第144話 遠い空にも、便りは届く
ロンが、ハリーの顔を見たまま口を開いた。
「チャーリーなら」
言いかけて、ハグリッドへ向き直る。
「僕の兄さんだよ。ルーマニアでドラゴンの仕事をしてる。前に話しただろ。兄さんに聞いてみよう」
ハグリッドの眉が動いた。
「チャーリーか」
「うん。ノーバートを育てられる所を、知ってるかもしれない」
ハリーは、ロンの兄について聞いたときのことを思い出した。あのときは遠い国での珍しい仕事だった。それが今、扉の向こうで翼を動かすノーバートと結びついていた。
「ドラゴンの世話をしている人たちなら、どうすればいいか分かるよ」
ハグリッドは答える前に、背後へ顔を向けた。ノーバートがテーブルの下へ頭を入れ、空の器を鼻先で押している。木の脚へ棘が擦れる音に、彼は大きな身体をずらした。
「あいつのいる所へ、こいつも入れてもらえるってのか?」
「そこまでは、まだ分からない」
ロンは少し声を落としたが、続けた。
「だから、手紙で聞くんだ。ここにいるのは小さいドラゴンだって書いてさ」
ハグリッドは入口の五人を見た。ハリーは敷居の手前から動かず、返事を待った。受け入れてくれると約束出来ればよかったが、チャーリーとは会ったこともない。ロンが答えを急がなかったことに、ハリーも従った。
「ほかのドラゴンもいるんだろうな」
「いると思うよ」
「こいつは、まだこんなに小せえんだ。大きな奴の間へ放り出されちゃ、たまらん」
ハグリッドは片手を下げかけた。ノーバートの頭が器から離れると、指を曲げて膝へ戻す。その口元を見ながら、ハリーは言った。
「小さいうちはどうやって世話をするのか、それも聞こう」
「誰が餌をやるかもだ」
「うん」
ノーバートが身体を捻った。黒い尾が扉へ寄り、ロンはハリーの袖を引いて半歩下がる。キーノも扉の脇から離れた。ハグリッドが尾の先を見て、扉をもう少し開いたところで、鬼太郎が声を掛けた。
「チャーリーさんは、幼いドラゴンも扱っているんですか」
「兄さんの手紙には、卵の話も出てくるよ。全部、兄さんが世話してるのかは知らないけど」
「それなら、尋ねる相手としてはよさそうですね」
鬼太郎は小屋の奥へ目を向けた。ハリーもつられて見ると、ノーバートは畳みきれない翼の端を床へ擦っていた。
「あれだけ大きな翼を、どんな場所で使い始めるのかも気になります」
「飛ぶところが見たいのか?」
キーノが尋ねる。
「ええ。小屋の中では見られませんから」
「見せてもらうなら、もっと離れて立つぞ」
キーノは、さっき尾が通った場所を靴先で示した。鬼太郎は笑って頷いたが、ハグリッドはノーバートの翼を見たままだった。
ハリーも見たかった。今の姿よりずっと大きくなり、空へ出ていくところを。ただ、その日まで小屋で待つことは出来ない。
「知ってる人の所なら、送ったあとも様子を聞けるよ」
ロンの声に、ハグリッドが顔を戻した。
「兄さんに、ノーバートがどうしてるか教えてもらえばいい。ハグリッドだって、会いに行けるじゃないか」
「……会いに?」
「ルーマニアまで行くことになるけど」
ハグリッドの目が、ロンからハリーへ動いた。
ハリーは頷きかけ、まだ確かめていないことを思い出した。ハーマイオニーが二人の間から少し身を乗り出す。
「会いに行けるかも、手紙に書きましょう。どこでも自由に入れるとは限らないもの。でも、チャーリーなら、誰に頼めばいいか教えてくれるでしょう?」
「そうだな。それも聞けばいい」
ロンはハグリッドを見上げた。
「知らない所へ渡して、それっきりになるよりいいよ」
ハグリッドは大きな手で顎を擦った。煤のついた指が髭へ埋まり、口元が隠れる。
「大きくなったこいつを、見に行けるかもしれねえのか」
「そのために聞くんだよ」
ハリーが答えた。
ハグリッドの肩から、少し力が抜けたように見えた。ノーバートの方へ向き直ると、器を取って餌の準備を始める。五人は外で待った。床へ器が置かれ、黒い頭が下がってから、ハグリッドは再び扉へ戻ってきた。
「手紙は、いつ出す?」
「今日、書くよ」
ロンが答えると、ハグリッドは頷いた。
「聞いてくれ。小さい奴をどうしてるかと、俺が会いに行けるか。それから……ノーバートって名前も、書いといてくれよ」
「もちろん」
ハリーは言った。
ハグリッドの後ろで、ノーバートが器を押した。餌を追う鼻先へ、彼の目が戻る。
「返事が来たら、持ってきてくれ」
その言葉を聞いて、ロンはもう一度頷いた。受け入れ先が決まったわけではなかった。それでも、ハグリッドと次に何を話すかは決まった。
坂道へ出てから、ハリーは一度振り返った。ハグリッドはまだ戸口に立っていたが、片手を上げたあと、ノーバートに呼ばれたように小屋へ引っ込んだ。
◆
談話室では、暖炉の前の椅子が埋まっていた。ハリーたちは奥のテーブルへ向かい、ロンが部屋から持ってきた羊皮紙を広げた。
「チャーリーへ、と」
ロンが羽根ペンを動かす。ハリーは隣へ座り、インク壺が肘に当たらないよう少し奥へ押した。ハーマイオニーは向かい側から羊皮紙を見ていた。
「最初に、何を頼みたいか書いた方がいいわ」
「いきなりドラゴンを引き取ってくれって?」
「引き取れるか、相談したいのよ。どうして必要なのかも」
ロンはペン先を止めた。
「最近どうしてる、くらい書かせてくれよ。兄さんへの手紙なんだから」
ハーマイオニーは口を閉じ、椅子へ座り直した。
「……それは、そうね」
ハリーは笑いかけた。ロンは短い挨拶を書き、その下へ行を移す。だが、ノーバートのことを書き始めると、さっきよりゆっくりになった。
「ハグリッドがドラゴンの卵を手に入れて、孵った。ノルウェー・リッジバックで、名前はノーバート。これでいい?」
「小屋で飼っていることも」
ハリーが言う。
「うん。もう狭くなってきた、って書く」
羽根ペンが羊皮紙を擦った。ロンの肩越しに、ハリーは文字を追った。手紙に書くと、ノーバートがいる場所の小ささが妙にはっきりした。寝床とテーブルの間で身体を捻り、五人が外へ並んでいた姿が浮かぶ。
「火も吐くよ。それに、毎日大きくなってる」
ハリーが付け加えると、ロンはその二つも書いた。
少し離れた席にいた鬼太郎が、紙へ目を向けた。
「ハグリッドが、相談することを了承した点も入れておきましょう。ご本人に黙って連れ出す頼みだと思われては困りますから」
「そうだな」
ロンは一行書き足した。
キーノが彼の手元を見た。
「まだ、送ると決めたわけじゃないだろ」
「分かってる。今、相談には賛成してる、って書いたんだ」
ロンが羊皮紙を少し持ち上げる。キーノは文字を確かめ、頷いた。
ハーマイオニーは、頼みたいことを指折り確かめた。幼いドラゴンを受け入れられる場所があるか。誰が世話をするのか。ハグリッドが会いに行くことは出来るか。
「その後の様子も、知らせてもらえるか聞いておこう」
ハリーが言った。
「毎日手紙を書けってことにはしないでくれよ」
「分かってるよ。でも、ハグリッドは聞きたいと思う」
ロンもそれには反対せず、ペンを動かした。書き終えると、インク壺へ羽根ペンを立て掛け、羊皮紙を両手で持ち上げる。
「こんなに長い手紙、兄さんに書くの初めてかもしれない」
ハリーは横から読み、ハーマイオニーはロンが置いてから目を通した。文字の形を直そうとはせず、途中の一文だけ指で示す。
「ここ。ハグリッドが会いたがっているのは、チャーリーじゃなくてノーバートだって、もう少しはっきり書いたら?」
「兄さんにも会いたいかもしれないだろ」
「でも、そのためにルーマニアへ行く相談じゃないでしょう」
ロンは指摘された行を読み返し、空いた所へ小さく書き足した。
鬼太郎はその間、テーブルの端に置いた本を開いていた。ハリーは文字が乾くのを待ちながら、彼へ目を向ける。
「本当に飛ぶところを見たいんだね」
「ええ。今の大きさで、どれくらい身体を持ち上げられるのか。成長した姿も、見てみたいですね」
「私たちまで連れていく話には、まだなってないぞ」
キーノが言う。
「承知していますよ」
鬼太郎は本から顔を上げ、笑った。
ハリーも、手紙をもう一度見た。ハグリッドが会いに行けるなら、いつか自分たちも行けるだろうか。そう思えるだけで、小屋から送り出すことが、さっきほど寂しいものには感じられなかった。
ロンが紙の端へ触れ、インクが乾いたのを確かめた。
「ヘドウィグ、頼める?」
「もちろん。僕も行くよ」
ハリーは椅子を引いた。ロンが手紙を折る横で、ハーマイオニーは開いたままの課題を自分へ寄せた。
「返事が来たら、私にも見せてね」
「五人で行ったんだから、見せるよ」
ロンは手紙を上着へ入れた。
◆
ふくろう小屋へ上がる階段には、冷たい風が通っていた。ハリーは小屋にこもっていた熱を思い出しながら、最後の段を上がった。
止まり木には、羽を膨らませたふくろうたちが並んでいた。ヘドウィグを見つけて呼ぶと、白い頭がこちらを向く。ハリーが腕を差し出すと、彼女は羽を広げ、上着の袖へ爪を掛けた。
「ロンの兄さんへ、届けてほしいんだ」
ハリーが言う間に、ロンは手紙を取り出した。宛名を確かめてから、ヘドウィグの脚へ結ぶ。
「遠いけど、頼むよ」
結び終えた紐へ嘴が寄る。ロンが手を引くと、ヘドウィグは一度足を動かし、手紙をつけたまま窓の方へ顔を向けた。
ハリーは窓辺まで歩いた。腕から移った白いふくろうが石の縁に立ち、風の中で羽を広げる。
「気をつけて」
白い翼が、窓の外へ出た。
ハリーとロンは並んで、その姿を追った。ヘドウィグは城壁から離れ、一度大きく羽ばたいてから、遠い空へ向かっていく。
「どれくらいで返事が来るかな」
ハリーが尋ねた。
「兄さんがすぐに読めるかも分からないしな」
ロンは窓の縁へ掛けた手を離した。
「でも、帰ってきたら、朝食の途中でも読むよ」
「僕も」
白い姿が小さくなった。ハリーは見えなくなるまで窓辺にいたあと、ロンと階段へ向かった。
下り始めたところで、ロンが振り返る。
「ハグリッドに、送ったって言っとこう。明日まで待たなくてもいいだろ」
ハリーは頷き、手すりから手を離した。
「うん。小屋へ寄って帰ろう」