第百三十二話 探した名は、小さな札に眠る
冬休みが終わってからの十日間は、城の中でも過ぎていた。
森で何が調べられているのか、鬼太郎は知らなかった。
朝になれば授業へ出て、午後には本を開く。時間の合う日に、フリットウィックの指導を受けて杖を動かす。
廊下へ生徒が戻った最初の日、ハーマイオニーは荷物を置くより先に、ハリーとロンへ調べ物の続きを尋ねた。
帰省中にも、探していたらしい。
しかし、ニコラス・フラメルという名前は見つからなかった。
ハリーは透明マントと、鏡の話をした。
ハーマイオニーは話を聞くうちに、何度も眉を寄せた。
「禁書の棚へ、一人で?」
「本が叫ぶとは思わなかったんだ」
「だから、許可がいるのよ」
ロンが、ハリーはもう鏡を見に行かないと付け加える。
そこで、彼女は少し息を吐いた。
キーノは隣で本を閉じた。
表紙の上へ、小さな銀色の星が出る。
「それ、前にはなかったわね」
ハーマイオニーが気づいた。
「クリスマスに、もらった」
キーノが答える。
「鬼太郎が作った」
ハーマイオニーは星を見て、鬼太郎へ顔を向けた。
「きれいに切れてる。紙を重ねたの?」
「ええ。二枚貼りました」
「本に挟むところは、平らなのね」
キーノが本を少し開いてみせる。
紺色の栞が、頁の間へ収まっていた。
ハーマイオニーは頷いた。
それから、自分の持ってきた本を卓へ置く。
「フラメルの方も、続けないと」
休暇の話から、調べ物の話へ戻った。
鬼太郎は、その切り替えを見ていた。
頼んでいたことを、彼女は忘れていない。
◆
授業のある日々へ戻ると、一日はすぐに埋まった。
鬼太郎は呪文学で習う動きを確かめ、変身術では、変えようとする形を先に考えた。
魔法薬学では、材料の状態と、混ぜる順番を帳面へ残す。
スネイプは相変わらず、よく見ていた。
鬼太郎が手を止めると、何を確かめているのか尋ねる。答えれば、説明の足りないところを短く指摘した。
授業の中で出来ることは、まだ多かった。
鏡で見た力は、帳面の後ろへ書いてある。
失った身体を戻す光。
倒れた仲魔を、もう一度立たせる力。
最後に、敵を一掃した大きな光。
どれも、今ここで試せるものではない。
名前も、まだ出てこなかった。
鬼太郎はその頁を閉じ、授業で使う杖の握りを直す。
先の力を見たことと、今の手を正しく動かせることは、別だった。
◆
ある晩、談話室の入口で、妙な足音がした。
ネビルが入ってきた。
歩いているのではなかった。
脚が揃ったまま、跳ねるように進んでいる。
何人かが笑った。
ハーマイオニーがすぐに立つ。
「脚縛りの呪いだわ」
杖を向け、呪いを解いた。
ネビルの脚が離れる。
ふらついたところを、近くの椅子へ座らせた。
「誰にやられたの?」
「マルフォイ……」
ネビルが小さく答える。
図書館の外で会ったのだという。
練習したかったと言われ、杖を向けられた。
ロンの顔が険しくなる。
「先生に言えよ」
「でも……」
ネビルは、自分の膝を見た。
ハーマイオニーも報告するよう勧める。
ネビルは頷ききれなかった。
勇気が足りないと、マルフォイにも言われたらしい。
ハリーは、ローブのポケットへ手を入れた。
小さな箱を取り出す。
クリスマスにハーマイオニーから届いた、チョコレート蛙の最後の一つだった。
「これ、食べる?」
ネビルが顔を上げる。
ハリーは箱を渡した。
「マルフォイが言ったからって、そのとおりになるわけじゃないよ」
ネビルはしばらく箱を見て、それから開いた。
蛙が跳ねる前に押さえる。
口へ運ぶと、少しだけ顔が緩んだ。
鬼太郎は隣の卓から、二人を見ていた。
ネビルの脚は、もう動いている。
しかし、ハリーが差し出したものは、そこを治すためではなかった。
キーノが本を閉じ、ネビルへ椅子を寄せる。
「立てるか?」
「うん。ありがとう」
ネビルは頷いた。
寝室へ行く前に、箱の中からカードを抜いた。
「ハリー、これ、いる? 集めてるんだろ」
「うん」
ハリーが受け取る。
ネビルが階段へ向かった後、何気なく裏を見た。
そこで、指が止まった。
◆
ダンブルドアのカードだった。
汽車の中で、初めて手に入れたものと同じだった。
ハリーは裏の文字へ、目を近づけた。
有名な功績が並んでいる。
その中に、錬金術の共同研究についての一文があった。
相手の名前を読む。
ニコラス・フラメル。
「これだ」
ハリーの声が、大きくなった。
ロンが振り返る。
「何が?」
「フラメルだ。名前を見たことがあるって、言っただろ。ここにあったんだ!」
カードを差し出す。
ロンとハーマイオニーが、顔を寄せた。
ハリーは文字を指で示した。
ダンブルドアと、ニコラス・フラメル。
錬金術。
それを読むと、ハーマイオニーが息を呑んだ。
「錬金術師……」
顔が上がる。
「待って。私、持ってる本に、その名前があったはず」
椅子を引き、立った。
女子寝室への階段を上がっていく。
ロンはカードを見たまま、ハリーへ言った。
「こんな小さいところにあったのかよ」
「汽車で読んだんだ。あのときは、顔がいなくなった方が気になって」
ハリーはカードの表へ目を向けた。
枠の中のダンブルドアは、今はいる。
何か言いたくなったが、カードの中の人物に聞いても答えは出ない。
ハリーは裏へ戻した。
何度も探していた名前が、そこにあった。
◆
ハーマイオニーが戻ったとき、抱えている本は厚かった。
卓へ下ろす。
挟んでいた紙を抜き、頁をめくる。
「ここ」
指が止まった。
ハリーとロンが読む。
フラメルは錬金術師だった。
そして、賢者の石を作った人物だった。
ハリーは、その文字を見つめた。
「賢者の石?」
「金属を金へ変える。それに、不老不死の薬を作れるの」
ハーマイオニーが、続きを示す。
ロンが身を乗り出した。
「金と、不老不死?」
「薬を飲み続ければ、生き続けられるって書いてある」
ハリーは本と、カードを交互に見た。
ハグリッドが銀行から持ち出した包み。
その後で起きた、銀行への侵入。
三階の大きな犬。
ダンブルドアと、フラメルの名前。
ばらばらだったものが、繋がっていく。
「学校で守ってるのは、それなんだ」
ハリーが言った。
「賢者の石だ」
ロンは頷いた。
「そりゃ、盗もうとするやつもいるよな」
ハーマイオニーは、本を閉じなかった。
文字をもう一度確かめてから、鬼太郎のいる卓へ顔を向ける。
「鬼太郎。分かったわ」
◆
鬼太郎とキーノが、同じ卓へ移った。
ハーマイオニーは、まずカードを見せた。
名前が見つかった場所。
そこから、錬金術の本へ辿り着いたこと。
鬼太郎は途中で急かさず、説明を聞いた。
キーノは、本の文字を追っている。
「飲み続ければ、死なないのか」
彼女が尋ねた。
「老いて死ぬことを防ぐ薬ね。石があるから、作れるの」
ハーマイオニーは、書かれているところを指した。
「じゃあ、飲まなかったら?」
「そこは、これだけだと詳しく分からないわ。少なくとも、一度飲めば終わりというものではなさそう」
鬼太郎は、その答えを聞いて本へ目を落とした。
命を繋ぐもの。
鏡で見た、仲魔を蘇らせる力とは違う。
死んだものを戻すのではなく、生きている時間を延ばすらしい。
どこまで働くのかは、まだ分からない。
「ありがとうございます。名前だけのときより、ずいぶん分かりました」
鬼太郎が言う。
ハーマイオニーは頷いた。
「調べたら教えてほしいって、頼まれていたもの」
「ええ。覚えていてくださったんですね」
鬼太郎はカードを返した。
小さな札だった。
あれだけ本を探していた名前が、菓子の箱に入っていた。
知識のある人へ任せるだけでなく、何を手掛かりに探すかも大切なのだと、覚えておく。
◆
「それなら、欲しがる者も多いでしょうね」
鬼太郎が言った。
「だろ? だから、スネイプが狙ってるんだ」
ロンが返す。
鬼太郎は、すぐには頷かなかった。
「金が欲しいのか、長く生きたいのかでも、動き方は違いそうです」
「どっちも、じゃないのか?」
「そういう方もいるでしょう。ただ、時間が十分にある者と、今すぐ薬を必要とする者では、急ぐ理由が変わります」
ハリーが顔を上げた。
「薬が必要って、病気とか?」
「その薬で何が治るのかは、まだ知りません。ですが、命を長く保つものを求める理由は、老いることだけではないかもしれませんね」
鬼太郎は本を見た。
詳しい仕組みが分からないまま、都合のよい働きを加えることはできない。
これは、候補の一つだった。
学校で隠しているものが、どんな力を持つのか。
それを必要とする者が、何を抱えているのか。
その方が、金の価値だけを考えるより気になった。
「先生方が守っていらっしゃるなら、その辺りも調べておられるでしょう」
鬼太郎が言うと、ハリーは少し顔を曇らせた。
「でも、先生の中に盗もうとしてる人がいたら?」
◆
ハリーは、夜の廊下で見たことを話した。
鏡を見つけた、最初の夜だった。
図書館から逃げた先で、スネイプとクィレルがいた。
クィレルは壁際へ追い込まれていた。
スネイプは何かを隠していると言い、誰に従うべきか考えるよう脅していた。
鬼太郎は黙って聞いた。
キーノも、彼へ目を向けなかった。
クィレルについて、二人で話していたことはある。
しかし、それはハリーたちが今持っている話とは別だった。
「クィレル先生に、手伝わせようとしてるんじゃないかと思うんだ」
ハリーが言った。
「石を盗むために?」
鬼太郎が確かめる。
「うん」
「その言葉は、聞きましたか」
ハリーは少し黙った。
「石の名前は、言ってなかった」
「では、何をさせようとしていたのかまでは、まだ分かりませんね」
ロンが眉を寄せる。
「でも、脅してたんだぞ」
「ええ。それは、伺った話からも分かります。ですが、脅している理由までは、別に確かめる必要があると思います」
鬼太郎はハリーを見た。
「クィレル先生が何かを隠していて、それをやめさせようとしている可能性もあります」
「クィレル先生が?」
ハリーが聞き返した。
「可能性の話です。今の会話だけで、どちらかの目的を決めるのは難しいということですね」
ハーマイオニーが、カードの端へ指を置いた。
「分かったことと、そうだと思っていることを、分けないといけないのね」
「ええ」
鬼太郎は頷いた。
自分にも、推測はある。
しかし、あの試合で見たものだけで、クィレルの全てを知ったわけではない。
校長がどこまで知っているのかも、確認していない。
下手に触れて、相手の動きを早める必要はなかった。
「何か新しく分かったら、また伺ってもよろしいですか」
「もちろん」
ハーマイオニーが答える。
ハリーも頷いた。
スネイプへの疑いは、消えていなかった。
けれど、耳にした言葉をもう一度思い返すことにはなった。
◆
次にセドリックと会ったとき、鬼太郎は、その調べ物を話さなかった。
練習に使う教室には、フリットウィックがいた。
机と椅子は壁際へ寄せられている。
床に、立ち位置を示す印があった。
「今日は、最初の手が通らなかった後を見たいんだって?」
セドリックが尋ねた。
「はい。準備していた組み合わせを崩されると、次を作るまでに時間が掛かるんです」
「じゃあ、同じ順番で防ぐのはやめておこう」
セドリックが笑う。
鬼太郎も笑った。
「お願いします」
フリットウィックが、二人の間を見た。
「杖の呪文だけだよ。使うものは、いつもと同じ範囲で。こちらが止めたら、すぐに止めなさい」
二人が頷く。
鬼太郎は黒い杖を持ち上げた。
反対の手は、魔法を出すために開かない。
鏡で見た大きな火も、雷も、ここでは使わない。
今ある技術で、目の前の相手へ届く道を作る。
◆
「ペトリフィカス・トタルス」
鬼太郎の光が、セドリックへ向かった。
防がれる。
鬼太郎は横へ移った。
次に武装解除を向けようとする。
その前に、セドリックの杖が動いた。
光が来る。
鬼太郎は上げかけた腕を引き、足を止めずに退いた。
用意していた順番が切れた。
そこで、何も出せない時間を作らない。
くすぐりの呪文を返す。
セドリックがそれを防いだ間に、鬼太郎は姿勢を整えた。
すぐに、同じ攻めを繰り返さなかった。
相手の杖先と、肩を見る。
どちらへ動けるかを確かめる。
セドリックが、今度は間を詰めた。
鬼太郎も位置を変える。
廊下で話を聞くときとは違い、答えを待ってはくれない。
呪文が通らなければ、その場で選び直す必要がある。
鬼太郎は、笑みを深めた。
◆
一度目は、セドリックに先を取られた。
退いた先へ、次の呪文が来た。
鬼太郎は大きく離れ、構え直すまでに間を失う。
フリットウィックが止めた。
「今の場所を、見てごらん」
床の印を指す。
「最初の攻めが崩れた後、相手から離れることだけを選んだね」
「はい。次に向ける場所が、遠くなりました」
「安全に退くことは大事だ。でも、その後で何をするかも残しておこう」
鬼太郎は、セドリックが立っていた方を見た。
セドリックが杖で、先ほどの向きを示す。
「ここへ来ると思ったから、待てたんだ」
「ええ。こちらも、同じ方へ寄っていましたね」
鬼太郎は頷いた。
次に始めたときは、退く向きを変えた。
セドリックの呪文が、先ほどより長く追ってくる。
その間に、鬼太郎の杖が上がった。
武装解除の光を出す。
セドリックは防いだ。
しかし、そこで一度、足を止めた。
鬼太郎は追い急がず、立て直した。
フリットウィックが、二人の手元を見た。
「そこまで」
声が掛かる。
鬼太郎は杖を下ろした。
◆
「今のは、次を選べたね」
フリットウィックが言う。
鬼太郎は息を整えた。
「はい。こちらが出したいものより、出せるところを先に探しました」
「その違いを覚えておくといい」
セドリックが隣へ来る。
「こっちも、さっきと同じようには追えなかった」
「また、違う追い方をしていただけますか」
「休んでからね」
先にフリットウィックが答えた。
セドリックが笑う。
「先生の言うとおりだよ。僕も、ちょっと息を入れたい」
「ええ。失礼しました」
鬼太郎は素直に、壁際へ下がった。
水を飲み、帳面へ短く書く。
仕掛けが崩れた後。
安全に退く。
次を出せる位置も残す。
鏡で見た力より、ずっと小さな練習だった。
しかし、これは自分で使えるものになる。
鬼太郎は最後の行へ印を付けた。
◆
談話室へ戻ると、キーノが顔を上げた。
「どうだった?」
「一度目は、退いた先を待たれました。二度目は、こちらも次を出せました」
鬼太郎が隣へ座る。
キーノは、彼の呼吸を見てから本を閉じた。
「休んだか?」
「ええ。先生に言われてから、ディゴリーさんと水を飲みました」
「言われる前に休めばいいのに」
鬼太郎は笑った。
「続けて確かめたくなってしまいますね」
「分かってるなら、覚えとけ」
キーノはそう言い、卓の端へ本を置いた。
銀色の星が、暖炉の光を受ける。
向こうの卓では、ハーマイオニーが錬金術の本を開いていた。
ロンが何か尋ね、ハリーがカードを出す。
名前は分かった。
石の働きも、少し分かった。
それでも、誰が何のために狙っているのかは、まだ決まっていない。
鬼太郎は、自分の帳面を開いた。
今日直した足の位置と、その後に出した呪文を書く。
調べる者がいて、教える者がいて、相手をしてくれる者がいる。
その時間を使えるうちに、使える力を増やしておく。
キーノが、帳面の図を覗いた。
「こっちへ退いたのか」
「ええ。前は、こちらでした」
鬼太郎が指で示す。
彼女が、その違いを見た。
窓の外は暗くなっていた。
今夜は、目の前の図へ次の一手を書き足した。
教わり、試し、また考える。次の練習を待てるだけの時間もある。
鬼太郎はペン先を止め、小さく呟いた。
「今のこの時間は、とても有意義ですから。邪魔をする方がいるなら、退場していただくことも考えなくてはなりませんね」