第116話 菓子箱の錬金術師
サーシェスが森を歩いていた十日間は、城の中でも過ぎていた。
何を調べているのか、鬼太郎は知らなかった。戻ってきた生徒で廊下が埋まれば、授業の場所へ行くにも、休暇中より時間が掛かった。
ハーマイオニーは、帰ってきた日のうちに、ハリーとロンへ調べ物の続きを尋ねた。
「フラメルは、まだ分からないんだ」
ハリーが答えると、彼女は鞄へ手を置いた。
「私も探したの。でも、人物の本には載っていなかったわ」
「名前より、すごいものなら見つけたぞ」
ロンが言い、ハリーが透明マントのことを話し始めた。
父親が持っていた品。夜の図書館。叫び出した本。
ハーマイオニーの眉が、話の進むにつれて寄っていく。
「禁書の棚へ、一人で入ったの?」
「開くと叫ぶなんて、知らなかったんだ」
「そのための許可でしょう」
鬼太郎は、隣で本を閉じたキーノを見た。彼女も、ハリーの話を聞いていた。
鏡に家族が映ったこと。その後も通ってしまい、最後には校長から、望みを映すものだと教えられたこと。
ロンが、もう見に行かないと付け加える。
ハリーはすぐには答えず、それから頷いた。
「移した先も、探さないって約束した」
ハーマイオニーは少し息を吐いた。そこで、卓へ置かれたキーノの本に目が留まる。
「その星、前にはなかったわね」
「クリスマスにもらった。鬼太郎が作ったんだ」
キーノが本を開き、紺色の栞を引き出した。
ハーマイオニーは銀色の星の縁を覗く。
「紙を二枚、重ねてるのね」
「ええ。片方だけでは、曲がりやすかったので」
「挟むところは平らだし、使いやすそう」
キーノは栞を戻し、ずれないよう頁を閉じた。
ハーマイオニーも椅子へ座り直す。
「フラメルの方も、続きを探しましょう。名前を見たことがあるなら、どこかにあるはずよ」
ハリーが頷く。
鬼太郎は、彼女が出した本の脇へ、飲み物を寄せた。休暇の間に頼んだことを、忘れてはいなかった。
◆
授業が始まれば、帳面の前の方から埋まっていった。
魔法薬学では、以前に作った腫れ物の薬について、手順を見直す問題が出た。
ヤマアラシの針を加える前に、何を行うか。
鬼太郎は、火を止める、と書いたところでペンを止めた。
横を通ったスネイプの影が、羊皮紙へ掛かる。
「それだけか」
鬼太郎は教科書の手順へ戻った。
針を加える前に、鍋を火から下ろす。
「鍋を、火から外します」
「ならば、そう書きたまえ。自分で手順を省いておいて、書いたとおりに行ったと言われても困る」
黒いローブが、次の卓へ移った。
鬼太郎は最初の答えを消し、鍋を火から下ろしてから針を入れる、と書き直した。
順番を違えたときのことは、最初の授業で見ている。鍋から漏れた薬と、椅子の上へ逃げた生徒たちを思い出した。
分かっているつもりでも、短く書くと、抜けるものがあった。
キーノは隣で、自分の答えと教科書を比べていた。材料の名前を一つ確かめ、最後の語を書き直す。
鬼太郎も、自分の羊皮紙へ目を戻した。
鏡で見た力を記した頁は、帳面の後ろにある。
その続きを考える前に、今出された問いへ答える必要があった。
◆
ある晩、談話室の入口で、足音が妙に揃って響いた。
鬼太郎が顔を上げると、ネビルがいた。
脚を閉じたまま、跳ねるように進んでいる。肖像画の穴を抜けたところでよろめき、近くから笑い声が上がった。
ハーマイオニーは、すぐに立った。
「脚縛りの呪いだわ」
杖を向け、呪いを解く。
両脚が離れると、ネビルは足を踏み出しかけて止まった。椅子へ座らせてもらい、膝へ手を置く。
「誰にやられたの?」
「マルフォイ。図書館の外で会って……練習したかったって」
ロンの顔が険しくなった。
「先生に言えよ。そんなの、放っておくことないだろ」
「マクゴナガル先生へ報告するべきよ」
ハーマイオニーも言った。
ネビルは、膝の上の指を動かした。
「また何かされたら、嫌だし」
「だからって、あいつの好きにさせてたら……」
「僕に勇気がないのは、分かってるよ。マルフォイにも言われた」
声が掠れた。
ロンが、言葉を止める。
ハリーはポケットを探り、小さな菓子箱を出した。
「これ、食べる?」
ネビルが顔を上げた。
「ハーマイオニーから、クリスマスにもらったんだ。最後の一つ」
差し出された箱を、ネビルはしばらく見ていた。
ハリーは引っ込めなかった。
「マルフォイの言うことで、君のことが決まるわけじゃないよ」
ネビルは箱を受け取った。
開けた途端に跳ねた蛙を、慌てて押さえる。口へ運んでから、少しだけ頬が緩んだ。
鬼太郎は隣の卓から、その様子を見ていた。
脚の呪いは、もう解けている。
それでも、ハリーが渡したものには、別に役目があったらしい。
キーノが椅子を引き、ネビルの前を空けた。
「もう立てるか?」
「うん。ありがとう。寝室へ行くよ」
ネビルは立ち上がり、箱の中をもう一度見た。
「ハリー。カード、いる? 集めてるんだろ」
「うん」
受け取ったハリーが、ネビルを見送る。
何気なく裏返したところで、その手が止まった。
「これだ」
声が、大きくなった。
鬼太郎も顔を向ける。
「フラメル。ここに書いてある!」
◆
ダンブルドアのカードだった。
ハリーは裏の小さな文字を指で辿った。功績を紹介した文の中に、錬金術を共同研究した相手の名があった。
ニコラス・フラメル。
ロンが横から覗き込む。
「こんなところに、あったのかよ」
「汽車で読んだんだ。最初に手に入れたカードだった」
ハリーは表を見た。
「あのときは、顔がいなくなった方が気になって」
今は、枠の中に校長がいた。
ハーマイオニーは裏の一文を読み、顔を上げた。
「錬金術師。そうよ、そっちだったのね」
椅子を引く。
「待ってて。持ってる本に、書いてあったはず」
女子寝室への階段を、急いで上がっていった。
鬼太郎とキーノも、ハリーたちの卓へ移る。
戻ってきたハーマイオニーは、厚い本を両手で下ろした。頁の端を確かめ、挟んだ紙を抜いて開く。
「ここ。ニコラス・フラメルは、賢者の石を作った錬金術師なの」
「賢者の石?」
ハリーが聞き返すと、彼女は本を三人の方へ寄せた。
「金属を金へ変える。それから、不老不死の薬を作れるって」
「金と、不老不死?」
ロンが身を乗り出した。
キーノは、示された段落を読んでいた。
「薬を飲めば、その後は何もしなくていいのか」
「飲み続ける必要があるの。だから、石を持っていることが大事なのね」
「飲まなくなったら?」
ハーマイオニーは、指を先の行へ移した。
「そこまでは、詳しく書いてないわ。一度で済む薬ではない、ということなら分かるけど」
鬼太郎も、同じところを読んだ。
死んだ仲魔を立たせていた光とは違う。
こちらは、生きている者の時間を長く保つものらしい。傷や病にもどこまで働くのかは、この説明では分からなかった。
ハリーは、カードを本の横へ置いた。
「それなら、ハグリッドが銀行から持ってきた包みも……」
「石だよ。だから、銀行へ盗みに入った後、学校まで探しに来たんだ」
ロンが言う。
ハーマイオニーは、もう一度本文へ目を落とした。
「フラメルは、ダンブルドア先生と共同研究していた。守ってほしいと頼んだなら、繋がるわ」
鬼太郎は、並べられた本とカードを見た。
名前だけを探していたときには、長い時間が掛かった。錬金術という言葉が一つ加わると、彼女は、自分の本のどこを見ればいいか分かった。
「ありがとうございます。ずいぶん、分かりました」
「調べたら知らせてって、頼まれていたもの」
ハーマイオニーが答える。
鬼太郎はカードから指を離した。
ハリーが菓子を渡していなければ、今夜も、名前だけを探していたかもしれなかった。
「金も、長く生きる力も手に入るなら、欲しがる方は多いでしょうね」
「だから、スネイプなんだよ」
ロンが返した。
「どっちも欲しいに決まってる」
「そうかもしれません。ただ、金が欲しい方と、今すぐ薬を必要としている方では、急ぎ方も違いそうです」
ハリーが顔を上げた。
「薬が必要って、病気とか?」
「何を治せるかまでは、まだ知りません。ですが、長く生きるものを求める理由は、老いるのが嫌だというだけでもないでしょう」
鬼太郎は本を見た。
それが、誰かは分からない。
クィレルの目を思い出しても、石の薬へ繋げるだけのものは持っていなかった。
「先生方も、狙われる理由を考えておられるでしょうね」
「でも、先生の中に盗もうとしてる人がいたら?」
ハリーが言った。
それから、夜の廊下で聞いた話を始めた。
鬼太郎は、カードから目を上げた。
鏡を見つけた初めの夜。図書館から逃げた先で、スネイプがクィレルへ詰め寄っていた。
隠れて動けると思うな。次も同じ言い逃れをするなら、よく考えろ。
クィレルは壁際へ引き、やがてフィルチが来ると、反対側へ去っていった。
「クィレル先生に、手伝わせようとしてたんじゃないかと思うんだ」
「石を盗むために、ですか」
「うん」
「石の話も、そこで?」
ハリーは少し黙った。
「名前は、出てなかった」
「なら、ほかの理由もありそうですね。隠れて何かをしているから、やめさせようとしたのかもしれません」
「クィレルが?」
ロンが眉を寄せた。
「どちらが何をしていたかまでは、今の言葉だけでは分かりません。僕なら、クィレル先生の返事も気になります」
「そこは、聞こえなかったんだ」
ハリーが言った。
鬼太郎は頷いた。
キーノは、本へ置いた手を動かさなかった。二人で話し、校長へ伝えた疑いを、ここで持ち出すことはなかった。
「何か、また分かったら教えていただけますか」
「もちろん」
ハーマイオニーが答える。
ロンはカードを見てから、ハリーへ顔を向けた。スネイプへの疑いが消えたわけではない。
鬼太郎も、それ以上、どちらの名前を押すこともしなかった。
◆
後日、練習用の教室で会ったセドリックは、机を寄せ終えると鬼太郎へ顔を向けた。
「今日は、最初の攻めを崩した後だね」
「はい。校長先生との練習で、用意した順番が切れてから、遅れましたので」
「じゃあ、前と同じところで待つのは、やめておこう」
鬼太郎が笑うと、セドリックも杖を持ち上げた。
フリットウィックが、二人の間へ印を置く。
「杖の呪文だけ。使う範囲は、これまでどおりだよ。こちらが止めたら、両方とも止めること」
二人が応じ、離れた。
鬼太郎は右手へ黒檀を持った。
「ペトリフィカス・トタルス」
光が、セドリックの前で弾かれる。
その間に横へ出て、武装解除を向けるつもりだった。
だが、セドリックは同じところに留まらなかった。防いだ手を返しながら、鬼太郎の行く方へ足を進める。
杖が近い。
鬼太郎は上げかけた腕を引き、反対へ退いた。
呪文の光が、その手前を抜けた。
「リクタスセンプラ」
返した光を、セドリックが防ぐ。
鬼太郎は、さらに離れた。
次を向けようとしたときには、セドリックの杖が既にこちらを向いていた。避けるため、もう一度大きく足を出す。
「そこまで」
教師の声が掛かった。
鬼太郎は杖を下ろし、止まった足を見る。
最初の印が、遠くにあった。
「何から離れたのかな」
フリットウィックが尋ねた。
「セドリックさんの杖先からです」
「その後、どこへ向けたかった?」
鬼太郎は相手を見る。
「手へ返すつもりでしたが、向ける前に、また避けることになりました」
セドリックが、先ほどの位置へ戻った。
「こっちへ退いたから、その先を追えたんだ。もう一歩下がると思った」
鬼太郎は、二度目に足を置いた場所を確かめた。
身体を離すたびに、次の呪文を返す場所も遠くなる。同じ方へ続ければ、追う側の杖は大きく変えずに済んだ。
「やり直しましょう。避けた後にも、向けられる場所を見つけてごらん」
フリットウィックの声に、鬼太郎は元へ戻った。
二度目も、最初の光は防がれた。
セドリックが前へ来る。
鬼太郎は一度退き、次の足を後ろへ出しかけたところで、横へ置いた。
セドリックの杖が追う。
その間に、こちらの黒檀を残した。
「エクスペリアームス」
赤い光へ、セドリックが杖を返す。
また、防がれた。
だが、その足は一度止まった。
鬼太郎は、そこで姿勢を整えた。
当たらなかったからと、同じ方へ逃げ続ける必要はなかった。
「そこまで」
声を聞いて、二人は杖を下ろした。
セドリックが息を吐く。
「さっきと同じには、追えなかった」
「次は、追い方を変えていただけますか」
「その前に休憩」
フリットウィックが答えた。
セドリックは笑い、壁際の水を指した。
「僕にも、飲ませてよ」
「ええ。失礼しました」
鬼太郎は一緒に下がった。
水を飲んでから、帳面へ足の位置を描く。
鏡に映っていた自分なら、違う手を出せたかもしれない。だが、今、足を置き直せたのは、この身体だった。
図の横へ、退いた後も杖を向けられる場所、と書く。
談話室へ戻ると、キーノが席を空けた。
「どうだった?」
「最初は、下がる方を待たれました。二度目には、こちらも返せました」
「休んだか?」
「ええ。セドリックさんと水を飲みました」
彼女は、差し出した帳面へ目を移した。
鬼太郎が二つの足跡を指す。
「こちらへ続けて退いたのを、ここで変えました」
「次は、そこも追ってくるかもしれないな」
「ええ。それも、試していただきたいですね」
向こうの卓では、ハーマイオニーが錬金術の本を開いていた。ハリーのカードが、その横へ置かれている。
調べたことを教えてくれる者がいて、直したいところを試せる相手がいる。
鬼太郎は、次の練習の日を帳面へ記した。
この場所へ戻って、続きを確かめるつもりだった。