第百三十八話 隠した殻にも、息が宿る
図書館を出て階段を下りると、ハリーとロンが中庭へ向かうところだった。
ハーマイオニーが二人を呼ぶ。
「ハグリッドの所?」
「うん。君たちも?」
ハリーが足を止めた。
「図書館で会ったの。私たちも来ればいいって」
「何を見せてくれるか、聞いた?」
ロンが尋ねる。
キーノは首を振った。
「来てからのお楽しみだとさ。本は隠してた」
「本?」
「棚から取ったんです。僕たちに気づくと、背中へ回されました」
鬼太郎が答えた。
ハリーは少し考え、外へ続く扉を見た。
「行ってみよう。石のことで、聞きたいこともあるんだ」
ロンが頷く。
鬼太郎は二人の後へ続き、キーノと並んで城を出た。
◆
芝生の上では、生徒たちが陽の当たる場所を選んで座っていた。
本を膝へ開いている者もいる。数人で話しながら、手にした菓子を分けている者もいた。
鬼太郎は小屋の窓へ目を向けた。
この天気でも、カーテンが閉じている。
煙突からは煙が上がっていた。
ハリーが扉を叩く。
中で椅子を引く音がして、誰だと尋ねる声がした。
「ハリーだよ。みんなも一緒」
少し待つと、扉が開いた。
ハグリッドの大きな顔が覗く。
「おう。入れ、入れ」
五人が中へ入ると、彼はすぐに扉を閉めた。
キーノが、首元の留め具へ指を掛ける。
「暑いな」
暖炉には、火が大きく燃えていた。
頬へ当たる空気は、外とはまるで違う。鬼太郎は上着を緩め、椅子の位置と暖炉までの距離を見た。
ファングが立ち上がりかけ、彼の姿を見て寝床へ戻る。
ハグリッドは五人へ椅子を勧め、湯を用意し始めた。
「窓、開けてもいい?」
ロンが尋ねる。
「悪いが、今日は閉めといてくれ」
答えながら、ハグリッドの目が暖炉へ動いた。
ハリーも、その視線を追った。
火の奥に、黒いものがある。
薪ではなかった。
丸く、大きい。
「ハグリッド。あれ……」
彼が言いかけると、ハグリッドは隠しきれない笑みを浮かべた。
「見つけたか」
◆
ロンが椅子を離れ、暖炉の前へ近づいた。
ハーマイオニーも身を乗り出す。
黒い殻が炎の中に置かれていた。
鬼太郎はキーノと一緒に立った。
卵だった。
鶏のものより、ずっと大きい。表面は火に照らされても、簡単に焼け崩れる様子がなかった。
「まさか、ドラゴン?」
ロンの声が上ずる。
ハグリッドは胸を張った。
「そうだ。まだ卵だがな」
ハリーが暖炉と彼の顔を見比べた。
初めて会ったときから、ハグリッドはドラゴンを欲しがっていた。
しかし、本当に手に入れてしまうとは思わなかった。
「これが、見せたかったもの?」
「ああ。そうしょっちゅう見られるもんじゃねえぞ」
ハグリッドの声は弾んでいた。
キーノが膝を曲げ、卵の形を確かめる。
「火の中にいて、平気なのか?」
「母親が火を吹いて、温めるんだ。こうしておく必要がある」
鬼太郎は火の当たっている殻を見た。
生まれる前から、この熱に耐える。
中の身体も同じなのか。殻に守られている間だけなのか。
外から見ただけでは、まだ分からなかった。
「生まれるところも、見られるんでしょうか」
「そりゃ、知らせてやるとも」
ハグリッドはすぐに答えた。
鬼太郎は笑った。
孵化の瞬間は、見てみたい。
飛び、火を吹く身体が、どのような姿で殻から出てくるのか。
今の卵の大きさと、生まれた身体を比べるだけでも面白そうだった。
◆
「でも、どこで手に入れたんだよ?」
ロンが尋ねた。
「ドラゴンの卵なんて、すごく高いんじゃないの?」
「勝ったんだ」
ハグリッドは得意そうに言った。
「昨日、村で飲んでてな。知らねえ奴とカードをやった。そいつが持ってたのを、賭けで貰ったんだ」
「卵を賭けたの?」
ハリーが聞き返す。
「そうだ。持て余してたんじゃねえかな。渡すときも、惜しがる様子はなかった」
ハグリッドは暖炉へ顔を戻した。
鬼太郎は、その横顔を見た。
珍しい卵を持ち、村で酒を飲み、カードに賭ける相手。
何か事情があって手放したかったのか。それとも、単に金や酒の方が欲しかったのか。
ハグリッドは卵を得た喜びで、相手の事情までは気にしていないようだった。
「その方は、ドラゴンを扱う商人だったんですか」
「さあな。名前も聞かなかった」
「そうですか」
鬼太郎は、それ以上尋ねなかった。
自分が裏で道具を買ったときも、相手の本名を知らないことはあった。
ただ、何を扱い、誰へ売り、なぜ手放すのかは、買うものによって確かめていた。
この卵については、まだ分からないことが多かった。
◆
ハーマイオニーは、ハグリッドを見上げた。
「生まれたら、どうするつもり?」
「育てるさ」
ためらいのない返事だった。
ロンが顔を上げる。
「ハグリッド、ドラゴンを飼うのは違法だよ」
「分かってる。だから、人に言うなって頼んだろ」
「隠せばいいって話じゃないわ。大きくなったら、この小屋には入らなくなるでしょう」
ハーマイオニーの声が強くなった。
ハグリッドは棚へ手を伸ばし、厚い本を取った。
図書館で背中へ回していたものだった。
「ちゃんと読んでる。餌も、卵の世話も書いてあるんだ」
卓へ開き、挿絵のある頁を示す。
ロンが覗いた。
「ノルウェー・リッジバック?」
「卵の見分け方で調べた。珍しい種類だぞ」
ハグリッドはますます嬉しそうだった。
ハーマイオニーは、本より小屋の壁へ目を向けた。
木で出来ている。
暖炉に収まらない大きさになったドラゴンが、部屋の中で火を吹けばどうなるのか。
「世話の仕方を読んでいても、飼っていいことにはならないわ」
「まだ生まれてもいねえ。そんなに心配することはないだろ」
ハグリッドはそう言いながら、本の角を押さえた。
ハリーは口を開きかけ、卵へ目を戻した。
楽しみだと思ったのは、本当だった。
しかし、それを理由に、ハーマイオニーの言っていることが間違いになるわけではなかった。
◆
鬼太郎は開かれた本を見てから、ハグリッドへ顔を向けた。
「生まれるところは、僕も見てみたいですね」
ハグリッドが彼を見る。
「だろう。そういうもんは、一度見ておくと――」
「ただ、飼うことが違法でしたら、ここで隠して育てるのは、ダンブルドア先生の顔に泥を塗ることになりませんか」
ハグリッドの口が止まった。
鬼太郎の声は、変わらず穏やかだった。
「学校の敷地ですから。見つかったとき、ハグリッドさんだけの問題で済むのか、僕には分かりません」
ハグリッドは本へ置いた手を動かした。
大きな指が、頁の端を擦る。
「ダンブルドアに、迷惑を掛ける気はねえ」
「ええ。ですから、今のうちに考えておく方がよいでしょうね」
責めるつもりの声ではなかった。
鬼太郎にとっても、校長は自分たちが学校へ通う条件を認めた相手だった。
学校の仕事をする者が隠して飼っていたとなれば、校長がどこまで知っていたかを問われることもあるだろう。
ドラゴンが生まれることへの興味と、ここで育ててよいかは、分けて考えられた。
ハグリッドは卵を見た。
「……生まれたばかりなら、大きくもねえだろ」
「その後のことも、調べておきたいですね」
鬼太郎も暖炉へ目を戻した。
「とりあえず、生まれたらドラゴンの種類や生態を確かめてからですね。この本にある特徴も、実際に見れば確かめられますから」
本に描かれた姿と、まだ動いてもいない卵。
種類の見当がついたからと、成長した姿まで理解したことにはならない。
「それと、違法な飼育がどの程度の処罰を受けるのかも、調べておきます」
ハーマイオニーが頷いた。
「私も探すわ。禁止されている理由と、見つかった場合の扱いは、確認しておいた方がいいもの」
ロンが二人を見る。
「本当に調べるの?」
「ええ。罰金で済むのか、それ以上なのかも、今は知らないので」
鬼太郎は答えた。
ハグリッドの椅子が、少し軋んだ。
「そこまで大ごとにするつもりは……」
「調べるだけですよ。ハグリッドさんも、知らないままでいるよりはよいでしょう」
鬼太郎は薄く笑った。
ハグリッドは、すぐには返事をしなかった。
やがて小さく頷き、卓に置いた湯を注ぎ直した。
◆
五人は椅子へ戻った。
キーノは杯を持ち、暖炉から少し離れた位置へ座った。
「お前、卵は見たいんだな」
鬼太郎へ小さく言う。
「ええ。ドラゴンが殻から出てくるところは、見たことがありませんから」
「生まれたら、すぐ火を吹くんだろうか」
「それも、見てみたいですね」
ハグリッドは二人の声を聞き、顔を上げた。
卵への興味を失ったわけではないと分かると、表情が少し緩む。
餌について本に書かれた箇所を示し、孵った後には手が掛かるぞと話した。
キーノは身を寄せて聞いた。
ハーマイオニーは世話の回数を聞くと、また眉を寄せる。
鬼太郎はその隣で、本の題名を覚えた。
後で自分でも読むなら、必要なところを探せる。
話の途中、ハグリッドが暖炉へ薪を足した。
火の向こうへ手を伸ばすことに、ためらいは見えなかった。
ドラゴンを育てたいという願いは、思いつきだけではないのだろう。
ただ、その願いが強いことと、育てる場所が適していることは、別だった。
◆
ハリーは杯を卓へ置いた。
「ハグリッド。もう一つ、聞きたかったんだ」
「何だ?」
「石を守ってるのは、フラッフィーだけじゃないよね」
ハグリッドの笑顔が止まった。
ハリーは急いで続ける。
「犬のほかに、どんなものがあるの?」
「そんなことを、お前さんたちに教えられるわけがねえだろ」
ハグリッドは杯を置いた。
「石がここにあるのには、理由がある。大人が守ってるんだ。お前さんたちが気にすることじゃねえ」
「でも、盗もうとしてる人がいたら――」
「ハリー」
ハーマイオニーが静かに呼んだ。
彼は彼女を見る。
ハーマイオニーはハグリッドへ顔を向けた。
「守りを抜ける方法を聞きたいんじゃないの。どの先生が関わっているか、それだけでも教えてもらえない?」
「同じことだろ」
「ダンブルドアが、誰に任せたのか知りたいのよ。ハグリッドの犬を預かったのも、信頼しているからでしょう?」
ハグリッドの髭が動いた。
少し胸を起こし、ハーマイオニーを見る。
鬼太郎は杯へ指を添えたまま、二人の会話を聞いていた。
拒まれた問いを、同じ言い方で押し続けない。
ハグリッドが誇りに思っていることへ触れ、教えられる範囲を狭く示す。
ハーマイオニーは、ただ愛想よく頼んでいるのではなかった。
知りたいことへ近づくために、相手の返事を見て、尋ね方を変えていた。
「……誰が手伝ったかぐらいなら、構わねえか」
ハグリッドが言った。
ハリーとロンが、ほとんど同時に身を寄せる。
「フラッフィーは俺が貸した。ほかには、スプラウト先生、フリットウィック先生、マクゴナガル先生……クィレル先生もだな」
指を折って数える。
「もちろん、ダンブルドアも手を加えてる。あと一人……そうだ、スネイプ先生だ」
「スネイプも?」
ハリーの声が強くなった。
ハグリッドが眉を寄せる。
「またスネイプ先生のことか。守りを作った人が、盗みに入るわけがねえだろ」
◆
ハリーはロンへ目を向けた。
ロンも彼を見ていた。
守りを作った先生なら、ほかの先生が何をしたのか、知る機会もあるはずだ。
それでも、犬を越える方法は知らない。
クィレルの魔法についても、まだ聞き出せていない。
森での会話が、ハリーの頭に戻ってきた。
「フラッフィーを越える方法は、誰が知ってるの?」
「俺と、ダンブルドアだ」
「ほかの人に、話してない?」
ハグリッドは首を振った。
「そんな大事なこと、誰にでも喋るもんか」
ハリーは息を吐いた。
少なくとも、犬の守りはまだ破られていない。
しかし、スネイプは石の置かれた場所を知っている。
自分で守りにも関わっている。
安心してよいのか、かえって危ないのか、ハリーには分からなかった。
鬼太郎を見る。
彼はハグリッドの返事を聞き終え、静かに杯を置いていた。
◆
鬼太郎は、聞いた教師の名を思い返した。
複数の教師が関わり、ダンブルドアも自ら守りを作っている。
犬を越えたとしても、それで石に届くわけではない。
クィレルの魔法についてスネイプが触れたという、ハリーの報告とも繋がる。
ただ、守りを作った者が盗まないとまでは、鬼太郎には思えなかった。
任された仕事をしながら、別の目的を持つ者はいる。
反対に、守る側だからこそ、怪しい相手がどこまで調べたかを問い詰めることもある。
教師の名前が増えただけで、森の会話の意味は決まらなかった。
鬼太郎は、その考えをここで口にしなかった。
ハグリッドがどの教師を信じているかは、返事から分かった。
確かめられていない疑いを並べれば、彼もそれを別の場所で話すかもしれない。
今は、知ったことを覚えておけばよかった。
◆
ハグリッドは、話を終えるように立ち上がった。
暖炉の前へ行き、卵の様子を確かめる。
ハリーたちが石を気にしている間も、彼の関心はそこへ戻っていた。
キーノが椅子から少し顔を出した。
「動いたか?」
「まだだ。そう慌てるな」
ハグリッドは言い、殻を眺めた。
慌てていないのは、卵だけのように見えた。
鬼太郎は杯を飲み終え、ハーマイオニーが本へ目を落としているのに気づいた。
「図書館へ戻ったら、飼育に関する本も探しましょうか」
彼が小さく尋ねると、彼女は頷いた。
「法律の本もね。載っているか、パンスに聞いてみるわ」
「ありがとうございます。僕も、生まれた後のことを調べておきます」
ハグリッドが振り返る。
「本を読むんなら、こいつも役に立つぞ」
卓へ開いた本を示した。
ハーマイオニーは、その頁へ視線を戻した。
「ええ。でも、これだけで全部は分からないでしょう」
ハグリッドは何か答えかけ、髭を撫でた。
卵を手に入れたことへの喜びは、まだ顔に残っている。
鬼太郎は、その喜びを消すために話したわけではなかった。
何を隠しているのかが分かった以上、見つかったときに何が起きるかも知っておきたい。
生まれる身体の大きさも、その身体が必要とする場所も。
まずは、読んで確かめられることからだった。
◆
小屋を出ると、外の風が涼しく感じられた。
ロンが襟元を引き、深く息を吸う。
「ドラゴンだなんて、思わなかったよ」
「生まれるところ、見られるかな」
ハリーは閉じた扉を振り返った。
「知らせると言ってたぞ」
キーノが答える。
ハーマイオニーは小屋の屋根を見上げた。
「その後も、考えてもらわないと」
「ええ」
鬼太郎が頷く。
ハリーは彼へ顔を向けた。
「スネイプも、守りを作ってたんだね」
「クィレル先生もでしたね。犬以外にもある、という話は確かめられました」
「やっぱり、その守りを越える方法を聞いてたんじゃないかな」
「その可能性は残っています。ただ、何を守りとして置いたのかは、まだ分かりません」
鬼太郎は城へ向く道を見た。
ハリーも、それ以上は言わなかった。
ハーマイオニーが、図書館で見る本について話し始める。
キーノはドラゴンの翼の大きさが気になると言い、ロンは成長したものがこの小屋へ入るわけがないと答えた。
鬼太郎は二人の会話を聞きながら、暖炉の中の黒い殻を思い返した。
まだ、その中身は見えていない。
ハグリッドは、既に手を伸ばして世話をするつもりでいる。
殻が割れた後にも、同じように手を差し出せるのか。
鬼太郎は歩きながら口元に笑みを浮かべ、図書館へ向かうハーマイオニーの隣へ並んだ。