神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

12 / 24
狂った照準

第十一話 狂った照準

 

「燃やすな」

 

 買い手は、机の上へ四つの品を並べた。

 

 丸い印章。

 

 何も記入されていない身分証明書。

 

 同じ大きさに切り揃えられた紙。

 

 手のひらに収まるほどの黒い帳面。

 

 どれも実物ではなく、形を確認するために用意された見本だった。

 

「回収するのは、これと同じものですか?」

 

 墓場鬼太郎は、身分証明書の見本を持ち上げた。

 

「印章は二つ。記入前の証明書が十二枚。専用の用紙が二十枚。それから帳面が一冊だ」

 

「一枚でも足りなければ?」

 

「報酬は減る」

 

「帳面には何が?」

 

「偽造屋の取引相手だ」

 

「それが外へ出れば、困る方が大勢いるのでしょうね」

 

「だから取り戻す」

 

 買い手は四人分の写真を出した。

 

 最初の写真には、四十歳ほどの大柄な男が写っている。

 

「マルコ・ディネフ。偽造屋の護衛をしていた男だ。残る三人も、同じ仕事をしていた」

 

「内情を知ったうえで、道具を持ち出したのですか?」

 

「偽造屋のところへ来る客も、道具を買いたがる相手も知っていた。護衛を一人殺して、全部持って逃げた」

 

「四人とも、生死は?」

 

「問わない」

 

「品を回収できればよい、と」

 

「そうだ」

 

 鬼太郎は、机に並んだ紙へ目を落とした。

 

 アギを使えば燃える。

 

 火を消すために水をかけても、文字を書く前の紙は使えなくなるかもしれない。

 

 印章だけ残っても、依頼は達成できない。

 

「この偽造屋は、僕の書類も作れますか?」

 

 買い手は答える前に、鬼太郎を見た。

 

「国境を越えるための書類か」

 

「ええ」

 

「今回の品を全部取り戻せば、話はしてやる」

 

「作っていただけるのですね?」

 

「話をすると言った。作るとは言っていない」

 

「随分と慎重ですね」

 

「六歳の子供を一人で国境の外へ出す書類だ。名前と年齢を書けば終わるものじゃない」

 

「では、まず話をしていただきましょう」

 

 鬼太郎は四人の写真を重ねた。

 

「お受けします」

 

     ◆

 

 西へ向かう車は、前と同じ道を走った。

 

 鬼太郎は荷台の木箱の間へ座っている。

 

 最初に通ったときは、曲がるたびに外を見た。

 

 今回は、見なくても次に何があるか分かる場所が増えていた。

 

 長い坂を下りた後に橋を渡る。

 

 鉄道と並んで走る。

 

 二つ目の村を過ぎると、道が荒くなる。

 

 車が大きく跳ねる場所では、先に木箱へ手をついた。

 

 二日目の夕方。

 

 鬼太郎は、前回と同じ丘の手前で車を降りた。

 

「また五日後だ」

 

 運転手が言った。

 

「今度も、待ってはいただけませんか?」

 

「一度で覚えろ」

 

「覚えていますよ。確認しただけです」

 

 運転手は返事をせず、車を発進させた。

 

 鬼太郎は丘を下る。

 

 前回は、すべてが見知らぬ場所だった。

 

 今は、町へ入る道も、宿の場所も分かっている。

 

 同じ宿の主人は、鬼太郎を見ると眉を上げた。

 

「父親は見つかったんじゃなかったのか」

 

「見つかりましたよ」

 

「なら、今度は何だ」

 

「父に頼まれて、先に来ました」

 

「六歳の子供を一人で?」

 

「父は、僕なら大丈夫だと思っているようです」

 

 主人は納得していない。

 

 だが、鬼太郎が先に一日分の金を出すと鍵を渡した。

 

 前と同じ説明を使い続ければ、いずれ不自然さが積み重なる。

 

 別の名前。

 

 別の家族。

 

 この町へ来る理由。

 

 西で活動を続けるなら、それらも用意する必要があった。

 

     ◆

 

 翌朝、買い手の現地の協力者は、小さな倉庫の中で鬼太郎を待っていた。

 

 前回、ステファン・ミハイロフの死亡を確認した男だった。

 

「またお前か」

 

「お久しぶりです」

 

「何日も経っていない」

 

「では、またお会いしましたね」

 

 男は机の上へ町の地図を広げた。

 

 中心から南東へ離れた場所を指す。

 

「古い製材所だ。マルコたちは、ここにいる」

 

「確認されたのは、いつです?」

 

「今朝だ。食料を運ばせている」

 

「中へ入った方は?」

 

「一人いる。まだ戻っていない」

 

「殺されたと思いますか?」

 

「帰す必要がないと判断されたか、金を渡されて残ったかだ」

 

「回収する品は?」

 

「二階の事務室に置いてあるらしい」

 

「四人は、僕が来ることを知っていますか?」

 

「依頼を誰が受けたかまでは知らん。だが、前の採石場の話は町へ広がっている」

 

「火と銃を使う子供ですか?」

 

「今は、葡萄畑でステファンを殺した話も加わっている」

 

 鬼太郎は地図を見た。

 

 噂が仕事を運んでくることもある。

 

 同時に、相手へ準備する時間も与える。

 

「製材所の見取り図は?」

 

「ない。昔、材木を積みに行った奴の話なら聞いた」

 

 男は地図の余白へ、建物の形を描いた。

 

 一階は広い作業場。

 

 正面と裏に大きな扉。

 

 奥に二階へ上がる階段がある。

 

 二階には事務室と、作業場を見下ろす通路。

 

「木が多そうですね」

 

「製材所だからな」

 

「アギは使わない方がよさそうです」

 

「あぎ?」

 

「僕が使う火の名前ですよ」

 

 男は、それ以上尋ねなかった。

 

     ◆

 

 製材所は、町から離れた林の中にあった。

 

 鬼太郎が着いたのは、日が沈む前だった。

 

 建物の周囲には、切り倒された丸太と板材が積まれている。

 

 窓の半分は板で塞がれていた。

 

 残りの窓も、内側から布が張られている。

 

 鬼太郎は林から出なかった。

 

 正面の扉。

 

 裏口。

 

 割れた小窓。

 

 屋根へ上がれそうな場所。

 

 人が出入りした跡を確認する。

 

 夕方、一人の男が正面から出てきた。

 

 写真に写っていた四人のうち、最も若い男だった。

 

 煙草へ火をつける。

 

 男は周囲を見回しながら吸っていた。

 

 だが、林ばかり見ているわけではない。

 

 背後の建物を何度も振り返る。

 

 中にいる仲間も警戒しているようだった。

 

 煙草を吸い終えると、男は正面扉の脇へ椅子を出した。

 

 銃を膝へ置いて座る。

 

 しばらくして、裏口から別の男が出た。

 

 こちらも銃を持っている。

 

 正面と裏を一人ずつ。

 

 残る二人は中にいる。

 

 鬼太郎は、暗くなるまで待った。

 

     ◆

 

 夜。

 

 鬼太郎は、建物の横へ回った。

 

 板で塞がれた窓の一つに、細い隙間がある。

 

 中から声が聞こえた。

 

「明日の朝には動かす」

 

 低い男の声。

 

「どこへだ」

 

「買い手は俺が決める」

 

「俺たちには教えないつもりか、マルコ」

 

「教えれば、お前が先に売るだろう」

 

「最初から、俺たちへ金を渡す気がないんじゃないのか」

 

 何かが床へ倒れた。

 

「だったら、今ここで抜いてみろ」

 

 しばらく声が止まる。

 

 銃を向け合ったのかもしれない。

 

「やめろ。外に聞こえる」

 

「外には二人いる」

 

「あのガキが来たら、どうする」

 

「火を使わせるな。姿を見たら撃て」

 

「紙は二階だ。火を出したら、先に全部燃やす」

 

 鬼太郎は隙間から中を見た。

 

 広い作業場。

 

 使われなくなった機械。

 

 床には木屑が残っている。

 

 奥の階段前に、一人の男が立っていた。

 

 マルコは二階にいる。

 

 正面。

 

 裏口。

 

 階段。

 

 それぞれに銃を持った男がいる。

 

 マルコも武装している。

 

 アギを使えば、床の木屑から壁へ火が回る。

 

 二階の紙を燃やすには十分だった。

 

 〈シュライク〉で正面の男を撃てば、銃声で残る三人が動く。

 

 鬼太郎が一人を狙っている間に、別の銃口が向けられる。

 

 四人全員を、こちらへ撃たせずに倒す必要はない。

 

 誰かが、自分の代わりに撃てばよい。

 

 鬼太郎は、正面扉の脇に座る若い男を見た。

 

 煙草を持つ指が、落ち着きなく動いている。

 

 扉の内側で物音がするたびに振り返る。

 

 林よりも、仲間を気にしている。

 

 彼らが互いを敵だと思えばよい。

 

 そう考えた瞬間だった。

 

     ◆

 

 崩れた建物。

 

 赤黒い空。

 

 銃を持つ影が、自分を探している。

 

 一人ではない。

 

 互いに声を掛け、同じ場所へ向かっていた。

 

 鬼太郎は、物陰から彼らを見ている。

 

 炎を放った記憶ではない。

 

 銃を撃った記憶でもない。

 

 もっと柔らかい場所へ、指を差し込むような感覚。

 

 頭の中へ触れる。

 

 見えているものと、聞こえているものを混ぜる。

 

 仲間の声を敵の声へ。

 

 隣に立つ者の顔を、殺すべき相手へ。

 

 影の一人が振り返った。

 

 その銃口が、鬼太郎ではなく仲間へ向く。

 

 名前が浮かんだ。

 

 ずっと知っていた言葉が、霞の中から戻ってくる。

 

 鬼太郎は、若い見張りへ左手を向けた。

 

「プリンパ」

 

 炎は出なかった。

 

 音も光もない。

 

 何も起きなかったように見えた。

 

 若い男が、煙草を地面へ落とした。

 

     ◆

 

「誰だ」

 

 男が立ち上がった。

 

 林へ銃を向ける。

 

 鬼太郎は動かなかった。

 

「そこにいるのか」

 

 誰かの足音が聞こえたのだろう。

 

 だが、足音は建物の中から近づいていた。

 

 階段を守っていた男が、正面扉へ向かっている。

 

「何をしてる」

 

 内側から声がした。

 

 若い男が振り返る。

 

「来るな」

 

「何だ?」

 

「来るな!」

 

 扉が開いた。

 

 階段を守っていた男が顔を出す。

 

 若い男の目が大きく開いた。

 

「お前――」

 

 銃声。

 

 若い男が発砲した。

 

 扉から出てきた男の胸が跳ねる。

 

「何しやがる!」

 

 撃たれた男も、倒れながら銃を向けた。

 

 二発目の銃声。

 

 若い男の身体が椅子へぶつかる。

 

 椅子ごと地面へ倒れた。

 

 鬼太郎は林から出ようとした。

 

 その前の木へ、弾丸が当たった。

 

 若い男は倒れたまま、銃を握っている。

 

 銃口が林の方へ向いていた。

 

「いる……そこにもいる……」

 

 何が見えているのかは分からない。

 

 仲間だけを敵だと思っているわけではなかった。

 

 音のする場所。

 

 動く影。

 

 そのすべてへ怯えている。

 

 男がもう一度引き金を引く。

 

 弾丸は鬼太郎から離れた木へ当たった。

 

 鬼太郎は身を低くして、建物の側面へ走った。

 

 命令したわけではない。

 

 誰を撃てとも言っていない。

 

 敵と味方の区別が崩れただけだった。

 

     ◆

 

 裏口の見張りが、銃声を聞いて移動する。

 

 扉から離れ、建物の角へ向かった。

 

「何があった!」

 

 鬼太郎は、男が通り過ぎるまで積まれた板材の陰で待った。

 

 背中が見える。

 

 〈シュライク〉を抜く。

 

 両手で構える。

 

 引き金を絞った。

 

 弾丸が背中へ入った。

 

 男は振り返ろうとしたが、足に力が入らない。

 

 地面へ倒れた。

 

 鬼太郎は近づかず、裏口へ走った。

 

 扉は開いている。

 

 中へ入る。

 

 床へ木屑が積もっていた。

 

 アギは使えない。

 

 正面扉の前には、撃たれた二人が倒れている。

 

 階段を守っていた男は動かない。

 

 若い男は身体を震わせていた。

 

 銃は手から離れている。

 

 鬼太郎は階段へ向かった。

 

 頭の奥に、鈍い痛みがある。

 

 走ったせいではない。

 

 プリンパを使った直後から続いている。

 

 二階で扉が閉まる音がした。

 

 マルコが事務室へ入った。

 

 鬼太郎は階段を上がる。

 

     ◆

 

 二階の通路から、作業場全体が見下ろせた。

 

 事務室の扉は閉じている。

 

 鬼太郎が近づくと、内側からマルコの声がした。

 

「来るな!」

 

 鬼太郎は扉の横で足を止めた。

 

「墓場鬼太郎と申します」

 

「知ってる!」

 

「それは話が早いですね。盗んだものを、すべて渡してください」

 

「入ってきたら燃やすぞ!」

 

 扉の隙間から、僅かに灯油の臭いがする。

 

 火をつける準備をしていた。

 

「燃やせば、あなたを殺して終わりになります」

 

「欲しいものがなくなるぞ」

 

「ええ。報酬も減ります。ですから、できればやめてください」

 

「銃を捨てろ!」

 

「それはできません」

 

「なら、全部燃やす!」

 

 鬼太郎は返事をしなかった。

 

 マルコが本当に火をつけるなら、話を続けても止められない。

 

 事務室には、廊下側の扉のほかに小さな窓がある。

 

 建物を調べたとき、外から位置を確認していた。

 

 鬼太郎は扉から離れた。

 

 足音を消し、通路の端へ向かう。

 

 古い手すりへ足をかけた。

 

 窓の外には、屋根を支える太い梁が伸びている。

 

 六歳の身体なら通れる隙間があった。

 

 鬼太郎は手すりを越え、梁へ身体を移した。

 

 下を見ない。

 

 両手と膝を使い、事務室の窓へ進む。

 

 窓には薄い板が打ちつけられていた。

 

 隙間から中を見る。

 

 マルコは扉へ銃を向けている。

 

 机の上には、紙の束と黒い帳面が置かれていた。

 

 その横に、灯油を染み込ませた布と火のついた蝋燭がある。

 

 マルコの左手は、紙の束を掴んでいた。

 

 投げれば、蝋燭へ届く。

 

 鬼太郎は板へ指をかけた。

 

 ゆっくり外す。

 

 小さな音がした。

 

 マルコが振り返る。

 

 鬼太郎は窓から〈シュライク〉を向けた。

 

 銃声。

 

 弾丸がマルコの左腕へ入る。

 

 紙の束が机へ落ちた。

 

 マルコは右手の銃を窓へ向ける。

 

 鬼太郎は梁へ伏せた。

 

 発砲。

 

 板の破片が頭上へ飛ぶ。

 

 鬼太郎は窓から離れ、再び通路側へ戻った。

 

 事務室の扉が開く。

 

 マルコが飛び出した。

 

 左腕から血が流れている。

 

 鬼太郎は、通路の低い棚へ身を隠していた。

 

 マルコは窓の方向を見ている。

 

 鬼太郎は左手を上げた。

 

 先ほどと同じ感覚を探す。

 

 相手の頭へ触れる。

 

 見えているものを混ぜる。

 

「プリンパ」

 

 何も起きなかった。

 

 頭の奥へ、鋭い痛みが走る。

 

 視界が一瞬揺れた。

 

 マルコは振り返る。

 

 目は鬼太郎を正しく捉えていた。

 

「そこか!」

 

 鬼太郎は棚の陰から転がるように出た。

 

 銃声。

 

 弾丸が棚を砕く。

 

 頭痛のせいで、〈シュライク〉を持つ右手まで重く感じる。

 

 鬼太郎は壁へ背をつけた。

 

 思い出したばかりの力を、使える力と考えた。

 

 それが間違いだった。

 

 一度は使えた。

 

 二度目も使えるとは限らない。

 

 鬼太郎は左手を下ろした。

 

 使えないものへ、これ以上時間を使わない。

 

 マルコが近づく。

 

 鬼太郎は銃を両手で構え直した。

 

 足音が棚の前へ来る。

 

 先に、銃を持つ右手が見えた。

 

 鬼太郎は引き金を絞る。

 

 弾丸がマルコの脇腹へ入った。

 

 男の身体が壁へぶつかる。

 

 銃が床へ落ちた。

 

 マルコは左腕と脇腹を押さえながら、膝をついた。

 

 それでも、鬼太郎へ手を伸ばす。

 

「そのまま動かないでください」

 

「くそ……ガキが……」

 

「回収するものが、すべて揃っているか確認します。それまで生きていてください」

 

 鬼太郎はマルコへ銃口を向けたまま、事務室へ入った。

 

     ◆

 

 印章は二つ。

 

 記入前の身分証明書は十二枚。

 

 専用の用紙は二十枚。

 

 黒い帳面が一冊。

 

 鬼太郎は、買い手から渡された一覧と照らし合わせた。

 

 紙の端に血がついていないことも確認する。

 

 蝋燭の火を消す。

 

 灯油を染み込ませた布を、机から離れた床へ落とした。

 

 回収品を布で包み、自分の鞄へ入れた。

 

 通路へ戻る。

 

 マルコは壁にもたれたまま、呼吸を荒くしていた。

 

「全部あったか」

 

「ええ」

 

「なら、助けろ」

 

「その条件はありません」

 

「金ならある」

 

「あなた方が盗んだ現金ですか?」

 

「どの金でも同じだろう」

 

「依頼を捨てるほどの額ではありませんね」

 

 マルコは、床に落ちた自分の銃を見た。

 

 手を伸ばしても届かない。

 

「俺を連れていけば、もっと払わせる」

 

「誰にです?」

 

「知りたい奴を知ってる。国境の外へ行きたいんだろ」

 

 鬼太郎は僅かに首を傾けた。

 

「どなたですか?」

 

「先に、銃を下ろせ」

 

「名前を聞いてから考えます」

 

「俺を殺せば聞けないぞ」

 

「あなたの仲間だった方々も、何かご存じかもしれません」

 

 マルコの目が階段へ動いた。

 

 正面にいた二人の銃撃は止まっている。

 

 裏口を守っていた男も戻ってこない。

 

「全員、殺したのか」

 

「まだ確認していません」

 

 マルコは黙った。

 

 右手が、ゆっくり上着の内側へ入る。

 

 鬼太郎は止めなかった。

 

 手が出てくる。

 

 小さなナイフが握られていた。

 

 マルコが立ち上がろうとする。

 

 鬼太郎は引き金を絞った。

 

 弾丸が胸へ入った。

 

 マルコの身体から力が抜ける。

 

 壁を滑り、床へ倒れた。

 

「残念です」

 

 鬼太郎は、男の呼吸が止まったことを確かめた。

 

     ◆

 

 一階へ下りる。

 

 階段を守っていた男は、胸を撃たれて死亡していた。

 

 若い男も、撃ち返された弾を腹に受けていた。

 

 まだ息はある。

 

 だが、鬼太郎が近づくと、床にない銃を探すように手を動かした。

 

「……来るな」

 

 男の目は鬼太郎を見ていない。

 

 天井と壁の間を行き来している。

 

「誰だ……誰がいる」

 

 プリンパの効果が、まだ僅かに残っている。

 

 鬼太郎は少し離れた場所で男を観察した。

 

 命令を聞く様子はない。

 

 仲間を憎んだわけでもない。

 

 見えているものと聞こえているものが、正しく結びつかなくなっている。

 

 鬼太郎が動けば、その音へ怯える。

 

 外で枝が鳴っても、同じように身体を震わせる。

 

「便利ではありますが、随分と雑な魔法ですね」

 

 男は答えなかった。

 

 やがて目の動きが遅くなる。

 

 プリンパが解けたのか、出血で意識を失ったのかは分からない。

 

 鬼太郎は、男の近くに落ちていた銃を拾った。

 

 弾倉を抜く。

 

 スライドを引き、薬室の弾を排出する。

 

 弾倉と排出した弾、銃本体をそれぞれ離れた場所へ投げた。

 

 裏口の男は、鬼太郎が撃った場所で死亡していた。

 

 四人のうち、三人が死亡。

 

 一人は重傷。

 

 依頼は生死を問わない。

 

 鬼太郎は、若い男にとどめを刺すためだけに戻りはしなかった。

 

 回収品を持ち、製材所を出た。

 

 頭痛は消えていない。

 

 左手へ意識を向けても、先ほどの感覚は掴めなかった。

 

 以前にプリンパを使っていた。

 

 その記憶は戻った。

 

 だが、知っていることと、現在の身体で自由に使えることは違う。

 

 〈シュライク〉を初めて撃ったときと同じだった。

 

     ◆

 

 現地の協力者は、回収品を一つずつ数えた。

 

「印章が二つ」

 

 机へ置く。

 

「証明書が十二枚」

 

 紙の端を見る。

 

「用紙が二十枚。帳面が一冊」

 

 最後に黒い帳面の頁を開き、中身を確認した。

 

「全部ある」

 

「燃えても、濡れてもいません」

 

「製材所で火を使わなかったのか」

 

「ええ」

 

「どうやって四人を相手にした」

 

「一人に、仲間が敵に見えるよう混乱していただきました」

 

 男が顔を上げる。

 

「何をした?」

 

「以前に使っていた魔法を、一つ思い出したようです」

 

「火以外にもあるのか」

 

「あるようですね」

 

 鬼太郎は、左手を開いた。

 

「ただし、相手を自由に動かせるものではありません。一度は仲間を撃ちましたが、僕の方にも撃ってきました」

 

 男は鬼太郎の左手から距離を取った。

 

「俺には使うな」

 

「今は使おうとしても、使えませんよ」

 

「今は、か」

 

「ええ」

 

 男は回収品を包み直した。

 

「買い手には、全部揃っていたと伝える」

 

「お願いします」

 

 鬼太郎は、包み直された回収品を鞄へ戻した。

 

     ◆

 

 帰りの車へ乗るまでの二日間、鬼太郎はプリンパを使わなかった。

 

 使おうとはした。

 

 宿の部屋で、戦いの感覚を思い出す。

 

 相手の意識へ触れる感覚。

 

 敵と味方を混ぜる感覚。

 

 だが、対象がいない場所で唱えても何も起こらない。

 

 町を歩く人間へ試せば、成功したかどうかは分かる。

 

 鬼太郎は実行しなかった。

 

 混乱した人間が通りで銃を抜けば、帰りの車へ乗る前に騒ぎになる。

 

 効果も距離も、まだ分からない。

 

 利益のない場所で使う理由はなかった。

 

 頭痛が消えたのは、翌日の昼だった。

 

 さらに一日休み、決められた朝に丘へ向かった。

 

     ◆

 

 元の街へ戻ると、鬼太郎は鞄から回収品の包みを出した。

 

 買い手が、机の上へ一つずつ並べる。

 

「全部確認した」

 

 買い手が言った。

 

「では、報酬を」

 

「その前に聞く」

 

 買い手は、黒い帳面を閉じた。

 

「四人が、勝手に撃ち合ったそうだな」

 

「勝手に、というわけではありません」

 

「お前が何かしたのか」

 

「プリンパという魔法です」

 

「どんな火だ」

 

「火ではありません。相手の頭を混乱させます」

 

 買い手の後ろに立つ部下が、僅かに姿勢を変えた。

 

 鬼太郎の左手を見ている。

 

「人を操れるのか」

 

「いいえ。できるのは、見えているものや聞こえているものを混ぜることだけのようです」

 

「仲間を撃たせた」

 

「僕の方にも撃ってきましたよ」

 

「私にも使えるのか」

 

「分かりません」

 

「試すな」

 

「今のところ、あなたを混乱させて得られるものはありませんからね」

 

「得られるものがあれば使うのか」

 

「そのときに考えます」

 

 鬼太郎は穏やかに答えた。

 

 買い手は、しばらく鬼太郎を見ていた。

 

 机の上へ報酬を置く。

 

 鬼太郎は金額を確認し、鞄へ入れた。

 

「偽造屋との話は?」

 

「始める」

 

「僕の書類を作っていただけるのですね?」

 

「何を作るか決めるところからだ」

 

 買い手は、回収した記入前の証明書を一枚持ち上げた。

 

「お前を、どこの国の子供にする」

 

「僕は僕ですが」

 

「書類の上での話だ。今の名前を使うのか。別の名前を作るのか。誰の子供として国境を越えるのか」

 

「一人では不自然ですか?」

 

「当然だ。六歳児が一人で何か国も越えれば、書類が本物でも止められる」

 

「では、保護者も必要ですね」

 

「書類の上だけでは足りん。実際に連れていく人間も必要だ」

 

「途中で僕を売らない方がよいですね」

 

「それも含めて選ぶ」

 

 英国へ入るための道は、前より具体的になった。

 

 同時に、必要なものも増えた。

 

 書類。

 

 名前。

 

 偽の家族関係。

 

 国境を越えるための人間。

 

 そして、そのすべてへ支払う金。

 

「準備が整うまで、どれほどかかります?」

 

「急ぐな。偽造屋が道具を調べ、使えるか確認する。話はその後だ」

 

「分かりました」

 

 鬼太郎は立ち上がった。

 

     ◆

 

 ペタル・ヴァルチェフは、〈シュライク〉を分解していた。

 

 鬼太郎は作業台の前に座っている。

 

「四発か」

 

「ええ」

 

「言いつけは守ったな」

 

「ほかの方が、二人分撃ってくださいましたから」

 

 ペタルの手が止まる。

 

「仲間ができたのか」

 

「いいえ」

 

 鬼太郎は左手を見た。

 

「以前に使っていた魔法を、一つ思い出しました」

 

「火とは違うのか」

 

「ええ。相手の頭を、少々おかしくするものです」

 

「それで同士討ちをさせた」

 

「させた、というほど正確ではありません。敵と味方の区別を失わせただけです。僕にも撃ってきましたから」

 

「使えるのか」

 

「一度は。二度目は失敗しました」

 

 ペタルは再び〈シュライク〉へ目を落とした。

 

「頭が痛むか」

 

「今は、もう」

 

「なら今日は撃つな」

 

「手首は痛みませんよ」

 

「頭が痛んでいた人間に、銃を撃たせる気はない」

 

「それも以前に聞いた気がしますね」

 

「聞いても撃つから、何度でも言う」

 

 鬼太郎は反論しなかった。

 

 作業台の上には〈シュライク〉がある。

 

 左手にはアギがある。

 

 そして今は、プリンパという名前も戻った。

 

 使えるものが一つ増えた。

 

 だが、一度使えたからといって、いつでも使えるわけではない。

 

 どの相手にも効くとは限らない。

 

 混乱した相手が、自分に都合よく動くとも限らない。

 

 鬼太郎は、それを弱い力だとは思わなかった。

 

 使い方の分からない力だと考えた。

 

 ならば、確かめればよい。

 

 どこまで届くのか。

 

 何度使えるのか。

 

 どのような相手には通じないのか。

 

 前世では知っていたはずのことを、現在の身体でもう一度調べる。

 

 ペタルが、整備を終えた〈シュライク〉を箱へ入れた。

 

「今日は持って帰るだけだ」

 

「分かっています」

 

 鬼太郎は箱を受け取った。

 

 英国へ向かう準備と、新しく戻った力の確認。

 

 次に必要なものは、もう決まっていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。