第119話 見逃したスニッチ
ハグリッドから聞いた森の被害は、その日の夕食で三人にも伝えた。
ユニコーンが傷つけられ、死んだものもいる。襲った相手は分からず、学校側が調べている。
ハリーは食事の手を止めたが、ハグリッドも見回っていると聞くと、少し顔を緩めた。
「あの人がいるなら、見つかるかもしれないね」
鬼太郎は頷くに留めた。サーシェスの仕事についても、本から考えた血の話についても、口にはしなかった。
それから試合の日までは、ハリーが箒の練習から戻るたびに、ロンがスニッチは見つかったかと聞いた。
試合の朝にも、同じことを言いかけた。
しかし、ハリーはパンを小さくちぎるのに忙しかった。
皿の上に、口へ運ばれない欠片が増えている。
「早く捕まえればいいんだ。スネイプが何かする前に」
結局、ロンはそう言った。
「練習の時みたいに、箱から出してくれればね」
ハリーはパンの欠片を指で押した。
「空のどこにいるか、分からないんだよ」
「だから、少しは食べておいた方がいいわ」
ハーマイオニーが皿を見た。
「食べてるよ」
「ちぎってるだけじゃない」
ハリーは手元を見て、ようやく一片を口へ入れた。
キーノがその様子を眺め、茶碗を置く。
「今より、飛んでいる時の方が落ち着いているな」
「今は何も探せないからね」
ハリーの口元に、小さな笑みが戻った。
「飛び始めれば、やることは決まっていますね」
鬼太郎が言うと、ハリーは頷いた。
「ウッドにも言われた。スネイプのことは考えるなって」
「言ってるウッドの方が、ずっと考えてそうだけど」
ロンの言葉に、ハリーが今度は声を出して笑った。
やがて向こうから呼ばれ、チームへ合流するために席を立つ。食べ終えたとは言えなかったが、ちぎったパンは少し減っていた。
鬼太郎はその背を見送り、自分の茶を飲み終えた。
前の試合で起きたようなことが、また起きるとは限らない。
それでも、今日は最初から箒の動きを見ておくつもりだった。
◆
控室に入ってからも、ウッドの注意は続いていた。
無駄な反則を取らせるな。審判へ言い返すな。シーカーを一人にしないよう、ブラッジャーをよく見ろ。
ハリーはニンバス二〇〇〇を膝の上に置き、順に頷いた。
「いいか、ハリー。見つけたら、最初の機会を逃すな」
「分かってる」
答えたのに、ウッドはまだこちらを見ていた。
スニッチさえ見つかれば。ハリーだって、そう思っている。
けれど、見つからない間に箒がまた暴れ出したらどうなるのか。前と同じように柄へしがみついても、今度も戻れるとは限らなかった。
「おい、校長先生まで来てるぞ」
扉のそばにいたフレッドの声で、ハリーは顔を上げた。
「ダンブルドアが?」
箒を持ったまま、扉へ寄った。
隙間から観客席を見上げる。色とりどりのローブの間に、長い銀色の髭が見えた。
間違いない。
ハリーは、柄を握る指を一度開いた。
ダンブルドアが見ている。その前で、スネイプが自分を箒から落とすような真似をするとは思えなかった。
もう一度、手を置き直す。
「行けそうか?」
ウッドに聞かれ、今度ははっきり答えられた。
「うん」
◆
観客席へ上がる途中で、ロンがネビルを見つけた。
一緒に座ろうと声を掛け、五人で列の空いているところへ入る。鬼太郎は通路に近い端へ座り、その隣にキーノ、ハーマイオニー、ロン、ネビルが並んだ。
赤と金の旗の向こうに、黄と黒の飾りが揺れている。
キーノは風に浮いたマフラーを押さえ、競技場の入口を指した。
「あそこか。出てきたぞ」
赤いローブの選手たちが姿を見せた。ハリーは箒を手に、双子の後ろを歩いている。
朝のように肩を小さくしてはいなかった。
「校長先生もいらっしゃるわ」
ハーマイオニーの声で、ロンが振り向いた。
「ほんとだ! これなら、スネイプだって好きにはできないぞ」
鬼太郎も教師の席へ目を向けた。
ダンブルドアの近くにはミネルバがいて、その脇でリー・ジョーダンが実況の準備をしている。
見覚えのある顔を確かめた後、席の間を歩く者も見た。
ターバンは、見当たらない。
もう少し離れた列へ視線を動かしたが、クィレルの姿は見つからなかった。
審判のスネイプが、両チームの間へ出る。
ロンの言う通り、機嫌がよい顔には見えなかった。
笛が鳴った。
選手たちが地面を離れ、赤と黄が空へ広がる。
ハリーも高度を上げた。他の選手の動きから少し外れ、競技場を見渡す位置へ回る。
鬼太郎は箒の先から、柄を握る手へ目を移した。
腕と箒の向きは合っている。急に跳ねたり、本人が向けた方とは別へねじれたりすることもない。
ジョーダンの実況が、頭上から響いた。
グリフィンドールの選手へボールが渡るたびに声が弾み、ミネルバが横から名前を呼ぶ。その時だけ少し言い方が改まるが、次の声援には、もう元の調子が戻っていた。
「痛っ」
ロンの声がした。
振り向くと、彼が後頭部を押さえている。その後ろで、マルフォイが身を引いたところだった。
「そんなところにいたのか、ウィーズリー」
両脇にはクラッブとゴイルがいた。
「見えてただろ。手を引っ込めろよ」
「前を見ようとしただけだよ。ポッターが、今度はどれくらい箒に乗っていられるかと思ってね」
クラッブが笑った。
ロンの顔が、たちまち赤くなる。
「ハリーの方が、お前なんかよりずっと上手い」
「そうかな。前の試合じゃ、ぶら下がってる方が長かったみたいだけど」
「ロンさん」
鬼太郎は、腰を浮かせかけた彼へ声を掛けた。
「ハリーさんの実力なら、見ていれば分かるでしょう。ここで言い返さなくても」
「そんなこと分かってるよ」
ロンがこちらを見た。
「ハリーが下手だなんて、思ってない。あいつがああやって言うのが腹立つんだ」
鬼太郎は、続けようとした言葉を止めた。
「……そういうことですか」
「そうだろ」
「そこは、私も分かる」
キーノまで言った。
鬼太郎が二人を見比べた時、競技場から鋭い笛が聞こえた。
黒いローブの近くを、ブラッジャーが飛び去っていく。打ったジョージへスネイプが何か言い、ハッフルパフの方を示した。
「今の、当たってないだろ!」
ロンが身を乗り出した。
マルフォイも、その肩越しに試合を見ていた。
鬼太郎はスネイプの位置を追った。ハリーのそばに留まっているわけではない。ボールと選手を追い、笛を使っている。
教師の席では、ダンブルドアが空を見ていた。
クィレルは、まだ見えない。
「グリフィンドールは、気の毒な奴をチームに入れてあげるのかな」
後ろの声に、ロンの背中がまた固くなった。
「親がいないポッターに、金がないウィーズリー。だったら、ロングボトムも入れてもらえばいい」
マルフォイは、今度はネビルを覗き込んだ。
「箒の乗り方を覚えられれば、だけどね」
ネビルが膝の上でローブを掴んだ。
顔は赤くなったが、すぐに下を向くことはしなかった。
後ろへ向き直り、マルフォイを見る。
「僕だって、お前なんかに負けない」
声の最後が、少し震えた。
クラッブとゴイルが笑い出す。それでも、ネビルは前へ向き直らなかった。
「よく言った、ネビル」
ロンが彼の肩へ手を置いた。
鬼太郎も、ネビルの顔を見た。
言い返せば、もっと笑われるかもしれない。それは、言う前から分かっていただろう。声が震えるくらいには、嫌な相手なのだ。
それでも、黙って聞く方をやめた。
キーノが立ち上がった。
「試合を見ないなら、よそへ行け」
マルフォイの笑みが薄くなる。
「僕たちも観戦してるんだよ」
「悪口を言っているだけだろう。見てるのは、こっちの顔ばかりだ」
鬼太郎は彼女を見上げた。
キーノは試合を見に来たのだろうし、友人へ向けられた言葉にも腹を立てていた。その顔を見れば、冗談で割り込んだのではないと分かった。
「ハリー!」
ハーマイオニーが叫んだ。
鬼太郎は空へ顔を戻す。
ハリーが急に高度を落としていた。
柄へ体を伏せ、斜め下へ進んでいる。腕は伸びきっておらず、顔も進む先へ向いていた。
落とされている動きではない。
鬼太郎も座席から腰を上げた。
観客の頭の間を、赤いローブが速く下りていく。
「見ろよ、ウィーズリー。地面に小銭でも落ちてたらしい」
ロンが振り向いた。
今度は、言い返す声が聞こえなかった。
座席へ手をつく。後ろの列へ身を乗り出し、マルフォイのローブを掴んだ。
「何をする――」
二人が背もたれの向こうへ倒れ込んだ。
クラッブとゴイルが立ち上がる。
ネビルは一瞬だけロンの消えた方を見て、それから座席を越えた。
太い腕が、その肩へ伸びる。
「二人で一人に行くな!」
キーノがゴイルの袖を掴んだ。
引かれたゴイルが振り向き、彼女の腕を押し返す。キーノの足が座席の端へ当たった。
膝を曲げ、空いた手を背もたれへつく。
踏みとどまると、その手で今度はゴイルの胸を押した。相手も袖を引かれていたため、通路側へ体が傾く。
キーノまで一緒に引かれ、二人の頭が座席の間へ下がった。
鬼太郎は短く息を吐いた。
キーノさんまで、ご自分からですか。
席を離れ、揉み合いの外へ寄る。
彼女のマフラーが長く垂れ、ゴイルの靴の近くに落ちていた。鬼太郎は端を拾い、首を引かないよう緩みを残して、隣の背もたれへ寄せた。
キーノはゴイルのローブへしがみつき、振りほどこうとする腕を追って身を低くしている。
ネビルはクラッブに押されながら、その腹へ肩を当てていた。ロンとマルフォイは互いの服を離さない。
杖を抜く手は見えなかった。
手すりまでは、まだ座席が二列ある。今いるところから転がっただけで、外へ落ちる位置でもない。
鬼太郎は伸ばしかけていた手を引いた。
誰かに引きずり込まれたのなら、引き戻す。けれど、キーノは自分で相手の袖を掴んだ。押し返されるたびに間へ入るのでは、彼女はいつ手を放せばいいのかさえ、自分で決められなくなる。
ロンが顔を殴られ、短く呻いた。
それでも、相手のローブを掴む手は緩めなかった。
ハーマイオニーは座席の上で、空に向かって声を張っている。
鬼太郎も、ハリーへ目を戻した。
赤いローブの先に、黒い審判の姿があった。
スネイプが振り向く。
ハリーはその肩のすぐ脇を抜けた。
下では土が近づいている。赤い体が箒と一緒に傾き、落ちる線から、地面に沿う線へ変わった。
片手が伸びる。
遠くて、指の先までは見えなかった。
しかし次の瞬間、ハリーは腕を高く掲げた。
その手に、金色が光った。
「捕まえた! ハリーが捕まえたわ!」
ハーマイオニーの声に、実況と歓声が重なった。
グリフィンドールの旗が、一斉に跳ね上がる。
笛が鳴ってから、五分も経っていなかった。
鬼太郎は、掲げられた腕と、箒の上の体を見た。
最後の降下でも、箒は勝手に動かなかった。ハリーが向けた方へ曲がり、伸ばした手が獲物へ届いた。
スネイプは地面へ下りると、唇を固く結んだ。
教師の席では、ダンブルドアが立ち上がっていた。クィレルは、最後まで見つからなかった。
校長がいたためか。前の試合で気にした教師が、今回はここにいなかったためか。
あるいは、別に理由があるのか。
鬼太郎はスネイプの顔から、足元へ目を戻した。
こちらでは、まだ試合が終わっていないらしい。
「ロン! もう終わったのよ!」
ハーマイオニーもようやく下を見て、言葉を止めた。
「何をやってるの!」
「勝ったのか?」
ロンが顔を上げた。鼻の下に、赤い筋ができている。
「勝ったわ。ハリーが捕まえたの!」
ロンの顔が明るくなった。
「ほらな!」
目の前のマルフォイへ言う。
マルフォイは片目の周りを赤くして、掴まれた袖を振り払った。
「キーノさん。試合が終わりましたよ」
「聞こえた」
キーノがゴイルの袖を放す。
背もたれへ片手をつき、立ち上がった。乱れた髪が頬へ掛かり、片方の膝には埃がついている。
ゴイルも起き上がったが、彼女はもう手を伸ばさなかった。
ネビルは座席へ腰を落とし、息をしていた。鬼太郎が声を掛けると、顔を上げる。
「立てますか」
「うん……ちょっと待って」
ロンが自分の鼻を袖で拭き、ネビルの腕を支えた。
マルフォイは連れの二人を呼んだ。何か言いかけたが、周囲の歓声が大きくなり、その声は聞こえなかった。
背中が人の間へ消えてから、キーノが膝を曲げ伸ばしした。
「ぶつけましたか」
「少しな。歩ける」
一歩踏み、体重を移す。
鬼太郎はそれを見てから、背もたれのマフラーを渡した。
「次は足の置き場も見てくださいね。ここは、ゴイルさんより座席の方が動きませんから」
「見てたなら、少し手伝えばよかっただろ」
「僕はハリーさんの試合を見に来たんですが」
キーノがこちらを見た。
「それに、止めてほしかったわけでもないでしょう」
「……それは、そうだが」
彼女はマフラーを巻き直し、空になった競技場の上を見た。
「捕まえるところ、見損ねた」
「ええ。よい飛び方でしたよ」
「後でハリーに聞く」
悔しそうな声だった。
ハーマイオニーが、ロンへ畳んだ布を渡す。
「鼻に当てて。それから、医務室へ行きましょう。ネビルも、キーノもよ」
「私は歩けると言ったぞ」
「歩けるだけで決めないで。どこをぶつけたか、ちゃんと診てもらうの」
キーノは鬼太郎を見た。
「診ていただく方がよいですね」
「さっきは見ていただけなのに」
「今は、試合が終わりましたから」
彼女は呆れたように息を吐いた。
それでも、医務室へ行くことには、それ以上反対しなかった。
◆
地面へ下りてから、ハリーは何度も肩を叩かれた。
ウッドが笑い、フレッドとジョージが両側から背を押す。ついさっきまで上から見ていた競技場が、人と旗で埋まっていった。
手の中で、スニッチの羽が指へ触れる。
自分で見つけて、捕まえた。
落ちそうなところを助けられたのでも、偶然口へ入ったのでもない。どこへ飛ぶか決め、スネイプを避け、地面へぶつからずに手を伸ばした。
その時の風を、まだ頬に感じる気がした。
人の間からダンブルドアが近づいた。
肩に手が置かれる。
「見事じゃった、ハリー」
近くでだけ聞こえる声だった。
「よいものに打ち込んでおるようじゃの」
ハリーは笑って頷いた。
鏡で見た家族は、忘れたわけではない。
けれど、今は今日のことを話したかった。スニッチを最初に見た場所も、スネイプが振り向いた顔も、最後に地面から箒を起こした時のことも。
向こうから、ロンたちが来る。
鼻に当てられた布を見て、ハリーは目を丸くした。
「どうしたの?」
「マルフォイだよ。でも、僕も殴ってやった」
ロンは鼻声で、誇らしげに答えた。
ネビルのローブも、キーノの髪も乱れている。ハーマイオニーの説明を聞いて、ハリーは困ったように笑った。
「試合、見てたんだよね?」
「途中まではな」
キーノが答えた。
「最後は僕が見ていましたよ」
鬼太郎が隣から言った。
「先生の脇を抜けた後も、箒がぶれませんでしたね」
「あそこを通らないと、スニッチに逃げられそうだったんだ」
「ええ。僕には、手を伸ばしたところまでしか見えませんでしたが」
ハリーは握っていた手を少し開いた。
金色の羽に、キーノが顔を近づける。
「どこで見つけたんだ。ずっと高いところにいたのか?」
「最初は、あっちのゴールの方。僕より低いところに見えて――」
ハリーは空いた手で、飛んだ道を示した。
キーノはその指を追い、ロンまで振り向いて競技場を見る。
鬼太郎も一度そちらを見た。視線の先には、他の教師から離れて歩く黒いローブがあったが、追おうとはしなかった。
「それで、ここから下がったんだよ」
ハリーが続けると、キーノはもう一度、スニッチを見た。
「……やっぱり、見たかったな」
ロンが笑い、布を鼻へ押し当て直した。