神殺し、墓場より還りしもの   作:ちじさん

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映る願いを背に、明日へ歩く

 

第百三十話 映る願いを背に、明日へ歩く

 

 ロンをマントの下へ入れると、足元が急に狭くなった。

 

「おい、もう少しそっちへ寄れよ」

 

「寄ってる。足、出てない?」

 

「分かんない。お前の肘が当たってる」

 

 二人は小声で言い合いながら、寝室を出た。

 

 ハリーは、前の夜より速く歩きたかった。

 

 道は覚えている。

 

 あの部屋へ着けば、また両親が見られる。

 

 けれど、隣へロンがいると、自分だけでは進めなかった。片方が止まれば、もう片方も止まる必要がある。

 

 階段でマントの縁を持ち上げ、足を揃える。

 

 曲がり角では、二人とも壁へ寄った。

 

 遠くで物音がするたびに、ロンの肩が固くなる。

 

「まだか?」

 

「もう少し」

 

 ハリーは、壁の絵を確かめた。

 

 見覚えのある額縁だった。

 

 次の角を曲がれば、扉がある。

 

     ◆

 

 鏡は、昨日と同じ場所にあった。

 

 ハリーは扉を閉めると、すぐにマントを外した。

 

 ロンの手を引く。

 

「ここ。見て」

 

 鏡の前へ立った。

 

 母親がいる。

 

 父親も、隣で笑っている。

 

 胸の奥が、温かくなった。

 

 昨日だけのことではなかった。

 

「ほら。僕の母さんと、父さん」

 

 ハリーが言う。

 

 ロンは、鏡へ顔を近づけた。

 

「どこに?」

 

「僕の後ろだよ」

 

「お前しか見えないぞ」

 

 ハリーはロンを見た。

 

 それから、もう一度鏡へ向き直る。

 

 いる。

 

 女性の手が、自分の肩へ載っている。

 

「ちゃんと、前へ来て」

 

 ハリーが横へ退くと、ロンがその場所へ立った。

 

 少しの間、何も言わなかった。

 

 やがて、口を開ける。

 

「……僕だ」

 

「父さんたちは?」

 

「いない。でも、僕が……大きくなってる」

 

 ロンは、自分の胸元を見下ろした。

 

 また鏡を見る。

 

「首席のバッジだ。ビルが付けてたやつ。僕、首席になってる」

 

 声が少し弾んだ。

 

「それに、カップも持ってる。クィディッチの主将だ!」

 

 ハリーは鏡へ目を向けた。

 

 そこには、寝間着姿のロンがいるだけだった。

 

 自分の家族も、今は見えない。

 

「本当に?」

 

「本当だよ。僕一人で、ここにいる。兄貴たちはいない」

 

 ロンが、さらに近づいた。

 

 鏡の中で、背筋を伸ばしているらしい。

 

 ハリーは待った。

 

 ロンが笑う。

 

 自分の家族を見せたかったのに、ロンは別のものを見ていた。

 

「少し、どいてくれない?」

 

 ハリーが言うと、ロンが振り返った。

 

「もうちょっと」

 

「僕も、見たいんだ」

 

 ロンは鏡を見てから、横へ退いた。

 

 ハリーが戻る。

 

 両親が、また現れた。

 

 胸がほどける。

 

 その姿を見失った時間は短かったはずなのに、ずいぶん長く感じた。

 

     ◆

 

 帰ろうと言ったのは、ロンだった。

 

「もう遅いぞ」

 

「少しだけ」

 

「さっきも、そう言っただろ」

 

 ハリーは答えず、鏡を見た。

 

 母親が、自分を見つめている。

 

 ロンは部屋の扉へ目を向け、もう一度ハリーを呼んだ。

 

「ここにいたら、誰か来るかもしれない」

 

 ようやく、ハリーが顔を上げる。

 

 立ち上がった足は、冷えていた。

 

 マントを広げる。

 

 ロンが下へ入るのを待つ間にも、鏡を振り返った。

 

 寮までの道で、ロンは何度か自分が見た姿を話した。

 

 首席になっていたこと。

 

 カップを持っていたこと。

 

 ハリーは返事をしながら、母親の目を思い出していた。

 

 同じ鏡なのに、なぜ違うものが見えるのだろう。

 

 その答えより、明日も両親がいるかどうかの方が、気になった。

 

     ◆

 

 翌日の夜、ロンは行かなかった。

 

「昨日、見たじゃないか」

 

 ハリーがマントを出すと、寝台から言った。

 

「毎晩、見に行くことないだろ」

 

「僕は、もう一度見たい」

 

「お前、昼間もずっと、そのこと考えてたぞ」

 

 ハリーは布を広げる手を止めた。

 

 ロンは眉を寄せている。

 

「そんな顔してた?」

 

「してた。チェスをしてても、全然見てなかった」

 

 ハリーは目を落とした。

 

 盤に駒が並んでいたことは覚えている。

 

 何を動かしたかは、すぐには思い出せなかった。

 

「でも、会えるんだ」

 

 小さく言う。

 

「そこへ行けば」

 

 ロンは口を開き、閉じた。

 

 ハリーはマントを持って、寝室を出た。

 

     ◆

 

 次の朝も、ハリーは眠そうだった。

 

 けれど、鏡のことになると、目がはっきりする。

 

 昼を過ぎても、会話が途切れるたびに、どこか遠くを見ていた。

 

 ロンは何度か話しかけた。

 

 返事はある。

 

 笑うこともある。

 

 それでも、前と同じには思えなかった。

 

 夕方、ハリーが寝室へ戻った後、ロンは鬼太郎のところへ来た。

 

 鬼太郎は談話室の卓で、授業の本と帳面を並べている。

 

 キーノは少し離れた窓際で、自分の本を読んでいた。

 

「なあ。ちょっと、いいか」

 

「はい」

 

 鬼太郎がペンを置く。

 

 ロンは隣の椅子へ座った。

 

「ハリーのことなんだけど」

 

 声を低くした。

 

「夜、出ていってるの、知ってる?」

 

「最初の夜は、気づきました。何か考えがあるのだろうと思って、尋ねませんでしたが」

 

「やっぱり、起きてたのか」

 

 ロンは少し驚き、それから続けた。

 

「鏡を見つけたんだ。空き教室にあるやつ。そこに、自分の家族が映るって」

 

 鬼太郎の目が、帳面から離れた。

 

「家族、ですか」

 

「ああ。僕も連れていかれたけど、僕には見えなかった。別のものが見えたんだ」

 

 ロンは、自分が見た姿を短く話した。

 

 首席と、クィディッチの主将。

 

 話しながら、少しだけ口元が緩む。

 

 けれど、すぐに戻った。

 

「面白かったけど、それだけだよ。でも、ハリーは毎晩行くんだ。昼間も、ずっとぼんやりしてる」

 

「昨夜も?」

 

「行った。僕がやめとけって言っても、聞かないんだ」

 

 ロンは、閉じられた帳面へ目を落とした。

 

「鬼太郎からも、言ってくれよ」

 

 鬼太郎は少し考えた。

 

 見る人によって、映るものが変わる。

 

 その後、同じ場所へ通いたくなる。

 

 話だけでは、何が働いているのか分からない。

 

「呪いの品かもしれませんね」

 

 ロンが顔を上げる。

 

「やっぱり?」

 

「まだ、分かりません。ただ、見た後の変化は確かめた方がよさそうです。僕も確認しに行きますよ」

 

「今夜?」

 

「ええ。ハリーさんが行くなら、ご一緒します」

 

 ロンは、少し息を吐いた。

 

「頼むよ。あいつ、家族のことになると……」

 

 最後までは言わなかった。

 

 鬼太郎は頷き、帳面を鞄へしまった。

 

     ◆

 

 ハリーは、誘いを聞いて少し警戒した。

 

「ロンから聞いた?」

 

「はい。鏡について、伺いました」

 

 鬼太郎は答えた。

 

「どんなものなのか、僕も見てみたいんです」

 

「見に行くのを、止めるため?」

 

「まず、確かめるためです」

 

 ハリーは、鬼太郎の顔を見た。

 

 鏡をくだらないものだとは、言わなかった。

 

 そこに家族が映ることも、嘘だと決めつけてはいない。

 

「僕には、本当に見えるんだ」

 

「ええ。そのように伺いました」

 

 鬼太郎の返事は、変わらなかった。

 

 ハリーはしばらく迷い、それから頷く。

 

「分かった。夜になったら」

 

「お願いします」

 

     ◆

 

 二人でマントの下へ入ると、ハリーは前にロンと歩いたときを思い出した。

 

 今度は、肩があまりぶつからない。

 

 鬼太郎は、ハリーが止まればすぐに止まった。角の手前でも、身体を寄せる方を合わせてくれる。

 

「慣れてるみたいだね」

 

 ハリーが小声で言った。

 

「布を引かないようにしているだけです。こちらへ曲がりますか」

 

「うん」

 

 ハリーは前を見た。

 

 もう、迷わなかった。

 

 教室の扉を開け、二人で入る。

 

 マントを外すと、鏡の枠が見えた。

 

 鬼太郎は、その前へすぐには立たなかった。

 

 部屋の中を見てから、枠の文字へ目を向ける。

 

 ハリーは待てなかった。

 

 鏡へ近づいた。

 

 母親がいる。

 

 父親もいる。

 

「ほら」

 

 声が出る。

 

「ここに、いるんだ」

 

 鬼太郎はハリーの隣から鏡を見た。

 

 眼鏡を掛けた少年が、映っている。

 

 その背後に家族の姿は見えなかった。

 

「僕の位置からは、ハリーさんだけですね」

 

「ロンも、そうだった。前に立つと、別のものが見えたんだ」

 

 ハリーは、名残惜しそうに横へ退いた。

 

 鬼太郎が、その場所へ進む。

 

 杖には手を掛けたままだった。

 

 鏡に触れず、正面へ立つ。

 

 そこで、指が止まった。

 

     ◆

 

 大人の自分がいた。

 

 今の身体より、ずっと背が高い。

 

 手足も、肩も、戦うための動きを受け止められる大きさになっている。

 

 その顔が、笑っていた。

 

 鬼太郎は、息を細く吐いた。

 

 鏡の中で、戦いが始まる。

 

 相手は人間だけではなかった。

 

 人の形から外れたものがいる。

 

 角を持つもの。

 

 翼のあるもの。

 

 見覚えのある悪魔の姿もあった。

 

 大人の自分が、そちらへ手を向ける。

 

 炎が走った。

 

 今のアギとは、違う。

 

 火は大きく、速かった。狙った相手へ届くだけでなく、その先にいるものまで進路を変えさせる。

 

 次に、雷が落ちた。

 

 鬼太郎は目を細めた。

 

 今のジオを、少し強くしただけではない。

 

 相手が逃げようとした場所まで、光が続く。

 

 足場を覆った氷へ、一体の悪魔が踏み込んだ。

 

 冷気はそこからさらに走った。

 

 凍りつく速さも、届く範囲も、自分が今使うブフとは違っている。

 

 風が、その上を抜けた。

 

 小さな枝に傷を残すようなものではなかった。

 

 戦いの中で空いていた道が、鋭い風に断ち切られる。

 

 人間の相手も、そこにいた。

 

 その足元へ、黒い影が広がる。

 

 炎に焼かれたわけでも、雷に打たれたわけでもなかった。影に捉えられた相手は、急に力を失い、倒れた。

 

 別の敵へは、白い光が降った。

 

 鬼太郎は、鏡を見つめた。

 

 火や氷とは違う、死をもたらす力だった。

 

 その間にも、大人の自分は動いている。

 

 避ける。

 

 次の力を出す。

 

 崩れたところへ進む。

 

 そして、その左右へ、二体の悪魔が出た。

 

 鬼太郎の指が、杖の柄を握り直した。

 

 敵ではない。

 

 二体は自分と向き合わず、同じ方を見ていた。

 

 一方が相手の攻撃を受け止め、もう一方が開いた道へ入る。大人の自分が手を向けると、二体は迷わず位置を変えた。

 

 よく知っている動きだった。

 

 顔も、身体の形も、見覚えがある。

 

 名前は、出てこなかった。

 

 けれど、ほかの誰より近くで戦っていた二体だということは、分かった。

 

 その後ろにも、大勢の仲魔がいた。

 

 自分のために戦っている。

 

 力を合わせ、相手を追い込み、大人の自分へ届くはずの攻撃を途中で止める。

 

 ただ一人で力を振るっていたのではなかった。

 

 鬼太郎は、二体の姿を目で追った。

 

 忘れないように、顔の輪郭も、身のこなしも覚え直す。

 

 笑っている大人の顔も、その動きも、鬼太郎には分かった。

 

 あれは、自分だ。

 

     ◆

 

 一体の仲魔が、腕を失った。

 

 それでも、敵へ向かおうとする。

 

 大人の自分が手を伸ばした。

 

 柔らかな光が、その身体へ集まる。

 

 傷が閉じるだけではなかった。

 

 失った部分が形を取り戻し、腕が元へ戻っていく。

 

 仲魔は指を動かし、すぐに戦いへ戻った。

 

 今のディアでは、できないことだった。

 

 次に、別の仲魔が倒れた。

 

 起き上がらない。

 

 鬼太郎は、その姿を見た。

 

 傷を治すだけでは足りない。既に、命を失っていた。

 

 大人の自分が、そちらへ向く。

 

 先ほどとは違う力が、倒れた仲魔へ注がれた。

 

 身体が動いた。

 

 閉じていた目が開く。

 

 仲魔が起き上がり、自分の足で立った。

 

 死んだ仲間を、戻している。

 

 鬼太郎は息を止めた。

 

 鏡の中の自分は、その出来事に驚かなかった。

 

 戻った仲魔の様子を確かめ、次の相手へ向き直る。

 

 そこでは、十分な力と、呼び戻してくれる仲間がいれば、死さえ戦いの終わりとは限らなかった。

 

 だからこそ、あの者たちは踏み込める。

 

 大人の自分も、仲魔が倒れるたびに全てを諦める必要がない。

 

 今ここで暮らしている世界とは、違う戦いだった。

 

     ◆

 

 やがて、大人の自分が片手を上げた。

 

 仲魔たちが動く。

 

 特に近くにいた二体が、ほかの者を促すように道を空けた。

 

 全員が、これから何が来るのか知っていた。

 

 残った敵が、自分へ向かってくる。

 

 人間も、悪魔もいた。

 

 鏡の中で、大きな力が集まる。

 

 炎でも、雷でもなかった。

 

 冷気にも、風にも似ていない。

 

 次の瞬間、光が戦場を覆った。

 

 敵が逃げようとした場所まで、巨大な力が呑み込む。

 

 鬼太郎は目を細めた。

 

 光が引いた後、敵は一体も立っていなかった。

 

 まだ戦おうとするものも、いない。

 

 殲滅だった。

 

 仲魔たちが、大人の自分のそばへ戻る。

 

 あの二体もいた。

 

 その中心で、自分が笑っている。

 

 鬼太郎は、最後まで見届けた。

 

     ◆

 

 頭の奥で、幾つかの断片が繋がった。

 

 火には、もっと上がある。

 

 雷にも、氷にも、風にも。

 

 失った身体を治す力も、死んだ仲間を蘇らせる力もあった。

 

 闇と光がもたらす死。

 

 最後に戦場を覆った、どの属性とも違う力。

 

 働きは、目に焼きついた。

 

 しかし、それぞれをどう呼んでいたのかは、思い出せなかった。仲魔の名前も、まだ分からない。

 

 姿と、何が起きたかを覚えておく。

 

 今、持ち帰れるのはそれだった。

 

 今は使える力から先に取り戻してきた。その外側にあるものは、輪郭を持たないまま、記憶の奥へ沈んでいた。

 

 鏡は、そこまで汲み上げていた。

 

 自分の中に残っている戦いの断片を、望む姿の動きへ繋いでいる。

 

 炎を放つ直前の、手の形を見る。

 

 力を集める間を見る。

 

 そこから先は、今の身体では続かない。

 

 試すまでもなく、分かった。

 

 鬼太郎は、鏡へ伸びかけた指を戻した。

 

 現在の自分とは、かけ離れている。

 

 校長との手合わせで、出す場所を失った程度の力では、あの戦いはできない。

 

 それでも、悔しさで動けなくなることはなかった。

 

 まだ、途中だ。

 

 この身体で戻せる力を増やしている。

 

 それに、今世では杖の呪文も学べる。

 

 浮かせる。

 

 形を変える。

 

 相手の身体や道具へ働きかける。

 

 前の世界で振るっていた力へ、そうした技術を加えられる。

 

 同じところへ戻るだけで、終えるつもりはない。

 

 鏡の中では、大人の自分の周りへ仲魔が集まっていた。

 

 鬼太郎は、今見た戦いを思い返した。

 

 いずれ、あの力も使えるようになろう。

 

 使えるようになった後、何と組み合わせるかも考えられる。

 

 良い収穫だった。

 

 鬼太郎は、自分の手へ目を落とした。

 

 細い指に、黒い杖がある。

 

 今の自分が使うものだった。

 

     ◆

 

「何が見えた?」

 

 ハリーが尋ねた。

 

 鬼太郎は横へ退いた。

 

「大人になった僕が、戦っていました」

 

「戦ってる?」

 

「ええ。今より、ずっと強くなっていました」

 

 ハリーは鏡を見た。

 

 鬼太郎が前を離れると、自分の家族が戻った。

 

「やっぱり、見る人で違うんだ」

 

「そのようですね」

 

 鬼太郎は鏡の枠を見た。

 

 いつまでも前へ立ちたいとは、思わなかった。

 

 映っていた力を思い出し、後で帳面へ書くことを決める。

 

 ハリーは、また鏡へ近づいた。

 

 肩へ触れるはずのない手を、自分の肩の上で探している。

 

 鬼太郎が、その動きを見たときだった。

 

「二人とも、今夜はなかなか眠れぬようじゃな」

 

 背後から声がした。

 

     ◆

 

 ハリーが振り返った。

 

 ダンブルドアがいた。

 

 鬼太郎も、そちらへ身体を向ける。

 

 校長は、教室の扉に近いところへ立っていた。

 

 杖を向けてはいない。

 

 けれど、いつ入ってきたのか、ハリーには分からなかった。

 

「先生……」

 

 ハリーはマントを見た。

 

 床へ畳んで置いてある。

 

 今から被っても、何の意味もなかった。

 

 ダンブルドアは鏡へ近づいた。

 

「見つけてから、何度も来ておったの」

 

 ハリーは目を落とした。

 

「はい」

 

「今夜は、鬼太郎も一緒か」

 

「ロンさんから、ハリーさんの様子を伺いました。呪いの品かもしれないと思いまして、確かめに」

 

 鬼太郎が答える。

 

 ダンブルドアは二人を見て、近くの椅子を軽く引いた。

 

「では、この鏡について話そう。ハリー、少しこちらを向いてくれるかの」

 

 ハリーは、鏡から目を離した。

 

     ◆

 

「これは、みぞの鏡じゃ」

 

 ダンブルドアが言った。

 

「普通の鏡とは違う。それは、もう分かっておるな」

 

「僕には、家族が見えました。でも、ロンには違うものが見えたんです」

 

 ハリーが答える。

 

「鬼太郎にも」

 

「うむ。この鏡は、見る者の心の奥にある、強い望みを映す」

 

 ハリーの目が、鏡へ戻りかけた。

 

 ダンブルドアは、その動きを見ていた。

 

「ハリーは、家族と共にいたいと願っておる。ロンは、兄たちの陰に隠れず、自分の力で優れた者になりたいのじゃろう」

 

「望み……」

 

 ハリーが繰り返す。

 

 鬼太郎は、先ほど映っていた自分を思い返した。

 

 あの強さを、望んでいる。

 

 それは確かだった。

 

「未来を見せているのでは、ないんですね」

 

 鬼太郎が尋ねる。

 

「そうじゃ。そこに映ったからといって、そうなると決まったわけではない」

 

 ダンブルドアが頷いた。

 

「その姿を見続けても、望みをかなえる力が与えられるわけではないのじゃ」

 

 鬼太郎は、自分の杖を鞄へ戻した。

 

 心へ映像を見せる仕組みは、まだ気になる。

 

 しかし、それが自分を強くする道具ではないということは、既に分かっていた。

 

 ハリーは、膝の上で指を重ねた。

 

「でも、母さんと父さんが……」

 

 声が止まる。

 

 ダンブルドアは、すぐには続きを促さなかった。

 

 ハリーが顔を上げるまで、待った。

 

「僕を、見ていました」

 

「そうじゃろうな」

 

 校長の声は、静かだった。

 

「だからこそ、気をつけなければならぬ」

 

     ◆

 

「この鏡の前で時を失い、映るものに囚われてしまった者もおる。望む姿を見つめることに、暮らしの全てを使ってしまうのじゃ」

 

 ハリーは、何も言わなかった。

 

 昼間のチェス盤を思い出した。

 

 ロンが何か話していた。

 

 自分は、次の夜にここへ来ることを考えていた。

 

「夢の中へ留まることで、今生きている時間を失ってはいけない」

 

 ダンブルドアが続ける。

 

「ハリーには、今ここで過ごす日がある。共に話し、遊び、心配してくれる友達もおる」

 

 ハリーは、隣の鬼太郎を見た。

 

 彼は鏡を見ていなかった。

 

 校長の言葉を聞いている。

 

 ここへ来る前に、ロンが心配していたことを話していた。

 

 ハリーは唇を結んだ。

 

「鏡は、別の場所へ移す。もう、この部屋へ通ってはいけない。移した先を探そうともせぬように」

 

 ダンブルドアが言った。

 

 ハリーは顔を上げた。

 

 聞きたくない言葉だった。

 

 鏡がなくなれば、両親の顔を見られなくなる。

 

 けれど、今夜も来たいと考えていた自分のことを、校長は知っている。

 

 しばらくして、ハリーは小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 ダンブルドアは、その返事を聞いてから、鬼太郎へ目を向けた。

 

     ◆

 

「鬼太郎には、何が見えたのじゃ」

 

 鬼太郎は答える前に、一度鏡の方を見た。

 

 今は正面に立っていない。

 

 大人の自分も、戦いの相手も、そこには見えなかった。

 

「大人になった僕が、戦っている姿です」

 

「戦っておったか」

 

「はい。今より、ずっと強い力を使っていました」

 

 ダンブルドアは、その顔を見た。

 

「また、見たいとは思わぬのかの」

 

「確かめたいところはあります。ただ、見ている間は、僕自身が練習できませんから」

 

 鬼太郎は答えた。

 

「今使っている魔法にも、さらに上の力があるのだと分かりました。いずれ、そこへ届くようにしたいと思います」

 

 名前は挙げなかった。

 

 炎や雷を使うことは、校長も知っている。

 

 しかし、鏡に映っていた相手については言わなかった。

 

 人間と悪魔が、確かにいた。

 

 自分と共に戦う仲魔も、映っていた。傷を治し、死んだ仲魔を蘇らせたことも、最後に敵を一掃したことも、話していない。

 

 その姿を説明すれば、戦いの場所や、自分がどうしてそれを知っているのかという話へ繋がる。

 

 今、話すつもりはなかった。

 

「今の自分が、弱く見えはせんかったか」

 

 ダンブルドアが尋ねる。

 

「見えました。ずいぶん、離れていますね」

 

 鬼太郎は笑った。

 

「でも、まだ学べます。先生方に教わった呪文も、これから使えるものもあります。鏡に映った強さより、もっと強くなるつもりです」

 

 ダンブルドアは、少しの間黙った。

 

 強くなった自分へ、心を預けているのではない。

 

 あの子は、明日何をするか考えている。

 

 それならば、ここから離れられる。

 

「目標へ向かうなら、明日の自分が歩かねばならぬな」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は頷いた。

 

     ◆

 

 ハリーは、校長を見た。

 

 聞いてよいのか、迷った。

 

 けれど、口から出てしまった。

 

「先生には、何が見えるんですか」

 

 ダンブルドアの眉が、少し上がった。

 

「わしか」

 

「はい」

 

 ハリーは待った。

 

 ダンブルドアは、口元を緩めた。

 

「厚い毛糸の靴下を持った自分じゃよ」

 

 ハリーは、瞬きをした。

 

「靴下?」

 

「うむ。寒い季節には、いくらあっても困らぬ。ところが皆、わしには本ばかりくれるのでな」

 

 鬼太郎は、鞄の中のマフラーを思い出した。

 

 キーノにも、同じように暖かなものが届いている。

 

「先生も、寒いんですね」

 

「もちろんじゃ。長く生きても、足先は冷える」

 

 ダンブルドアが答える。

 

 ハリーは、小さく笑った。

 

 けれど、それが本当の答えなのかは分からなかった。

 

 自分が家族を見て、ロンが誰より優れた自分を見た鏡で、校長は靴下を見る。

 

 そういうことも、あるのだろうか。

 

 もう一度尋ねるのは、やめた。

 

 心の奥にあるものを見せる鏡だと、今聞いたばかりだった。

 

 答えたくないことを、自分が聞いたのかもしれない。

 

 ダンブルドアは立ち上がった。

 

「さて。二人とも、今夜はよく眠りなさい」

 

     ◆

 

 ハリーは、床のマントを拾った。

 

 畳もうとして、鏡を見た。

 

 もう一度、前へ立てば会える。

 

 その思いは、まだ消えていなかった。

 

 鬼太郎は、扉のそばで待っていた。

 

 急げとは言わない。

 

 ハリーは布を抱え直した。

 

 鏡の方へ足を出しかけ、それを止める。

 

 両親の顔は、覚えている。

 

 目を閉じれば、思い出せる。

 

 ハリーはダンブルドアへ頭を下げた。

 

「おやすみなさい、先生」

 

「おやすみ、ハリー」

 

 鬼太郎も一礼する。

 

 二人は教室を出た。

 

     ◆

 

 廊下には、来たときと同じ冷たい空気があった。

 

 ハリーはマントを広げた。

 

 鬼太郎が隣へ入る。

 

 しばらくは、何も話さなかった。

 

 足を揃えて、階段を上がる。

 

 曲がり角を越えてから、ハリーが小さく言った。

 

「ロンに、心配かけたね」

 

「ええ。ハリーさんからも、戻ったら話していただけますか」

 

「うん」

 

 ハリーは前を見た。

 

「僕、まだ、見に行きたいと思ってる」

 

 鬼太郎は、すぐには答えなかった。

 

「ですが、今は帰っていますね」

 

 少しして、そう言った。

 

 ハリーは、隣の声へ顔を向けた。

 

 鬼太郎は歩く速さを変えず、次の角まで来ると、先を確かめるために足を止めた。

 

「……うん」

 

 ハリーも前を向いた。

 

 教室へ戻る道は、まだ分かっている。

 

 それでも、今は寮へ向かっている。

 

 肖像画の前へ着き、合言葉を言った。

 

 暖かな談話室が、二人を迎えた。

 

     ◆

 

 寝室の扉を開けると、ロンが起きていた。

 

「遅かったな」

 

 声を抑えて言う。

 

 ハリーは寝台へ座った。

 

「ダンブルドア先生が来たんだ」

 

 ロンが身体を起こす。

 

「見つかったのか?」

 

「うん。でも、怒られたっていうより……鏡のことを、教えてくれた」

 

 ハリーは、聞いたことを話した。

 

 心の奥の望みを映すものだということ。

 

 未来を見せるものではないこと。

 

 見続ければ、現実の時間を失ってしまうこと。

 

 そして、もう移してしまうということ。

 

 ロンは最後まで聞き、息を吐いた。

 

「それなら、よかった」

 

 言ってから、ハリーの顔を見た。

 

「いや……お前には、よくないかもしれないけど」

 

「分かるよ」

 

 ハリーが答える。

 

 ロンは、もう何も言わなかった。

 

 ハリーはマントを畳んだ。

 

 父親が使っていたものだった。

 

 鏡の中で、父親の顔を見た。

 

 この布まで、なくなるわけではない。

 

 箱へしまい、蓋を閉じた。

 

 ロンが毛布へ戻る。

 

 鬼太郎も、自分の寝台へ座った。

 

     ◆

 

 鬼太郎は、帳面を一度だけ開いた。

 

 鏡で見た力を、短く書く。

 

 炎。

 

 雷。

 

 氷。

 

 風。

 

 闇と、光。

 

 損なわれた身体を戻す力。死んだ仲間を蘇らせる力。

 

 最後に放たれた、大きな光。

 

 その下へ、特に近くで戦っていた二体の姿も、覚えているうちに簡単な線で描いた。名前の欄は、空けておく。

 

 今より先にあるものは、確かにあった。

 

 だが、その使い方をすべて取り戻したわけではない。

 

 見た形を真似るだけで、出せるとも思わない。

 

 まず、今の力を正確に使う。

 

 その上で、集められる力を増やし、身体を育てる。

 

 杖の呪文も、引き続き学ぶ。

 

 鬼太郎は、最後の行へそう書いた。

 

 枕元には、青灰色のマフラーがある。

 

 キーノの本には、銀色の星が挟まっているだろう。

 

 教室で映っていた戦いの中には、なかったものだった。

 

 今の自分には、それもある。

 

 鬼太郎は帳面を閉じた。

 

「おやすみなさい」

 

 ロンが返事をする。

 

 少し遅れて、ハリーの声も聞こえた。

 

 灯りが消える。

 

 ハリーは目を閉じ、母親の顔を思い出した。

 

 すぐに眠れるかは、分からない。

 

 けれど、今夜はもう出ていかない。

 

 鬼太郎は、明日の練習を考えた。

 

 鏡へ映っていた自分より、さらに先へ行く。

 

 そのための時間は、この寝台で休むことから始まっている。

 

 窓の外では、雪を載せた城の屋根が月明かりを受けていた。

 

 朝になれば、また、二人の暮らす学校が目を覚ます。

 

 鏡のある部屋へ戻らなくても、その先へ続く日々が待っていた。

 

第七章 完

 

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