第百二十七話 教わる光は、予測を越える
鬼太郎が帳面を開くと、ダンブルドアは小さく頷いた。
校長室の窓には、冬の薄い光が落ちている。
机の向こうで、長い指が頁の図を示した。
「これは、フリットウィックとの練習かの」
「はい。杖を取られたところです」
「三つとも?」
「ええ。毎回、違う取り方をされました」
鬼太郎は最後の図へ指を置いた。
「僕が出したい位置に、先に向けられていたんです。構えの高さだけを見て、読み違えました」
ダンブルドアは、その横の文字を読んだ。
先生をどう動かしたいか。
そう考えていた間にも、自分が動かされていた。
鬼太郎は、その順番まで残していた。
「よく覚えておるな」
「次に、同じところで取られたくありませんので」
声に、楽しみが混じっている。
ダンブルドアは帳面を返した。
「では、今日はその後を見せてもらおう。場所は用意してある」
◆
案内されたのは、城の外、生垣と石垣に囲まれた校庭の一角だった。
冬枯れの草の間に土が見え、石垣の裾には枯葉や折れた枝が溜まっている。廊下の窓からも、ここは見通せない。
石垣のそばには、暖炉に使う薪が紐で束ねて置かれていた。
冷たい風に、鬼太郎は外套の襟を直した。
ダンブルドアが杖を振る。
生垣の内側を囲むように、薄い光が走った。
外から聞こえていた生徒の声が遠くなる。光が消えた後も、足元には境を示す細い線が残った。
「火や雷を使うなら、その内側で。端まで来たら、いったん止めることじゃ」
鬼太郎は地面の線を確かめた。
音も、火や雷も、防護の外へ漏れないようになっている。
「今日は、杖の呪文と、僕の魔法を使ってよろしいんですね」
「うむ。銃は使わぬ。わしが止めたら、どちらも止める」
「分かりました」
鬼太郎は鞄を防護の外、石垣のそばへ置いた。
杖を利き手へ持つ。
反対の手を、少し開いた。
ダンブルドアは、その構えを見た。
森でも、同じように二つの手を使っていた。
しかし、今の杖には、あの頃より多くの手がある。
「まず、鬼太郎から来なさい」
校長が杖を持ち上げた。
鬼太郎は一礼し、足の位置を変えた。
◆
「ペトリフィカス・トタルス」
光は、真っ直ぐ届いた。
ダンブルドアの前で、弾かれる。
鬼太郎はその瞬間、横へ移った。
次の呪文を繰り返す前に、空いた手を向ける。
「ザン」
風が土を巻き上げた。
地面に積もった枯葉が、二人の間を横切る。
以前より少し強い風圧に、乾いた土も一緒に浮いた。鬼太郎は風を広げ、目隠しに使う範囲を選んだ。
ダンブルドアは、鬼太郎の姿を追った。
砂と葉の向こうでも、足の動く方向は分かる。
その進む先へ杖を向けた。
鬼太郎は、途中で足を止めた。
風に隠れたまま、次の手を使う。
「ブフ」
冷気は、校長の身体へ直接向かわなかった。
足元と、その前の土へ走る。
湿った土の表面が白く変わる。凍りつくまでの間は、三か月前より短くなっていた。
ダンブルドアは地面へ杖を下ろし、凍り始めたところを変えた。
低い石が、土の上へ現れる。
その上を、赤い光が通った。
「エクスペリアームス」
鬼太郎の声だった。
ダンブルドアは杖を返し、防いだ。
目の前で土が変わっても、鬼太郎は止まっていなかった。
校長が地面へ手を使うところへ、正確に武装解除を向けてきた。
ダンブルドアの目が細まった。
◆
鬼太郎は、呪文が防がれたことを見て、足を進めた。
石を踏むことはしない。
脇を抜け、杖先を校長へ残す。
次の魔法を使う手は、既に上がっていた。
「ジオ」
電撃が走る。
手元を離れてから届くまでが、以前より少し速い。校長の前に生まれた光へ当たり、強さを増した雷が、その表面で散った。
鬼太郎は、続けて空いた手を向けた。
「アギ」
火が二人の間を飛ぶ。
その速さも、炎の熱も、森で使い始めた頃より増していた。
ダンブルドアは杖を返した。火は防護に包まれ、届く前に消える。
鬼太郎は肩を引き、今度は少し離れた。
効かなかったものへ、同じ力を費やさない。
杖で薪の束を持ち上げ、胸の高さへ移す。
束を横向きにすれば、上半身へ向かう射線を遮れる。その後ろで位置を変えようとした。
その向こうへ出ようとしたところへ、ダンブルドアの杖が動いた。
薪の束が、鬼太郎の進む方へ滑った。
置きたい場所が変わる。
鬼太郎はすぐに下ろした。
持ち上げた物を取り戻そうと、杖を向け続けなかった。
空いた方へ身体を移し、くすぐりの呪文を返す。
ダンブルドアはそれを防いだ。
鬼太郎は、もう次へ動いていた。
◆
ダンブルドアは、鬼太郎の足と手を見た。
杖の呪文は、狙ったところへ正確に出る。
杖を使わない力へ繋ぐときにも、構えが大きく乱れない。
片方で相手を動かし、もう片方でその動きへ届かせる。
うまくいかなければ、準備していたものを捨てる。
以前の鬼太郎にも、判断の速さはあった。
大人の魔法使いを相手に、実戦を重ねてきたことも知っている。
今見えているのは、その経験へ、学校で覚えた技術が組み込まれた姿だった。
杖を使わない魔法にも、変化がある。
アギは飛ぶ速さと火力を増していた。ジオも届くまでが速くなり、防いだときの雷の強さが違う。ブフが地面を凍らせる速さも、以前のままではなかった。
ザンは土を持ち上げる風圧だけではない。先ほど細く絞られた風が掠めた枝には、浅く鋭い切り口が残っている。切れ味も上がっていた。
一つずつなら、わずかな伸びだ。
それでも、この三か月でどの魔法も少しずつ強くなり、鬼太郎はその変化に合わせて間合いや使い方を調整している。
入学してから、まだ四か月にも満たない。
杖の扱いが伸びることは、当然見込んでいた。
熱心に学ぶ子供だ。
できることが増えれば、喜んで練習するだろう。
だが、これほど早く、戦い方そのものへ馴染むとは思っていなかった。
鬼太郎の手が動いた。
枯葉が舞う。
その間から、次の呪文が来る。
ダンブルドアは、防ぐ杖の動きを変えた。
森で受けたときと同じ間で待てば、二つ目の手が入る。
まだ余裕を失う相手ではない。
それでも、見積もりは直さなければならなかった。
想定していた成長より、ずっと大きい。
ダンブルドアは鬼太郎へ、もう少し注意を向けた。
◆
風が巻き上げた土は、今度は校長の前へ残らなかった。
ダンブルドアの杖が動く。
土と葉が横へ流され、鬼太郎が進みたい場所へ集まった。
足元が隠れる。
鬼太郎は、その中へ踏み込まなかった。
先にブフを使おうとした手を下ろす。
見えない地面を凍らせても、こちらの道を塞ぐだけになるかもしれない。
別の方向へ杖を向けた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ」
先ほど下ろした薪の束が、再び浮く。
鬼太郎はそれを自分と校長の間、胸から顔を隠せる高さへ運んだ。
薪の並ぶ向きを揃え、その陰で足を置き直す。束だけで身体の全ては隠れないが、校長から手元を見えにくくすることはできる。
少し距離がある。
息を吐く。
次に出る側を選ぶ。
ダンブルドアは、薪の束を回り込まなかった。
杖で軽く示す。
束ねる紐が解け、薪が繋がりながら形を変えた。
一枚の大きな板となり、地面へ立つ。
鬼太郎の前へ、壁のように置かれる。
視界が切れた。
作ったはずの余裕が、相手を見失う場所に変わる。
鬼太郎は笑った。
置いたものまで、使われた。
「ザン」
風を板の脇へ走らせる。
自分は反対側から出る。
ダンブルドアの杖は、そちらへ向いていた。
鬼太郎は足を止め、板の陰へ戻った。
魔法を出した方から出るとは限らない。
それは、校長も分かっていた。
◆
その後は、攻める時間が短くなった。
鬼太郎が杖を向ければ、校長はその先へ別のものを置く。
魔法を使いたい場所は、先に変えられる。
凍らせた土へ誘いたくても、相手は乗らない。
近づく道を選んでも、その道だけを空けておいた理由が見えてくる。
鬼太郎は何度か、上げた手を下ろした。
使うつもりだったアギを捨てる。
狙った場所から離れ、杖だけで短く牽制する。
足を止めず、残った道を見る。
まだMAGはあった。
以前なら、ここまでにもっと使っていた。
だが、力が残っていることと、使える場所があることは違う。
鬼太郎は肩の力を抜いた。
仕掛けた順番が崩れた後にも、次を作らなければならない。
ダンブルドアの杖が低く動く。
鬼太郎は、地面へ目を落としかけた。
その前に、フリットウィックの声を思い出す。
杖の高さだけで、狙いを決めてはいけない。
校長から目を離さず、早めに位置を変えた。
赤い光が、先ほどまでの手元を抜ける。
鬼太郎は武装解除を返した。
光は、また防がれた。
それでも、一つは選べた。
鬼太郎の笑みが深くなった。
◆
ダンブルドアは、鬼太郎が戻る場所へ石を動かした。
飛ばすのではなく、地面に置いて道を塞ぐ。
鬼太郎はその前で向きを変えた。
次の場所には、倒れた板がある。
杖で持ち上げれば、道は作れる。
だが、その間に校長の杖が来る。
鬼太郎は空いた手を上げた。
ザンで板をずらす。
その向こうへ出る直前、ダンブルドアが一歩、位置を変えた。
鬼太郎から、二つの手がよく見える位置だった。
同時に、鬼太郎の腕も隠れない。
赤い光が届いた。
黒い杖が手を離れる。
鬼太郎は空いた手で魔法を返そうとし、足を置き直した。
その手の周りへ、薄い光が掛かった。
身体の内側へ力を集める。
出せるとしても、その力をどう抜くかから考えなければならない。
ダンブルドアの杖は、既に鬼太郎へ向いていた。
「そこまでじゃ」
鬼太郎は息を吐いた。
集めかけたMAGを戻す。
足も止めた。
校長は、それを確かめてから光を解いた。
◆
「ありがとうございました」
鬼太郎は返された杖を受け取った。
手には汗があった。
息も速い。
ダンブルドアは、石垣のそばの長椅子を勧めた。
「まず、休みなさい」
鬼太郎が座ると、校長は地面へ杖を振った。
板が元の薪へ戻り、紐が再び束をまとめる。
薪の束は、石垣のそばへ下ろされた。
石が元の場所へ戻り、掘れた土が均されていく。残った氷も解け、枯葉が石垣の裾へ寄せられた。
鬼太郎はその動きを見ていた。
「僕が置いたものを、先生が使えるものへ変えられましたね」
「うむ。場へ残したものは、鬼太郎だけのものではないからの」
「そうですね。あの板から出る方も、見られていました」
ダンブルドアは隣へ座った。
「しかし、前よりずいぶん手が増えた。呪文の狙いも、切り替える速さもじゃ」
鬼太郎が顔を向ける。
「フリットウィック先生に、何度も直していただきました。授業でも、握りや杖先の位置を確かめています」
「それが、よく分かった」
校長は頷いた。
「正直に言おう。ここまで伸びておるとは、思っておらなんだ」
鬼太郎の目が、少し開いた。
「そうですか」
「入学から、まだ四か月足らずじゃぞ。使える呪文を覚えるだけでも、十分なことじゃ。それを、もう自分の戦い方へ繋いでおる」
鬼太郎は、自分の杖へ目を落とした。
「使ってみると、違いが分かりますから。ディゴリーさんも、そのたびに違う動きをしてくださいますし」
ダンブルドアは、その言葉を聞いた。
教わったことを試す。
相手が変われば、もう一度考える。
その繰り返しを、鬼太郎は楽しんでいた。
◆
ダンブルドアには、今日使われた杖の呪文がどこから来たか分かっていた。
授業で学んだ浮遊術。
図書館で調べ、フリットウィックへ相談した武装解除と全身金縛り。
教室で何度も練習した、詠唱と杖の動き。
教師たちが、学校で教えてきたものだった。
その学びが、鬼太郎の持つ力を大きく変えた。
森で確かめていることも、動きを見れば察しがつく。
教室の床だけでは、身につかない選び方があった。
だが、今日はその相手を問いたださなかった。
目の前にある成長を、まず正しく見る必要があった。
トムの姿が、一瞬、頭を過った。
力を求める子供というだけなら、似た言葉で語れてしまう。
しかし、鬼太郎が今進んでいる道は、あの子とは違う。
闇の力に魅入られ、それを求めて技術を伸ばしたのではない。
教わった呪文が通じたことを喜び、防がれれば、その理由を聞きたがる。
当たり前に教えられる技術へ、これほど熱心に手を伸ばしている。
ダンブルドアには、その違いがはっきり分かっていた。
鬼太郎の冷酷さを忘れたわけではない。
戦いを楽しむ性質も、今また見た。
それでも、この成長を闇への傾倒として扱うのは、間違いだった。
教師たちの教えが、この子へ届いている。
その成果が、自分の予測を越えたのだ。
ダンブルドアは、膝の上へ置かれた黒い杖を見た。
この先、同じ学びをどこまで力へ変えるのだろう。
嬉しさと驚きがあった。
その成長速度を、簡単に見積もってはならないとも思った。
◆
「今日、途中で使うのをやめたものがあったな」
ダンブルドアが言った。
「はい。凍らせようとした場所が見えなくなりました。それから、板の前でアギを使おうとして、やめました」
「なぜじゃ」
「先生のいる場所へ、繋がりませんでした。板を焼くだけなら、力を使っても、こちらが困ると思いました」
校長は頷いた。
「準備した手を、途中で捨てられた。それもよかった。使えるからといって、全部使えばよいわけではない」
鬼太郎は帳面を開いた。
「ただ、その後は、先生が作った場所を避ける方が多くなりました」
「うむ。組み合わせが崩れた後、次を作るまでに時間が要ったの」
ダンブルドアは、均された地面を指した。
「次は、最初の仕掛けが通じなかったところから始めてみよう。どの手を残すか、どこへ退けばもう一度選べるか。それを確かめる」
「ええ。お願いします」
鬼太郎はすぐに答えた。
校長が、その顔を見る。
「今日は、まず今の記録を。休んでから、ゆっくり位置を辿るぞ」
鬼太郎は笑って、ペンを取った。
◆
談話室へ戻ったとき、暖炉の前にはいつもより椅子が少なかった。
キーノが一冊の本を膝へ載せている。
鬼太郎が近づくと、彼女は指を頁へ挟んで顔を上げた。
「戻ったか」
「ええ」
鬼太郎は隣へ座った。
「今日も、負けたんだな」
「はい。置いたものも、使いたい場所も、変えられてしまいました」
「校長なら、そういうこともできるのか」
「ええ。僕が手元を隠すために浮かせた薪が、先生の使う壁になりました」
キーノは、その場面を考えるように目を動かした。
鬼太郎は続けた。
「ただ、前より強くなったとは、おっしゃっていただけました」
「それは、見てれば分かるだろ」
キーノは答え、本を少し持ち直した。
「前より、長くやれるようになってる。使うものも増えた」
「ええ。今日は、まだ力があるのに、使うところがなくなる感覚が分かりました」
鬼太郎は杖を鞄へ収めた。
「また、教わることが増えましたね」
キーノはその横顔を見た。
負けた後でも、次のことを話す。
ただ、今は息も落ち着いている。
先生の指示で休み、記録をして帰ってきたらしい。
彼女は本を閉じた。
◆
「キーノさんは、今日は何を?」
鬼太郎が尋ねた。
「この本を読んでた。それから、ハリーとロンのチェスを見た」
「少し、動かしてみましたか」
「ロンが教えてくれた。でも、一つ取れると思うと、別の駒が来る」
鬼太郎は笑った。
「そちらも、先を見られていたんですね」
「ああ。駒を取る方ばかり見てた」
キーノは、盤の上へ置くように指を動かした。
「次は、取らせた後も見る」
「それは、楽しそうです」
「お前も、そのうちやってみろ」
鬼太郎は頷いた。
暖炉の中で、薪が鳴った。
キーノが膝の本へ目を落とす。
「あと、ハリーはまだ、フラメルを探してる。今日の本にも、いなかった」
「そうですか」
「名前だけじゃ、なかなか見つからないな」
鬼太郎は、彼女の本に挟まれた紙片を見た。
前に読んでいた場所が、そこに残っている。
自分の鞄の奥には、包んだ栞があった。
まだ渡す日ではない。
しかし、こうして本を開く姿を見ると、使ってもらうところが浮かんだ。
「何だ」
キーノが鬼太郎を見る。
「いえ。読んでいるところを、邪魔してしまいましたね」
「話したいなら、後で続きを読める」
彼女は本を卓へ置いた。
鬼太郎は暖炉へ目を向け、それから今日の帳面を出した。
「では、先生に使われた場所を、少し聞いていただけますか」
「ああ」
キーノが椅子を寄せた。
鬼太郎は、図の上へ指を置く。
自分が動いた道。
校長が変えた地面。
その間に、やめた攻撃と、残しておいた力がある。
暖かな部屋で、二人はその頁を覗いた。
鞄の中の銀色の星は、まだ包みの向こうにあった。