第123話 勝ちに来ました
図書館へ戻った日の夕方、ハーマイオニーが一冊の本を置いた。
「禁止されている理由だけなら、生き物の本にも載っていたわ。処分は、こちらだったの」
細い紙を抜き、頁を開く。
鬼太郎は自分の本を閉じた。
無許可でドラゴンを飼育した場合の押収と移送。人へ被害を出していない場合の、罰金の上限。
四百ガリオン。
その下を読むと、捕獲や一時的な管理、移送に掛かった費用は、飼育者が別に負担するとあった。
「四百だけでは、済まないのか」
キーノが本を覗いた。
「四百ガリオンは、罰金の上限ですね。こちらの費用とは別です」
鬼太郎は二つの段落を順に示した。
捕まえる人手や道具、運ぶ距離まで同じとは限らない。実際に幾ら掛かるかは、この頁だけでは分からなかった。
「飼っていたことだけで、アズカバンへ送られるわけではないんですね」
「この場合に書かれているのは、その処分ね。誰かが怪我をした場合まで、同じとは書かれていないわ」
ハーマイオニーが答えた。
鬼太郎は帳面を開き、押収、罰金、費用を分けて記す。
「それから、払えば飼っていていいという意味でもないのよ」
「ええ。押収されますからね」
書き終えた行へ、もう一度目を戻した。
「助かりました。禁止の理由を読んでいるだけでは、ここまでは分かりませんでした」
「私も、マダム・ピンスに聞くまで、この本は見ていなかったわ」
ハーマイオニーは自分の羊皮紙を寄せ、鬼太郎が読んでいた本を見る。
「生態の方は、どう?」
鬼太郎は挿絵のある頁を開いた。
「寝床や餌の周りへ入るものには、特に警戒するとあります。世話をする人間が置いた餌でも、近づいてよいかは別のようですね」
「小屋の中で、ハグリッドが追い払われるかもしれないのか」
キーノの言葉に、ハーマイオニーが眉を寄せた。
鬼太郎は本を二人の見える方へ向けた。
「人に育てられたから、その人を傷つけない、とは考えない方がよさそうです」
「あの人、自分にだけは違うと思いそうだな」
「ええ。卵を見ている時の顔では、牙が自分の手に向くことまでは、考えていなさそうでした」
続く頁には、力の差を認めた相手に従うことがあっても、人の愛玩動物と同じ意味で懐いたとはいえない、という説明があった。
鬼太郎はそこも確かめた。
逆らわないことと、触られて喜ぶことは違う。そもそも、どんな相手を強いと判断するかまで、人間が決められるわけではなかった。
「ハグリッドには、後ろ半分まで読んでもらわないとな」
キーノが言った。
鬼太郎は小さく笑い、種類ごとの説明へ頁を進めた。
ノルウェー・リッジバック。
黒い体。背へ並ぶ隆起。火を吹く力の発達が早いこと。牙の毒。
卵の図よりも、口を開けた挿絵の方で、キーノの目が止まった。
「小さくても、噛まれたら危ないんだな」
「ええ。傷の大きさだけで、軽く扱わない方がよさそうです」
「火を吹くかばかり、気にしていたわ」
ハーマイオニーは自分の紙へ書き足した。
鬼太郎も、牙についての行を記した。ディアで傷を塞ぐことと、毒を取り除くことを、一緒には考えられなかった。
殻から何が出てくるか、少しずつ分かってきた。
それでも、生まれたものがどう動くかは、まだ見ていない。
◆
「これを話せば、ハグリッドは諦めるか?」
キーノが罰金の記録へ目をやった。
ハーマイオニーは、すぐには頷かなかった。
「難しいかもしれないわ。あんなに嬉しそうだったもの」
「長年、欲しかったものですからね」
鬼太郎も、暖炉の前の大きな背中を思い返した。
孵化する前に手放せと言われて、納得する顔ではなかった。
「危険が増したら、自分で育てるのを終える。その時には、移す費用も、自分が負担するつもりでいる。それを先に決めていただく方が、話は通るかもしれません」
「怪我をした人が出てからでは、遅いわ」
ハーマイオニーが鬼太郎を見る。
「はい。被害が出るまで待つ、という意味ではありません」
鬼太郎は飼育書を閉じずに、卓へ置いた。
「小屋へ収まらなくなる前。世話をする手へ噛みつく前。火の始末が追いつかなくなる前。今のうちなら、いつ終えるかを考えられます」
「その時も、『まだ小さい』と言ったら?」
キーノが尋ねた。
「言いそうね」
ハーマイオニーも続けた。
鬼太郎は二人を見た。
「でしたら、何を見て決めるかまで、話しておく必要がありますね」
「でも、あの人が後から動かせる線では、意味がないわ」
「ええ。それを了承していただけるかも含めて、まだ、本人へ聞いていません」
鬼太郎は帳面へ、ハグリッドに確かめることを書き足した。
世話の代役を引き受けるつもりではない。自分が留守の間まで、ドラゴンを見張ってやることもできない。
本人が願いを叶えるため、何を負担し、どこで終えるかを考える。その話なら、ただ諦めろと繰り返すより、聞くかもしれなかった。
ハーマイオニーは少し考え、自分の紙にも項目を加えた。
「とにかく、手放す話を先延ばしにしないように、伝えましょう」
「はい」
それで決まったのは、五人で提案する内容までだった。
ハグリッドが了承したわけでも、飼育が認められたわけでもない。
夕食の時間が近づくと、ハーマイオニーは借りる本へ紙を挟み直した。
「ハリーとロンにも見せるわ。二人も大広間へ来るでしょう?」
「これを終えてから行く」
キーノは自分の頁を示した。
半時間ごとの給餌を、昼だけのものとして書きかけていた。先ほどの本を見直し、夜間の世話も確認が必要、と直す。
ハーマイオニーは頷き、本を抱えて卓を離れた。
鬼太郎は帳面を閉じかけ、罰金の記録より前にある印へ指を止めた。
ユニコーンの血を調べた頁だった。
◆
血で、死にかけた命を繋ぐ。
完全に治るわけではない。以後の命が一度で保証されるものでもない。
その下には、自分で書いた条件があった。
血を飲んだ場合。
ハグリッドから聞いた被害だけでは、飲まれたかどうかまでは分からない。石を狙う者と、ユニコーンを襲う者が同じだという考えも、確かめられていなかった。
「また、その話か」
キーノが羽根ペンを置いた。
「ええ。もし同じなら、休暇が終わるまで待っていただけるとは限りませんね」
「石の薬が手に入るまで、血で生き延びているならな」
「はい」
鬼太郎は頁を戻した。
呼び寄せた石と、狼の足。炎の薄いところを抜け、予想した進路へ来なかった黒い肩。
授業と練習で、できることは増えた。
ただ、相手も力を出して勝とうとする戦いで、それをどこまで繋げられるかは、まだ知り足りなかった。
「次に戻ったら、グロブニクさんと、本気で勝負したいんです」
キーノは黙って鬼太郎を見た。
「今までも、遊んでいたわけではないだろ」
「ええ。一つ試して、止めて、直す。その時間を頂いていました。今度は、その途中で待っていただかず、勝ちを狙いたいですね」
「怪我をするかもしれないぞ」
「考えています」
鬼太郎は、羽根ペンを置いた。
「ディアがあるから平気だ、とは言うなよ」
「失った血も、疲れも戻りませんね。ですから、休暇の初めにやっておきたいんです」
キーノが彼の手を見た。
今は傷もなく、帳面をめくれる手だった。
「怪我をしても、残りの休暇は休めるからか」
「ええ。本も課題もありますし」
「起き上がれなかったら、どうする」
「寝床で読めると、ありがたいですね」
鬼太郎は少し笑ったが、キーノは笑わなかった。
帳面から手を離し、彼女へ向き直る。
「負けて怪我をするために行くのではありませんよ。勝ちたいんです。そのために避けますし、続けられなくなったら止めます」
「お前だけで決めるのではないぞ」
「もちろん。グロブニクさんが受けてくださるかも、まだ分かりません」
キーノはしばらく顔を見てから、帳面を閉じた。
「それなら、明日だ。先延ばしにして、休む日を減らすな」
鬼太郎は彼女を見た。
「一緒に来ていただけますか」
「行く。止める声も、今まで通り聞けよ」
「はい」
「帰ってから、お前がどこで無理をしたかも言う」
「それは、よく見ていただかなくてはなりませんね」
笑みが深くなると、キーノは呆れたように息を吐き、自分の帳面を鞄へ入れた。
◆
夕食では、ハーマイオニーが二人へ調べた本を見せた。
「四百ガリオン?」
ロンの声が上がりかけ、すぐに小さくなった。
「それに、運ぶ費用も?」
「ええ。払えば飼えるのでもなくて、ドラゴンは押収されます」
鬼太郎が答えると、ハリーは眉を寄せた。
「ハグリッド、手放せるかな」
「だから、いつ終えるかを先に話す案を考えたの。危なくなってから決めるのでは遅いもの」
ハーマイオニーは、図書館で話したことを説明した。
ハリーは頷いたが、本の牙の挿絵を見ると、また黙った。
キーノは、噛まれた傷を小さいからと放置できないことを付け加えた。
「卵のうちは、可愛がっていても噛まれないからな」
「孵ってからも、同じつもりで手を出しそうだよ」
ロンが言った。
次に小屋へ行く時には、調べたことを持っていく。そこまで話して、本を閉じた。
鬼太郎は翌日の帰還についても伝えた。
「また、森で練習?」
ハリーに聞かれ、頷く。
「ええ。休暇のうちに、確かめたいことがありますから」
その後、学校側にも滞在の予定を知らせ、持ち帰る本と課題を鞄へ揃えた。
翌朝、二人は城の外の決められた場所へ向かった。
固定のポートキーへ触れる。
足元を引かれる感覚の後、靴が踏んだのは、砦の門の内側の地面だった。
キーノが鞄を持ち直し、鬼太郎の顔を見る。
「もう、その顔か」
「どんな顔ですか」
「面白いことをする前の顔だ」
鬼太郎は笑った。
ここまで来る間にも、狼の動きを考えていた。
こちらが杖を向けたところへ、来てくれる相手ではない。その相手が使う手を、自分はまだ全部見ていない。
早く、確かめたかった。
◆
ボグダンに留守中の受渡しを確かめ、滞在予定を伝えてから、二人は建物へ入った。
サーシェスは、持ち帰った本が卓へ積まれていくのを見ていた。
「今日は、随分多いな」
「休暇の間は、こちらで勉強もするつもりです」
鬼太郎は杖だけを手元へ残した。
「その前に、何をする?」
「グロブニクさんと、本気で戦ってみます。受けていただければ」
サーシェスが笑った。
「やっと、狼を転がすつもりになったか」
「勝てるかは、まだ分かりませんよ」
「知ってる。だが、試すところで待ってもらってるうちは、終わりまで繋がるか分からねえからな」
キーノが外套を置いた。
「だから、怪我をしても休めるよう、休暇の初めにする。無理なら止める」
サーシェスは彼女へ目をやり、鬼太郎の鞄へ顔を戻した。
「帰りに邪魔になるもんは、全部置いてけ。歩いて帰れると思って、抱えていくな」
「はい」
鬼太郎はケストレルも、ホルスターごと外した。
今日は杖と自分の力で頼む。銃を使う勝負を、狼へ申し出るつもりではなかった。
キーノは水と手当てに使う布を確かめ、二人で戸口へ向かう。
「坊主」
振り返ると、サーシェスが椅子からこちらを見ていた。
「戻ったら、どこで食われかけたか聞かせろよ」
「先に僕が倒せた場合も、聞いてくださいね」
声を上げて笑うのを背に、鬼太郎は外へ出た。
サーシェスは、今回も砦に残った。
◆
谷へ向かう道で、鬼太郎は足元を見た。
濡れた土と、乾いた葉。先の裂けた折れ木。地面に沈んでいない石。
同じ道でも、前に来た時と全て同じではない。
キーノは少し後ろを歩き、鬼太郎が止まると、一緒に足を止めた。
白い石の手前だった。
「グロブニクさん。来ました」
返事を待つ。
しばらくして、木々の間で黒い頭が動いた。古傷のある左目の反対で、暗赤色の右目が二人を見る。
「今日は、何を試す」
「一つの技ではなく、今使えるものを全部です」
狼の耳が動いた。
鬼太郎は石を越えずに続けた。
「今日は、途中で直すところを教えていただく手合わせではなく、本気で勝ちを狙いたいんです。あなたにも、待っていただかずに」
グロブニクが立ち上がった。
「傷を負うぞ」
「その可能性も、考えて来ました」
「急ぐ理由があるのか」
「あるかもしれません。少しずつ練習すれば間に合うと、決めてはおけなくなりました」
学校の教師や血の話を、ここへ持ち込むことはしなかった。
狼に求めているのは、自分の代わりに学校の敵を探すことではない。
「ただし、殺し合いを頼むのではありません。どちらかが終わりと言えば、そこで止める。キーノさんの声でも、一度切る。それは、今まで通りでお願いします」
グロブニクはキーノを見た。
「私も、見ている」
彼女は目を逸らさずに答えた。
「止めた後で、続きをどうするか決める。声を掛けた時には、二人とも止まれよ」
「よい」
狼が、鬼太郎へ顔を戻した。
「倒れる覚悟だけして、負けに来るな」
鬼太郎の口元が上がった。
「ええ。勝ちに来ました」
グロブニクが身を翻す。
「入れ」
その言葉を待って、鬼太郎は石の向こうへ進んだ。
開けた場所で地面を確かめ、キーノが二人の退く道から外れたのを見た。
彼女もこちらを見て、一度頷く。
鬼太郎は右手に黒檀を持ち、左手を空けた。
まだ形にならない火は、使える手の中へ入れない。
今の体で、今使えるものを出す。
グロブニクは杖だけを見ていなかった。肩と足、空いた掌へも、目が動く。
鬼太郎も、前脚に掛かる重さを見た。
狼が首を低くする。
鬼太郎は杖を上げた。
笑みは、消えなかった。