第百三十三話 伏せた話にも、繋がるものがある
休日の朝、鬼太郎とキーノは学校の外にある指定の場所へ向かった。
戻る予定を伝えてある。
鞄の中には、授業の本と、練習の帳面が入っていた。
キーノは葡萄色のマフラーを巻き直し、鬼太郎の隣へ立った。
「今回は、何を確かめるんだ?」
「呪文で作った隙がなくなった後です。学校で練習したものを、魔法と一緒にも使ってみたいので」
「また、最初の手が崩れた後か」
「ええ。こちらが考えたとおりに動いてくださる相手ばかりではありませんから」
鬼太郎はポートキーを取り出した。
二人で触れる。
足元が引かれ、冷たい朝の景色が遠ざかった。
◆
砦の近くには、まだ雪が残っていた。
木の根元や石の陰が白い。
キーノは着いた場所から一歩動き、外套を整えた。
森の空気を吸う。
学校より、土と木の匂いが近かった。
鬼太郎は周囲を見てから、入口へ向かった。
留守中に倒れた枝は、道の脇へ寄せられている。
受け渡しに使う場所にも、荷が残っていた。
森の住民に会い、短く話を聞く。
雪で通りにくくなった道。
水の流れが変わったところ。
境界の近くに、不審な人間が来ていないか。
今回、追うべき侵入者はいなかった。
鬼太郎は教えられた場所を覚え、必要なところは後で自分でも見ることにした。
砦へ入ると、サーシェスがいた。
◆
「戻ったか、坊主」
椅子へ座ったまま、声を掛けてくる。
「はい。ただいま戻りました」
鬼太郎が鞄を置く。
キーノも外套を脱ぎ、暖炉の近くへ掛けた。
サーシェスが立ち上がる。
その動きを見て、鬼太郎の目が止まった。
普段なら、椅子を離れると同時に身体が前へ出る。
今日は、少し遅い。
片方の肩を動かす前に、腕の位置を確かめていた。
「肩を庇っていらっしゃいますね」
鬼太郎が言う。
サーシェスは、彼を見た。
「目ざといな」
「痛めたんですか」
「森で仕事をして、少しやられた」
サーシェスは肩を回そうとし、途中で止めた。
「まだ、ここが引っ掛かる」
鬼太郎は、その手元を見た。
サーシェスが依頼で傷を負うことは、ないわけではない。
それでも、帰ってきた後まで動きに残るのは珍しかった。
「どんなお仕事だったんです?」
「その辺は話せねえ。依頼主に止められてる」
返事は、短かった。
鬼太郎はすぐに頷いた。
「そうですか。では、伺いません」
サーシェスの口元が、少し上がる。
「気にならねえのか?」
「気にはなりますよ。サーシェスさんが、そのように動かれるのは珍しいので」
鬼太郎は答えた。
「ですが、依頼の信用に関わりますから。僕も、仕事で知ったことを、誰にでも話すわけではありません」
「そりゃそうだ」
サーシェスが笑う。
「話せるのは、森でやられたってことと、まだ少し残ってるってことだな。仕事の中身は、なしだ」
「分かりました」
鬼太郎は、その先を聞かなかった。
◆
「治療は、受けられたんですね」
鬼太郎が、今度は傷のことを尋ねた。
「ああ。学校の医者に診てもらった」
サーシェスが答える。
「あの先生、俺が動く前から、動くなって言いやがる。だいぶ戻ったけどな」
鬼太郎は、少しだけ間を置いた。
森。
学校の医者。
ポンフリーの治療を受けたらしい。
この砦の近くで怪我をして、わざわざ学校まで運ばれた可能性もある。けれど、学校の近くの森で受けた仕事だったと考えれば、話はもっと近くで繋がる。
禁じられた森。
何か、異変が起きているのだろうか。
鬼太郎は、ハグリッドの顔を思い浮かべた。
森の様子なら、あの人に尋ねられる。
後で機会があれば、聞いてみよう。
そう考えただけで、口には出さなかった。
サーシェスへ依頼の詳しい内容を言わせるつもりはない。
今、見えているのは肩の動きだった。
「では、念のため。ディアも掛けておきましょうか」
「まだ、残ってる傷にか?」
「ええ。少し補助になるかと思います」
サーシェスは、肩へ目を落とした。
「頼む」
◆
鬼太郎は、彼の肩へ手を添えた。
MAGを集める。
「ディア」
淡い光が、手の下へ広がった。
ポンフリーの治療は、既に働いている。
大きく損なわれたままの場所へ、一から力を使う必要はなかった。
鬼太郎は残る傷へ意識を向け、余分に力を流し続けないよう、手を止めた。
光が消える。
「動かしてみていただけますか」
サーシェスは、ゆっくり腕を上げた。
先ほど止めたところを越える。
肩を少し回し、息を吐いた。
「さっきより、楽だな」
「それなら、よかったです」
鬼太郎は手を離した。
キーノが二人を見ている。
「楽になったからって、すぐ使いすぎるなよ」
「学校の医者と同じこと言うな」
サーシェスが笑った。
「分かってる。治したばっかりのところを潰しちゃ、面倒だ」
彼は椅子へ戻った。
怪我をしていた間の疲れまで、一度になくなったわけではない。
それを、本人も分かっているらしかった。
◆
「坊主の方は、どうだ」
サーシェスが尋ねた。
「学校で使う杖の呪文は、前より扱いやすくなりました」
「見せてみろよ」
鬼太郎は卓の上を見た。
空の木杯がある。
使ってよいか確かめてから、杖を向けた。
「ウィンガーディアム・レビオーサ」
杯が浮く。
高く上げず、卓の少し上を通した。
向きを変え、反対側へ置く。
中身をこぼさない程度の、静かな動きだった。
サーシェスは、その手元を見た。
「余計な間が減ったな」
「先生に、何度も直していただきました」
「動かすもんを見続けなくても、出来るようになったか」
「少しずつですね。相手に変えられると、まだ追ってしまうこともあります」
鬼太郎は杖を下ろした。
「ディゴリーさんと練習すると、同じところを待っていてくださらないので」
「あの、学校の相手か」
「はい」
サーシェスが笑う。
「いい相手が出来たじゃねえか」
鬼太郎も笑った。
「ええ。今日は、こちらでも試せます」
キーノが、鞄から帳面を出した。
「やる前に、水を飲め」
「はい」
鬼太郎は杯を持ち上げた。
今度は、手で取った。
◆
砦の外へ出ると、鬼太郎はまず空いた地面を見た。
薄い雪を踏み、下の土の状態を確かめる。
木々の間へ入る前に、使う手を整理した。
杖で狙うもの。
魔法で変える場所。
次へ移るために、残す道。
ザンで枯葉を巻き上げ、風を広げすぎずに止める。
ブフで地面の一部を凍らせ、足を置かない場所を覚える。
凍らせた場所を回り込みながら、杖で離れた枝を持ち上げる。
動かすものだけを見ない。
進む先へ、目を残す。
キーノは少し離れて立っていた。
鬼太郎の杖先と、足の向きを見ている。
サーシェスは砦の入口から、短い練習を眺めていた。
肩を大きく動かすことはしない。
鬼太郎が一度止まると、声を掛けた。
「今、そっちへ寄りすぎた」
木の間を顎で示す。
「向こうを見てるやつがいたら、待ちやすいぞ」
鬼太郎は振り返った。
自分が踏んだ跡を見る。
「ええ。道がある方へ、揃えてしまいましたね」
足の位置を変える。
もう一度、同じところを通った。
サーシェスは何も言わず、頷いた。
◆
グロブニクは、鬼太郎たちが森へ来たことに気づいていた。
姿を見せたのは、鬼太郎が練習の場所を変えようとしたときだった。
大きな黒い身体が、木々の陰から現れる。
閉じた左目の上には、傷があった。
開いている右目が、暗い赤を宿して鬼太郎を見る。
鬼太郎は、足を止めて一礼した。
「グロブニクさん。少し、お相手をお願いできますか」
狼は、その手の杖へ目を向けた。
次に、反対の手を見る。
「今日は、何をする」
「最初に作った手が崩れた後にも、次を出せるようにしたいんです」
「崩れなければ、続けるのだろう」
鬼太郎が笑った。
「はい。通るなら、そのまま使います」
グロブニクは鼻から息を吐いた。
鬼太郎の前を横切り、木の少ないところへ出る。
そこで、向き直った。
キーノは外側へ退いた。
砦の前にいたサーシェスからも、この場所は見えた。
◆
先に動いたのは、鬼太郎だった。
ザンが地面を走る。
雪と枯葉を巻き上げ、狼の前へ薄い幕を作った。
その向こうへ、杖の光を通す。
グロブニクは、正面へ踏み込まなかった。
幕の端を抜け、鬼太郎が移ろうとする方へ大きな身体を向けた。
前と同じようには、隠れられない。
鬼太郎は上げかけた手を戻した。
ブフを出すつもりだった場所へ、狼は来ていなかった。
そこを凍らせれば、自分の道が狭くなる。
杖で、別の方向の枝を動かす。
狼の右側を、枝が低く横切った。
グロブニクが、そちらを見ずに跨ぐ。
鬼太郎は、その間に位置を変えた。
完全に隠れるためではない。
次の手を出せる距離へ戻るためだった。
◆
狼が来る。
速かった。
鬼太郎は後ろへまっすぐ退かなかった。
足を斜めへ置き、前脚の届くところから外れる。
右手の杖は、狼へ残した。
左手を低く向ける。
「ブフ」
狼の進む先で、土が白く変わった。
グロブニクが歩幅を変える。
凍った場所へ、大きな身体を預けなかった。
避ける動きの先へ、鬼太郎が杖を振る。
光が、黒い毛の縁を掠めた。
届ききらない。
だが、狼は一度、前へ進む勢いを切った。
鬼太郎は、その間に息を入れた。
今なら、次を選べる。
最初に考えた手ではなかった。
それでも、手を止めたままにはならなかった。
グロブニクが、また向きを変える。
鬼太郎は笑い、足を動かした。
◆
次のやり取りでは、枝を動かす杖へ合わせられた。
グロブニクが、鬼太郎の手の向きから進む方を変える。
鬼太郎は、そのまま呪文を続けなかった。
持ち上げた枝を下ろす。
反対の手でザンを使い、地面の枯葉を横へ流した。
狼の目を塞ぐには足りない。
けれど、足元の一部が見えなくなった。
その間に、鬼太郎は大きく離れた。
まだMAGはある。
もう一度、攻めを作ろうとする。
「鬼太郎。一度、切れ」
キーノの声がした。
鬼太郎は手を上げたまま、彼女へ目を向ける。
「戻した枝と、凍らせた場所を見ろ。始めたときと、もう違う」
鬼太郎は地面を見た。
使ったものが、残っている。
自分が退ける道も、少し変わっていた。
まだ続けられるという考えが、先に来ていた。
鬼太郎は、手を下ろした。
「ええ。少し休ませてください」
グロブニクも止まった。
大きな前脚を、凍っていない土へ置く。
「前より、捨てるのが早くなった」
狼が言った。
「使えなくなった手を、ですか」
「ああ。だが、捨てたものも、そこに残る」
鬼太郎は頷いた。
校長に使われた薪と、同じ話だった。
「覚えておきます」
キーノが、外側から近づいてきた。
「覚える前に、片づけろ。次に足を置く方が困る」
「はい」
鬼太郎は息を整えてから、枝を戻した。
◆
短い休憩の後、もう一度だけ相手をしてもらった。
今度は、グロブニクが先に動いた。
鬼太郎は急いで幕を作らなかった。
まず、空いている道を選ぶ。
狼の動きを見て、使う場所を決める。
それでも、先を取られることはあった。
最後は、杖を向け直す前に、大きな前脚が届いた。
鬼太郎は身を引き、そこで止めた。
グロブニクは追わなかった。
「ありがとうございました」
鬼太郎が頭を下げる。
右目が、その顔を見た。
「次は、その間を短くしろ」
「ええ。またお願いします」
鬼太郎は笑った。
狼は、短く鼻を鳴らした。
それから、自分の森の方へ戻っていった。
◆
砦へ戻ると、サーシェスは椅子へ座っていた。
「最後は、間に合わなかったな」
「はい。杖を戻すところを、待たれました」
鬼太郎が答える。
「でも、最初の手をやめた後にも、何度か続けられました」
「前より、そこは動くな。相手が待ってるところへ、自分から戻らなくなってる」
サーシェスは言い、肩を小さく動かした。
鬼太郎が、その動きへ目を向ける。
「痛みは、戻っていませんか」
「大丈夫だ。さっきより楽なままだ」
「それなら、よかったです」
キーノが、水を二人の前へ置いた。
自分も杯を持って座る。
サーシェスの依頼については、誰も尋ねなかった。
話したのは、今の練習と、学校で覚えたことだった。
鬼太郎は、今日の位置を帳面へ描いた。
キーノが、残した枝の場所を指で示す。
サーシェスは、その向こうの道へ目を落とした。
「ここを塞いだ後、どこへ行くかだな」
「ええ」
鬼太郎は、一本線を足した。
◆
学校へ戻ったのは、予定していた時刻だった。
二人で帰還を伝え、寮へ向かう。
談話室には、ハリーとロンがいた。
ハーマイオニーも、同じ卓へ座っている。
ハリーは鬼太郎たちを見ると、少し身体を起こした。
「戻ったんだね」
「ええ」
鬼太郎が答える。
ロンは、落ち着かない様子で椅子へ寄りかかっていた。
「次の試合、スネイプが審判なんだって」
キーノが顔を向ける。
「いつもの先生じゃないのか?」
「そうなんだよ。ハリーのいる試合で、わざわざ」
ロンが言う。
ハリーは、自分の手元を見た。
「ウッドが、練習で言ってた。早くスニッチを捕まえろって」
「前のことがあるものね」
ハーマイオニーの声も固かった。
鬼太郎は鞄を置き、椅子へ座った。
スネイプが、審判として近くへ出る。
前の試合では、席から何かを唱えていた。
同じとき、クィレルも見ていた。
鬼太郎は、二人の位置を思い返した。
今度は、スネイプの場所が変わる。
それが、何のためなのか。
まだ、決めることはできない。
「先生方の席だけを見ていればよい試合では、なくなりますね」
鬼太郎が言った。
ハリーが顔を上げる。
「見ててくれる?」
「ええ。観戦には行くつもりです」
鬼太郎は答えた。
その約束をしてから、校庭の向こうにある森も思い浮かべた。
サーシェスが怪我をした森は、どこだったのか。
詳しい仕事を聞くつもりはない。
ただ、学校の近くで何か変わっているなら、森番に聞いておく価値はある。
ハグリッドへ尋ねることを、頭の片隅に残した。
今は、ハリーたちの話の続きを聞く。
帰ってきた学校にも、確かめたいことが増えていた。