十日目の銀色
第115話 十日目の銀色
冬休みが終わると、廊下はまた子供の声で埋まった。
サーシェスはその流れを横切り、案内された階段を上がった。行き先は教室ではない。校長から、森で受けてもらいたい仕事があると呼ばれていた。
校長室には、先客がいた。
大きな男が、椅子の肘掛けの間へ窮屈そうに収まっている。サーシェスが入っても、挨拶の後はすぐに膝へ目を落とした。
「そいつは、ずいぶん楽しそうな顔だな」
向かいへ座りながら言うと、ダンブルドアが机の紙を寄せた。
「ユニコーンが襲われておる。原因を調べ、襲っているものを止めてほしいのじゃ」
「ユニコーン?」
「十一月に、一頭見つけた」
大きな男が、低く言った。
「休みが明けてからも、被害があった。あんなやつらを、何で……」
太い指が、膝の上で組み直された。
サーシェスは紙を引いた。森の縁と、小道の幾つかが描いてある。印の一つを指した。
「ここで見つかったのか」
「ああ。見つかった場所だ。そこで襲われたかどうかまでは、分からん」
「角は?」
「残っとった。毛も、そのままだ」
サーシェスの指が止まる。
売り物を残していく。
自分がブルガリアで相手にしてきた連中とは、目当てが違うらしい。
「普通の獣に、簡単にやられるやつらじゃない。森もよく知っとるし、逃げるのも速い」
「闇の生物が関わっている可能性もある」
ダンブルドアが続けた。
「何がいる」
「まだ分からぬ。それを含めて、確かめてほしい」
サーシェスは背を預けた。
校長は報酬と経費、分かったことの報告先を示した。森にいるというだけで、無関係なものへ手を出さないことも、条件に入った。
「手が付けられねえ相手でも、仕留めるまで帰るなって話じゃねえな」
「もちろんじゃ。持ち帰ってもらわねば、分かったことも使えぬ」
「なら、いい」
サーシェスは紙へ目を戻した。
何も知らずに森へ入る仕事ではない。だが、歩けば相手がいるとも限らない仕事だった。
「まずは、こいつらの道からだな」
立ち上がり、大男へ顔を向ける。
「でかいの。最初は案内を頼むぜ」
「ハグリッドでいい。日があるうちに、見せときたい場所がある」
◆
一日目、サーシェスはほとんど銃へ触れなかった。
ハグリッドの後ろを歩き、被害のあった場所へ行く。死骸はもう片づけられ、雪の下には湿った土が残っていた。
身体がどちらを向いていたか。周りに足跡はあったか。血の跡は、どこまで続いていたか。
屈んで尋ねると、ハグリッドは答えられるところと、覚えていないところを分けて話した。
「水場は、そっちだ。よく通る。けど、いつもそこにいるわけじゃない」
サーシェスは、木の間を見た。
ハグリッドが通れる道と、自分が身を隠せる道は違う。張り出した枝の高さを確かめ、戻るときに見える木の傷を覚える。
日が傾いたころ、白い身体が現れた。
ユニコーンは、二人のいる方へ頭を向けた。
「動くな」
ハグリッドが小さく言う。
サーシェスは止まった。
しばらくして、白い姿が木々の奥へ消えた。追い立てることはせず、抜けていった場所へ目を置いた。
二日目からは、一人で入った。
昼に確かめた場所へ、夜、別の方から近づく。水場へ来る跡があっても、そこで一晩待つとは決めなかった。斜面の上にも、同じ方へ続く細い道があった。
三日目には何も現れず、四日目には、遠い木の間で白い背が動いた。
五日目、水場へ入る前に、ユニコーンが一度足を止める場所が分かった。
六日目には、風が変わった。待っていた側へ獣の匂いが来なくなり、別の道を使ったらしい跡を見つけた。
サーシェスは場所を変えた。
何も起きないまま、夜が明けた。
外套の下には、銃のほかにグレネードとスタングレネードがあった。使う相手がいなければ、ただの荷物だった。
七日目の昼、ハグリッドが熱い飲み物を差し出した。
「まだか?」
「まだだ」
サーシェスは小屋の前で、冷えた指を器へ当てた。
「毎晩出てくる相手じゃねえ。被害が出た場所へ、同じように戻るとも限らねえしな」
「次がやられる前に、見つけたいんだが」
「俺も、そっちの方がいい」
飲み物へ口をつける。
「けど、いねえもんは撃てねえよ」
ハグリッドは黙った。
サーシェスが紙を広げると、初日より増えた線へ目を向けた。
「ここまでは、こいつらが通る。今は、その中へ混ざるものを探してる」
「その先の斜面は、気をつけろ。雨が降ると、土が崩れる」
「覚えとく」
八日目にも、新しい死骸は見つからなかった。
九日目には雨が降った。足跡が崩れ、滴の音が葉の下を満たした。サーシェスは濡れた枝を押さえ、音を立てずに抜ける。
その夜も、銃を抜かずに戻った。
◆
クィレルは、机へ手をついた。
指が震えていた。
眠れば戻る疲れではなかった。呼び出した悪魔が消えても、そのために差し出したものは返ってこない。
食事を増やしても、失った寿命は埋まらなかった。
その身体の中に、主人もいる。
「今夜も行け」
声が落ちた。
クィレルは、返事の前に一度息を吸った。
「はい……」
ユニコーンの血で、今の身体を繋ぎ止める。
そうしなければならなかった。
外套を取り、フードを深く被る。鏡の中の痩せた頬を、その下へ隠した。
◆
十日目には、雨が止んでいた。
枝からは、まだ滴が落ちていた。サーシェスは二つの通り道が近づくところで、木の陰へ身を置いていた。
枝が折れた。
一度だけだった。
サーシェスは動かず、次を待った。
斜面を下りる音が続く。白い獣が、普段通るところとは少し違っていた。
ハグリッドに教えられた斜面を避け、横から回る。
湿った土に、跡があった。
その先で、銀色が光った。
サーシェスは腰の銃へ手を置いた。
木の向こうに、白い身体が倒れていた。
黒いものが、その首元へ屈んでいる。
フードを被った人型だった。顔を寄せたまま、動かない。
校長の言った、闇の生物。
だが、地面へついた腕の形も、袖も、人間のものに見えた。
もう少し確かめようとしたところで、頭が上がった。
こちらを向く。
サーシェスは銃を抜いた。
◆
クィレルは男を知っていた。
ダンブルドアに雇われた、森の警護役。
スクイブだった。
口元を袖で拭い、杖を取ろうとした。
相手には、呪文を返す手がない。
そう思った次の瞬間、脚へ衝撃が来た。
声が漏れる。
膝を折った向こうで、男がまだ銃を向けていた。
◆
「人間なら、話は早えな」
サーシェスは、外套へ入る相手の手を見た。
もう一発撃つ。
今度は光に当たり、弾が逸れた。
フードの下から、細い棒が出ていた。
「魔法使いかよ」
笑いながら横へ出ると、先ほどまでいた場所で枝が弾けた。
サーシェスは木の陰へ入った。
最初の一発は取った。相手は脚を庇い、立ち上がろうとしても、大きく動けずにいる。
杖が向く方を外れ、次を撃つ。
また、光が弾を遮った。
サーシェスは左手でグレネードを取り、木の向こうへ投げた。
相手の頭が、飛んでくるものを追う。
爆発が、夜の森を揺らした。
木の幹を挟んでも、土と枝が外套へ当たった。
サーシェスが覗くと、フードの人物は後ろへ倒れていた。光は直撃を防いだが、身体の位置までは保てなかったらしい。
銃を向ける。
泥の上で、相手の手が動いた。
次の弾は、張り直された盾へ当たった。
サーシェスは舌を鳴らし、別の木へ移った。
◆
「スクイブごときに、何を手間取っている」
内側からの声に、クィレルは歯を食いしばった。
脚が痛い。
先ほど飲んだものが、喉へ上がってきそうだった。
「申し訳、ありません……」
「逃がすな」
クィレルは杖を握り直した。
男の姿が、幹の陰へ消える。
同じところから顔を出すのを、待つ必要はなかった。
◆
隠れた木の根元で、土が跳ねた。
サーシェスが後ろへ引くと、上の枝が落ちてきた。
横へ転がる。
立つ前に、光が頬を掠めた。熱を感じ、遅れて血が流れる。
顔を狙われただけではなかった。
身を寄せた場所そのものが、削られていた。
サーシェスは膝をつき、銃を向けた。
盾が現れる。
次を撃つ前に、枝の束が目の前を横切った。
狙いが切れた。
その向こうから来た呪文を、身体を捻って外そうとした。
肩へ、重い衝撃が走った。
背中が地面へ叩きつけられる。
一瞬、息が出なかった。
サーシェスは腕を引き、銃がまだ手にあるのを確かめた。
泥を払わず、木の陰へ這う。
相手は、倒れた白い獣のそばから、ほとんど動いていない。
それでも、こちらが出ようとしたところへ杖が向く。
最初の、こちらを侮った間は、もうなかった。
サーシェスは左手を外套へ入れた。
スタングレネードを取り出す。
木の向こうへ放り、自分は幹の陰へ顔を伏せた。
閃光と激しい音が、森を破った。
呪文が途切れる。
サーシェスは立ち、走った。
だが、次の木へ届く前に、足元の土が弾けた。
踏み出した足が沈む。
よろめいて幹へぶつかり、傷めた肩へまた痛みが来た。
一度止めただけでは、離れられなかった。
相手のフードは、まだ深く被られている。
脚の辺りから、地面へ血が落ちていた。
そこを見ても、今は笑えなかった。
◆
クィレルは、立ったまま脚へ力を入れた。
身体が沈んだ。
視界の端が、暗くなる。
男はまだ、銃を持っていた。追い詰めたはずなのに、こちらが動けば撃とうとしている。
あと少しだった。
それでも、流れ出る血は止まらなかった。
「退け」
主人が命じた。
「しかし……」
「この身体を失う方が、厄介だ」
クィレルは息を吸い、杖を振った。
◆
土と枯葉が、サーシェスの前へ吹き上がった。
銃を向けたまま、横へずれる。
次の攻撃は、来なかった。
木の間で、枝が揺れた。
遠ざかる音だった。
サーシェスは幹へ手をついて立った。
相手のいた場所から、点々と血が続いていた。
一歩出たところで、肩に痛みが走る。
その先には暗い木々がある。追えば、また杖の届く場所へ入る。
サーシェスは止まった。
銃口を下げずに待ったが、相手は戻らなかった。
「……見逃したつもりかよ」
顔の血を、手の甲で拭う。
取ったのは、最初の一発だった。
あとは、隠れた場所も、出ようとした先も叩かれた。
最後に自分が立っているのは、相手が退いたからだ。
サーシェスは血の跡を見た。
今夜は、ここまでだった。
◆
森を出ても、サーシェスはハグリッドの小屋へ寄らなかった。
先に話す相手は、依頼主だった。
伝えられていた連絡先へ向かい、やがて現れたダンブルドアに、二人だけで話したいと言った。
校長室へ入ると、サーシェスは椅子へ腰を下ろした。
肩が、外套の下で重くなっていた。
ダンブルドアは、最初の報告を遮らずに聞いた。
十日間で確かめた通り道。
そこへ混じった跡。
倒れたユニコーンと、そのそばの人型。
「顔は、見えたかの」
「見えねえ。フードを被ってた」
「声は?」
「何か言ってたが、まともに聞き取れなかった。こっちも、それどころじゃなかったからな」
ダンブルドアは頷き、続けるよう促した。
「杖を使ってた。人型の獣がいただけじゃねえ。魔法使いだ」
「どのように戦いが始まった」
「向こうが俺に気づいた。だが、杖を抜くのが遅かった。俺に杖がねえから、楽に片づくと思ったんだろうよ」
「それは、相手が言ったのかね」
「いいや。俺がそう見たって話だ」
サーシェスは脚を指した。
「最初に、こっちが撃った。脚へ入った。その後は、弾を盾で防いだ」
「押し切れたわけでは、ないのじゃな」
「押し切れねえどころか、こっちが追い込まれた」
サーシェスは、はっきり答えた。
「グレネードでも、直撃は止めた。ただ、身体は後ろへ吹っ飛んだ。なのに杖を離さず、すぐ盾を張り直した」
ダンブルドアの目が、頬の傷から肩へ移る。
「その後は、俺が隠れてる場所ごと叩いた。枝を動かして銃の狙いを切る。次に出る方へ、先に呪文が来る」
机の上へ手を置き、木の位置を示した。
「スタングレネードで、一度は止まった。けど、それだけじゃ逃げ切れなかった」
「戦いに慣れた者と、見てよいか」
「ああ。杖を振れるだけの素人じゃねえ」
サーシェスは、校長を見返した。
「俺を殺せるところまで持ってった。最後に退いたのは、脚の血だろうな。止まってなかった」
「去る姿は、見えたかの」
「土と葉を巻き上げやがった。姿は見えねえ。ずれたところで待ったが、次は来なかった。枝が遠ざかる方へ揺れて、血が続いてた」
「その場から姿を消したわけでは、なさそうじゃな」
ダンブルドアは机の紙を寄せた。
「ユニコーンへ顔を近づけておったそうじゃが、血を飲んでいたように見えたかね」
「そう見えた。口元を袖で拭うところも見た。だが、顔までは見えてねえ」
校長は、少しの間黙った。
顔も声も、分からない。
ただ、杖を使って自分を追い詰めた相手は、確かにいた。
サーシェスは椅子の背から身体を起こした。肩の奥が疼く。
「今夜分かったことは、十分に重要じゃ。先に、治療を受けてもらおう」
「治すさ。次に腕が上がらねえんじゃ、話にならねえ」
サーシェスは腰へ目を落とした。
盾の中にいても、爆発で姿勢は崩れた。
次には、そこを使う。今夜と同じ荷物で、同じ隙を待つつもりはなかった。
「今夜の報告は、わしのところへ留めておいてほしい」
ダンブルドアが言った。
「ハグリッドにもか?」
「うむ。詳しいことは、まだ知らせぬ」
サーシェスは、しばらく校長を見た。
それから、口の端を上げる。
「依頼主がそう言うなら、俺から話すことはねえよ」
◆
治療を手配した後、ダンブルドアは報告の紙を見直した。
ユニコーンの血を必要とする人型。杖を使う熟練の術者。脚の負傷。
それ以上を、顔も声も分からぬまま確定することはできない。
ハグリッドには、まだ伝えない。
彼は信頼できる男だった。だが、生き物を案じる気持ちが強いほど、尋ねられた言葉へ答えてしまうことがある。
敵の正体より先に、こちらが何を知ったかだけが伝わるのは、避けたかった。
翌日、ハグリッドは調査の進みを尋ねてきた。
「まだ、何が襲っておるのか分からなんだ。調査は続けてもらう」
ダンブルドアが答えると、ハグリッドは森へ目を向けた。
「そうか……。早く分かればいいんだが」
サーシェスが人型の魔法使いと戦ったことも、その相手へ銃弾を当てたことも、話さなかった。
校長室の報告の紙は、机の内側へ収めたままだった。