、もう慣れた?」

 

「授業へ行く道は、覚えました。まだ歩いたことのない廊下も、多いですね」

 

「今日は、城を見て回ってるんだ」

 

「ええ。教室のほかに、どんな場所があるのかと思いまして」

 

 鬼太郎は、廊下の先へ目を向けた。

 

 ディゴリーが隣へ来る。

 

「城は広いからね。僕も最初は、授業に遅れないようにするだけで大変だった」

 

「授業には慣れましたが、呪文の練習で、少し困っていることがありまして」

 

「どんなこと?」

 

「今は、使えるようになった呪文を、動く相手にも使ってみたいと思っています。机の上で練習するだけでは、分からないことがありますので」

 

 ディゴリーの目が、鬼太郎の顔へ戻った。

 

「決闘をしてみたいってこと?」

 

「そういう練習ができれば、助かります。相手も場所も、まだ決まっていませんが」

 

 鬼太郎は答えた。

 

「教師の方に、相談してみようと思っています」

 

「廊下で始めるわけにはいかないからね」

 

 ディゴリーは笑った。

 

「いつか、僕とも練習してみない?」

 

「僕は、まだ一年生ですよ」

 

「知ってる。でも、君ならいい相手になりそうな気がするんだ」

 

 声を掛けたときから、鬼太郎の立つ位置が気になっていた。

 

 人が近づけば顔を上げ、話す間にも、自然に距離を取る。怖がっている様子はないのに、無造作に手を伸ばしても届かない。

 

 杖を向け合えば、簡単には勝たせてもらえない気がした。

 

「機会がありましたら、ぜひ」

 

 鬼太郎の口元に笑みが浮かぶ。

 

 上級生なら、自分より多くの呪文を知っているだろう。その使い方にも興味があった。

 

「じゃあ、また声を掛けるよ」

 

「ええ。ディゴリーさん」

 

 ディゴリーは本を抱え直し、廊下の先へ歩いていった。

 

 鬼太郎は見送り、それから窓の外へ目を戻した。

 

 校内での練習には、まだ場所も、許可も必要だった。

 

 けれど、動く相手と戦える場所なら、学校の外にある。

 

     ◆

 

 休日が来るまでに、左腕の痛みはなくなった。

 

 ポンフリーに経過を見てもらい、鬼太郎は杖を振る動作から少しずつ戻した。腕を伸ばしても、指を強く握っても、傷のあった場所は引き攣れなかった。

 

 帰還の連絡を済ませ、キーノと二人で学校を出る。

 

 学校外の指定地点で、鬼太郎は携帯している金属製の輪を取り出した。

 

 二人で手を添え、決められた時刻を待つ。

 

 腹の奥を引かれ、地面が足元から遠ざかった。

 

 次に靴底が土を踏んだとき、目の前には砦の門があった。門内の発着場所は、約束どおり空けられている。

 

 キーノが鞄を持ち直した。

 

「着くときに、足がもつれなくなったな」

 

「何度も使っていますからね」

 

 門の向こうで、落ち葉が擦れた。

 

 鬼太郎はその音を聞き、肩から力を抜いた。

 

 廊下を歩く足音も、肖像画が話す声もない。

 

 壁際には、森の住民から届いた荷がまとめられていた。受け渡しの記録を確かめると、留守中も取引は続いている。

 

 その日のうちに顔を合わせたゴブリンから、道の様子も聞いた。

 

 新しい罠は見つかっていない。今、追っている密猟者もいなかった。

 

 鬼太郎は、南の道で怪しい人間を見なかったかと重ねて尋ねた。

 

「見たら知らせる。今は何もない」

 

「分かりました」

 

 キーノが横から顔を見た。

 

「残念そうにするなよ」

 

「まだ、何も言っていませんよ」

 

「顔に出てる」

 

 鬼太郎は笑った。

 

 森を荒らす者がいるなら、排除するついでに、学校で覚えた呪文も試せる。

 

 ただ、相手がいないからと、森の外まで探しに出るつもりはなかった。

 

 帰ってきた理由は、仕事だけではない。

 

「では、グロブニクさんに、手合わせをお願いしてみましょうか」

 

「傷は、治ったんだな」

 

「ええ。今回は、以前のような戦いにするつもりもありません」

 

「お前がそう思ってても、相手がどうするかは分からないだろ」

 

「ですから、先にお話をします」

 

 キーノは鼻を鳴らし、鞄を部屋へ運んだ。

 

「私も行く。戻ったら、課題の続きをやるぞ」

 

「承知しました」

 

     ◆

 

 北の谷へ続く道には、湿った落ち葉が積もっていた。

 

 鬼太郎は白い石の手前で止まる。

 

 キーノも、その後ろに立った。

 

 勝手に谷へ入り、姿を探すことはしない。

 

「グロブニクさん。お時間はありますか」

 

 声を掛けて、待つ。

 

 しばらくすると、木々の間で枝が揺れた。

 

 グロブニクが姿を現す。

 

 大きな身体が、白い石の向こうで止まった。

 

「戻ったか」

 

「ええ。学校で、使える呪文が増えました」

 

 鬼太郎は黒檀の杖を見せた。

 

「少し、相手をしていただけませんか」

 

 グロブニクの視線が、杖から鬼太郎の顔へ移る。

 

「また、力を見せるのか」

 

「今日は、覚えた呪文を試したいんです。火も、銃も使わずに」

 

「それで、俺を止めるつもりか」

 

「どこまで通じるか、確かめたいんです」

 

 鬼太郎は笑った。

 

 グロブニクが、低く息を吐く。

 

「短くなら、付き合ってやる」

 

 鬼太郎は、白い石を指した。

 

「僕がここまで退いたら、終わりにしましょう。あなたがやめるとおっしゃった場合も、すぐに止めます」

 

「分かった」

 

 キーノが道の脇へ下がる。

 

「怪我を増やして帰るなよ」

 

「できるだけ、気をつけます」

 

「できるだけじゃない」

 

 鬼太郎は彼女へ微笑み、それからグロブニクへ向き直った。

 

 許可を得て、境界を越える。

 

 杖を構えた瞬間、大きな身体が動いた。

 

 鬼太郎は横へ踏み出す。

 

「リクタスセンプラ」

 

 呪文が、肩口へ当たった。

 

 グロブニクの毛が揺れる。

 

 だが、脚は止まらない。

 

 鬼太郎は詠唱を重ねず、幹の脇へ身を滑らせた。爪が地面を掻き、濡れた土を跳ね上げる。

 

 トロールのときと同じように、呪文は当たっても効かなかった。

 

 その結果を眺めていれば、爪に追いつかれる。

 

 鬼太郎は幹の向こうへ回り、次に杖を向ける距離を取った。

 

 グロブニクが幹を回り込む。

 

 鬼太郎は、道の脇に転がる丸太へ杖を向けた。

 

 倒木の幹が途中で折れたものだった。大人が両腕を回しても余りそうな太さで、濡れた樹皮に苔がついている。

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

 

 丸太が地面を離れた。

 

 鬼太郎は杖先を動かし、横倒しのまま進路へ差し込む。

 

 グロブニクの前脚が土を蹴った。

 

 黒い身体が丸太を跳び越える。

 

 鬼太郎は丸太をさらに持ち上げかけ、間に合わないと判断した。勢いを止め、地面へ下ろす。

 

 その間に、グロブニクは着地していた。

 

 丸太から目を戻したときには、大きな肩がすぐそこまで迫っている。

 

 鬼太郎の靴が、落ち葉を滑った。

 

 膝を曲げて踏み直し、幹の陰へ退く。

 

「俺は、その木より高く跳べる」

 

 グロブニクが言った。

 

「ええ。高さを変えるのが、遅すぎましたね」

 

 鬼太郎は答えながら、位置を変える。

 

 この太さでも、持ち上げることはできた。

 

 けれど、浮かせた丸太を、跳ぶ相手に合わせて動かすには遅い。

 

 上げ直すより先に、着地する場所へ杖を向けるべきだった。

 

 鬼太郎は位置を変え、もう一度唱えた。

 

 今度は丸太を低く浮かせ、斜めに置く。真正面を塞ぐより、回り込む方向を絞れればよかった。

 

 丸太を下ろしながら、自分も横へ踏み出す。

 

 だが、グロブニクは、鬼太郎が杖を戻すより先に動いていた。

 

 浮いた幹の端を回り、大きな身体が距離を詰める。

 

 鬼太郎の手首が相手へ向いたとき、前脚はもう上がっていた。

 

 鬼太郎は笑った。

 

 構えを読まれた。

 

 呪文を唱え始めるだけの間もない。

 

 すぐに退いた。

 

 爪はローブに届かなかったが、すぐそばの枯れ葉が散った。

 

 鬼太郎は白い石まで戻り、杖を下げる。

 

「ここまでですね」

 

 グロブニクが足を止めた。

 

 鬼太郎は息を整えた。

 

 命を奪うためなら、手札を絞っている場合ではない。

 

 今日は呪文を当てることができた。それでも、相手を止められなかった理由を考えなければならない。

 

 相手が動く間も考え続け、呪文が効かなくても、次へつなぐ。

 

 それを、教室だけで身につけるのは難しかった。

 

「ありがとうございました」

 

「それだけでは、まだ届かん」

 

「ええ。次までに、もう少し使い方を考えてきます」

 

 グロブニクが、牙を覗かせた。

 

「次は、木ばかり見るな」

 

「気づいていましたか」

 

「よそ見をすれば、分かる」

 

 キーノも、道の脇で頷いた。

 

 鬼太郎はグロブニクへ一礼し、キーノと砦への道を戻った。

 

     ◆

 

 砦へ戻ると、キーノは机へ課題を広げた。

 

 鬼太郎も、杖を置いて椅子へ座る。

 

 紙に書くことは、学校にいたときより増えていた。

 

 呪文が当たっても止まらない相手。

 

 物を動かしている間の、杖の向き。

 

 丸太を下ろすまで見届けようとして、相手から目を離したこと。

 

 一つずつ書き、その下へ次に試したい方法を残す。

 

「宿題も忘れるなよ」

 

 キーノが、教科書を押して寄越した。

 

「ええ。帰ってから慌てたくはありませんからね」

 

 日が暮れる前に、二人は荷をまとめた。

 

 森を脅かす相手がいれば、対処する。

 

 いなければ、グロブニクが応じたときに、手合わせを頼む。

 

 学校で習い、森で試し、分からなかったことを持ち帰る。

 

 今の鬼太郎には、その繰り返しができた。

 

 ポートキーに触れる前に、キーノが課題の入った鞄を確かめる。

 

「次は、ハリーの試合だな」

 

「ええ。皆さんと一緒に、見に行きましょう」

 

 鬼太郎は杖を収めた。

 

 覚えた呪文は、まだ少ない。

 

 それでも、次に試すことは決まっていた。

 

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