第117話 聞かない約束
休日の朝、鬼太郎とキーノは、城の外の決められた場所へ向かった。
帰還する予定は伝えてある。鞄には授業の本と帳面を入れ、杖はすぐ取れるところへ収めていた。
「今日は、こっちでも試すのか」
キーノが葡萄色のマフラーを直しながら尋ねた。
「ええ。最初の手が通らなかった後です。学校では、杖の呪文だけでしたから」
「グロブニクが、相手をするならな」
「もちろん。出てきていただけるかからですね」
二人で固定のポートキーへ触れる。
足元が引かれ、城のある景色が遠ざかった。
次に靴が地面を踏んだとき、二人は砦の門の内側にいた。
ヴェトルが降りる町側の場所ではない。学校の外と、ここを結んだ経路だった。
キーノが身体を起こし、鞄を引き直す。鬼太郎も足を置き直してから、周りへ目を向けた。
壁の裾には、まだ雪が残っていた。
道を横切っていたらしい枝が、脇へ寄せられている。門内の空間は、荷で塞がれてはいなかった。
ボグダンは、少し後からやってきた。
「戻ったか。今、預かった分はここだ」
受渡しの帳面を開く。
鬼太郎は包みの数と日付を確かめた。今までに合意した品は進め、新しい種類については、帰ってから相談する。その区別は、留守中も変わっていなかった。
「道の様子で、何か届いていますか」
「雪解けの水が、前に聞いた道の低いところへ回ってる。通った者からの話だ。こっちへ来たのは昨日」
鬼太郎は、聞いた道を帳面へ記した。
今、森のどこでも同じことが起きているという話ではない。
今回、追うべき侵入者の新しい知らせは、窓口には届いていなかった。
礼を言い、建物へ入る。
暖炉のそばに、サーシェスがいた。
◆
「戻ったか、坊主」
「はい。ただいま戻りました」
鬼太郎が鞄を下ろすと、サーシェスは椅子へ置いた腕を動かした。
立ち上がる前に、その手が一度止まる。
鬼太郎は顔を上げた。
「肩を、痛められましたか」
「目ざといな」
サーシェスは立ったが、いつものようには腕を振らなかった。頬にも、傷の治りかけらしい跡が見える。
「森で仕事をしてな。ちょっと、やられた」
「どのようなお仕事だったんです?」
「そこは話せねえ。依頼主に止められてる」
返事は短かった。
鬼太郎は頷いた。
「分かりました。では、伺いません」
サーシェスの口元が上がる。
「気にならねえのか?」
「なりますよ。帰ってからも動きに残っているのは、珍しいですから」
鬼太郎は、彼の腕を見た。
「ですが、仕事で知ったことを誰にでも話すわけにはいきません。僕も、そうです」
「そりゃそうだ」
サーシェスは椅子へ座り直した。
「話せるのは、森でやられたってことと、まだ少し引っ掛かるってことだ」
サーシェスは、鬼太郎の顔を見た。
「坊主が聞きてえのは、仕事か。それとも、俺をこんなにしたやつか」
「後の方も、ずいぶん」
鬼太郎が答えると、サーシェスは声を出して笑った。
「だろうな。そこも、今はなしだ」
「ええ。話せるようになったら、お願いいたします」
誰が、どのような手を使ったのか。気になったことが消えたわけではなかった。
それでも、鬼太郎は相手の返事を待つ方を選んだ。
キーノが暖炉から離れたところへ外套を掛ける。鬼太郎も、自分の外套をその隣へ置いた。
「治療は、受けられたんですね」
「ああ。学校の医者に診てもらった」
サーシェスは肩へ目をやった。
「俺が動く前から、動くなって言いやがる。だいぶ戻ったけどな」
鬼太郎は、少し間を置いた。
森での仕事と、学校での治療。
この近くで負傷し、治せる者のところまで連れていかれたのかもしれない。だが、学校の近くの森で起きたことなら、その方が繋がりやすかった。
禁じられた森に、何か変化があるのだろうか。
そう思ったが、サーシェスへ森の名を尋ね直すことはしなかった。
代わりに、椅子の前で止まる。
「残っている傷へ、少しディアを使いましょうか」
「治りきってねえところにか」
「はい。どのくらい楽になるかは、動かして確かめていただきたいのですが」
サーシェスは鬼太郎の手を見た。
「頼む」
鬼太郎は右手を空けたまま、肩へ添えた。内側の力を集め、触れたところへ流す。
「ディア」
淡い光が、掌の下へ広がった。
治療を受けた後の傷だった。力を流し続けず、手を止める。
サーシェスが、ゆっくり腕を上げた。
先ほど止めた高さを越える。そこで一度下ろし、肩を小さく回した。
「さっきより、楽だな」
「では、そのくらいまでにしておきましょう」
「楽になったからって、使いすぎるなよ」
キーノも言った。
「学校の医者と同じこと言うな」
サーシェスは笑ったが、腕を大きく回してみせることはしなかった。
◆
「坊主の方は、どうだ」
サーシェスが卓へ肘を置きかけ、楽な方へ身体を向け直した。
「杖の方は、少しずつ。セドリックさんに、最初の攻めを崩した後の練習をしていただきました」
「何も出せずに、追われるところか」
「ええ。二度目には、返すところを残せました」
鬼太郎は卓の上の木杯を指した。
「そちらも、動かしてよろしいですか」
「空だ。やってみろよ」
右手へ黒檀を持つ。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
杯の底が、卓を離れた。
高くは上げず、向こう側へゆっくり運ぶ。サーシェスの顔へ目を戻すと、杯が僅かに傾いた。
鬼太郎は動きを止め、底を揃えた。
最後に卓へ下ろし、底が着いてから杖を引く。
「途中で、こっちを見たな」
「ずっと杯を見ていると、相手を見失いますので」
「まだ揺れたが、下ろすとこまで全部追うよりは、ましだな」
「相手に動かされると、また見てしまいます。今日は、その先も試したいんです」
キーノが、別の杯へ水を注いだ。
「出る前に飲め。さっき、お前も力を使っただろ」
鬼太郎は杖を収め、今度は手で杯を取った。
支度を終えると、銃はホルスターごと砦へ残した。相手が応じてくれるなら、今日は杖と自分の力を使う。
サーシェスは、外へ出る二人を椅子から見た。
「俺は、ここにいる。戻ったら、どう負けたか聞かせろよ」
「勝ったお話でも、よろしいですか」
「出来たらな」
鬼太郎は笑い、キーノと門を出た。
◆
白い石の外で、二人は止まった。
雪の薄くなったところを選び、鬼太郎が声を掛ける。
「グロブニクさん。来ました」
すぐには返事がなかった。
キーノが道の端へ寄り、鬼太郎も杖を抜かずに待つ。
やがて、枝の奥で黒い頭が動いた。
古傷のある左目の反対で、暗赤色の右目が二人を見る。
「今日は、何をする」
「最初の手が使えなくなった後にも、次を出せるようにしたいんです。杖と、こちらの力で」
鬼太郎が左手を開くと、グロブニクは鼻先をそちらへ向けた。
「崩れなければ、続けるのだろう」
「ええ。通るなら、そのまま使います」
狼が、短く鼻を鳴らす。
「どちらかが終わりと言えば、そこまで。それから、キーノさんが危ないと思って声を掛けたときも、一度切らせてください」
「止めてから、こちらへ来い。お前の退く道に立たせるな」
グロブニクは向きを変えた。
「入れ」
鬼太郎は一礼し、その後へ続いた。
開けたところで、キーノが指定された外側へ退く。
鬼太郎は落ちていた折れ木を拾った。腕ほどの長さで、手首ほどの太さがある。途中から縦に裂け、片方の先端が斜めに尖っていた。
尖った方を人のいる側へ向けず、根の横へ置く。足で土を確かめると、表面の下は湿っていた。
前と、全く同じ地面ではなかった。
「ザン」
左手からの風が、薄い雪と枯葉を巻いた。
鬼太郎は右手を向ける。
「ペトリフィカス・トタルス」
葉の隙間へ、杖の光が走った。
黒い身体は、その前に横へ出ていた。
こちらが移ろうとした側へ、頭が向く。
鬼太郎は上げかけた左手を止めた。
凍らせるつもりの場所へ、狼は来ない。そのまま使えば、自分が退く方を狭くする。
黒檀を、根の横の折れ木へ向け直した。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
木が地面を離れた。裂けた先端を、近づく狼の胸へ向ける。
踏み込んでくるところへ、突き刺すつもりで押し出した。
グロブニクは前脚を横へ置き、胸をその線から外した。尖った木は黒い毛の脇を通り、空を突く。
鬼太郎も、その間に反対へ動いた。
かわされた木の先を、狼へ向け直そうとする。だが、黒い身体は既に木の側面へ回っていた。
そこから先端を振り戻すより、杖を相手へ戻す方が早い。
木を土へ下ろし、杖先を狼へ戻す。
狼が地面を蹴った。
鬼太郎は真後ろへ下がらず、斜めへ足を置いた。牙の先を外しただけでは、肩と前脚が続いてくる。
もう一歩、外へ回る。
左の掌を低く向けた。
「ブフ」
湿った土の一部が、白くなる。
グロブニクは歩幅を変え、そこへ体重を預けなかった。
鬼太郎は、その横へ黒檀を向ける。
「エクスペリアームス」
赤い光は、黒い毛の外を抜けた。
当たっていない。
狼は氷の脇へ前脚を置き直し、次に詰める方へ身体を向けた。
その短い間に、鬼太郎も姿勢を戻せた。
左手を上げ直す前に、黒い頭がまた近づく。
今度は、折れ木へ向けた杖に合わせられた。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
木の端が浮く。それが胸の方へ向ききる前に、グロブニクが鬼太郎の腕の外側へ回り込む。
この向きで押し出しても、届かない。
鬼太郎は木を下ろした。
「ザン」
左手の風で、狼との間の葉を横へ払う。
目を塞げるほどではなかったが、葉が舞う方へ進まず、空いた側へ大きく離れた。
まだ、力は残っている。
次を作ろうとしたところで、外から声がした。
「鬼太郎、一度切れ。下ろした木の先と、氷の場所を見ろ」
鬼太郎はキーノを見て、それから足元へ目を落とした。
初めは根の横にあった折れ木が、退く道へ斜めに残っていた。裂けた先端はこちらを向いている。凍らせた場所の脇へ回れば、そのすぐそばに足を置くことになる。
最初に歩いて確かめたままの道ではない。
「一度、止めます」
鬼太郎が告げると、グロブニクも止まった。
前脚が、凍っていない土へ下りる。
「前より、捨てるのが早くなった」
狼が言った。
「使えなくなった手を、ですか」
「ああ。だが、捨てたものも、そこにある」
グロブニクが、斜めになった木の先へ鼻を向けた。
「お前は、我が来る方を見ていた」
「はい。そちらから、目を離さないようにしていました」
「木を見るか、我を見るか。その二つしか、なくなっていたな」
鬼太郎は足を引き、後ろへ顔を向けた。
次に置こうとしていたところへ、裂けた木の先が出ている。踏めば木が転がるだけでなく、先端が足首を傷つけるかもしれなかった。
相手から目を離さなければ、それでよいわけでもない。
鬼太郎は、刺すために選んだ木を見た。
校長に変えられた樽は、自分へ向いた壁になった。今日は、自分が下ろしたものが、戻る道へ残っている。
「ええ。片づけてから、もう一度お願いできますか」
「休め。その後だ」
鬼太郎は息を吐き、杖を下げた。
止まったのを見てから、キーノが外側を回ってきた。
「まだ力があるのは、分かる。でも、行く方がなくなるぞ」
「はい。続ける方へ、気が向きました」
鬼太郎は木の裂けていない側を手で持ち、通り道の外へ運んだ。尖った方を退路に向けず、横に寝かせる。
氷はそのまま残っている。今の位置を二人で確かめ、次に使う範囲から外した。
キーノが水を渡した。
休んでいる間、グロブニクも根の近くへ伏せた。こちらが支度するたびに立ち上がってくれる相手ではない。
鬼太郎は飲み終わった水をしまい、相手が顔を上げるのを待った。
二度目は、狼が先に動いた。
鬼太郎は、急いで幕を作らなかった。
氷のない方へ足を出し、黒い身体を見たまま杖を残す。折れ木は、置き直したところにある。
もう一度浮かせ、尖った先を胸へ向けるつもりで、黒檀を向けた。
その腕の戻る先へ、グロブニクが来た。
呪文を言う前に、鬼太郎は足を引いた。
前脚が、そのすぐ前へ下りる。
「ここまでです」
鬼太郎が言うと、狼の頭が止まった。
牙は、追ってこなかった。
鬼太郎は肩で息をしながら、杖を下ろす。
「ありがとうございました」
「次は、その間を短くしろ」
「ええ。またお願いします」
グロブニクは鼻を鳴らした。
鬼太郎は折れ木が道の外に寝かされたままなのを確かめ、氷の残る場所を避けてキーノと白い石へ向かった。
◆
砦へ戻ると、サーシェスは暖炉のそばにいた。
「その顔じゃ、勝った話じゃねえな」
「はい。最後は、杖を戻す前に来られました」
鬼太郎が鞄を下ろす。
キーノも卓へ水を置き、先に二人とも座るよう言った。
サーシェスは、開かれた帳面を覗いた。
「ここで、木を下ろしたのか」
「ええ。尖った方を胸へ向けて、刺そうとしたんです。一度目はかわされて、二度目は向け直す前に回り込まれました」
「かわされてから、先を追わせようとしたのか」
「はい。でも、杖を戻さないと来られます。それで下ろして、離れました」
「で、そいつの胸に届かなかった先が、自分の足元に残った」
サーシェスの指が、鬼太郎の足跡と木の間を辿る。鬼太郎は、裂けた先端が向いていた方にも印をつけた。
鬼太郎は、図へ氷の範囲も描き足した。
「こちらも、初めにはありませんでした」
「そりゃ、最初と同じ道じゃ帰れねえよな」
サーシェスが言い、椅子へ背を預けた。
鬼太郎は、その肩を見る。
「痛みは、戻っていませんか」
「さっきより楽なままだ。こっちは、座ってただけだからな」
それ以上、仕事の話には戻らなかった。
キーノが、図の端へ印をつけた。
「私が声を掛けたとき、どっちへ行くつもりだった?」
鬼太郎は、木の先へ指を置いた。
「こちらへ、もう一歩です」
「なら、さっきの図にも足を足しておけよ。止まった後の場所だけじゃ、どう困ったか分からないだろ」
鬼太郎は頷き、出さずに止めた足を、短い線で描き込んだ。
鬼太郎は自分で確かめた道と、動かしたものの位置を、帳面へ残した。
学校へ戻ったのは、伝えていた時刻だった。
砦を出る前にケストレルをホルスターごと右腰へ戻し、鞄を持った。同じ固定のポートキーで学校外へ出て、城まで歩く。帰還を伝えてから談話室へ行くと、ハリーたちが同じ卓にいた。
「戻ったんだね」
ハリーが顔を上げるより先に、ロンが椅子を寄せた。
「次の試合、スネイプが審判なんだって」
キーノが足を止めた。
「いつもの先生じゃないのか?」
「そうだよ。ハリーの出る試合で、わざわざ」
ハリーは、卓へ置いた手を見る。
「ウッドが練習で言ったんだ。早くスニッチを捕れって」
鬼太郎は鞄を下ろした。
前の試合では、スネイプは観客席にいた。唇を動かし、空から目を離さなかった。
同じとき、クィレルもそこにいた。
今度は、一人の場所が変わる。
「観戦には、行きます」
鬼太郎が言うと、ハリーがこちらを向いた。
「見ててくれる?」
「ええ。先生方の席だけを見ているわけにも、いかなくなりましたね」
ハリーは少し頷き、ロンの話へ目を戻した。
鬼太郎も椅子へ座る。
サーシェスが怪我をした森は、どこだったのか。
詳しい依頼を聞き出すつもりはない。ただ、学校の近くで何か起きているなら、森番に様子を尋ねることはできる。
ハグリッドの顔を思い浮かべてから、鬼太郎は、まず目の前の三人へ話の続きを求めた。