第百三十四話 繋ぐ血は、明日を選べない
次の試合の話は、夕食へ向かう途中にも続いた。
ロンは、スネイプが審判をする理由をいくつも挙げた。どれも、ハリーにとって都合の悪いものだった。
「反則だって言われたら、どうするんだよ。あの先生なら、ハリーが飛んでるだけでも文句をつけそうだ」
「飛ぶのは、反則じゃないわ」
ハーマイオニーが答えた。
「分かってるよ。だから、何か理由を作るんじゃないかって」
ハリーは二人の隣を歩いていた。
言い返さずに、階段の先へ目を向けている。
鬼太郎は、前の試合で見たスネイプの顔を思い返した。
空へ向けた目と、止まらず動いていた唇。クィレルが倒れた後にも、箒へ残った異常が解けるまでの短い時間があった。
今度、スネイプは競技場へ出る。
観客席の同じ場所へ目を向けるだけでは、前と比べられない。
「観戦する際には、先生方の位置も見ておきます」
鬼太郎が言うと、ハリーが顔を向けた。
「ありがとう」
その返事を聞いて、鬼太郎は頷いた。
森のことは、今は話さなかった。
サーシェスから聞いた二つの言葉だけでは、まだ人へ伝える話になっていない。
◆
ハグリッドの小屋へ向かったのは、翌日の授業が終わってからだった。
キーノは、葡萄色のマフラーへ顎を埋めていた。日が傾くと、城を離れた道には風がよく通る。
「聞くだけだぞ」
隣で言う。
鬼太郎は笑った。
「ええ。森の様子を伺おうと思っています」
「面白い相手がいるか、まで聞くなよ」
「その前に、何が起きているかですね」
キーノが横目で彼を見た。
小屋の煙突から、煙が細く上がっていた。
扉を叩くと、内側でファングが吠える。続いて椅子を動かす音がした。
「おう。鬼太郎に、キーノか。入れ、入れ。外は寒かったろ」
ハグリッドが、大きな身体を脇へ寄せた。
ファングは入口へ来たが、鬼太郎を見ると歩みを緩めた。ハグリッドの脚の陰へ戻り、そこから鼻を動かす。
「お邪魔します」
鬼太郎が一礼する。
キーノも挨拶して中へ入った。
暖炉の熱が、外套越しに身体へ届いた。
◆
卓へ大きな茶器が出される。
キーノは両手でカップを持ち、まず湯気へ顔を近づけた。
ハグリッドは最近の授業について尋ねた。キーノが、浮かせたものを止めるのが前より上手くなったと話すと、大きく頷く。
「そいつはいい。落とす場所まで考えねえとな」
「まだ、下ろすときに傾くことはある」
「慣れりゃ、出来るようになるさ」
鬼太郎は茶を一口飲んでから、窓の外へ目を向けた。
森の木々が、遠くで黒く重なっている。
「ハグリッドさん。最近、森の生き物の様子は、いかがですか」
「森か?」
「冬になると、動く場所も変わるのでしょうか。何か、変わったことはありませんか」
ハグリッドの手が、茶器のそばで止まった。
大きな眉が寄る。
「冬なら、冬の暮らし方がある。餌を探す場所もな。だが、今は、それだけじゃねえんだ」
鬼太郎はカップを置いた。
「何かあったんですか」
「ユニコーンが、やられてる」
ハグリッドの声が低くなった。
「傷を負ったやつもいる。死んだやつも見つかった。あんな生き物を襲うなんて、まともなことじゃねえ」
キーノも、カップを下ろした。
「何に襲われたんだ?」
「まだ、分からん」
ハグリッドが首を振る。
「森にはいろんなもんがいるが、ユニコーンを捕まえるのは簡単じゃねえ。それに、あいつらをわざわざ狙うなんてな」
暖炉の薪が、小さく爆ぜた。
ハグリッドは音のした方を見ず、両手を膝へ置いた。
◆
「調べていらっしゃるんですね」
鬼太郎が尋ねる。
「ああ。校長先生にも話してある。俺も、様子を見に行ってる」
そこで、ハグリッドは少し顔を上げた。
「今年から学校の仕事を手伝うようになった、サーシェスっつう男もな。ユニコーンを守るために、手を貸してくれちょる」
キーノの指が、カップの取っ手へ触れたまま止まった。
鬼太郎は、ハグリッドを見ていた。
「そうなんですか」
「生き物を放っとけねえからな。俺一人で全部見て回るわけにもいかんし、助かってる」
ハグリッドは二人の顔を、知り合いの名前を聞いた顔とは受け取らなかった。
森で傷ついた生き物の話をするうちに、手を貸す者の名前も出たらしい。
サーシェス。
学校の依頼で、この森へ入っている。
鬼太郎の中で、ようやく場所が定まった。
しかし、負傷したのがその仕事の最中だったかは、ハグリッドの言葉にはない。何と戦い、どう傷ついたのかも分からなかった。
「早く、襲っているものが分かるとよいですね」
「ああ。だが、お前さんたちは森へ入るなよ」
ハグリッドが、二人を順に見た。
「何がいるか分からんうちは、なおさらだ。見に行ったって、いいことはねえ」
「分かりました。今日は、こちらでお話を伺うだけです」
鬼太郎が答える。
キーノも頷いた。
ハグリッドは茶を足したが、ユニコーンの話をしてからは、時々窓へ目を向けていた。
◆
小屋を出る頃には、風がさらに冷たくなっていた。
扉が閉まる。
二人は城へ続く道を歩き、窓から十分に離れてから、互いの顔を見た。
「名前が出たな」
キーノが言った。
「ええ。学校の森で仕事をしていることは、分かりました」
「怪我も、その仕事か?」
「その可能性は高くなりましたね。ただ、ハグリッドさんは、怪我のことを話していません」
鬼太郎は森へ目を向けた。
サーシェスの肩に残っていた、動きをためらう間。
相手がただの獣だったのか、杖を持つ人間だったのか。それを見た者の話は、聞けていない。
ハグリッドは、何がユニコーンを襲うのか分からないと言った。
知らない人から、答えを引き出すことはできない。
「それより、なぜユニコーンなのでしょう」
鬼太郎が呟いた。
「売るためじゃないのか」
「捕まえて売るのでしたら、生かして運ぶでしょう。殺して得るものにも価値があるのかもしれませんが、まだ詳しく知りません」
森では、素材を扱ってきた。
抜け落ちたものを集めて売れる生き物も、傷つけなければ得られない部位もある。使う者が何を求めるかで、狩り方は変わる。
ユニコーンについて、鬼太郎がすぐに挙げられるのは、杖の芯に使う尾の毛だった。
隣にいるキーノの杖にも、入っている。
「図書館へ寄ってもよろしいですか」
「私も行く。生き物の本なら、絵もあるだろ」
キーノが答えた。
二人は森へ向かう道を離れ、城の入口へ戻った。
◆
図書館は、まだ生徒が多かった。
窓際では数人が羊皮紙を広げ、書架の間を本を抱えた上級生が通る。
鬼太郎はパンスへ挨拶し、ユニコーンの生態と、魔法薬の材料について調べたいと伝えた。
示された書架から、魔法生物の解説書を取る。次に、素材の用途が載った本を選んだ。
キーノが薄い一冊を持ち、鬼太郎が残りを卓へ運ぶ。
空いた席で外套を整えて座った。
索引を調べ、頁を開く。
白い馬に似た生き物が、木々の間で首を上げていた。額から一本の角が伸びている。
鬼太郎は絵の下から読み始めた。
北ヨーロッパの森林に棲む。
成長した身体は白いが、仔は金色で生まれ、育つにつれて銀色を経る。
「最初から白いんじゃないのか」
キーノが、絵へ指を近づけた。
「そうですね。姿が違えば、同じ生き物だと分からないかもしれません」
彼女は、金色の仔が描かれた小さな挿絵を見た。
次の頁には、角が伸び始める時期についても説明があった。
鬼太郎は帳面へ短く書く。
見た目だけでは、年齢によって間違える。
森で何を見たか尋ねるときにも、覚えておく価値はあった。
◆
素材の本では、尾の毛と角を探した。
毛は杖の芯に使われる。魔法薬の材料としての用途も載っていた。角も薬の材料として扱われ、用途によって処理を施す。
ただ価値が高いと読むだけで終えず、鬼太郎は、どの部位をどの状態で使うのかを帳面へ分けた。
キーノは、自分の杖を置いた鞄へ目を落とした。
「私のにも、入ってるんだよな」
「ええ。一角獣の尾の毛でしたね」
「こんな小さな毛で、呪文が使えるのか」
「他の芯もありますから、毛だけの働きではないのでしょうけれど。選ばれた理由は、僕も知りたいですね」
キーノは頷いて、本文へ戻った。
鬼太郎は、尾の毛の用途の横へ線を引く。
それを得るだけなら、ユニコーンを必ず殺さなければならないとは考えにくい。
しかし、毛や角が現場から持ち去られたかどうかは聞かなかった。
素材目当ての狩りという可能性は、まだ消せない。
帳面には、確認していないこととして、その二つを残した。
◆
血についての記述は、初めに開いた頁にはなかった。
別の見出しに、利用に伴う危険として載っていた。
鬼太郎が本を引き寄せる。
銀青色の血。
死が迫った者であっても、それを飲めば命を保つことができる。
そこで、読む速度が落ちた。
死んだ者を蘇らせるのではない。
生きている者が、死へ至るのを先延ばしにする。
続く説明では、一度飲めば健康な身体へ戻るわけではないとされていた。命を繋ぐ効果に頼り続けるなら、再び血を飲まなければならない。
鬼太郎は、その行へ指を置いた。
「キーノさん。ここを」
声を低くする。
キーノが本へ身を寄せた。
「死にそうでも、生きられる……?」
「ええ。ただ、一度で終わるものではないようです」
彼女は先を読んだ。
眉が寄る。
「呪われるのか」
鬼太郎も、その説明を読み直した。
無垢なユニコーンを殺し、己の命のために血を飲む。その代償は、血が唇に触れたときから飲んだ者の生へ及ぶ。
残されるのは、呪いを伴う、不完全な生。
命を救う材料として紹介する頁ではなかった。
利用を止めるための警告が、文章の中に強く残っていた。
◆
鬼太郎はペンを持ったまま、しばらく動かさなかった。
傷を塞ぐだけでは、失った血や疲労は戻らない。
ディアを使うたびに、その違いは見てきた。
しかし、この血は、身体を元へ戻すことより、命を終わらせないことに働くらしい。
何が損なわれた者へ、どこまで通じるのか。
その詳しい境目は、今読んでいる説明では分からない。
呪いの具体的な症状も、列挙されてはいなかった。
鬼太郎は勝手に補わず、分かる働きと代償を書き留めた。
「それでも飲むやつが、いるってことか」
キーノが言った。
声には、少し嫌悪が混じっていた。
「ええ。死ぬよりは、その生を選ぶ者がいるのでしょう」
鬼太郎は答えた。
「怖がらないのか。呪われるんだぞ」
「怖いからこそ、飲む場合もあると思います。死が、呪いより近くにあるなら」
キーノは黙った。
自分ならどうするかとは、答えなかった。
鬼太郎も彼女へその選択を尋ねず、本の先をめくった。
血を飲む間隔や量を決める記述は見つからない。
再び飲む必要があることだけを、帳面へ残した。
◆
書き終える前に、鬼太郎のペンがもう一度止まった。
賢者の石。
ハーマイオニーの本で見た、もう一つの命を繋ぐもの。
石があれば、不老不死の薬を作れる。
その薬を飲み続けることで、生き続けられる。
学校へ隠された石を狙う者には、金以外の目的があるかもしれないと考えていた。
今、その目的に、ユニコーンの血が重なった。
「何か、思いついたのか」
キーノが彼の手元を見た。
鬼太郎は顔を上げ、近くの卓を確かめた。
生徒は自分の本へ向いている。
それでも声を落とした。
「賢者の石を狙っている者は、もう死にかけているのかもしれません」
キーノの目が、本から彼へ移った。
「それで、血を飲んでる?」
「ええ。石を手に入れるまで、命を繋いでいるのではないでしょうか」
鬼太郎は、帳面の空いたところへ石の名を書いた。
「定期的に飲まなければならないなら、ユニコーンを一度襲って終わりにはできません。血で生き延びながら、学校で守られている石を手に入れようとしている。そう考えると、両方を狙う理由が繋がります」
キーノは書かれた文字を見た。
「森で襲ってるのと、石を狙ってるのが、同じやつか」
「僕は、その可能性があると思います」
◆
キーノはすぐには頷かなかった。
血について書かれた頁へ指を置く。
「でも、ハグリッドは、飲まれてるって言ったか?」
「いいえ。襲われたことと、死んだ個体がいることだけです」
「なら、そこはまだ分からないな」
「ええ。角や毛を奪う者も、候補として残っています」
鬼太郎は帳面へ、血の持ち去りは未確認と加えた。
キーノが小さく頷く。
「石を手に入れたら、その呪いもなくなるのか?」
鬼太郎は、本をもう一度見た。
「そこまでは、分かりません。石の薬で呪いが解けるという説明は、まだ読んでいませんから」
「呪いが残っても、死なずにいられればいいのか」
「そう考えているかもしれませんし、僕たちが知らないことを知っているのかもしれません。少なくとも、今の命を繋ぐ血と、その先も生き続けるための石を欲しがる理由はあります」
キーノは椅子へ背を戻した。
机の上には、白い生き物の絵が開かれている。
その姿からは、誰かの死を遅らせる血と、飲んだ者を縛る呪いは見えなかった。
◆
鬼太郎は帳面の端へ、小さくサーシェスの名を書いた。
森でユニコーンを守る仕事。
肩に残った傷。
詳しい話は聞かない約束。
校長が依頼した者を置くほどの異変であることは、分かった。
だが、サーシェスが何を見たのかは、本人が話せないと言った。
鬼太郎は、その名の横へ敵の正体を書き込まなかった。
クィレルの、ハリーへ向いた目を思い返す。
授業で会う姿を、死にかけた者と決める理由もない。森の襲撃と石への執着が繋がるとしても、誰が血を必要としているかまでは、この本には載っていない。
「サーシェスに、聞くのか」
キーノが尋ねた。
「いいえ。仕事の内容を聞かないという話は、変わりません」
鬼太郎は帳面を閉じた。
「ハグリッドさんのお話で、新しく分かったことはあります。ですが、それを使ってサーシェスさんに答えを迫るつもりはありません」
「じゃあ、今は調べたところまでか」
「ええ」
キーノは、自分の本へ栞を挟んだ。
小さな銀色の星が、表紙の外へ出た。
◆
二人は使った本を片づけ、借りられる一冊を持って図書館を出た。
廊下の窓から、夕暮れの校庭が見える。
その向こうに、禁じられた森があった。
鬼太郎は歩みを止めず、窓越しに木々を見た。
死にかけている者。
呪いを負っても、命を繋ぐ者。
その者が、次に欲しがるもの。
石を狙う理由は、単なる金や、遠い老いへの恐れだけではなくなった。
もう時間が残っていないのなら、守る側が考えるより早く、相手が動くかもしれない。
「どうした?」
キーノが顔を向ける。
「石を狙う方には、待てる時間が少ないのかもしれませんね」
鬼太郎は答えた。
彼女は森へ目をやり、それから抱えた本を持ち直した。
「だから、血で待ってるのか」
「ええ。もし、同じ者なら」
廊下の先から、生徒たちの声が近づいてきた。
夕食へ向かう流れへ、二人も加わる。
鬼太郎は借りた本を腕へ収めた。
誰が石を欲しがるのか。
その答えはまだない。
けれど、欲しがる者が何を失いかけているのかは、昨日よりも具体的に考えられた。